4.1.1:最終ミッション開始
薄暗がりの中、一人の少女が小さく縮こまる。
心を閉ざし、独り泣き続けるかつての自分。
「姉ちゃんが、もういないんだ」
アリルは少女の髪を優しく撫で、言った。
「辛いのも、苦しいのも、悲しいのも、みんな分かるよ。でも、過ぎたことはもうどうしようもないんだ。どれだけ辛くても、前を向いて歩いて行かなきゃいけないんだ」
「それが怖い。怖いよ」
「大丈夫だよ。きっと大丈夫。なせばなる。そうでしょ?」
アリルは微笑みながらそう言うと、少女に手を差し伸べた。
しかし、少女はその手をじっと見つめるだけで、取ろうとはしない。
「アリル、おい起きろ、アリル」
自分を呼ぶユウラの声で、アリルは目を覚ました。
「ん? あれ、夢?」
「何寝ぼけてんだよ。ブリーフィング、始まるぞ」
「う、うん」
アリルは目をこすりながら起き上がり、少しの間自分の手を見つめた。
「何してんだって、早くしろ」
「うん、今行くってば」
「正直、作戦というほどのものではない。各エンジンは莢のような分厚い装甲で覆い、射出。ノルヴィナに護衛してもらいつつ、極力雑魚は無視し、真っ直ぐ天晶球へと突撃。アリルの力で天窓をこじ開け、内部へと侵入」
そこまでジェリスが説明したところで、アリルがおずおずと聞いた。
「天窓をこじ開けるって、ど、どうやって?」
「できないか?」
アリルは改めて少し考え、答えた。
「できます」
特に根拠は浮かばなかったが、アリルにはそうだという確信があった。
光の力。あれはそういう力なのだと。
願いを叶える魔法の力。その最も原始的にして、究極の形。
おそらくはカルムも同等以上の力を獲得しているのだろう。けれど、やれるはずだ。カルムよりも強く、自分の想いを信じる。そうすれば力は応えてくれるはずだ。
最後は、そういう戦いになるのだろう。
とにかく、信じるしかない。なせば、なる。
「とにかく、やってもらうしかない。内部に侵入成功したら、とにかく如何なる手段を講じてでもゼオリムを止めてくれ。間違いなく、アリルの力をも越えた妨害があるだろう。正直それがどんなものなのか、見当もつかない。それでも君達なら、達成してくれると信じている。よろしく頼む」
「確かに、作戦なんて代物ではないですね」
ジェリスの説明を聞き終え、ファインが軽く笑って言った。
「でも、やりますよ。やってやります」
その言葉に、皆が力強く頷いた。
作戦決行を目前に控え、グラディエントが、エシュラムのヴィナが、ノルヴィナが、皆が力を合わせ、その準備を進めている。
「何とも不思議な光景だな」
それを遠巻きに眺めていたサリオが小さく呟いた。
それを聞き、傍らで身を屈めるエルが、面白そうに笑う。
「でもエルは、とても素敵なことだと思います」
サリオは頷いた。
「やはり世界はこうあるべきなのだろう。俺は間違っていた」
そしてサリオは、エルの大きな拳に自分の拳を当てて続けた。
「あと一歩だ。頼りにしているぞ、エル」
「はい、若様!」
「またここで空を見上げているのですね」
後ろから声を掛けられ、レーンはその方へと振り返った。
レアンが微笑みながら近寄ってくる。
「別に。機械の準備が整うまではどうしようも無いからな。部屋でじっとしてたって落ち着かないし」
「あなたの機械。ザーシュラスというそうですね」
「闇の神? あれはゼオリムがそう名付けただけのただの機械だ。恐らくは単なる皮肉か、つまらない冗談で」
「それは、そうなのでしょうね」
レアンが隣で空を見上げている。レーンには、その瞳がとても澄んだものだと感じられた。
「でも、信じています。あなたが自分のすべきことをし、信念を全うすれば、あの機械は真なるザーシュラスと呼べる存在になると」
「何を言っているのかさっぱり分からないな」
レーンが皮肉を込めて鼻で笑うと、レアンは視線を下ろし、レーンに眩しい笑顔を見せた。
レーンはそれに何故か気恥しさを覚え、咄嗟に目を逸らした。
「何を信じるかは人それぞれです。私にとっての真理が、あなたにとっても同じように真理だとは限らない。大事なのは、自分自身が信じるべきことを見誤らないこと。けれど、一方で私たちの間で共通する想いもまた、確かにあるのです」
レアンはまたレーンから視線を逸らし、作業を続ける人々を見つめた。
「この戦いには、私も出ます」
「は?」
レーンは思わず素っ頓狂な声を上げ、レアンを見つめた。
レアンもゆっくりと微笑みながらレーンへと視線を戻し、その目を真っ直ぐに見つめた。
「覚悟を決めました。エルのように、ガルナンドにもヴィナを乗せるスペースはあります。それに、サリオに魔法の扱いを教えたのは私なんですよ?」
レアンがいたずらっぽく笑う。
「だからと言って、危険すぎる」
「ここに居れば、安全だとでも?」
レーンはその言葉に思わず口をつぐんだ。
「私にも力はある。それを他者を傷つけるために使い、戦うつもりはありません。けれど、大切な世界を護るためなら、私は力を行使します。私も、あなたと、あなたたちと、ともに行きたい。私は、私の信じる道を行きたい。あなたと同じように」
レアンの顔からは笑みは消え、真剣そのものだが、その瞳は相変わらず綺麗に澄んでいた。
「分かったよ。どの道俺がとやかく言うことでもないしな」
レーンはため息をつき、そう答えた。
それを聞き、レアンは再び笑顔を見せ、後ろを振り返って言った。
「そういうことです。ガルナンド、よろしくお願いしますよ」
「ど、どわあああ!」
レアンが声を掛けた方向には建物があったが、その奥の物陰で間抜けな声とともに、何かが崩れるような大きな音が響いた。
「すみません。ガルナンドが聞き耳を立てていたのですよ。あれでいて、心配性だから」
「は、はあ……?」
レーンは状況がよく分からず曖昧に答え、それに対してレアンは明るく笑った。
「どうした、アリル? まだ寝てないのかよ。今夜中には仕上がって、明日早くには決行だぞ。説明聞いてただろ、今の内にちゃんと休んどいてくれよ」
中々寝付けずに外の空気を吸いに歩いていたアリルを、ユウラが呼び止めて言った。
「いざって時に踏ん張り切れませんでした、じゃ敵わないからな」
「分かってるよ。でも、なんか寝付けなくて。……僕、上手くやれるかな?」
「何言ってんだよ。なせばなる、だろ?」
アリルはそれにすぐには答えず、ぼんやりと空を見上げた。
「お前は独りじゃない」
「え?」
「お前は他のミショニスト達と一緒に天晶球に突入する。その手助けをノルヴィナの皆がしてくれる。その準備を、俺たちが今一丸となって全力で進めている。この外じゃ、残った正規軍の連中が必死に時間を稼いでくれているらしい。皆の力を合わせて、これを終わらせるんだ。お前ひとりの仕事じゃない」
「そうだね」
「でも、その中心にはお前が居るのも確かだ。この作戦の要はお前の力だ。世界の皆がお前に望みを託している。それも忘れるなよ」
「プレッシャーだよ」
「それに応えられる強いヤツだろ、お前は」
「そうかな」
「そうさ。俺には分かる。ずっと、傍で見てきたからな」
アリルは、ゆっくりとユウラを見つめた。ユウラもまた、アリルを見つめる。
「俺と、お前と、エンヴレン」
「インディゴ・スイート」
「そう。俺たちはひとつなんだ。お前がどういうやつかは俺が一番よく知ってる。お前なら、やれる」
アリルはその言葉に、自分の内に力が湧きだすのを感じた。
光の力とも違う、もっと強く、もっと確かな力。
「ありがとう、ユウラ君」
アリルはユウラに心から感謝し、柔らかく微笑んだ。
数時間後、すべての準備は整い、皆が戦士たちを囲い、細やかな出陣式が行われていた。
残る者たちを代表し、語り部が戦士たちを激励する言葉を贈る。
「……遠い昔に分かたれた二つの世界が、再び一つに繋がろうとしている。そのためには、我々は今一歩苦難を乗り越える必要がある。あるいは、この先にも更に多くの苦難が待ち構えているのかもしれない。それでも、我々が手を取り合い、ともに歩んでいけるなら、どんな困難も越えていけるはずだ。世界をひとつに結び付ける一人一人の心の強さ。それを信じる。戦士たちよ、この世界に住むすべての心が、君達とともにある。臆するな、平和を掴み取るのだ。頼んだぞ」
皆が力強い雄叫びでそれに応え、しばらくしてそれが落ち着くのを待ってから、ジェリスが最後の指令を下した。
「事ここに至り、最早言うべきことは何もない。それぞれがそれぞれの使命を全うし、それは必ずや大きな一つの成果へと結びつくと確信している。……定刻だ。最終ミッション、開始!」
指令を受け、ミショニスト達は即座にそれぞれのミッション・エンジンの中へと潜っていった。
アリルもエンヴレンの中へと入り、ステータスを確認する。
機関には既に火が点き、すべてが万全。
ユウラ達は見事に自分の仕事を果たしてくれた。今度は、自分たちの番だ。
「行くよ、エンヴレン! 行くよ、みんな!」
天窓が開いた。外にはおびただしい数の天使が待ち構えていたが、まずはノルヴィナ達が前に出て、露払いをしてくれた。
すぐに進路は切り開かれ、エンジンをその内に抱えた莢は点火され、天晶球めがけ、爆発的な勢いで射出された。
それを見守る語り部が、小さく呟く。
「王よ。あなたの命は忠実に守られ、あなたの計画は今最終局面を迎え、そして、あなたの悲願は成就される。彼にせよ、彼女にせよ、罰にせよ、赦しにせよ、あなたは望んだものを手に入れる。これでようやく、私も解放される」
新たな神の種子を包む莢が天窓の向こうの青い空へと消えていく。
しばらくして天窓は閉じ、複雑な表情を続ける語り部の視界は、見飽きた黒い空で覆われた。
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