2.2.2:変異


 それからは敵の襲撃もなく、またそれ以外の何事も特にないまま、平穏に時が過ぎ、公演日が訪れた。

 開場まではまだ少しの時間があるものの、会場前の広場には次々と人が集まり始めている。


 それほどには格式ばった公演というわけでもないらしく、人々の格好も思ったよりは堅苦しいものではない。とはいえ、当然カジュアルと言うほどでもなく、それぞれの表情や態度、立ち居振る舞いも自信に溢れ、堂々としているように見える。


「な、なんかさ、やっぱり場違いじゃない? 僕たち」


 広場にあるカフェで開場を待つアリルは、向かい合って座るユウラに、縮こまりながら言った。


「何が?」


 タイも締めず、普段着にジャケット一枚羽織っただけの姿。それでもその出で立ちは小ぎれいに整えられ、場違い感は薄い。そんなユウラは、如何にも手持無沙汰といった様子で携帯端末を弄りながら、アリルの言葉に答えた。


「皆なんか、オトナっていうか。僕たちみたいなコドモが居ていいのかなって」


「何をつまらないこと気にしてんだよ。年齢制限なんてないし、正規のチケットだってある。子供連れだって珍しくはないだろ」


「そういうこと言ってんじゃなくてさ……」


「堂々としてりゃいいんだよ。あんまキョロキョロしてると、田舎者だと思われるぞ」


「どうせ田舎者だし」


「卑屈になるなよ。この街にしたって、寂れた漁村を間に合わせの城塞都市紛いにでっち上げたものに過ぎないんだ。別に摩天楼きらめく大都市、なんてのには程遠い。気楽にいこうぜ」


「う、うん」


 アリルはとりあえずの返事をしながら、もう一度周囲の人々を見渡す。

 目の前を一人の女性が通り過ぎた。タイトで露出の高めのドレスが豊かな身体の曲線を誇張している。化粧や髪形も派手で、全身に宝石を散りばめているが、それにも関わらず、総じて下品さは何処にも感じられず、むしろとてもすっきりと澄み切った自然体に見える。


 その姿に見とれていると、思わず視線が合いそうになり、アリルは慌てて視線を移し、代わりに自分自身を見つめた。

 アーデルから借りた服。アーデルは面白がって派手で露出の高い服を勧めたが、アリルは断固としてその逆を選んだ。

 暗いけれど彩度の高い、綺麗で落ち着いた雰囲気の藍一色のドレス。ハイネックでスカート丈も長く、袖もある。胸から腰にかけてはアリルの体型に合わせて直され、体のラインが出てしまっているが、それも淡い黄色のストールを巻いて隠す。いつも着けているヘアピン以外には、アクセサリーの類も無し。化粧や香水の類もアーデルの”助言”は無視し、最低限で済ましている。


 大分久しぶりのスカートはどうにも落ち着かず、足元をブラブラと遊ばせる。


「似合ってるんじゃない?」


 ユウラがいつものように何でもない口調で言い、それに虚を突かれたアリルが顔を上げる。


「え?」


「俺は似合ってると思うよ。綺麗だと思う」


「服は、ね。アーデルはお洒落だから」


「だから卑屈になるなって」


 ユウラが軽く微笑む。

 ユウラは自分のことを優しく気遣ってくれている。

 アリルはそれが分かっていたから、自分も素直に笑顔を返すことができた。


「うん、ありがとう」


 その瞬間、アリルはその事の意味に気付き、背筋に冷たいものが走った。


 視線は固くユウラに留まり、表情も強張る。

 その突然の変化に戸惑った様子で、ユウラがアリルの顔を覗き込む。


 戸惑い。不審。それはすぐに不安へと変わり、心配へと変化していく。


「おい、どうした? なんかあったのか?」


 ユウラの心情が、理解できる。

 表情や口調からそれが読み取れる、などというものでは決してない。


 ユウラから発せられる生体エーテル。それが情報を持っていて、アリルはそれを直接感じることができていた。


「……僕、ユウラ君が何を思ってるか、分かる」


「はあ?」


 アリルは突然立ち上がり、周囲の人々を見渡し始めた。

 そして、群衆の中の一人一人を指さしていく。


「あの人も、あの人も、あの人も。みんなの気持ちが、分かる。全然具体的じゃなくて、ぼんやりとだけど、どういう感情を抱いているか、分かる……!」


 ユウラは慌ててアリルの手を引き、座らせる。


「とりあえず落ち着けって。どうしたんだよ、一体」


 アリルは戸惑った様子で、ユウラの瞳をじっと見つめる。


「なんか、変だよ……」





「あなたたち、そんな格好のままで何しているの?」


 アーデルの声が暗く閑散とした格納庫の広い空間にこだまし、エンヴレンのコクピット周りに居るアリルとユウラがその方を振り返った。


「ちょっとアリル。そのドレス、油で汚したりしないでよ」


 アーデルはそのまま、好奇心の色を浮かべたニヤついた表情で歩み寄る。


「で、どうだったのよ、デートの方は」


 そんなアーデルに、ユウラは固い表情で手に持つ端末を差し出して見せた。


「ちょっとそれどころじゃなくて。これ見てください。どう思います?」


 そこに表示されたデータを見て、アーデルの表情も変わる。


「何これ?」


「こいつ、エーテル感応値がこんなになってるんです。尋常じゃない」


 アーデルは少し考え、アリルへと問いかけた。


「で、具体的にどういう状態なの?」


「分かるんだ。周りで、誰が、何処で、何をしているか。あとは、それほどはっきりじゃないけど、どういう感情を抱いているか。簡単な喜怒哀楽程度がぼんやりと見える、って感じで。そういうのが、エーテルを介して感じられるんだ」


 アーデルは更に考えこんで、言葉を続ける。


「私が今頭に思い浮かべた言葉を当ててみるとかは?」


「駄目。そこまではっきりしたことまでは無理」


「やってみて」


 アリルが目をつむり、黙り込む。アーデルも黙って、反応を待つ。


「……やっぱり駄目。分からない」


 アーデルはまた考え込み、それからエンヴレンを見上げた。

 そしてそのままエンヴレンから目を離さず、ユウラへと問いかける。


「生体エーテル流の読み取り……。エンジンの操縦システムと似たことのように思える。というのは、早とちりが過ぎるのかしら」


「いや、俺もそう思って色々弄ってみてはいるんですけど、どうにも。操縦システムに関してはあくまで一方通行の読み取りだけで、それがアリルの感覚に影響を与えることはないはずですし」


 それからアーデルは深いため息をつき、少し表情を柔らかくした。


「止めましょう。いまここでこうしていたって、答えが出せるとは思えない。朝になったら、正式に報告を出して指示を仰げばいい。どの道私たちミショニストの生体データは常につぶさに観察・解析されているのだし、エンジンにしたってそう。すぐに事態は解明されるでしょうし、どうせならポジティブに捉えればいい。その力は使いようによっては、強力な武器にもなる」


 そこまで言って、アーデルはアリルの瞳を見つめた。戸惑いを感じてはいるようだけど、不安を抱いているほどではないように見える。


 アリルもアーデルの瞳を見つめる。

 アリルは、こちらの感情をもっと具体的に読み取っているのだろうか。アーデルはそう思い、アリルを励ますため、自分の感情をより強く燃やす。


「分かっているでしょうけど、一人で抱え込もうとしちゃ駄目よ。あなたは独りじゃない。あなたたちは一揃いでインディゴ・スイートなのであり、私を含め、六つのスイートと、それを支えてくれる人々が集まってのグラディエント、なのだから。私たちは、みんなでひとつなのよ」


 そう言って、アーデルはアリルに微笑みかける。

 アリルもそれを真っ向から受け止め、微笑みを返す。


「うん。大丈夫、分かってるよ。ありがとう」





 アリルとアーデルを見送ってから、ユウラは格納庫の照明のスイッチに手をかけた。

 そうして、照明を落とす前にもう一度エンヴレンを振り返る。

 暗闇の中で、そこだけが照明に照らされ、ぼんやりとその姿が浮かぶ。


 巨大な人のかたちをした機械。


「エンヴレン。ミッション・エンジン。……ミショニストを、人を、強化し、拡張する機械」


 そのコンセプトが概念を説明したものではなく、そのまま文字通りの意味だったとしたら。

 アリルの身に起きていることが、副作用の類ではなく、最初から仕様として設計され、仕組まれたものだとしたら。


「何のために?」


 確かにその力は戦闘を有利に進める助けにもなるだろう。でもそれが目的なのだろうか。

 いや、根拠と呼べるものはないが、そうではなく、もっと違う何かがあるように思える。


 とはいえ、もちろんそんなものは当てのない直感でしかなく、実際は機械の副作用ですらなく、アリル自身の努力の極端な結果、という可能性だってある。


 そんなことを考えている間、ユウラはずっとエンヴレンを注視していたが、当然動力を落とされた機体はなんの反応も示さない。


 ユウラは小さく息を吐き、照明のスイッチを落とした。

 そのまま、今はそれ以上エンヴレンの方は振り返らず、格納庫を去っていった。


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