3.4.1:プリズム
エンヴレンの姿が変わった。
藍色の装甲は大部分が消えてなくなり、ほぼ白い素体だけの姿になったようにも見える。
しかしよく見ると、そのシルエットはより有機的なものとなり、装甲表面も金属というよりは真珠のような深い光沢をたたえ、更に各部の魔石はそれまでの血のような赤色から、眩い虹の輝きを放つ透き通った質感へと変質していた。
「プリズム」
その姿を見つめ、カルムは思わずそう呟いていた。
「素晴らしい。ようやくここまでたどり着くことができた」
クオラムのセンサーの情報を精査する。問題ない。全て漏らさずモニターできている。
「感謝するよ、アリル。ここまでよく僕を導いてくれた」
視界の中で、グレンデルがエンヴレンへと向かっていく。
彼らの戦いの理由、役割など、もう全て終わったというのに、彼らはそのことも知らず、これ以上は全くの無意味な戦いを続ける。
それを引き起こしたアルファラントの傲慢に嫌気がさしそうにもなるが、すべてはより善き世界を創るためだ。
「それに、どの道そんな悲劇など、すぐに全部無かったことになるのに」
それでも彼らは、戦いを続ける。
サリオは雄叫びを上げ、エルに攻撃を命じる。
エルは戸惑いながらもサリオのため、それに応え、真っ直ぐに立ったまま動かない敵へと右腕の武器を斉射する。
しかし、その弾はすべて敵には届かない。弾かれもせず、光の粒子へと変換され、敵へと飲み込まれていく。
「小癪なまねを!」
サリオは更に叫び、エルを走らせる。
そのまま一気に間合いを詰め、殴り掛かるが、敵はそのままの姿勢で片腕だけを小さく動かし、エルの渾身の拳を何事もないように軽く受け止めた。
「もう、止めよう」
あの小娘の声が聞こえる。音声ではない。直接意思が心に侵入してくる。
「なんだこれは!?」
サリオはそれを薄気味悪く思い、絶叫し、更にエルに激しく攻撃を続けさせるが、そのどれもが同じように軽くさばかれていく。
「僕たちは変わらなきゃいけない。変えていかなきゃいけないんだ」
敵の体から、様々な色の光が目まぐるしく発せられる。
「不幸な過去は変えられない。でも、そこからだって幸せな未来は生み出せるはずなんだ」
光が爆発的に広がり、すべてを飲み込んでいく。
そして、サリオは自分の中に何かが猛烈に押し寄せてくるのを感じていた。
「これは? あの女の記憶? 感情、意思……」
姉妹の思い出。夕闇の悲劇。
「若様!」
エルの声に、サリオははっと我に返った。
「惑わされるな、エル! 敵の事情など、考えるな。散っていった同胞の無念だけを想え! 俺たちは、今更止まれない!」
サリオは雄叫びを上げ、敵の声を薙ぎ払い、エルに再び攻撃を繰り出させる。
しかし、結局はそのどれもが通用しない。
サリオは歯ぎしりし、決断した。
「エル、最後の手段だ。道連れになってくれるか?」
少しの間を置き、エルの落ち着いた声が響いた。
「最初から、ずっとその覚悟です」
サリオはそれを聞き、ありったけの魔力をエルの体へと注ぎ込んだ。
敵もろとも、すべてを巻き込み自爆するために。
エルはその力を制御可能域を更に越え増幅し、一気に解放させた。
しかし、それは起こらない。
しばらく待っても何も起きず、サリオは呆然として呟いた。
「あいつが、止めたのか?」
プリズムの輝きを放つ敵。その不可解な能力。
その姿にサリオは畏れのような感情を抱きそうになり、全力でそれを否定する。
「……若様、もうやめましょう」
エルのか細い声が響く。
「なんだと?」
「周りを見てください。みんな、みんな居なくなっていく」
サリオはそう言われ、周囲を見渡す。街が瓦礫の山となり、仲間たちは殆どが爆散し、今はもうそれほどの数は残っていない。誰もが戦闘を止め、敵から間合いを取っている。中にはまだ開いている天窓の向こうへと、逃げ出している者もいる。一方で敵も殆どが機能停止し、残ったものも味方を護ることに集中している。
最早戦闘どうこう、勝敗どうこう、という状態ではない。
「もうやめましょう。死んでいった人たちのために、今生きている人たちまで死んでいく。そんなのって、やっぱり悲し過ぎます」
サリオは黙って歯を食いしばった。
心の中に、答えはある。しかし、口から零れ落ちた言葉は、それを拒否するものだった。
「すまない、エル。俺は馬鹿だ」
「……若様」
サリオは絶叫し、残った力をエルに注ぎ、エルに攻撃を命じた。
エルはそれに応えてくれ、左の拳を真っ直ぐに敵へと飛ばした。
敵はそれを避けようとも、守ろうともせず、真っ向から胸で受け止めた。
猛烈な衝撃が周囲の瓦礫を吹き飛ばすが、敵は倒れはしない。
「もしかしたら、姉ちゃんは許してくれないかもしれない」
女の声が響く。それをかき消すように、サリオはまた叫び、エルの右腕を鈍器として振りかぶる。
視界の中で敵も虚空から剣を出し、構えるのが見えた。
それらが互いに近づくのが、いやにゆっくりに見える。
ふいに、ガルナンドが悲痛に叫び続けているのに気づいた。
「もう止めてくれ!」
もう終わるさ。どう転ぶにせよ、もうこれで最後だ。
サリオはゆっくりと動く敵の剣先を見つめた。
「ごめんなさい、若様!」
エルが突然叫び、動きを止め、敵の剣の前に無防備を晒した。サリオは最早それを咎めるつもりもなかった。
負けだ。敵の剣先がもう目の前まで来ている。
しかし、それも寸前で動きを止めた。
エルの体がその場に崩れ落ち、サリオは呆然としながら、その衝撃にただ身を預けた。
その衝撃が去っても、敵は剣を構えたままの姿勢で動きを止めたままだった。
少しの間があり、女の震える声が聞こえてきた。
「何度聞いても、姉ちゃんは何も答えてはくれない。だって、当たり前なんだ。姉ちゃんはもう、どこにもいないんだから」
声の震えが伝わったように、剣を握る手も、震えている。そして、少しずつ声に嗚咽が滲み始めた。
「姉ちゃんはもう、何も考えないし、何も感じないし、何もしゃべらない。だから姉ちゃんの無念だなんだって、そんなのただの言い訳なんだ。僕がどうするかは、僕自身で決めなきゃいけないんだ」
女はゆっくりと剣を下ろし、そしてそれを、投げ捨てた。
「だから決めたんだ。僕はもう、大切な人を、人殺しの理由になんて、しない」
サリオは呆然としていた。心の中は空っぽで、何も湧いてはこない。
「ごめんなさい、若様。エルは、若様の命に背きました」
「……いいんだ。エルは、きっと正しいことをした。俺を、止めてくれた。救ってくれたのだろう」
エルの声を聞き、自分の中に湧いてきた言葉は、それだった。
「胸を、開けてくれ」
エルが言う事を聞いてくれ、サリオの視界に、眩しい光が飛び込んできた。
眩しさに細めた目の向こうに、澄んだ青い色が一面に広がっている。
ゆっくりと立ち上がり、兜を脱ぐと、風が髪を撫でた。
生臭く、生暖かい風。心地よくはないが、力強い、命の息吹に満ちた、潮風。
眩しさに慣れた目で、改めてどこまでも続く青に見入る。しかしそれも、すぐに涙で滲み、よく見えなくなってしまった。
「なあ、エル。皆は、俺を許さないだろうか」
「エルは、……分かりません」
サリオは頷いた。
「ああ、そうだな。分かるはずがない」
サリオは涙をぬぐい、もう一度空を見上げた。
「なあ、エル。青い空は、美しいな」
「はい。エルも、そう思います」
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