1.3.1:冥晶球

 

「あの子、アリルは、順調に成長しているようだね」


 少年、カルムナント・ゼオリムが、満足そうに言う。


「確かにこの短期間で目覚ましい成長を遂げてはいるが、それでもなお、要求水準には程遠い」


 ジェリス指令官はカルムナントを否定するように、率直な意見を述べる。

 少年はそれをまったく意にも介さない風で、微笑みながら聞いている。

 いつもの光景。


「人格面も難しい。一見、人間関係も円滑で、ここの環境にも上手く順応できているように見える。しかし、それは見せかけだ。彼女の精神はその根底部分では、過去の体験からの強い孤独と自己卑下に、今も苛まれている」


「ラカラムの悲劇。その後のゼルディン男爵邸での生活も、どうやら他の使用人たちとは上手くいっていなかったようだね」


「改めて訊くが、彼女は本当に適格者なのか」


「疑いなく、そうだ。彼女こそが本命だ。成功体験を積み重ねていけば、彼女の歪みはいずれ正されるだろう。それもこれも、すべて時間が解決するさ。彼女ほどの才能は、一朝一夕に磨ききれるものではない。過去の傷を癒すのもそうだ。じっくりと時間をかけるのは大前提だ」


「そうなのでしょうな」


 ジェリスが面白くなさそうに、皮肉めいた声音で返すと、少年は朗らかに笑ってみせた。


「そう邪険にしないでくれ。こちらとしても君達の立場に立って、できる限りの援助はしているつもりだ。先日の彼女の”初陣”についても、僕がどれほど心を砕いたことか」


 先日の”事故”の件は、この少年の耳には入れたくないと思い、内密に処理をした。

 しかし、あれだけの一大事だ。隠蔽しようにも限度はあり、それがこの少年の耳に入っていても決して不思議ではない。

 その上でこの少年は、そんなことはお見通しだ、と釘を刺そうというのか。

 しかし、今この少年が匂わせているのは、どうにもそんなようなことではないようにジェリスは感じた。少し考え、一つの疑念が浮かぶ。


「あなたが、仕組んだのですか?」


「まさか」


 ジェリスの突拍子もない疑問を、少年は即座に鼻で笑うように否定した。

 明らかにこの問答を最初から想定していた反応だ。

 その反応も、余りにもあからさまで、表向きは否定するように見せかけておいて、実際は言外に肯定しているように見せたいようにも思える。考えすぎ、だろうか。


 ジェリスは無言で少年の瞳を見つめる。

 こちらを試しているのだろうか。

 ……いや、遊んでいるのだろう。


「次の出撃には、アリルも正式に出してほしい」


 ジェリスが黙っていると、今度は少年の方が突拍子もないことを言い出す。


「いくらなんでもまだ早い」


「ゼオリムの強い要望だ」


 つまりは、強制命令。

 少年は優し気に微笑み、続ける。


「大丈夫、後方で見学させるだけでいい。戦果も期待しない。枠も余剰メンバーとしてのアサインで構わない。追加出費も当然こちらで持つ」


「……」


「過剰な慎重さは逆に不幸を呼ぶぞ、司令官。大丈夫、すべて何事も、うまくいくはずだ。神、そらに知ろしめす、というやつさ」


 その言葉に、ジェリスは不審げな表情をする。


「カミ? 耳慣れない言葉だ。どういう意味でしょう?」


 少年は、ジェリスの視線を逃れ、窓の外の青空へと顔を向ける。


「いずれ、分かるさ」





「はーい、ピンポンパンポーン。業務連絡でーす」


 スピーカーから、ファインの気の抜けた声が響く。


「おいこら、ファイン! 真面目にやれ!」


 レーンの非難ももっともだと、アリルは思った。


「真面目にやってんじゃん」


「どこがだ! はっ倒すぞ」


「分かったよ、もう。はいはい」


 くだらないやり取りに、カノンの茶化すような明るい笑い声が響く。

 これが、実戦に臨む空気、なんだろうか。アリルは呆然とする。

 あるいは、皆、初陣の自分が緊張しないようにと気を使ってくれているのかも知れない。気のせいだろうか。まあ多分、気のせいだろう。


 スピーカーから、今度は先ほどよりはマシだが、まだ気怠い感じの抜けきらないファインの声が聞こえてくる。


「えー。現在、目標、冥晶球表面のエーテル場曲率は、敵出現パターンへと合致する方向へ向け変動中。敵出現予想時刻まで三十分プラスマイナス五。統計からの出現予想数はオーガ三、ゴブリン十、ハーピー五十。まあ例によって、諸々当てにはならない数字だ。参考程度に聞き流して構わない」


 カルシェン大陸南東部を大きく抉るように存在する三日月湾。

 その弧を周の一部とする巨大な円を想像する。その中心には、半径数メートルほどの球体が、宙に浮いている。

 光を全く反射しない、純黒の完全球体。しかし、その周囲のエーテル場曲率は常に激しく変動し、それが可視光へも強い影響を与えるため、その表面は妖しい光沢をたたえているようにも見える。また、そうした物理的特性によりあらゆる観測や接触を妨げられているため、大昔から人類はその存在を認識しているにも関わらず、未だにその正体については微塵も明らかにはなっていない。

 そして、その曲率は時折一時的に安定し、その瞬間、あの小さな球体から無数の化け物、冥獣が出現し、大陸に住む人々の平和を脅かす。


 冥府への門。冥晶球。


 アリルは、モニターに映るその小さな黒丸を、食い入るように見つめる。

 操縦桿を握る手に、力がこもる。


「フォーメーションはとりあえずいつも通り。俺が囮になって、カノンが掃討。その取りこぼしをレーンが各個撃破。アリル。お前の任務は後方から全体を俯瞰し、情報を収集すること。まあ、ありていに言ってしまえば見学だな。実戦の空気を感じられればそれでいい。気負う必要はない。余裕があれば、一匹二匹程度相手にしても構わないが、決して無理はしないこと。いいな?」


「了解」


「よし、じゃあ各機、コンテナから起立して待機」


 通信が切れ、エンヴレンがコンテナのベッドに固定されたまま起き上がっていく。

 暫定標準仕様とはいえ、拡張装甲をまとった完全な形のエンヴレン。

 純白の素体が藍色の装甲をまとい、その出で立ちは正しくインディゴのエンジンと呼ぶにふさわしい。


 完全に起立してから、アリルはエンヴレンの右手を軽く動かしてみた。

 思った通りに動く。機械を操縦しているというより、まるで自分の体そのものが大きくなったようにすら感じる。

 魔導士の鎧。それは喩えなどではなく、言葉通りの意味だったのだと、アリルは痛感していた。


「僕を、強く、大きく、する機械。ミッション・エンジン。エンヴレン」





「心拍が少し上がってる。緊張してるのか?」


 ラエダ運転席からの通信で、ユウラがそう聞いてくる。


「どうだろう。よく分からない。なんかこうしていても、まだ実感が無いっていうか」


「まあそういうもんなのかもな。パニックを起こすよりはずっといいが、油断して気は抜くなよ」


「大丈夫」


 本当に、大丈夫なんだろうか。

 本当に、戦えるんだろうか。


 不安が脳裏をよぎり、これまで何度となくしてきたのと同じく、アリルは姉が昔言っていた言葉を思い出し、不安を無理やりに拭い去る。


「なせば、なる!」





 冥晶球が妖しく煌めく。表面の曲率パターン、急変。


「相変わらずアテにならない予測だな。奴ら、もう出てくるぞ。全機、発進」


 ファインが指示を飛ばし、一足先に飛び出していった。

 赤い、ファインのエンジン。重装甲に大きな盾と槌を携えた、赤のベルフレス。


 続いて、橙色と紫色も飛び立っていく。

 巨大な籠手を装備した、カノンのエンジン。橙のフィスフール。

 鎌を持ち、マントのような外装をまとう、レーンのエンジン。紫のザーシュラス。


「インディゴ、エンゲージ!」


 アリルも一呼吸おいてから、ミッション従事宣言とともに、エンヴレンを飛ばした。

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