3.2.3:平行線
「ここの空など、見ていても楽しくはないでしょう?」
生気の無い薄い青の空。それをぼうっと見上げるレーンの背中に、レアンがそっと声を掛けた。
「子供の頃はずっとこんな色の空を見ていた気がする。いつもどんよりと曇っていて。たまに晴れても、濁って色味の薄い、面白味の無い青空でしかなくて」
気が付けばレアンはすぐ隣に立ち、同じように空を見上げていた。
「その頃は、ロクでもない連中ばかりが周りに居た。裏切り、裏切られ。誰も信用せずに生きてきた。……あんたはそうはならないのか? こんな環境でも、なぜベル・スールに同調せずにいられる?」
「神々を、信じているからです。心清く、祈りを捧げれば、必ず救いはもたらされるのだから」
「神、ね。俺にはどうにもまだその概念が理解しきれない。そんなの本当に居ると思ってるのか? 本当に救いなんてあると思ってるのか?」
レアンは、レーンを真っ直ぐに見据え、答えた。
「はい。だって、祈りは確かに届きました。あなたたちと、出会う事ができた。私たちは、ようやく平和への糸口を掴むことができた」
「ふん、どうだかな。俺たちの事にしたってそうだ。何故そんなにあっさりと信用できる?」
レアンはそれにはすぐには答えず、微笑みながらじっとレーンの瞳を覗き込む。
レーンは思わず怯み、一歩後ずさった。
「あなたは、とても澄んだ目をしていらっしゃる」
「はあ?」
レアンの言葉に、レーンは素っ頓狂な言葉を上げる。
レアンは今も微笑みながらこちらを見つめている。レーンはその視線から逃げるように、顔を逸らした。
こういう手合いは初めてだ。どう対応していいのかが分からない。
レーンは自分が緊張しているのを感じ、焦った。
それで、とりあえずこの場を去ろうと、適当な別れの挨拶をしようとした瞬間、何やら騒がしい音が聞こえてきた。
「グレンデル……!」
黒い巨体が悠々と通りを歩き、図書館へと近づいてくる。
アリル達はその様子を、建物の中に隠れ、息を潜め窺う。
そして、アリルは先ほどガルナンドから聞いた話を思い出していた。
あの話が本当なら、ガルナンドと一緒にラカラムを襲った彼の弟、自分の仇であるグレンデルは既に倒されているらしい。なら、自分がこれまで憎き仇と思い込み、戦ってきたあの冥獣は、ノルヴィナは、何者なのだろう。
「エルフィオラ」
思わずその名前を口にしていた。多分、そうなのだろう。ガルナンドの姪。たしか、十年前に五歳でノルヴィナになったと言っていた。自分と同い年の少女。
とてもそういう風には見えない、無機質な巨大な姿。その胸元には、戦いの中でこちらが着けた傷が今も残っているようだ。
アリルは、自身の内に複雑な感情が渦巻くのを感じた。
戦いの意味が、一気に薄れ、消えていく。やっぱり、こんなことは無意味なことだ。
「あれは?」
アーデルが、エルフィオラの前を立って歩く、冥獣の甲殻のような鎧を纏った男の姿を指さし、レアンに聞いた。
「サリオです。現在、ベル・スールの中心に立ち、あなた方との戦いを指揮する者です。そして、私の弟、でもあります」
「ふーん、なるほどね。あれが親玉、ってわけ」
サリオとエルフィオラは、図書館の前までたどり着き、その前に立ちはだかるガルナンドと対峙した。
ガルナンドがアリルたちの隠れる図書館を守護するよう、腕を組み、サリオへと問いかける。
「サリオ坊。何の用だ? 皆が動揺する。ここにエルを連れてくるなと言ったはずだ」
「獲物が、ネズミが数匹ここに逃げ込んだはずだ。始末する。差し出せ」
「何のことだか分からんな」
「お前は相変わらず嘘がヘタだな」
「知らんものは知らん」
サリオは呆れたように小さく息を吐き出し、エルに向け手を掲げ、合図をした。
「なら、実力を以て検分させてもらうしかない」
その言葉にガルナンドも組んだ腕を解き、一歩前へ出る。
「いい加減にしろ。大人しく去れ、坊。エル」
サリオはその凄みのある声にも怯まず、エルにもう一度手で合図を送る。
エルは戸惑いながらも、右腕の武器をガルナンドへと向けた。
「ごめんなさい、おじさま。でも、若様は皆のことを思ってこうしているんです」
「バカを言うな……!」
ガルナンドも感情を昂らせ、左腕の武器を突き出した。
「僕なら、ここにいる」
突然の言葉に、エルとガルナンドは武器を下ろし、その方を向いた。
サリオも声の主、アリルへと視線を向け、言った。
「自分から出てくるとはな。手間が省けてありがたいな」
アリルは両手を広げ、敵意の無いことを示しつつ、サリオへと言葉を投げかける。
「これ以上、戦うつもりはない。僕たちは、分かり合えるはず。争い続ける以外の道だってあるはず」
サリオは堅い表情でアリルへと黙って近づき、その胸倉を掴んだ。
アーデルとレーンが咄嗟に動こうとし、それにエルが反応する。アリルは軽く手を振って仲間を抑え、同様にエルの動きもガルナンドが制止した。緊張した空気が駆け巡り、誰も彼もが、凝り固まったように身動きを取らない。
「この馬鹿げた檻の中で死んでいった者、お前たちとの戦いに殉じていった者、彼らはそれでは納得しない。俺は彼らの無念を晴らしてやらねばならない。お前たちには、その償いをしてもらわねばならない。他の道など、無い」
サリオが吐き捨てるようにそう言う。
死んでいった者たちの無念。アリルの脳裏に、姉の顔が浮かぶ。
思考が彷徨い、どこにも答えが見つからない。
目の前のサリオも、エルも、最早自分の本来の仇ではない。一方で、自分自身は彼らの仲間を沢山殺めてきた。
彼らには復讐の正当性があるのだろうか。自分の命を差し出すべきなのだろうか。
それで何かが解決するのだろうか。彼らは、報われるのだろうか。
アリルの視界が、涙でゆっくりと滲んでいく。
「……もう嫌なんだよ、こんなの。憎んで、憎まれて。殺して、殺されて。それで何がどうなるって言うんだよ。姉ちゃんはもう、何も言ってくれない。そりゃそうだよ。だって、もう姉ちゃんは居ないんだから。死んだ人たちのためだとか言って、今を生きてる僕たちが苦しんで、傷つけ合うなんて、多分間違ってる……」
アリルの慟哭を、サリオは鼻で笑う。
「……意味などない。そんなことは分かっている。……だからと言って、今更止まるわけにはいかない。割り切るわけには、いかない。俺たちは、行きつくところまで、行きつく他にない」
「なぜ!?」
「是も非もない。理屈ではない」
サリオはそう言うと、またもエルに合図を送った。
瞬間的にガルナンドの緊張が伝わってくるが、エルはためらった様子で、動こうとはしない。
アリルは、その姿を見上げた。姉の仇と同じ姿をした少女。
その瞬間、脳裏に昔の記憶が鮮やかに蘇った。
すぐにはそれが何時の記憶か思い出せず、アリルは少しの時間、その記憶を探った。
そして、ようやく気付いた。それが、自分の記憶ではないことに。
それは、エルの記憶だった。
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