4雪溶
ガブリエルと結婚して最初の数年は本当に幸せだった。
ブルジョワとは言わないが、彼の仕事も上手く廻り始め、王制の先行きが不安定だったのと将来の為にと、今のカフェーも含めた幾つかの物件を購入したのもこの時期だった。
そして、その幸せと祝福は私の妊娠で頂点を迎えた。
これからの新しい時代を創って行ってもらいたい、との思いから、男の子だったらジョゼフ、女の子だったらマリーにしよう、と二人で決め、その日を楽しみにしていた。
しかし、待ちこがれたその日、星は輝かず、血塗れになる。
私の意識が急変し、気が付いた時には、赤い沼の中に冷たいマリーが横たわっていた。
死産なんて良くある事。
たまたま、今回は私の番だっただけ。
母体が無事だっただけ幸い。
何度もそう思おうと思った。そう納得しようとした。
でも、無理だった。
何故、私が。
何故、私のマリーが。
私達のマリーが……
それ以上、何も考えられなかった。
無事出産し、育児に悩まされる他の母親が羨ましく、妬ましく、憎らしかった。
そんな事を思ってしまう自分自身も心底嫌いになった。
ただただ、聖母子像の前でオラシオを唱えるしかなかった。
それでも、この世界を呪わずにいられたのは、あの人、ガブリエルが傍にいてくれたからだった。
半狂乱で泣き叫び、無気力になり、虚ろになる私の傍で、ただただ励ましてくれた。
それで、折れた心を何とか繋ぎとめた。
苦しく、辛い闇の中だけれど、この人となら一緒に切り抜けられる、と一条の光を見た気がした。
いや、あのときは、確かに光とその先の暖かい未来が見えていた。
どんな暗闇でも、光りあれと祈れば、世界は輝く。それをあの子は私達に教えようとしてくれている。
その光を抱ける事が幸せで、誇らしくも思えた。
その光さえ、首相が交代する頃に奪われる。
ガブリエルは事故でこの世を去り、私はとうとう八方ふさがりになった。
どうして、私ばかり。
「越えられない試練は無い」だなんて、そんな試練を与えようなんて事自体が傲慢でなくて?
私は精一杯乗り越えようとしたのに、その報いがこれ?
私から奪うばかりで、私に何を成せと云うの?
祈りながら呪ってしまう。
呪詛しか出せなかった。
自分も含めた、この世の一切が呪わしかった。
人は皆、何れ死ぬ。
そんな事は分っている。
分っているけれど、何故、今、私なのか。
最初の数ヶ月はただただ神を呪った。
それしかできなかった。
幸いにしてあの人が遺してくれた財産のお陰で、酷い社会状況だったけれど生活だけは何とかなった。少なくとも、私が死んだとき、あの人に見せられる状態は保った。
あの人が遺した日記や手紙を何度も何度も読んだ。
あの人の声が消えないように。
何度も、何度も。
その中では、あの人はいつも笑顔で、優しく、暖かだった。
そして、思い出の店等を眺めている内に、ガブリエルとの記憶の「続き」を造ろうと思い、店にマリーの名前を付けて再開した。
丁度、王様が変わる1年前だったと思う。
そうして店を再開すると、セバスチャンが昼営業で通い始め、次いでミシェル達のグループが夜営業にも集まるようになり、段々と若者の熱気が私の呪詛を和らげてくれた。
彼等も、この人の一生を一瞬で飲込んでしまう運命の濁流のような時代の闇にどうにか明かりを灯せないかと摸索し、その姿自体が輝いていた。
あの人も、今の闇に呑まれた私を見たら、また一緒に光在れと祈ろう、と言ってくれただろう。
若い(といっても、実際の歳はそんなには離れていないと思う)彼等との会話が、息吹が、ガブリエルの暖かみを思い出させてくれる。実感させてくれる。
私が何か面白い事をすればそこには笑顔の花が咲き、美味しい料理ができれば感動してくれ、私が思い悩めばそれを分解してくれる。
光在れと欲すれば輝きが帰ってきて、それがまた私の灯になる。
喜びの循環。
失っていた生の実感。
ガブリエルとマリーがくれた、私の光と、輝く時間。
彼等が何年も聞かせてくれたお伽噺が、私が何を失い、何を持っていたのかを思い出させてくれた。
その熱気が、奈落の氷から解き放ってくれた。
そして私は、再び光と風と共に遊ぶ。
熱い時代の中、ふとミントが香る風が吹く。
5月の初夏の涼風であった。
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