2.1.2:標はどこに
「わー、お星さまが綺麗だ」
訓練を終え、シャワーで汗を流したアリルが中庭を歩きながら、満点の星空を見上げて言った。
赤、青、黄、緑……、ありとあらゆる色が眩く煌めいている。まるでこの視界の内に、世界の全ての色が含まれているようにすら思える。
ふと視線を下ろすと、近くのベンチに何かがあるのに気付き、アリルはそれに注目した。辺りは既に暗く、すぐにはそれが何なのか分からず、じっと目を凝らす。
それは、人影だった。
「なんだ、びっくりした。誰かと思ったら司令官じゃないですか」
その言葉に、ジェリスの顔に苦笑が浮かぶ。
「なんだはないだろう」
「いや、まあ、ははは。すみません。それじゃ……」
それじゃ、おやすみなさい。適当に笑って誤魔化しながら、そう言って去ろうとしたアリルを、ジェリスは引き留めて言った。
「せっかくなんだ。もう少し一緒に夜風に当たっていかないか?」
そう言ってジェリスはベンチの隣を手で軽く叩く。
アリルは少しの間迷ってから、結局はそこに腰を下ろすことにした。
それからしばらく、無言の時間が過ぎていった。ジェリスは何も言わず星空を見上げ、アリルも何を言っていいか分からず、黙って空を見上げる。
「最近、調子良いようじゃないか」
ふいに、ジェリスがぽつりと言葉を漏らした。
「え? ええ、まあ」
ジェリスは星空から目を離さないまま言葉を続ける。
「そういうときこそ、気を付けなければいけない」
それはアリルに向けて語っているというよりも、どこか独り言のようにも聞こえ、アリルは口を挟まず黙って聞く。
「自信が慢心を呼び、慢心が失態を招く。時にはそういう事もある。そして、往々にして、そういう時の失態は、取り返しの付かない事態へと発展することもある」
「……気を、付けます」
ジェリスが一旦言葉を切ったため、それが自分の答えを求めての間なのかも分からないまま、アリルはとりあえずの返事をしてみた。
結局それが正しかったのかどうなのか、ジェリスは相変わらずの調子で言葉を続ける。
「一〇三七年、三月二十日。あの時、私も、そこに居た。即応部隊の指揮を執っていた。冥獣の襲撃と言えど、どうせいつものように大したことはないだろう。そう、タカをくくっていた。甘かった」
アリルは、自分の身が強張るのを感じていた。その日付は、決して忘れられるものではない。
「……君の受難の多くは、私にも責任がある」
アリルは、詰まる息をどうにか飲み込み、そこから絞り出すようにして言葉を吐いた。
「今更、急にそんなことを聞かされて、どう答えろって言うんですか」
頭の中を様々な感情が渦巻く。
いずれにせよ、過ぎた出来事だ。今更どうにもならない。
頭ではそれを分かってはいても、感情はどうしても昂る。
それを必死で抑えながら黙っていると、ジェリスは大きく溜め息をついてから、また話し始めた。
「違うんだ。悪かった。今、伝えておきたいのはそうじゃない。……近いうちに、君はまたあのグレンデルと戦うことになるだろう。もしかしたら、もうすでに君は奴と互角に戦えるほどに成長しているかもしれない。それでも、その心に少しでも慢心を抱いてはいけない。君には頼もしい仲間がいる。困難に立ち向かうときには、仲間を頼るんだ。一人でなんでもできる、なんて考えたら、その先に待つのは破滅だ」
アリルはジェリスの目を見る。ジェリスも、その目をじっと見返す。
「そして、その力の使い方、何のために戦うのか、それを決して見失ってはいけない」
ジェリスはそこで言葉を切った。アリルはその先にまだ何か言葉が出てくるのかと思い、しばらく待つが、それ以上の言葉は出てこない。
アリルはジェリスから目を逸らし、再び星空を見上げ、それから静かに立ち上がった。
「……すみません、お先に失礼します。おやすみなさい」
そのままアリルは歩き去った。
その背中越しに、ジェリスが大きくため息をつくのが聞こえた。
整備格納庫に一人残ってエンヴレンを弄っているユウラ。インディゴの区画以外は照明が落とされ、その小さな一角も最小限の灯りだけの薄暗い空間。作業の音が時折小さく響く以外は、何一つ音がしない静寂。
「……と、もうこんな時間か。日付変わるまでには片付くかな」
そう言って大きく伸びをしたユウラは、ふいに傍らに立つ人影に気付き、驚き、飛び退いた。
「うわ、びっくりした! アリル、お前、いつから居たんだよ」
「うん? つい今さっき」
「言えよ。声かけろって。驚くから」
「いや、邪魔しちゃ悪いかなって」
「そんな余計な気は使う必要無し。そんなんでこっちの寿命縮められちゃ、たまったもんじゃないっつの。……で、何の用?」
アリルが、エンヴレンを見上げる。
「いや、別に。用って言うか、エンヴレンの傍で考え事したかっただけ」
「考え事?」
「うん。なんていうかさ、なんなんだろう。よく分かんないや」
「なんだよ、それ。俺の方がわけわかんねーよ」
「うーん。良い人なのは分かるし、僕のことを心配して言ってくれてる、ってのも分かってるんだ。そもそも憎むべきは冥獣なんだろうし」
「だから何の話だって。説明する気が無いなら相手しないぞ」
アリルはそれには答えず、一人で考え込んでいる。ユウラは呆れたように息を吐き出し、作業へと戻っていった。
そうしてしばらく無言の時間が続いてから、ふいにアリルがまた話し始めた。
「ユウラ君はさ、何でこの仕事、してるの?」
「なんだよ、急に」
「いや、僕、なんか成り行きだけでここまで来ちゃったな、って思って。なんか、ちゃんとした目的を持って戦うべきなのかな、って」
「そんなの、姉ちゃんの敵討ち、とかじゃないのか?」
「どうだろう。……そもそも、そんな私的な理由でいいのかな?」
アリルは迷う。自分は姉の敵討ちのために戦っていたのか。違う気がする。
それよりはもっと自分勝手な理由。自分の人生を無茶苦茶にされた恨みつらみ、その鬱憤晴らし。あるいはそんなものですらなく、もっと単純に、本当に成り行きだけでここまで来てしまった?
このままで良いとは思えない。自分は思ったよりもずっと強くなった。その力は、これからはもっと崇高な使命のために使うべきなのではないだろうか。
「私的で何が悪い?」
ユウラの声でアリルは考え事を止め、会話へと戻る。
「悪いって言うか、うーん。……で、さっきの質問の答えは?」
「俺? 金のため」
「み、身も蓋も無い……!」
「より突っ込んで言うなら、おふくろに楽させてやりたいから、だな」
「お母さん?」
「そ。俺を女手一つで育ててくれたおふくろ。恩返しがしたい、ってのは当然の人情だろう?」
「そっか。偉いんだね」
「別に」
ユウラは何でもない風にそう言うと、何やら辺りを探し始めた。
「はい、これ」
アリルは傍にあった工具を手に取り、ユウラへと差し出した。
「おう、サンキュー。……ってお前、俺がこれ探してるってよく分かったな。工具の種類もロクに分かっちゃいないくせに」
「うん、まあ、なんとなく」
「ふーん、まあいいや」
「……まあいいや」
ふいに声が重なり、ユウラは驚いてアリルの方を向いた。アリルはそれを気にせず、言葉を続ける。
「別に今すぐに答えを出す必要も無いんだ。明日からまた、ゆっくりじっくり考えればいいや。今日はもう寝る。じゃあね、おやすみ」
「お、おう。おやすみ」
そう言うとアリルは去っていった。
後に残されたユウラの表情に、疲れの色が滲む。
「……な、なんなんだあいつ」
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