1.5.1:再び戦場へ


 どこまでも続く一面の青い空を、小さな竹とんぼがひとつ、力強く舞い上がる。


「どうだアリル。あんなに高く飛んでる!」


 満面の笑みで喜ぶ姉の姿。幼い妹も、つられて笑う。


「すごいよなー。私もあんな風に、空、飛んでみたいな」


「そんなの無理だよ、姉ちゃん。私たちには羽根がついてないんだから、飛べないよ」


「でも、魔導士の人たちは飛べるぞ」


「姉ちゃん、魔法使えるの?」


「使えない」


「じゃあ駄目じゃん」


「今は、使えない。でも練習すれば使えるようになるかもしれない。想いを現実の力に変える能力が魔法なんだ。うんと努力して、うんと強く願えば、エーテルだってきっと応えてくれるかもしれない。なせばなる、だ!」


 姉の手が妹の頬に触れる。妹は、その温かさに心が安らぐのを感じ、思わず微笑んだ。姉は妹の瞳を覗き込み、続ける。


「未来は、自分の想い次第なんだ。だから、これからも二人で頑張っていこうな、アリル」





 ……未来なんて、無かった。


 その日の夕暮れ過ぎ、あの出来事が起きた。


 空を埋め尽くす、無数の黒い影。夜の闇とも違う、妖しく蠢く黒。

 その向こうには、本当なら地平線に沈む陽の最後の輝きが見えるはずなのに、今はそれも包み隠され、その代わりに地面が血にまみれ、真っ赤に染まっていた。


 幼い少女が、遠く、動かない姉の姿へと、必死に手を伸ばす。

 しかし、どれだけ伸ばしても、その手は決して届くことはない。


 どこからか、絶叫が響く。





 その甲高い叫び声で、アリルは跳ね起きた。


 荒く息をつきながら、周りを見渡す。何の変哲もない、静かな自分の部屋。


 少しして落ち着いてから、アリルは大きく深呼吸をし、再びベッドに横になった。


「嫌な夢……。久しぶりに、見ちゃったな」





 休暇は、終わった。


「ご迷惑、ご心配、お掛けしてすみませんでした! これからも改めて頑張っていきますんで、よろしくおねがいします!」


 アリルが明るい声で皆にそう宣言し、頭を下げる。


「本当に大丈夫かよー? なんだったらもう少しゆっくりしてたっていいんだぞ?」


 カノンが安心半分、心配半分といった複雑な表情で問いかけ、アリルはそれに対し軽く体を動かしながら、答えた。


「大丈夫です。これ以上休んでたら、体なまっちゃいますし」


「そっか。無理すんなよ」


「はい」


 その時、モミジがいつものように、笑顔で突然に言葉を発した。


「はい、じゃあ、アーデルちゃんと、アリルちゃん、握手です!」


「は?」


 思わずアーデルハイトとアリルの声が重なる。


「は? じゃないです。仲直りのしるし、です!」


 少しの間、二人は無言で迷っている様子だったが、先にアーデルハイトが手を差し出した。


「それでは、改めまして、よろしくお願いしますわ。ベイオリスさん」


 明らかに作った笑顔で、そう言うアーデルハイト。

 アリルも作り笑顔を返し、数瞬、差し出された手を見つめた後、その手を取った。


「こちらこそ。よろしくお願いします。ガリアレストさん」


 仲直りのしるし、とは言うものの、そこには明らかな距離感が残り、辺りに微妙な緊張感が漂い始める。

 次の瞬間、それを吹き飛ばすように、またモミジが声を上げた。


「はい、仲直り! 一同、拍手!」


 他のメンバーは、その何とも言えない空気に流されるように、気の抜けたような、軽い、乾いた拍手をまばらに響かせる。

 その拍手の音にまぎれ、アリルは誰にも聞かれないよう、小さな声で呟いた。


「笑顔って、疲れるな」





「無理だ!」


 ジェリスが強い抗議の声を上げるが、いつものように、カルムナントは気にも留めず、薄笑いを浮かべた表情を崩さない。


「あの子は自分の意思で戻ってきた。もう大丈夫だ。重ねて頼む。次の戦闘にも、あの子を出してほしい」


「あの子は明らかに不安定だ。しばらくは慎重に様子を見守る必要がある」


「あの子にとって最高の薬は、成功体験だ。そしてその究極の形は、姉の敵討ち、だろう。彼女を癒すためにこそ、彼女を戦場に送る必要がある」


「理屈の上ではそうなるのかもしれないが、そんなのは理想論ですらない、ただの現実離れした屁理屈だ。……あなたは何故そんなにもアリルにこだわるのです? あの子が何だというのです?」


「あの子こそが、カギだからだ。世界を、真の平和へと導くための。だからこそ、多少強引にでも、事を進める必要がある。……そう言えば、納得してくれるだろうか」


「……世界平和、という言葉の中身によりますな」


「なるほど、賢明だ。しかし、申し訳ないが、辞書通りの意味だ、としか答えようが無い。それで納得がいかないと言うのなら仕方ない。君には決定権は無いにも関わらず、こちらはできる限りの説明をし、説得を試みた。その努力は酌んでくれるとありがたい」


 結局、少年は自分の言いたいことだけ言うと、こちらの意見などまるで意に介さず、去っていった。

 ジェリスは、反吐が出そうだった。





 それからの数日間は特に何事も無いままに過ぎ去っていったものの、やがて、また冥府の門が開き始めた。


 スクランブル。

 ミッションにはカノン、アーデルハイト、アリルがアサインされ、整備班が大急ぎでエンジンをラエダへ積み込むのを待つ間、三人はブリーフィングを受けた。


 ブリーフィングを終えて出て来たアーデルハイトを、ファインが呼び止める。


「……アーデル、分かってるな?」


「大丈夫。安心してください。ミショニストは全ての人を護る、剣であり、盾。あなたの教えです。ならば、私はあの子のことだって、護って見せましょう。あなたが、そう命じるのなら」


「……命令、というより、仲間としての頼み、だな。あいつはまだまだひよっこだ。自分の秘めた力に振り回されて、目を回してるんだ。危なっかしくてかなわない。だから、頼む。俺は誰一人として仲間を失いたくは、ない」


「任せてください。それでは、急ぎますので」


 通路の向こうで、カノンの呼ぶ声が響く。


「ああ、お前も気を付けて」


 アーデルハイトはうやうやしく頭を下げ、去っていった。





 湾岸に並ぶ、三両のラエダ。臨戦警戒態勢。


 敵出現予想時刻まではまだある。セコンドがもう一度黄のエンジン、ラディエリスの調整を確認している間、その中でアーデルハイトはミッションステータスの最終確認を行う。

 出現予想個体数は前回と大して変わらず。ただ、グレンデルについては統計データ不足により、予測不能。


「……ついでだから、あんたも出て来なさいよ」


 アーデルハイトは小さくそう呟き、視界の隅で藍のエンヴレンをちらりと見る。


「ハンデを背負って、グレンデルを討つ。それぐらい、やってのけてみせなければ、あの人には追いつけない。ましてや、追い越すなんて」


 思わず操縦桿を握る手に、力がこもる。


「やってやるわよ」


 その時、カノンの声が響く。


「まーた早い! いいや、行くぞ!」


 冥府の門が開く。敵群出現。

 アーデルハイトは即座に意識を切り替え、ラディエリスを飛ばす。

 視界の隅で、エンヴレンが飛び出すのも、見えた。





「落ち着けよ、アリル」


 エンヴレンを飛ばしながら、アリルは自分に言い聞かせるように言う。


 カノンとアーデルハイトの足を引っ張るわけにはいかない。前に出過ぎても駄目、後ろに下がり過ぎても駄目。周りをよく見て、連携し、的確に動く。


 できるはずだ。やってみせなければいけない。


 その時、前方から数匹のゴブリンとハーピーが接近するのをエンヴレンのシステムが警告し、カノンからの通信が入る。


「アリル! そっちに雑魚が何匹か行った。一人でなんとかできるか?」


「大丈夫。やれます!」


 やるしか、ない。

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