1.4.1:逃げるこころ
デブリーフィング。
というほど大げさなものではなく、ただただだらけた空気の”帰りの会”。
グレンデルについて、多少の建設的な言葉が二つ三つ交わされはしたものの、基本的には予定調和のルーチン井戸端会議。
そんな無駄な集まりは早々にお開きとなり、アリルは部屋へ戻ろうと、ブリーフィングルームの扉へと向かった。
そんなアリルの前に、黄のアーデルハイトが立ちはだかった。
アリルより少し背の低い年下の少女が、アリルを挑発するように、その顔を見上げている。
そうしてアーデルハイトは、アリルをなめ回すように見つめ始めた。
「何です?」
その行為を不快に思ったアリルは、率直にそう尋ねた。
「別に。見ているだけ。ためつ。すがめつ。あなたの能力を、見定めているだけ。……でも、駄目ね。やっぱり、あなたがここに居る理由が、私には分からない」
アリルは何か言い返そうと思ったが、そのための言葉が出てこなかった。
それを代弁するように、レーンが口を挟む。
「おい、アーデル。つまらない新人いびりなんてやめとけ」
それをカノンが茶化す。
「あんたがそれ言うんだ?」
「うるせー」
レーンはカノンに吠えつつ、アーデルハイトに向き直り、続けた。
「これでもアリルは短期間に目覚ましい成長を遂げている。すぐに俺たちにも追いつくはずだ。お前だって、すぐに追い抜かれるかもしれないぞ?」
レーンが嫌味な笑みを浮かべながら言う。アーデルハイトは、それに対し氷のような表情を返す。
「つまらない冗談ね。そもそも、いつからグラディエントは教育隊になんてなったのかしら。違うでしょう? そんなはずはないでしょう? 私たちは形骸化した軍の中にあって、事実上唯一の実効的な実戦部隊。真の盾であり、真の剣である。その気概と実力が揃ってのミショニストでしょう? そのどちらも未熟な凡庸など、害でしかない」
「やめろ!」
それまで黙っていたファインが声を上げ、アーデルハイトを制止した。
「お前の言うことも分からないではないが、入隊の経緯はどうあれ、アリルはすでに正式なミショニストの一人、俺たちの仲間だ。和を乱すような言動は慎め。それに、今回の現場指揮は俺がとっていた。文句があるなら俺に言え。責めるなら俺を責めろ」
その勢いに圧され、アーデルハイトは衝撃を受けたように一歩後ずさる。
「……あなたまでそんな子の肩を持つのですか?」
そのままアーデルハイトは長い髪をなびかせ、踵を返し、皆に背を向けた。
「分かりました。付き合いきれませんわ。お先に失礼させて頂きます。ごきげんよう」
アーデルハイトはつかつかと靴を鳴らしながら去り、後に残された全員は、一呼吸置いてから、大きなため息をついた。
「あーあ、くっだらねぇ。俺もうさっさと部屋戻って寝るわ。おさきー」
続いて、ファインもいつもの軽い調子を取り戻し、去っていった。
「まあ、気にするなよ、アリル。またなんかあったら、すぐ言えよ」
カノンが優しく声をかけてくれるが、アリルは何も答えない。
「あっ!!」
その時、緑のモミジが突然大きな声を張り上げた。
「わっ! 何だよいきなり。脅かすな!」
レーンがそう言うのも気にせず、モミジはアリルの方を向いて続ける。
「そう言えば私、アリルちゃんとまだちゃんとしたご挨拶、してませんでした! お互いに自己紹介、しましょー!」
レーンとカノンは思わず呆れた表情をする。
「お前、この空気の中でそれ、やる?」
「え? 駄目ですか?」
「いや、駄目ってこたぁ、ないけどさぁ……」
天井。
薄暗い自室で、アリルはベッドに転がり、ぼんやりと天井を見上げる。
「……何、やってんだろ」
何もできなかった。失敗して、怒られて、疎まれて、蔑まれて。
「これじゃあ、前と同じじゃないか」
むしろ、より悪い。
「ここにいる意味なんて、あるのかな。なんで僕、ここにいるんだろう」
僕は、ここに、いちゃいけないのかもしれない。
「辞めたい?」
アリルの言葉を受け、ジェリス司令官の顔が強張る。
「はい。無理なんです、やっぱり。何の取り柄も無い、ただの田舎娘の僕に、ミショニストだなんて」
「ま、まあ落ち着け。とりあえず、落ち着け」
無表情で聞いているアリルに向けた言葉なのか、動転して焦っている自分に向けた言葉なのか、それすらも分からないまま、ジェリスはとりあえずそう言った。
「話は聞いている。アーデルには厳重に注意をしておく。私としては、君はよくやってると思うが、もしも君自身でも思うところがあるのだとしたら、それを今後はバネにして、今まで以上に訓練に励み、自己を磨き上げてほしい。そうすれば、アーデルの方も君への見方を変えるはずだ」
ジェリスはとりあえずそこで言葉を切る。
どうだろうか。分かってくれるだろうか。
「……」
アリルは何も答えない。
駄目なのか。
「……辞められないんですか?」
駄目らしい……。
「三日だ。三日間、休暇を取っていい。その間、改めてゆっくり考えるといい」
とりあえず時間を稼ぐ。それだけの時間があればアリルの頭も冷えるだろうし、
アーデルの方にも根回しが可能だろう。
「三日経って考えが変わらなければ、その時に改めて具体的な話をしよう。今のところは部屋に戻って、ゆっくり休みなさい」
「……分かりました。失礼します」
アリルは小さく頷き、退室していった。
ジェリスはそれからすぐに椅子に崩れ落ちるように身を預け、大きくため息をついた。
「……ここ、本当に軍隊かよ? 中学校かなんかじゃあるまいな」
もう一つ大きくため息をつく。まったく気は休まらない。
「子育ての経験でもあれば、多少はこういうのも上手く切り抜けられたのかもしれないが」
ぼんやりと左の手を見つめる。
薬指の跡は、とうに消えている。
「過ぎた時間は戻らない、か」
街。
穏やかな春の昼下がり。
三日月湾に面し、グラディエント基地からさほどの距離ではない場所に位置する地方都市。レギアレン。
かつてはのどかな漁村だったが、冥獣の襲撃が激しくなって以降、軍の前線警戒防衛都市として整備され、できた街である。とはいえ、グラディエントの本格運用が開始されてからは陸上に被害が及ぶことはまず無く、今この瞬間も、住民たちは平和な時間を謳歌していた。
その海沿いの緩やかな坂道を上りながら、アリルは海の向こうを見る。
流石にこの距離からは見えないかと思ったが、見えた。小さな小さな、黒い球。
空の青と、海の青の狭間に、そこだけがぽっかりと穴が開いているようにも見える。
アリルはしばらくそのどこか現実味の薄い光景を眺めたあと、坂を上り切り、街の奥へと入っていった。
気が付いた時には、アリルは公園のベンチに腰掛けていた。
ふいに、足元にボールが転がってくる。
「すみませーん。取ってくださーい」
アリルはボールをすくい上げ、そう声をかけてきた同じ年ごろの女の子の方に投げ返した。
女の子はそれに頭を下げて礼を言い、受け取ったボールを傍にいる一回り小さな女の子の方に緩く投げた。
姉と、妹だろうか。
妹の子はボールを体いっぱいで受け止め、投げて、転がして、突いて、思う存分に遊び、明るい笑顔を振りまいた。
少し離れたところで、父親と母親であろう男女がその光景を微笑ましく眺めている。
普通の家族。普通の父と母。普通の姉と、妹。
普通の人々の普通の暮らし。普通の、幸せ。
アリルも、しばらくその光景を微笑ましく、眺めていた。
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