2.1.1:インターミッション


 エンヴレンが、大空を舞う。


 生まれ変わった新しいエンヴレン。

 素体は外見デザインはそのままながら、中身はほぼ一新。拡張装甲は完全新規。ようやく辿り着いた、真のアリル専用機。


 とりわけ大きく変わったのは、腰回りだ。化学反応推進、魔法推進を問わず、無数のスラスター群が、まるでスカートのように装備されている。それらは互いに独立可動するため、エンヴレンの空間機動性能は飛躍的に向上していた。

 一方で、アリルが機体が重くなるのを嫌ったことから、上半身はほぼ素体のままの軽装になっており、それが更にスカートの存在感を誇張していた。 


 その胸の中でアリルが、呼吸を整える。

 そのまま一気に腰回りの無数のスラスターを鉛直下方に向け、全開。急上昇。

 強烈な圧迫感に息が詰まるが、表示上のGの数値から想像するほどではない。


「エンヴレンが、僕を速くしてくれている。エンヴレンが、僕を守ってくれている」


 すぐに視界が青から黒へと、塗り替わっていく。

 大地が遠のき、その姿がどんどんと湾曲していく。世界は、ゆるやかに滲んだ弧によって、青と黒に二分されている。


 あまりにも、天へと近づきすぎたようだ。

 エーテルが希薄なため、魔法推進が出力低下。大気ももう存在しないに等しい。化学推進は酸素を必要とはしないが、どの道このまま暗闇の中を彷徨う意味も無い。


 大人しく全スラスターをカット。

 機体は慣性で直進を続けるものの、大地の引力を振り切るほどではない。しばらくして、それらの力が釣り合いが取れた状態になり、機体は静止。アリルはしばらく目を閉じ、その何も自分を縛ることのない自由感覚を楽しんでいた。


「スカートか……。もうずっと履いてないな」


 ふと、子供の頃にはお気に入りのスカートがあったのを思い出す。あの頃は髪も伸ばしていて、自分の事も、私、と呼んでいた。


「あの頃は、いつも姉ちゃんが傍に居てくれた」


 そんな感傷に浸るアリルを、すぐに大地が引っ張り始める。若干の名残惜しさを抱きつつも、アリルはその力の流れに身を委ねた。

 エンヴレンが背中から正常な白い排気を短く吐き出し、ゆっくりと大地へと落下を始める。


 防壁を下方に厚く展開しつつ、降下。

 すぐに視界が澄んだ青に染まり、次いで、雲海の白一色になる。機体はそのまま雲海へと突入。


 それもすぐに突き抜け、今度は視界一面に、雄大な海と大地の姿が広がる。

 直下には三日月湾。流石にこの高度では、ちっぽけな冥晶球は機体の光学装置では確認できない。


「おいアリル。予定演習区域から大分離れてるぞ。時間も残り少ない。さっさと軌道修正して、降りてこい」


 ユウラが、通信越しに指示を飛ばしてくる。


「了解」


 アリルはそう応えると、機体左側面のスラスターを軽く噴射。大地に向かい合っていた機体が、見えない斜面を転がり落ちるように回転を始める。

 視界の中を、めまぐるしく大地と空が入れ替わる。目が回りそうになったところで、アリルは新装備を試すことにした。


 バスターアンカー。

 機体の両腰脇に装備された、魔導器の射出装置。緑のオルベナンのムチに似た仕組みの、特殊ワイヤーで繋がれた錨。先端には刃が付いていて、投擲武器としても使えるが、用途としてはそれだけではない。


 アリルは、射出したそれを目的地方向の空中に魔力で固定。それによる振り子の円運動で機体の進行ベクトルを調整。アンカーの固定を解除し、スイングバイ。

 一気に目的地上空へと飛翔しつつ、姿勢を制御。機体を重力に対し、鉛直に直立させる。そのまま機体を回転。出しっぱなしだったアンカーが遠心力で大きく拡がる。それを固定はせずに、緩やかに重みづけを行い、機体を安定させる。

 アリルは機体をそのきりもみ状態のまま、もう一度上空へと跳ね上げる。


 青空を、回転しながら、力強く舞い上がるエンヴレン。


「僕は今、竹とんぼなんだ」





 通信越しに、ユウラの呆れた声が響く。


「何わけわかんないこと言ってんだよ。もう予定時間過ぎちまったぞ。相変わらず時間にルーズなの直んないな、お前。いいから早く降りてこい」


「はいはい、了解」


 アリルはスカートの推力を使って強引に回転を止め、アンカーも回収。そのまま一気に目的地点へと、降下を開始。


「僕の想いに、エーテルが応えてくれてる。空を飛ぶのって、気持ち良いよ、姉ちゃん」





 敵は、レーン、カノン、アーデル。

 まず、カノンが動いた。


「よっしゃ、まずは敵の弱点を突く! お前だー、新人!」


 その全力の突撃を、アリルは真っ向から受け止めた。

 激しい衝突の威力に地面が砕け、その破片が衝撃に揺れる大気に吹き上げられ、舞う。

 その渦中にあり、アリルは臆することなく、不敵な笑みを浮かべる。


「残念でした! いつまでも見習いの新人なんかじゃないんですよーだ!」


 そう軽く言ってのけるアリルの背中から、囁くような声が響く。


「それはどうだかな」


 レーンのいつもの死角からの鎌の攻撃。アリルはそれにも即座に反応。


「それもお見通しですって。レーンさんも案外一本調子じゃないですか」


 鎌が空を切り、虚を突かれた表情のレーンがその言葉を聞き、声を荒げる。


「何だと、この!」


 そこにアリルが挑発を重ね、レーンは再度攻撃を仕掛けた。

 そんなやり取りを遠巻きに眺めつつ、アーデルがアリルへと狙いを定める。


「……そうそう。そうやって囮程度の役には立ってもらわないと」


 射線が通り、火球を発射。それが真っ直ぐに猛烈な速度でアリルへと突進する。

 アリルはそれに気付いていない様子だったが、どうやら見せかけだったようだ。直撃の寸前になって急に姿勢を変え、ギリギリで回避。的を外した火球はそのまま突進を続け、その先に居たレーンに当たりそうになるが、レーンもこれをギリギリで回避。


「バカ! お前、わざと俺に当てようとしただろ!」


「バカ! んなわけないでしょ、バカ!」


 そんな二人の不毛なやり取りをカノンがすぐに制する。


「仲間同士でケンカしてる場合か。二人とも、援護しろ」


 カノンが再びアリルへと突進する。いつの間にかレーンの姿は無く、後方ではアーデルが杖を構えている。


「皆して寄ってたかってさ。僕だって成長してるんだ。もう無鉄砲に突っ込んだりはしないよ」


 アリルはそう言うと、素早く後方に飛び退いた。


「ファインさん!」


「任せとけ!」


 入れ替わりにファインが飛び出し、カノンの突進を盾で受け止めた。

 直後、ファインの周囲に無数のレーンの幻影が出現し、一斉に鎌の攻撃を仕掛ける。

 そちらに対応しようとしたファインを、カノンが更に力を込め、強引に押さえ込む。


「モミジ! 頼む!」


 ファインの要請にモミジが素早く反応し、その手に持つ扇を鞭へと変える。


「えーと、どれが本物でしょう? って、別に一つに狙いを定める必要は無いのか。じゃあいっきます!」


 モミジが鞭の雨を降らせ、無数のレーンの分身が次々と消滅していく。しかし、その内の一体が鞭の攻撃を弾き、そのままアリルへと攻撃を仕掛ける。


「今度こそもらった!」


 しかしアリルは今度もその鎌の攻撃を難なくかわし、逆にレーンへと蹴りを繰り出す。


「何!?」


 レーンは想定外の反撃に対応しきれず、その直撃を受け、勢いよく吹き飛んでいった。

 手応えを感じ喜ぶアリルへと、今度はアーデルの火球の連撃が襲いかかる。

 あまりにも分厚い弾幕。避けてもきりが無い。アリルは防壁を厚くしながら、急いでファインの影へと逃げ込む。

 ファインもその動きに呼応。溜めた力を解放し、カノンを吹き飛ばし、盾を構えながら突進。一気にアーデルへと迫る。


「いいでしょう。真っ向勝負で、あなたを打ち破る!」


 アーデルはそう宣言し、渾身の力を杖へと収束させていく。

 そして、その力をすべて、ファインへと一気に撃ちこむ。


 瞬間、大爆発。周囲を猛烈な熱と風が吹き荒れ、すべてが分厚い土煙で覆われる。

 アーデルは警戒を維持したまま、その土煙の向こうをじっと見つめる。


 その直後、アリルが土煙の中から突然飛び出し、アーデルへと真っ直ぐに斬りかかった。

 咄嗟にアーデルは火球を放とうとするも、あまりにもアリルの速度が速い。間に合わない。

 アーデルが小さく悲鳴を上げた瞬間、アリルの剣がその小さな額の前で止まった。


 時間が止まったような静寂。

 剣は当たらなかったものの、アーデルは少し間を置いてから勢いに圧されたように、尻餅をついた。





「……はいそこまで。練習試合終了。解散解散」


 ファインの気の抜けた声が辺りに響き、アーデルは悔しそうな表情でアリルを見上げた。


「……少しは、やるようになったじゃない」


 アリルはそんなアーデルを見下ろし、皮肉っぽい笑みを浮かべて応えた。


「それ、負けた側が言うセリフ?」


 そう言いながら、手を差し出す。

 アーデルはなんとも複雑な表情をしながら、その手を取り、立ち上がった。


「少しは、言うようになったじゃない」


 二人はそのまましばらく見つめ合い、それから、お互いに弾けるように笑い出した。





 そんな二人を、ファインがぼんやりと眺める。


「アリルは変わった。戦闘能力は勿論、精神的にも大分安定した。すべてにおいて、以前のような危なっかしさは無くなってる」


 最早名実ともに一人前のミショニストであり、それどころか、時にはグラディエントの主柱となってきているようにすら感じられることもある。

 その成長を頼もしく感じつつも、このままでは自分のリーダーとしての立場も危ういかもしれない。

 ファインは無意識にそう考え、別に好きでなったわけでもないはずのリーダーとしての立場を惜しく思っているかのような自分に苦笑した。


「モミジ、君はどう思う?」


 そんな内心の動揺を誤魔化すように、ファインは傍らのモミジに意見を求めた。


「私ですか? お腹空いちゃいました」


「そういうことを聞いてるんじゃないよ。アリルのこと」


「アリルちゃん? アリルちゃんもお腹、空いたんじゃないですかねー?」


「……もういいよ。俺も腹減ったし、さっさと戻って、さっさと飯食って、さっさと昼寝だ」


 そう言うとファインは薄い笑みを浮かべ、ボサボサの頭を雑に掻きながら、帰り支度のために歩き出した。


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