3.6.1:神の繭


 北方のディアンテ山脈に出現した、光を放つ白い球体。

 その光は山地を飲み込み、更にその外の世界をも貪欲に飲み込んでいく。

 そして、光に飲み込まれた物質はすべてエーテルへと還元され、球体へと吸い込まれていく。


「間に合わせの適当なネーミングではあるが、冥晶球になぞらえ、天晶球と呼ぶことにする」


 ブリーフィングルームに集められたミショニスト達へのジェリスの説明が続く。

 しかし、その場にカルムの姿は無い。


「次に、これを見てくれ」


 スクリーンに映し出された映像が切り替わり、皆が息を飲む。

 麓の街を光が飲み込み、そこに住んでいた人々が次々とそれに飲み込まれ、ある者はエーテルに還元され、またある者は異形の怪物へと変化していく。


「これがどういう現象なのか、今のところ、まったくの不明だ。変異した彼らは更に人々を襲い、”仲間”を増やしていく。また、天晶球を護るように集結していく一団もある。これも便宜上、天晶球の使い、天使と呼称する」


 その凄惨な光景にアリルは歯を食いしばり、立ち上がった。


「こんなの止めないと!」


 それをジェリスは鋭く制した。


「焦るな。各エンジンはまだ修理中だ。エンヴレンは動けるだろうが、単独で闇雲に突っ込ませてお前を失うわけにはいかない。事態が不鮮明な今、事は慎重に運ぶ必要がある。気持ちは分かるが、堪えろ」


 アリルはしばらく俯いてじっと考え込んだ後、静かに元の席へと腰を下ろした。

 アリルはそのまま黙り、入れ替わるように今度はファインがジェリスに質問をした。


「で? 具体的に、俺たちはこれからどう動けばいいんです?」


「もちろん、あれを止めてもらう」


「どうやって?」


「正直言って、分からん。皆目見当もつかん。だから、こうなれば手段はひとつしかない。力ずくで、だ。この状況はまず確実にゼオリムの仕業だろう。神を造るという計画。それが具体的にどういうものなのかは分からんが、あの中でそれが行われていることは確かだろう。それをどうやってでも止めてくれ。手段は問わない」


「無茶苦茶ですね。ま、やるだけやってみるしかないんでしょうけど」


「頼む。君達にすべてを託す」


 そう言うとジェリスは小さく息をつき、スクリーンの灯りを消した。


「現状、ここも飲み込まれるのも時間の問題だ。よって、我々は一旦場所を移す」


「場所を移す?」


「冥晶球の中へ、だ。彼らの助けを借り、時間を稼ぐ。準備ができ次第、移動は開始する。それまでは、これからに備え、各自骨を休めていてくれ。以上だ」


 ジェリスがそう宣言し、部屋を去って行っても、ミショニスト達はそこに残り、議論を続けた。

 その中でアリルは目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませた。遠くの方、天晶球の中にある意思を感じる。そして、その意思もこちらを認識し、見つめている。そして、嘲笑している。カルムナント・ゼオリム。


 敵は、ゼオリム。まだ戦いは、終わってはいない。





 本土からの報せを受け、エシュラムの人々はグラディエント支援のために動き出していた。

 最初の内はつい先ごろまで敵対していた者たちへの加勢に反対する者たちもあった。

 しかしそんな彼らも、本土で起きている光景を見せられれば、ただ黙って力を貸すことにした。

 その心の内に抱えている感情はそれぞれであっても、すべてのエシュラム人に共通するのは本土への憧憬であり、その本土が危機に瀕しているとなれば、それは矢も楯もたまらない事態に他ならない。


「グラディエントへのわだかまりを今も抱くものもあるだろう。しかし、本質を見誤るな。敵は、ゼオリム! ゼオリムは今もその野望に取りつかれ、今度はカルシェン大陸そのものも地獄へ堕とそうとしている。我々はこれを止めねばならない」


 サリオが仲間たちを鼓舞し、皆が地響きのような雄叫びでそれに応えた。

 それを離れたところで見守るレアンは、胸の前できつく手を結び、固く目を閉じ、神々に祈りを捧げた。





 各エンジンや物資の輸送の手はずが整い、グラディエントはノルヴィナ達の護衛を受け、冥晶球へと移動を開始した。

 しかしそれを阻止するように、おびただしい数の天使たちが襲いかかってきた。

 ノルヴィナ達が即座に迎撃し、アリルもエンヴレンを駆り、それを援護する。


「この天使たちも、元は人間……」


 アリルの脳裏に戸惑いが生じるが、すぐさまそれを拭い去る。


「今はそんなことを考えてる場合じゃない。悪いけど、容赦はできない!」


 アリルは雄叫びを上げ、エンヴレンを動かした。

 飛行でも跳躍でもない、一瞬での存在座標の変換。一気に一体の天使の目前へと躍り出る。

 敵はそれにも驚く素振りを見せない。最早そうした感情も無いのだろうか。

 そんな余計なことを考えた一瞬に、敵は油断なく右手の鉤爪の攻撃を仕掛けてきた。

 アリルは咄嗟に反応し、それを剣で受け止めたが、鉤爪は剣をエーテルの光に還元しつつ、さらに深く食い込んでくる。

 アリルはそのまま機体を横に滑らせて敵の攻撃を受け流しつつ、すぐさま左手で衝撃波を見舞った。敵はそれをモロに食らい、爆散した。


「ごめんなさい。でも今は!」


 剣に光を集中し、元通りに復元しつつ、周囲を観察する。

 ノルヴィナたちは上手く連携し、距離を取りつつ射撃の集中で一体一体確実に撃破していっている。

 しかし、あまりにも敵の数は多い。更に相当数の一団が接近し、ノルヴィナたちへと攻撃を仕掛けようとしているのが感じられた。

 アリルは咄嗟に機体を仲間の前へと転移させ、そのすべてを覆えるほどに巨大な防壁を展開した。

 直後、そこへと天使たちの無数の光線攻撃が襲いかかったが、そのすべてが防壁に弾かれ、逆に天使たちへと直撃していった。

 アリルは、光の力を完全に使いこなしていた。





「無駄な足掻きだ」


 どこまでも光に満たされた空間。そこにぽつんと佇む巨人。

 自分を拡張し、神へと導く繭たる機械。

 その中でカルムは、静かに笑っていた。

 旧い世界が分解され、養分としてクオラムに飲み込まれていく。


「旧き神、エンヴレン。その名を冠せられた機械。そしてその巫たるアリル。君達の世界は終わる。そして世界は新たな神、クオラムの元で新生する」


 より善き世界のために。

 ゼオリムのせいでねじ曲がった全てを正すために。


「僕は正しいことをしているんだよ、アリル。悪いようにはしない。僕も、君も、他の誰も、何もかもすべて、正しく作り直すだけだ。皆が幸せであれるように」





 その意志は、アリルの心を貫いた。

 その衝撃はすぐに去り、それからアリルの心に怒りが湧いた。


「誰がそんなことを頼んだ!」


 言っている内容は美しく響くようでも、その奥に深い傲慢が感じられる。

 こいつは、結局は自分のエゴで世界を塗りつぶそうとしているだけだ。

 アリルは激昂し、エンヴレンに光を放たせた。その光に飲まれ、多くの天使たちがエーテルの輝きへと消えていく。


「そんなの間違ってるよ、カルム!」


 アリルは絶叫し、なおも敵へと向かおうとするが、それをジェリスからの通信が制した。


「もう十分だアリル。この戦いの目的は達した。お前も早く冥府へ入れ。すぐに天窓を閉じる」


 視界を冥晶球へ向ける。最後の仲間がその奥へと消えていったところだ。

 アリルは向かって来た敵の攻撃を軽く受け流し、最後にもう一度天晶球を睨んだ。

 そこから放射される光が次々と世界を原初のエーテルの輝きへと還元し、飲み込んでいく。


「こんな終わり方なんて、絶対に認めない。やっと世界は平和になりそうだったのに。それをひとつの一族の傲慢のために終わらせたりはしない。絶対に止めてみせる……!」


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