3.5.2:発動


 執務室の中、ジェリスは物思いに耽っていた。

 既に陽は暮れかけ、室内も薄暗くなりつつあったが、それにも気付きもせず、机の上の端末や紙の資料をにらみ続ける。


「神。この世界を創造した超常の存在。その存在を、カルムは以前にも匂わせていた。やはり古の王と無関係であるはずはない」


 そして、古の王ゼオリムの失敗。エシュラムの消失。三日月湾。

 大陸を深く抉るほどのエネルギーの暴発。

 もしまた失敗すればそれほどの被害をもたらす計画など、放っておくわけにはいかない。

 また、仮にそれが成功したとして、そもそものゼオリムの目的とは何なのか。

 なぜ神などというものを造ろうというのか。


「世界平和のため……」


 そんなような事を言っていた記憶もある。

 仮にそれが本気だったとしても、ゼオリムの考える”世界平和”とはどういったものなのか。

 ジェリスは思わずあの少年の、何もかもを見下したように嘲る笑みを思い出し、身震いした。


「駄目だ。こんなとこで足りないピースを合わせようとしても、上手くいくはずもない。直接ぶつかるしかないか」


 ジェリスは手元の端末を操作し、カルムが館内のどこにいるかを探した。

 しかし、駄目だった。カルムはこの館内のどこにも居はしない。


「私用での外出中?」


 カルムナント・ゼオリムはその立場上、他のグラディエントの要員とは違い、自由に外との行き来が可能だった。

 その目的も詳しく報告する義務を負うこともない。


「出し抜かれたか?」


 結局のところ、直接問い詰めたところでしらを切られるのがオチだろう。

 ゼオリムの権力になど、自分ごときが相手で何ができるというのか。

 ジェリスはため息をつき、椅子の背もたれに深く身を預けた。

 神が世界を平和にしてくれるというのなら、良い話ではないのか。

 自嘲気味に、そう考えすらする。


 しかし、結局は心の奥底の疑念は薄れることはなく、ジェリスはすぐに居心地の良い背もたれを離れ、端末へと手を伸ばした。

 何が相手で、何が起こるのかも分からなくても、出来るだけの足掻きはしてみせよう。


「俺は、お前の飼い犬などではない」





「ようやく、ここまでたどり着いた」


 白い空間。カルムは、呆けたように虚空を見つめる老人を見下ろして言った。

 老人は全く反応をせず、いっそその周囲で慌ただしく動き続ける医療器械たちこそが、老人の本体なのではないかとすら思える光景だ。


「アリルは見事に”ひとつの輝き”への完全なアクセスを実現した。これで、必要なデータはすべて手に入った。これで、神成りはなせる」


 カルムが浮ついた調子で続けると、ようやく老人、ヴェフレンはカルムへと小さく目だけを動かし、視線を向け、小さく呟いた。


「……そして、その精神もまた、神格に相応しい気高いものへと成長した。彼女は、偽りの者どもとは違い、世界をより善きものへと導くだろう」


 カルムは、たまらず笑い出した。


「悪いね、ヴェフレン。少しだけ、計画を変更する。神になるのは、僕だ」


 老人はカルムを見つめたまま、何も言わない。表情もなく、それはカルムの望んだ反応ではなかったため、少しだけカルムは笑いを止め、険しい表情を見せた。

 しかし、それもまたすぐに嘲るような笑みで塗り替えられていった。


「僕は、ゼオリムではない。あの男の、いや、お前の企ては、失敗だ」


「すべてのゼオリムは、等しくゼオリムである。私がヴェフレンというアルファラントであるように。お前もまた、カルムナントというアルファラントである」


「残念だが、そうはならなかった。僕はゼオリムの呪縛から解き放たれた個体だ」


「カルムナント、哀れな最後の子。すまないとは思うが、あと少しだ。すべては定められた計画のまま。お前にその成就を託す」


「つまらない負け惜しみだ」


 そう言うと、カルムは老人の命を繋ぎとめている機械のスイッチを、一つ一つ、もったいぶるように、落とし始めた。


「さようなら、”ヴェフレンおじい様”。あるいは、哀れなアルファラントの残滓」


 機械は順番にゆっくりと動作を止めていくが、すぐには老人の様子に変化は起きない。


「後を、頼んだぞ、カルムナント。ゼオリムの決着点」


 老人はカルムの目をしっかりと見つめ、そう言うと、そのままその瞳から光が失われていった。


 後に残されたカルムはしばらく黙っていたが、少しして一つ、呟くように言った。


「僕は、僕だ」


 白く、広い空間に、その言葉は虚しく響き渡った。





「で、結局こいつは何がどう変わったんだって?」


 ようやくエンヴレンの解析結果がまとまり、それをユウラとアリルが精査しているところに、ガラスが顔を覗かせて言った。


「まだまだ未解明の部分も多いようですけど、基本的な機械的な構造はほとんど元のままみたいです。ただ、構成素材が全身くまなく変化してて、それが……」


「それが?」


「何て言うか、魔石が分子レベルで一様に織り込まれてる感じというか」


「なんだそりゃ、そんなんで強度は保持できてるのか?」


「なわけないじゃないですか。俺でも蹴飛ばせば割れますよ、多分」


「おいおい、そんなんで実戦に使えるのかよ」


「まあ大丈夫じゃないですか? その分、魔法性能は別次元レベルの向上ぶりですから。アリル自身の成長も合わせて、正に鬼に金棒だとは思います」


「でもまあ、もうこいつで戦う相手もいないかもしれないけどね」


 アリルが笑いながら言うと、ガラスもつられて笑った。


「だと良いけどな」


「なんか久しぶりだね、こういうの」


 アリルが楽しそうに言うと、ユウラはそれに抗議するような声音で答えた。


「何あっけらかんと言ってんだよ。突然あんなことしでかしやがって、こっちがどんだけ気を揉んだと思ってんだよ」


 そこにガラスが愉快そうに突っ込む。


「なー、お前嬢ちゃんのことが心配で心配で、ずっとピーピー泣いてたもんな」


「オヤジさん。そういう茶化し方は嫌だって言ったでしょ。怒りますよ、俺」


 ガラスはただ大笑いをするだけで、今度はアリルがニヤけながら口を挟んで言った。


「何々? ユウラ君、そんなに僕のこと心配してくれてたの?」


「お前も調子に乗るんじゃない!」


 アリルも腹の底から笑った。久しぶりのこういう雰囲気はたまらなく心地が良く、アリルは心の底からの安心を感じていた。


 しかし、そこに妙にザワつく感覚が忍び込み、アリルは咄嗟にその気配の来る方向を探った。

 それは、すぐに分かった。

 もう夜中だと言うのに、遠くの空がやけに明るく輝いている。

 それがどんどんと明るさを増していくのに呼応するように、心の中のザワつきもどんどんと大きくなっていく。


 アリルは思わず自分の胸を押さえた。

 嫌な、予感がする。


「何が、起きてるの?」


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