3.2.1:歴史


 語り部は、静かに話を始めた。


「我々の祖先も、遠い過去には青い空の下、カルシェンの大地で平穏に暮らしていた。そう、今のあなた方と同じように。しかし、時の王、アルファラント・ゼオリムの抱いた企てが失敗に終わった時、この時空の牢獄へと、我らの祖先は都市ごと飲み込まれ、堕とされてしまった」


 ゼオリム。

 またも耳慣れた言葉が飛び出し、思わずアリルは口を挟みそうになった。

 しかしどうにかそれを飲み込み、とりあえずは話を最後まで聞くことにした。

 そんなアリルの様子を気にはせず、語り部の話は続く。


「……それから、我らの苦難の道は始まった。どうにか生き延びた我々の祖先は、この死の大地に何とか結界を張り、命を繋いでいった。とはいえ、この小世界はそれほどの人口を支えられはしない。幾何かのヴィナをそのままの形で存続させるため、多くの者が席を譲り、生身の体を捨て、非エーテルの土くれ人形に魂だけを移し替え、ノルヴィナへと転じた」


 非エーテルの躰。そのノルヴィナが、冥獣? 冥獣も元々は、人間だった……?


「そうして、我々はこの不毛の大地で細々と世代を繋いできた。時には、”天窓”が開き、ノルヴィナがそれを通じて本土と行き来ができることもあった。我らは本土へ救援を要請したが、いつの時代も、なしのつぶてでしかなかった。その絶望と失望が、我らを二つへと分けた。ひとつは、大人しく現状を維持し、平和に帰還できる日を夢見て交渉の続行を試みる、我らベナ・オール。そしてもうひとつは、ノルヴィナの頑強な躰を使い、力ずくでの帰還を実現しようという、ベル・スール。あなたたちがこれまで戦ってきたのは、彼らベル・スールの者たちだ」


 グレンデルの激しい怒りを思い出す。その裏には、こうした事情があったのか。

 アリルは素直にそれに同情を抱き、自らの正義が揺らぎ始めているのを感じていた。


 すべての元凶であるという古の王ゼオリム。グラディエントを実効支配し、ベル・スールと戦わせるゼオリム。これは偶然の一致なのか、あるいは。


「……なるほど、大体のあんたらの事情は分かった。けど、もう少し詳しく聞かせてくれ。その、ゼオリムとか言う昔の王の企てっていうのは?」


 レーンの疑問に、語り部は頷いて言葉を続けた。


「ある時、我らの王国を相次いで大きな天災が襲った。その被害はあまりにも甚大であり、すべての人々が深い絶望に打ちひしがれた。とりわけ、時の王、アルファラント・ゼオリムの絶望は大きかった。そして、ゼオリム王はそれまで以上に篤い信仰をもって、神々に祈りを捧げた。……しかし、それで状況が良くなることは無かった。作物は枯れ、家畜は痩せ、多くの民は心や体を病み、けして少なくはない数がこの世を去った。王は更に深い絶望に陥り、ついには信じた神々を偽りの存在として否定しだした。そして、新たな神を、真の神を、自ら造り出すことを決めた」


 語り部はそこで言葉を切り、一つ大きく息を吐き出してから、また言葉を続けた。


「しかし、それは失敗に終わった。すべての事象の興りへと至る神の門、それを無理やりこじ開けるために用意された莫大な力が暴発し、それは王都であるこの街、エシュラムを丸ごと飲み込み、時空の狭間へと突き落とした。……そこからは、先ほど述べた話の通りだ」


 アリルは、さきほど外で見た石像の事を思い出していた。雷のカミ、ラディエリス。

 そして、カミの門を無理やりこじ開けようとしたことで起きたという力の暴発。ここに来るときも含め、二度発現したあの光の力。あれと関係があるのだろうか。


 頭の中で情報が上手く繋がっていかず、バラバラに漂い続ける。

 それはレーンも同じようで、レーンは率直に語り部へと疑問を投げかけた。


「すまない。ちょっと話に着いていけていない。そのカミっていうのは?」


 その言葉に語り部は虚を突かれ、驚いたような表情を見せた。


「……神を、知らない?」


 その語り部のあまりの驚きように、レーンは少したじろいだ様子を見せた。


「あ、ああ。まったく始めて聞く言葉だ」


 語り部はその返答に思案気にため息をつき、また静かに語り始めた。


「……すべての始まりの時、まだ空も、海も、大地も存在しない、世界そのものが生まれるより昔。そこはひとつの輝きで満ちていた。その輝きは永い時をまどろみ、やがてその中から、一つの意思が芽生えた。それこそが光の主神、エンヴレンである」


「エンヴレン?」


 語り部の言葉に、アリルは思わず反応した。

 それに語り部は眉をピクリと上げてみせる。


「あ、すみません。続けてください」


 語り部は頷き、話を再開した。


「そして、光の中からは相次いでその他の新たな意思も生まれ出ていった。すなわち、火の神ベルフレス、水の神オルベナン、土の神フィスフール、雷の神ラディエリス、闇の神ザーシュラス。彼らは互いに手を取り合い、原初の輝きからエーテルを創り出し、それを根源素材として様々に組み合わせ、世界の万物を創造していった。空を、海を、大地を。そして、植物を、動物を、人を。そして、彼らは我々も含め、その被造物を今も温かく見守って下さっている。神とは、そういった存在である」


 これはもう、偶然なんかではありえない。

 しかしだとすると、一つ足りないことになる。

 アリルはためらいながらも、再び口を挟んだ。


「あの、クオラムは? そういう名前のカミは居ないんですか?」


「クオラム? さあ? 聞いたことのない名だ。どうしてそんな名前を?」


「あ、いえ、えと」


 アリルが狼狽していると、横からレーンが立ち上がりながら、口を挟んで言った。


「色々と話してくれてありがとう、語り部さん。すまないが、ちょっと今聞いた事を俺たちだけで話し合いたい。お暇させて頂いていいだろうか?」


 語り部はそれに頷き、最後に付け足すように言った。


「……我々は余りにもお互いに傷つけ合い過ぎた。しかし、そうした過去を乗り越え、これまでとは違う未来も掴めるはずだ。それにはまず、お互いの情報と、気持ち、決意の共有が必要だと思う」


 そう言うと語り部は、こちらの顔をそれぞれ一人一人、じっと見つめていった。


「一朝一夕とはいかないだろう。まずは今知った知識を持ち帰り、他の者にも伝え、解決の知恵を絞ってほしい。その間に、我々も内部の問題をどうにかしてみせよう」


 アリルたちはその言葉に頷いて答えた。


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