2.4.2:世界の在り様


 ジェリスはそのことについて、熟考する。


 よくよく考えてみればそんな夢想は、知恵に目覚めた原始の人々が最初に行う哲学の題材であるべきではないだろうか。

 何故我々にはそうした伝承が無いのだろう? 偶々、だろうか。そうは思えない。

 歴史上のどこかの時点で、包み隠され、抹消された? 誰が? 何のために?


「……ゼオリム」


「え? 何か、言いました?」


 ジェリスの独り言に反応し、アリルがきょとんとした顔で聞き返す。


「ああ、いや、何でもない。疲れてるんだよ。もういい歳だからな、色々あるのさ」


 それを聞き、アリルが大きくため息をつく。


「若者だって、色々ありますよ。もう、頭抱えちゃう」


 ジェリスは思わず苦笑する。

 まあ、本人にとっては笑いごとではないのだろうが。


「ま、お互いに頑張ろう」


「はい。それじゃあ、僕、もう部屋に戻ります。おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


 アリルは大きく伸びをしてから立ち上がり、去っていった。

 後に残されたジェリスはもう一度空を見上げ、大きく息を吐き出す。


 一つのことに疑いを抱くと、その疑念が次々と他のことへと連鎖していく。

 冷静に考えれば、この上なく不自然な存在でありながら、だれもその不自然さを気にしてこなかった冥晶球。

 あまりにも長い平和な歴史の中で形骸化した軍隊。

 十年前、突然、凶暴に変化した冥獣。

 そして、唯一の実効的な戦力として機能を続けるグラディエント。


 この世界の何もかもが、歪で、不自然なように思えてくる。

 ミッション・エンジンなんていう玩具にしてもそうだ。あれを一機こさえ、維持するカネで、他に幾らでもまともな戦力の拡充のしようはあるだろうに。

 なぜ専任防衛隊であるグラディエントは、ここまで極端な少数精鋭なのか。


 今までは気にも留めてこなかった事柄、いや、気にすることから逃げて来た事柄が、頭の中で渦巻いていく。

 何らかの意思により、歪に単純化された構図。それは、まず間違いなく、ゼオリムによって操作されたものだろう。


 しかし、その目的までは見通すことはできない。

 情報が少なすぎる。とはいえ、相手が相手だ。探りを入れることもかなわないだろう。


 ジェリスは今はそこで考えることを止め、静かに立ち上がった。

 そして、また大きなため息をつき、建物の中へと歩き去った。





「エルフィオラ、傷の具合はどうだ」


 サリオが、エルの体を見つめる。胸の傷はまだ亀裂が塞がっておらず、惨たらしい。それ以外にも、全身に大小様々な傷が存在し、その痛々しい姿に、サリオは歯を食いしばり、俯く。


「すまない。俺のせいだ」


「何を仰るんです、若様。エル、こんな傷、すぐ治っちゃいます。それより、若様こそ、大丈夫ですか?」


「問題無い。お前の体に守られていたおかげだ」


「お役に立てて、エル、光栄です」


 エルが屈託なく笑う声が響く。しかし、その顔は無機質な甲殻に覆われ、表情は無い。そのギャップが不憫さを加速させ、サリオは更に強く歯を食いしばる。


「また多くの仲間を失った。俺の、せいで」


 サリオのその言葉に、エルはすぐには応えず、空を見上げる。薄明るい、真っ黒な空。


「でも、彼らは青い空の下で逝けました。母なる大地には還れなくても、海には還ることができました」


 非エーテル物質からなるノルヴィナの躰は、爆散し海の藻屑と消えても、エーテルの循環の流れにまでは還ることはかなわないだろう。

 そんな躯に覆われた魂は、果たして還るべき場所へと還ることができたのだろうか。

 サリオはそう思いながらも、それを言葉にはせず、ただ黙る。

 そして、ゆっくりと兜に手をかけ、面を開ける。すぐに空間が命を吸い取り始める。


「何してるんですか、若様。駄目ですって。閉めて閉めて!」


 その声は遠くぼんやりとしか響かず、息が上がり、視界も霞んでいく。

 散った彼らと同様、自分もここで死んでも、非エーテルの土はヴィナの体を受け入れることはしない。


 こんなところでは、死ねない。


 サリオは強く意識を集中し、腹の底からエーテルを捻出する。

 そして晴れた視界の向こうに、人影が歩いてくるのが見えた。


「レアン?」


 全身を軽装の封印鎧に身を包んだ姉が、ゆっくりと近づいてくる。


「何の用だ。嗤いにでも来たか」


 レアンは黙って、サリオの顔を見つめる。その表情は面の奥に隠れ、覗き見ることもできない。サリオは意地でそのまま面を開いたままにし、答えを待つ。


「もう止めなさい。彼らはあまりにも強大に力を付けた。もうあなたたちに太刀打ちできる相手ではない。これ以上仲間を無駄死にさせるのは私が許さない」


 断固とした固い意思が、声音に滲む。


「……無駄死になどではない。彼らは大義のために戦っている。それに殉じたとしても、それは気高く、名誉なことだ。彼らを愚弄するな」


「いい加減にしなさい。死は死でしかない。それ以上でも、それ以下でもない。ただの、終わり」


 またも眩暈に襲われ、サリオはたまらず兜の面を下ろした。

 すぐに呼吸が落ち着き、安心が心に染み渡る。そしてサリオはその生ぬるい感情を、怒りで無理やりに薙ぎ払う。


 遠くにカルンターの弱弱しい光が見える。この空間はより貪欲にエーテルを飲み込む力を増している。遠からず、あの封印すらも食い破られ、ヴィナは生きてはいけなくなる。非エーテルの躰に転化したノルヴィナとて結局は同じだろう。その魂の住処たる小さな核は、エーテルの結晶、魔石から造られており、それが維持できなくなれば、後に残されるのはただの土くれの残骸でしかない。


 サリオは思わず、兜の面越しに両手で顔を覆う。


「……俺は、皆を救いたいんだ。交渉など、奴らは聞く耳を持たない。力でねじ伏せるのも難しい。この世界は死にかけている。留まることもできない」


 ゆっくりと、姉の顔を見つめる。


「俺たちはどうすればいい? ただ黙って、このまま滅びを受け入れるしかないのか。それとも、あんたみたいに、神に祈りでも捧げていれば、それで救われるっていうのか。なら、どの神に祈ればいい? ベルフレスか? ラディエリスか? それとも、エンヴレンか?」


 姉は俯き、何も言わない。

 答えなど、どこにも無いのだから、当然だ。それを分かっていて、サリオは更に姉に詰め寄る。


「答えてくれ、レアン。姉さん。俺たちは、どうすればいい? 何が、俺たちを導いてくれる?」


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