1.6.2:僕はここにいる


「やはりアリルは、巫だ」


 窓もない、広大な、一面真っ白の室内。

 カルムナント・ゼオリムが、白いベッドに横たわる老人を見下ろして、言う。


 老人の全身は、様々な管でベッドの周囲の様々な医療機器へと繋がれている。

 それが老人の脈や呼吸に合わせて蠢き、無機質な音と振動を奏でる。

 生きている、というよりも、機械によって生かされている、というような印象を受ける光景。


「そうか……」


 老人が、呼吸器の向こうから、か細い声で囁く。

 しかし、その眼光は力強く、肉体はともかく、魂までは衰えていないことを感じさせる。


「これで、計画を前進させられる。アリルはようやく神の領域へと至る門へと、その手を触れるまでに成長した。多少無茶をしたが、報われて一安心、といったところだね」


「まだだ。まだ、再挑戦の切符を手にしたに過ぎない。ここからが、本当の仕切り直しだ」


「そうだね。まだまだ、アリルには成長していってもらわなければいけない」


「そう。より強く、より清く、より正しく」


「ゼオリムの悲願のために」


「……より善き、完全なる世界のために」


 そう言うと、老人は力なく咳き込み、苦しそうに目を閉じた。


「大丈夫。僕に任せてくれ、ヴェフレン。今度は上手くやってみせるさ」


 老人は、無言でカルムナントの瞳を見つめる。

 それからカルムナントは悪戯っぽく笑い、いつもとは違う、見た目相応の屈託の無い笑みを浮かべ、言った。


「それでは、また。どうぞお大事に。”お爺様”」


 カルムナントは、高笑いとともに、去った。

 それからしばらく経ってから、後に残された老人が、独り呟いた。


「カルムナント、哀れな子だ」





 暗闇の中、アリルは独りで泣いていた。


 誰かがその前に立ち、アリルの頭を優しく撫でる。

 アリルは泣くのを止め、ゆっくりと顔を上げる。


「姉ちゃん……?」


 その顔を見て、アリルはまた泣き始める。涙が止まらない。

 アリルは姉に抱き着いて、泣きじゃくった。


「姉ちゃん、もうどこにも行かないでよ……!」


 必死で抱きしめるが、いつの間にかその感触が無くなり、アリルはまた独りになっていた。


 懸命に周囲を見渡すと、遠くに歩き去る、姉の姿があった。


 アリルは、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、その背中へと走り出す。

 しかし、どれだけ必死に走っても、その背中には追いつけない。

 息が切れはじめ、距離がどんどんと広がっていく。


「一人で行かないでよ! 僕も一緒に連れてってよ!」


 足がもつれ、アリルはその場に転んでしまった。


 涙が止まらない。


「行かないでよ、姉ちゃん! 姉ちゃん!!」





「わっ! ……びっくりしたぁ!」


 近くで、誰かの声が聞こえた。


 視界は白一色。天井だ。知らない天井。

 アリルは、寝ぼけた頭を振りながら、上体を起こした。


「……あれ、ガリアレストさん?」


 どうやら、基地の医務室で寝かされていたようだ。

 すぐ傍にユウラが椅子に座り、寝息を立てている。

 開いた扉のところには、アーデルハイトの姿。


「どうかしました?」


「何寝ぼけてんのよ。そんなのこっちのセリフよ、まったく。……別になんでもないわ。ただ通りかかっただけ。」


「はあ……、そうですか」


 アリルは何かを忘れているような感覚をふいに覚え、記憶を探った。

 戦闘中の事だ。ラディエリスの黄色い背面が、脳裏に甦る。


「あ、そう言えば、ありがとうございました」


「何が?」


「グレンデルの攻撃から、身を挺して助けてくれたじゃないですか。怪我とか、大丈夫でした?」


「別に。あなたよりはずっとピンピンしてる。それに、そんなの気にすることは無いわ。私はミショニストなのだから。戦い、護るのが、私の使命。それはあなたも同じでしょ? アリル、あなたも、私を救ってくれた」


「そうですね。そう言えば、そうだ」


「そう。だから貸し借りは無しよ。同じミショニスト同士、対等な関係。今度こそ、改めてよろしくね、アリル」


「はい。どうも。こちらこそ。……って、そう言えば、いつの間にか僕のこと、アリルって」


「嫌かしら?」


「いや、別に嫌ってわけじゃないですけど」


「そう。良かった。私のことも、アーデルで良いわよ。でも、ハイジは駄目。そう呼んでも良いのは、パパとママだけだから」


「はあ……?」


「それじゃあ、また。しばらくゆっくりして、早く戻ってらっしゃい」





 そう言うと、アーデルは去っていった。

 あとの室内には、規則的なユウラのいびきだけが、響く。


「よく分かんないや。何しに来たんだろう、あの人」


 そう言い、アリルは改めて室内を見渡す。

 ユウラは何時から、ここに居るのだろう。

 アーデル同様、何故、ここに居るのだろう。


「……そんなの、お見舞いに来てくれたに、決まってるか」


 アリルはベッドに勢いよく倒れこみ、また横になった。


「なんだろう。なんか、変な感じ」


 何故だろう。

 今まで張りつめていたもの、こだわっていたもの、そうしたものすべてが、何処かへ洗い流されていった感覚。憑き物が落ちた、と言うか。


 頭を少し動かし、窓の外を見る。


 綺麗な青空。

 日差しは暖かく、風は柔らかい。


「みんな、良い人達、なんだよな」


 そして、今頃になって、ふと気付く。


「僕は、独りじゃ、ないのかもしれない……」


 その感覚に戸惑いながら、アリルは思考を、気持ちを、更に一歩前に踏み出す。


「僕は、ここに居たいと思ってる……?」


 薄いカーテンが日差しを透し、風に揺れている。


「……それで、良いのかな、姉ちゃん? それで、姉ちゃんは、許してくれる?」


 姉ちゃんを、助けられなかった、自分なんかが……。

 その答えを、アリルは必死に求めた。


 瞳に涙がじっとりと滲む。

 その涙がどの感情に由来するものなのか、アリルには分からない。


 それからいくら待っても、問いかけに対する姉の答えは、返ってはこなかった。


 だからアリルは、自分自身で決めることにした。





「僕は、ここにいる」



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