2.5.1:対話


 ベッドに腰掛け、アリルはゆっくりと自分の部屋を見渡す。

 最初来た時には分不相応に豪華に思えた広い部屋も、いつの間にか物で溢れ、散らかり、いっそせせこましさすら感じさせるほどに雑然とした、居心地の良い単なるねぐらと化していた。


 そこかしこに散らばるゴミや脱ぎ掛けや、結局ろくに整理せずに放置しているキャリーバッグからは目を背け、見ないふりをし、アリルはベッドへと倒れこんだ。

 ここに来て、もうじき一年が経つ。


「……色んなことがあったなあ」


 最初は軽いウォーミングアップだけで、ヒィヒィ言っていた。今では筋肉痛なんて、そうそう起こりはしない。

 それに、いきなりレーンが立ちはだかったときは、驚いた。けれど、どうにか認めてもらうことができた。

 アーデルとも最初はギスギスした感じだった。でも、今では大の仲良しだ。


「そういえば、ユウラ君も第一印象は最悪だったな」


 最初に会ったときのことを思い出し、思わず苦笑する。


「……男爵様のお屋敷でも、もしかしたら他の人たちとも違う付き合い方って、できたのかな」


 その可能性に思いを馳せるが、結局は過ぎ去った過去の話であり、過去をやり直すなんてことは不可能だ。

 けれど、これから先の未来は、より良い形に変えていけるのかもしれない。自分自身の、意思と、行動で。


「冥獣の感情が感じられるなら、逆に僕の気持ちを伝えることだって、出来るんじゃ?」


 ふいにそんな事を思いつき、その可能性を吟味する。


「あるいは、もっと単純に、言葉で話しかければ、通じたりして」


 今まではそんなこと、一片の可能性の欠片すら頭に浮かんだことは無く、当然試してみることは無かった。


「やるだけやってみよう。このまま何と、何のために戦うのか、そんなことも分からないまま殺し合うなんて、あまりにも不幸だ」


 その瞬間、突然に脳裏に姉の無残な最期が思い出され、アリルの高揚はすっかり冷めてしまった。


「でもそれじゃ、姉ちゃんは許してくれないのかな?」


 姉ちゃんを殺した相手と理解しあおうだなんて、間違っているんだろうか。





 冥府の門をくぐり、冥獣の群れが攻めてくる。

 グレンデルが先陣を切って飛び出すが、その取り巻きの数は少ない。ほぼグレンデル単騎といって良いほどだ。

 いずれにせよ、それを迎え撃つため、三日月湾に待機していたエンジン各機が飛び立つ。


 アリル、レーン、アーデル、そしてカルム。

 アリルは突出し、一気にグレンデルに向け突進しながら、レーンに告げる。


「試したいことがあるんです。グレンデルは僕一人に任せてください」


「なんだと。あいつと一対一でやり合おうってのか?」


「はい」


「……分かってるな?」


「無茶はしません」


「よし。任せた」


 そのやり取りが終わるか終わらないかの瞬間、グレンデルが仕掛けて来た。

 その右腕の射撃を掻い潜り、肉薄。剣の一撃を振り下ろすが、グレンデルはそれをかわし、カウンターで拳を真っ直ぐに打ち込んでくる。アリルの方もそれを軽くかわし、剣を横に薙ぐ。それがグレンデルの肩をかすり、双方は一旦お互いに距離を取る。


「僕は、強くなってる」


 グレンデルを、以前ほどには脅威とは感じない。

 かつては全く歯が立たなかった相手と、今では十分に互角に渡り合えている。

 自分は強くなった。

 アリルは小さく息をつき、その自信が慢心に堕落しないよう、自分を見つめる。

 そして周りの気配を感じる。仲間が、一緒に戦っている。


「僕は独りじゃない。大丈夫」


 そして、目の前の相手に集中する。

 今も激しい怒りを感じる。そしてもう一つ。その怒りに同調しながらも、どこか優しさと柔らかさを持った心。


「あなたは、誰?」


 アリルはエンヴレンの外部スピーカーを出力し、グレンデルにそう問いかける。

 自身から湧き出るエーテルにも感情を込め、発散させる。

 一応、機体の無線や光信号、エーテルパルス信号、他にも可能な限りすべての手段でも発信。


「声が聞こえるなら、応えてほしい。僕たちはあなたたちのことを何も知らない。知りたいんだ。知らなければいけない。あなたたちが何者で、何のために戦っているのか。そしてできれば……、戦う以外の道を探りたい!」


 アリルの言葉に、グレンデルが明らかに狼狽する。

 意味は、意思は、通じているんだろうか。


 攻防の手が止まり、互いににらみ合う静寂。

 アリルは、答えを待った。





 エルフィオラの胸の奥、サリオは動揺していた。


「若様、どうしましょう。これって、上手くいけばレアン様の言う……」


 サリオはそのエルの言葉を遮り、声を荒げた。


「罠だ! こんなのは、俺たちを油断させるための罠だ」


 その言葉とともに、再び機械の人形へと攻撃を再開する。


「俺たちは棄てられた民だ。何もかもを奪われ、地獄へと堕とされ、それでも生き延びた民の末裔だ。今更話し合いもへったくれもあるものか。俺たちは、奪われたものを奪い返す。それを貴様らごときに、阻ませはしない!」


 大声を張り上げるが、相手までは届かないだろう。サリオはその言葉を攻撃に代え、激しく相手にぶつけていく。


「待って! 言葉は通じているんでしょう? お願い、話を聞いて!」


 エルに力を注ぎ込み、周囲に黒いスパークが迸る。

 そして相手の戯言は無視し、更に激しく攻撃を繰り出す。


「俺たちは、無念に散っていった仲間たちの想いを託され、戦い続けている! お前たちに勝つ以外に、道など無い!」





 その言葉が、アリルの心を直撃する。


 はっきりと言葉が聞こえた。音ではなく、エーテルを介してだが、曖昧な感情だけではなく、はっきりとした言葉で。


「死んだ人の、想い?」


 グレンデルの激しい攻撃を必死に捌きながら、その言葉の意味を推し量る。

 アリルの脳裏に、これまでの戦いが思い起こされる。これまでに沢山の冥獣を、倒してきた。殺してきた。


 自分にとって彼らが大切な人を奪った仇であるように、自分自身もまた、彼らにとって許せない仇なのか。


「でも、最初に人を襲ったのは、そっちだろ」


 相手に言うではなく、コクピットの中で言い訳をするように小さく呟く。

 しかしそれも結局はどうなのだろうか。もしかしたら、自分の知らないところでこちら側が先に仕掛けていたのかもしれない。


 その時、機体が激しく揺れた。思考に気を取られ過ぎてしまい、攻撃を食らってしまった。


「しまった!」


 慌てて態勢を立て直すが、グレンデルは鋭く接近し、凶暴な鈍器としての右腕を振りかぶる。

 もう回避は間に合わない。アリルは全力を防壁へと注ぎ、衝撃に備え、歯を食いしばった。

 しかし、その衝撃はやってはこなかった。


 青いエンジン。カルムのクオラムが援護に入ってくれていた。

 グレンデルが一旦離れていく。


「諦めるんだ、アリル。たとえ言葉を解したとしても、奴らの本性は結局は凶暴な獣だ。話し合いなど通じはしない」


 カルムの声が、静かに響く。

 アリルは改めて冷静にグレンデルへと向いた。あれ以外の言葉は聞こえてはこないが、今もその激しい怒りだけは感じられる。


「忘れるなアリル。奴らが君の故郷に、君のお姉さんにしたことを。その無念を晴らすため、今こそその力を解き放つんだ」


 エンヴレンに剣を構えさせながら、それでもアリルは迷っていた。


「どうすればいいんだよ? 姉ちゃん……」


 その答えは、返ってはこない。


「僕は、どうすればいいんだ……」


 必死で自分の心の中を探る。

 それもすぐには見つからないが、その答えは自分の中に絶対にあるはずだ。

 アリルはそれを必死で探す。


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