3.1.2:過去の残響
少女が、片付けていた皿を落とし、割ってしまった。
すぐに破片をかき集めようとするが、指を怪我してしまう。赤い血が滲み、痛みに顔をしかめながら、その指を口に突っ込む。
「大丈夫? 手当してあげるからいらっしゃい」
恰幅のいいメイド長が屈んで少女に目線を合わせ、優しく微笑む。
少女はそれに目も合わせず首を振り、破片の片づけを再開する。
「……大丈夫です。大した傷じゃないから。血ももう止まったし。お皿割って、ごめんなさい。すぐに片づけます」
メイド長は軽くため息をつき、少女の手伝いに入ろうとするが、少女はそれを止めて言った。
「一人でやります。これ以上、迷惑はかけたくないから」
「迷惑だなんてそんなこと……」
メイド長の言葉が聞こえていない様子で、少女は黙々と破片を集めていく。
メイド長はまた溜め息をついた。
そこに別のメイドが一人、通りすぎざまに呆れたような声をかけた。
「ほっとけばいいんですよ、そんな子。可哀想な子だから、ってこっちは気を遣ってあげてんのに、いっつもその調子なんだから」
メイド長はそのメイドの背中に向け、たしなめる言葉を放ちつつ、少女に向き直る。
「……そんな風にいつまでも塞ぎこんでいたって、何も楽しいことなんて無いのよ?」
メイド長は少女にそう声をかけるが、返事は返ってはこない。
それからもう一度大きなため息を吐き、メイド長もその場を去っていった。
しばらく黙々と作業を続け、少女はようやく破片を集め終わった。それをエプロンに乗せ、ゴミ箱まで運び、一気にその中へと落とす。
ふいに近くの鏡が目に入り、少女はそれに映る自分と目が合った。
「……甘ったれてなんか、いられない。姉ちゃんはもう居ないんだ。私は独りで生きていかなきゃいけないんだ。全部、私独りでやらなきゃいけないんだ」
そのためには、強くならなきゃいけない。
その思いとは裏腹に、目には涙が滲み始める。それを腕で荒く拭う。肩まで伸びた髪がまとわりつき、鬱陶しく感じられる。
「こんな髪、切ってやる……」
お気に入りのスカートだって、もう捨ててしまおう。
もう二度と失敗なんてしない。誰の事も頼らない。
息を整え、もう一度鏡を見る。
なんてみすぼらしい姿なんだろう。
少女は歯を食いしばり、その姿をにらんだ。
「……僕は、強くなる。独りでだって、やっていける」
アリルは、ゆっくりと目を開いた。
武骨な石造りの、見覚えの無い天井。小さなランプが一つ、か細いオレンジの光を室内に投げかけている。
ここは、どこだろう。
「気が、つかれました?」
ふいに声がし、アリルは上体を起こしながら、その方へ向いた。
すぐ傍らに一人の女性の姿があった。白くゆったりとした服をまとい、暖かな笑みを浮かべながらこちらを見ている。
アリルは寝ぼける頭を振り、記憶を探った。冥獣の襲撃。イフリートの介入。
「……ここは?」
深く息をつく。この場所では命が吸い取られる感覚は無い。
「ここはカルンター。結界に守られた、我らヴィナの唯一の拠り所」
「カルンター。……ヴィナ?」
「ヴィナとは、私やあなたのように、エーテルの体を持つ人間のことです」
そう言うと、女性は静かに立ち上がった。
「起きられますか? もしよろしければ、語り部のもとへ案内します。私たちの指導者の事です。私たちはずっと、あなたたちとの対話を望み続けてきたのです」
アリルはベッドから立ち上がってみた。少し疲れた感じと空腹感はあるが、十分に健康そのものだ。そのアリルの様子に女性は微笑み、歩き出した。アリルは一瞬躊躇したものの、他にロクな選択肢も浮かばなかったので、すぐにそれを追うことにした。
外に出たアリルは、その光景に少し驚き、思わず足を止めた。
青い空に、白い石造りの街。一瞬、ここは冥府ではないのかと思いかけてしまうが、勿論そんなわけはない。街の上空は薄い膜のようなものに覆われ、それが青く弱弱しい輝きを放っている。あれが結界、なのだろう。その結界の湾曲具合から推察するに、このカルンターと言う街はそれほど広い場所ではないようだ
ふいに視界の奥で女性が立ち止まり、待っているのが見えた。アリルは足早にその姿へ追いつく。
「……あなたたちは、何者、なんですか?」
言いながら、街の風景を観察する。人影は少ないが、誰も彼もが普通の人間のように見える。冥獣の姿はどこにもない。
そもそも、街に結界なんていうものが必要な時点で、彼女たちもこの世界で自然発生した生き物ではないようにも思える。
「それも含めすべて、すぐにお話します。見えてきました。あの建物です」
女性が指をさす。その先に視線を向けると、ひときわ大きな宮殿のような建物が視界に入った。
「遠い昔には図書館だった建物です。今は集会場として使われていて、あそこで我々の代表が待っています」
その建物に近づくにつれ、大きな石像のようなものが見えてきた。
長いローブをまとい、大きな杖を掲げ、クセのある長いあごひげに覆われた厳めしい顔の老人の像。
アリルがそれを物珍しそうに眺めていると、女性はその説明を軽くした。
「あれは、雷の神ラディエリスの像です。他にもこの図書館を護るように、六大神の像が建っています」
「雷のカミ、ラディエリス……?」
耳慣れないカミと言う言葉。耳慣れたラディエリスという名前。アーデルのエンジンの名前だ。どういう事だろう。偶然の一致というには、その名前は少し複雑すぎるように思える。しかし、納得のいく推察はまったく浮かばない。
アリルはただ黙って女性の後を追った。
そうして建物のすぐ近くまできたところ、他の像よりも一回り大きな黒い像の姿が見えた。アリルは少ししてその正体に気付き、思わず身を強張らせた。
グレンデル、いや、イフリート。一本角の黒い巨人が、腕組みをし、建物を護るように立っている。
女性が振り返り、アリルをなだめるように声をかけた。
「大丈夫。彼はあなたに危害は加えません。彼はガルナンド。我らの守護者です」
「ガルナンド?」
アリルはその巨人の心を探ってみた。感じるのは一つの心だけ。薄い好奇心と、その奥には深い悲しみと後悔、だろうか。複雑な感情が渦巻いていて、よくは見通せない。
「どうか、しましたか?」
女性が不審そうにアリルに尋ねた。
「あの冥獣は、十年前、僕の故郷を焼き、皆を、姉を、殺しました。少なくとも、その時見た姿によく似ている」
別の個体なんだろうか。ゴブリンやハーピーはよく似た個体が沢山いる。しかし、どうにもそうは思えない。あれは、あの時見た姿そのものだ。その直感を裏付けるかのように、巨人の心に動揺が走る。
女性の声が静かに、しかし力強く、響く。
「今は、抑えてください。とにかく私たちの話を聞いて頂きたい」
「分かってます。僕も、そのためにここに来たんだから」
そうして巨人の横を通り過ぎる際、突然低く響く声が聞こえ、アリルはその声が来た方へと振りむいた。
「後で、話をさせてほしい」
そのイフリート、ガルナンドの声にアリルは驚きながらも頷き、そして建物の中へと入って行った。
「あ、アリル! ようやく目が覚めたのね。まったく、こんなところまで来ても寝坊癖が治らないなんてね」
アーデルのほっとしたような声を聞き、アリルもまたほっとした気分で、笑顔を返す。アーデルの横には、レーンの姿もある。
「ごめん、ごめん」
そう言いながら、アリルは二人の傍へと歩み寄る。
通された部屋は広い空間だった。壁は書架になっていて、今もその中は本で埋め尽くされている。一方で部屋の中は机や椅子の類は無く、アーデルとレーンも床に直で座っている。そしてもう一人、部屋の中心に老人が同じように腰を下ろしている。
アリルと女性もその傍に腰を下ろすと、女性が老人を紹介して言った。
「我々の指導者、語り部のオシリア翁です」
老人が頭を下げて挨拶し、アリル達もそれに応えて頭を下げた。
それから一呼吸置き、老人はゆっくりと語り始めた。
「よく来られた、本土の方々。色々と言いたいこと、聞きたいこと、沢山あるだろう。しかし、どうやらあなた方は我々の歴史を知らないようだ。まずはそのことを、知ってほしい」
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