6鎮圧

 朝靄の中、斥候を名乗り出た少年の影がバリケードの前に現れ、見張りの部隊が声を上げる。

 この声を受け、ミシェルとセバスチャンの二人は最前線のバリケードへと移動する。

 指揮官の二人はバリケードに開けた銃眼から前方を伺う。


「合い言葉は!?」

 朝靄の中の影に向け、見張りが着剣したマスケット銃を向けて訊く。


 銃声。

 それは複数発放たれた。


「革命……万歳……」

 朝靄の影は、そうかすかに呟くと、そのまま倒れた。

 見張りの若者も倒れ、バリケードから落ち、その下にいた別の若者に支えられる。

 片耳が無くなり、血で溢れていた。


 そこに、一陣の風が吹き、朝靄を晴らす。

 靄の向こうには、朝日に照らし出され、青い上着に白い革ベルト、赤いパンタロンに金ボタンが輝かんばかりの制服を着た陸軍の一団が戦列を組み、銃口をこちらに向けていた。

 その一団の中より、大尉カピタンの階級章を着けた一人の男が出てくる。

 他の兵より多くの勲章をつけたエポレットが両肩に乗り、抜き身のサブールを手に持った立派な口髭の男は、その切っ先を若者達に向け宣告を始めた。


「諸君ら叛乱者に告ぐ!」

 その声は、実によく通った。

「今!諸君ら暴徒は叛乱者としてパリ市民の敵となり、パリ市民を代表する国民衛兵はその勢力2万他に我々ローバウ伯麾下4万の応援を受け容れた。最早諸君等は逆賊であり、このまま抵抗を続けても勝ち目はなく、ただ徒に命を落とすばかりであり、また逮捕されてもその先には絞首台か銃殺しか待っていない!」

 その声は壁を反響して、良く響いた。

「ただし、今直ぐ投降するならば、恩赦に浴する機会も得られ、命だけは助かるであろう!これ以上諸君らの父母兄弟を泣かせるような馬鹿な事は止め、賢明な判断をする事を強く推奨する!返事は、今暫く待とう!」

 そう言うと、指揮官はサブールを鞘に納めた。


 この言葉に最も動揺したのは、ミシェルであった。

—自分一人が理念理想の為に死ぬのは構わない。しかし、そんな身勝手にこいつ等気の良い仲間を巻込んで良いのか?—

—いや既に斥候に行かせたリュカや見張りのシモンは斃れているじゃないか。何を今更—

 そう、声を漏らすと、副官のセバスチャンの方に顔を向ける。


「君は、君の信じる道を行けば良い。僕は、少なくとも僕は君の傍にいよう」

 ミシェルの困惑を知ってか知らずか、セバスチャンはそう応える。

「さあ!皆!自分の信じる道をゆこう!僕は!自由・平等・博愛の為に死のう!」

 セバスチャンの言葉は叫びとなり、最早ミシェルにだけ向けたものではなくなった。

 随所から雄叫びがわき、赤い旗が揚がる。

自由か死かリベリテ・ウ・モルト!」

「「自由か死か!」」

 この言葉を皮切りに、若者達は弾嚢から弾薬と弾丸の包みを取出し、口で破ると、火薬を火蓋の上に注ぎ、弾丸を薬室に込め、かるかで押込んだ。


「撃方用意」

 この雄叫びは相手側の軍団にも聞こえ、大尉は深いため息の後そう呟くと、両目を伏せ再びサブールを抜く。

「撃方用意!」

 部下の中尉や少尉リュティナンが各小隊に伝令を号する。

「さて、諸君らの応えを聞こう!」

 再度大尉は前に出て、問う。


 ミシェルが赤い旗を背景にバリケードの上に身をさら宣言する。

「自由か死か!」

 そう言うと、ピストルを向け、引金を引く。

「それが応えだ!」

 コッキングされた火打石がバネの力で前方に倒れ、火花を散らす。

 その火花は切られた火蓋の上にある黒色火薬に引火し、白い煙を上げ、その火を薬室に伝える。

 薬室に込められた火薬は火を受け、反応し、押し込められていた力を解き放つ。

 解放された力に押され、油に塗れた布に包まれた鉛の塊が銃身を滑走し、空中に解き放たれる。

 その反動はミシェルの腕を跳ね上げ、放たれた鉛球は大尉の横にいた兵士の耳を掠める。


「撃方始め!」

「今だ撃て!」

 軍隊と若者、それぞれの指揮官が叫ぶ。


 早朝にヴァルカンが多重奏の雄叫びを上げる。

 若者と兵士が倒れ、石畳の隙間に血が流れる。


「第二派用意!第一砲前へ!」

「第二派用意!セバスチャン!奥へ行って上階からの掩護射撃の指揮を!ジャンも叩き起こせ!」

 それぞれの指揮官が次の手を打つ。

「拙いぞミシェル!野砲が出てきた!」

「よし!ポール以下前線隊、あの野砲を黙らせろ!集中砲火だ!」

 後列から代わりの銃を受け取った最前線は物陰から出てきた野戦砲を狙い撃つ。

 砲を曳く兵士が数人被弾する。


「怯むな!所詮敵は小勢!バリケードを除去して一息に制圧するぞ!第一野戦砲前へ!第二野戦砲も出てこい!」

 大尉も士気を鼓舞する。

 上から銃弾が降り注ぐ。

「だから言ったろ?俺は『バッコスの化身』だって。あの程度じゃ酔いもしないよ」

 上階の窓や屋根からジャンの部隊が狙撃する。


「第三射撃隊、掩護射撃撃て!砲を止まらせるな!」

 大尉は足元で跳弾の音を聞きつつ、指揮を続ける。

「第一野戦砲、位置に着け!この距離だ直接照準で殆ど水平撃ちで良い!撃方用意!先ずは大穴を開けろ!」

 そう言うと、砲兵の射撃手が点火用の棒を導火線に近づける。


「撃たせるな!バリケードを死守するんだ!」

 上階から砲兵に射撃が集中する。

 狙撃を免れた射撃手が屋上の若者を狙う。

 砲手が被弾し倒れると同時に、屋根からも幾人かの若者が落ちる。


「援護しろ!直ぐに撃て!」

 別の兵士が駆けつけ、導火線に火を着ける。

「拙いぞ!砲弾が来る!全員伏せろ!」

 ミシェルの指示と砲撃の爆音が重なる。



 風切り音。

 衝撃波。

 全ての音が消える。

 吹飛ぶ家具や人体。


 木片が人体のあちこちに刺さる。


 バリケードの中央にひと一人がやっと通れる程度の通路が開く。

 しかし、まだ狭い。


「第二野戦砲射撃用意!目標は第一野戦砲と同一!第一野戦砲、連結弾装填!」

 若者達が一時的な難聴状態にある中、大尉は次の指示を出す。


「く、状況は?」

 ミシェルが自陣内を見ると、そこには先程迄の友が白く横たわり、或は腕や脚を負傷し叫んでいた。


—これは、拙いー


「第二野戦砲発射!」

 再び轟音。

「第二野戦砲は榴弾装填!第一野戦砲は視界確保後発射!穴を広げろ!」

 大尉の指揮の元、第二野戦砲は砲身内を油で吹き清めると次は榴弾を装填し始め、その間に第一野戦砲が連結弾を放ち、二回の砲撃で広がった穴を更に広げる。

 回転する鎖はミシェルの頭上を飛び去り、後方でマスケット銃に装填していた若者を巻込む。

 鎖に巻込まれた若者の顔が飛ぶ。

「ああ、ジュリアン!」


「第二野戦砲発射!第一野戦砲も榴弾装填!第三野戦砲、榴弾装填後前へ!」

 大尉の指揮は淀みなく続く。


 第二野戦砲から放たれた榴弾が、今度はその射角範囲にいた者に無差別に襲い掛かり、手足を抉られ、或は目を潰され、指が吹飛ぶ。

 砲撃の音がする度、その方向にいる誰かが死ぬ。

 更に跳弾や弾かれた木片が更に周囲のドアや窓を破壊する。


「一時撤退!建物内に籠城して狙撃戦に切り替えろ!」

 ミシェルの叫び声より先に、多くの若者が周囲の建物のドアにすがりつく。

 しかし、その殆どが固く閉ざされ、叩いても開かれる事はなかった。

 叛逆者に協力すれば自分も逆賊であり、その先には銃殺か絞首台が待っているのである。

 自身の視界も血に霞むミシェルはそれを見ている事しかできない。


「第一、第三野戦砲、発射!」

 今度は二門同時に早朝の大地を揺るがす。

 ミシェルの視界は更に多くの死の飛蚊と血しぶきに覆われる。


「歩兵隊、上階の射撃手を撃て!第二野戦砲も榴弾装填後、照準を上階へ!擲弾兵前へ!」

 けたたましいドラムが鳴る。

「擲弾兵の手榴弾投擲と第二野戦砲発射後、歩兵部隊は一気に突撃する!私に続け!」

 大尉は更に波状攻撃を続ける。

「手榴弾投擲!第二野戦砲発射!」

 もはや、バリケードは革命隊の身を護る為の物では無く、逃げ道を塞ぐものになった。


 ミシェルは傷ついた脚を引きずり、医師見習いのジェルマンの所へ行く。

「ジェルマン!この木片を抜いてくれ!」

「おう!直ぐにでも!」

 そう云ってジェルマンはブランディーを傷口に掛けると木片を遠慮無く抜く。

 ミシェルの脚から大いに出血するが、興奮の為か何とか持ち越える。

 そこへ、更に榴弾の破片が降り注ぎ、手榴弾が爆発する。

 閃光と轟音で、感覚器官の大半が一時的な麻痺を起こす。


 煙が晴れると、そこには頭部を半分失ったジェルマンが立っていた。

 ジェルマンが斃れると、その後ろでは右腕がズタズタになったジャンが屋根から落ちてきた。

—セバスチャンは?ー

 ミシェルは副官の姿を探す。

「歩兵隊、突撃!」

 もはや門になったバリケードから中隊が攻めて来る。

 味方は銃剣で突かれ、或は馬に踏まれ、何とか籠城できた部隊も一つ一つ潰されて行く。


 ミシェルはようやく入った建物の二階に上がると、階段を斧で壊し、誰も上がれなくする。

 向かいのバルコニーで倒れているセバスチャンを見付ける。

 何とか息はあるようだが、とても動ける状態には無く、そのまま下から上がってきた兵士に連れ去られる。


—僕は……何の為に……みんなに、あんな死に方をさせて……ー

 ミシェルは窓から天を仰ぐ。

 そこには、白い鳩がいた。

—ああ、そうだ。そうだった。—


「大人しく降伏しろ!」

 工兵の手で梯子を掛け、上がってきた大尉がそう告げる。

「まだ、間に合うんだ」

 何故か大尉の方が懇願するような口調である。


「否!僕は、最後まで自由でいる!」

 そう云うと、足元の火薬樽をピストルで打ち抜こうとする。


 銃声。


 周囲の兵士複数人が条件反射でミシェルを撃ち、反動でミシェルの手からピストルの弾が飛び出す。


 それは大尉を掠め、後ろの壁に掛けてあった赤い旗を打ち抜く。


 かくして暴徒は鎮圧された。

 熱い風が吹きだす前の、6月の事であった。

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