16.名前

「ちょっと待ってて」と、僕は部屋に向かい、急いで食堂に戻る。「これを見てよ」


 テーブルに置いたのは、カバンに入っていた学生証だ。顔写真と共に掲載された『日高文哉』の名前を確認してもらう。

 名前を教えてもらおうというのだ、言い出しっぺが真っ先に発表するのがスジというものだろう。


「僕の名前は、『日高文哉ひだか ふみや』です。いまさらだけど、よろしくお願いします」


 本当にいまさらな挨拶をする。ずっとニックネームで呼び合っていたこともあって、本名を名乗るのが妙に照れくさかった。

 サーヤは学生証を手に取り、複雑な表情で名前の文字を見つめる。文字喰いの性質を考えると、本名を名乗ることに抵抗を感じるのは当然のことだ。場合によっては、文字を喰われて殺されるかもしれない――その危険性が、まったくないと言いきれなかった。


 僕は少しでも安心してもらえるように、せめて文字を書き記さない方法を提案する。


「口頭でいいんだ。みんなの名前と使われている漢字を教えてくれないかな」


 静まり返った食堂に、突然パンと小気味いい音が響く。前ぶれなくサーヤが、自分で自分の両頬を叩いた。

 いきなりのことで反応できず、あんぐりと口を開けた僕に、サーヤは白い歯を見せてニッと笑ってみせる。気合を入れたのだと、遅れて気づいた。


「わたしの名前は、『時枝紗耶ときえだ さや』だよ。時間の時に木の枝の枝、糸に少を足した紗に耶馬台国の耶――邪じゃなくて耳のほうの耶。それで時枝紗耶」


 真っ先に名乗ってくれたのは、それだけ僕を信頼してくれているという証だろう。ちょっとした感動が、胸の奥に芽生える。


 こうしてサーヤが先陣を切ってくれたことで、多少は心やすい空気になっていた。そわそわとした落ち着かない雰囲気が、残った三人を包んでいる。

 意を決して、神妙な顔のマッキがつづく。


「えっと、『松原良樹まつばら よしき』――字は、木の松に原っぱの原、良い悪いの良に樹木の樹で、松原良樹。マッキは小学校のときのあだ名なんだ」


「わたしは……ユイア、『後藤結愛ごとう ゆいあ』って言うの」ためらいがちにユアさんも名乗ってくれる。「前後の後に藤の花の籐、結ぶに愛するの愛を繋げて後藤結愛。昔から結愛の“い”はいらないと思ってたから、ユアで通している」


 最後に残ったのは、タミーだ。名乗っていないのが自分一人となって、焦りを顔ににじませていた。

 僕は先手を打って、話しやすいように誘導する。


「苗字は、タミヤだよね」

「な、なんで知ってんだよ!?」

「ほら、『タミヤ・ゲーム・フリーク』って言ってたから、そうかなと思った」


 タミーは苦虫を噛み潰したような顔をして、苦しまぎれに舌打ちを鳴らす。顔つきこそ嫌悪混じりだが、苛立った気配はあまり感じない。

 半ばあきらめに近い感情となっているのだろうか。逡巡の末に長いため息をつき、プルンと頬肉を震わせた。


「そうだよ、田宮だ。俺は『田宮道明たみや みちあき』ってんだ。田んぼの田に宮殿の宮、道路の道に明るいで田宮道明。これでいいんだろ」

「ありがとう、助かるよ」


 僕は食堂のテーブルに前髪がかかるほど、深々と頭を下げた。これで推測材料がすべて揃ったことになる。


「ねえ、本当にこんなことで文字喰いの正体がわかるの?」

「うん、わかった」

「へえ、そう――って、もうわかったの!?」


 サーヤは飛び上がらんばかり驚き、頭突きしそうな勢いで僕に詰め寄ってくる。実際額が軽くこすれあった。興奮状態のサーヤは気づいていないようだが、息がかかるほどに顔が近い――僕は彼女の肩をつかみ、やんわりと押し返した。

 他の三人は、驚きのあまり言葉も出ないようだ。丸く見開いた目を、じっと僕に向けている。


「どういうことか、ちゃんと説明してよ。早く早く!」


 僕は苦笑しながら、書き置きをテーブルに広げる。

 先ほども言ったとおり、最初から書き置きに示されていた。おそらく事情を知るカズマが目にすれば、一読で判明したに違いない。ただ彼は異常事態に動揺して、真っ先にすべきことを後回しにしてしまった。


 おかげで白紙の状態から探らなければならなかった僕は、ずいぶんと苦労させられたものだ。でも、どうにかたどり着くことはできた。

 決め手となったのは、参加者の名前だ。これが欠けていた重要なピースだった。


 チイを除く全員の名前を知り、ようやく靄のかかった疑問が晴れてくる。『日高文哉』『時枝紗耶』『柄本大輔』『如月一真』『田宮道明』『後藤結愛』『松原良樹』『財前浩二』――名前は文字喰いが知りたいことであり、そこから文字喰いが知られたくないことを導き出せる。この二つは背中合わせで、密接に関係していた。


 教授はすべて理解したうえで、証拠を残してくれた。僕は改めて、書き置きに目を落とす。


※※※


 この書き置きをキミたちが目にしているということは、おそらくわたしは生きていないだろう。

『文字喰い』と呼ばれる恐ろしいバケモノに、名前を喰われて殺されている。

 文字喰いは、その名前のとおり、紙魚の如く文字をけしさってしまう。ヤツに名前の文字をうばわれると、死ぬことになる。

 キミたちは名前の文字をうばわれないように気をつけなさい。


 まずやらなければならないのは、一も二もなくテガキの書面をすてることだ。

 文字喰いは印刷された文字はけせない。

 マイニチつけていた日記を、まっさきに処分すべきだろう。プライベートな事柄が記載された日記は、文字をうばわれるだけでなく情報もうばわれることを意味する。

 日記だけではなく、テガキの書面があったなら処分をすすめる。

 もやしてしまって、田んぼや原っぱにすてるといい。


 危険なので、けっして犯人捜しをしてはいけない。

 かえりの連絡船がくるまで、部屋にこもっておとなしくトキがすぎるのをまったほうが良いだろう。

 文字喰いに文字をうばわれるスキを与えないことだ。ヤツ自身は文字を書くことができない。単体でいる間は、文字をうばわれる危険はないとみていい。

 いいかい、絶対にムチャをするんじゃないぞ。文字喰いはヒトと似た姿をしているが、ヒトではないのだ。

 たとえ無害な子供や女の子の姿をしていても、たとえ愛するヒトや知人と同じ姿をしていたとしても、似ているだけでちがう存在――バケモノだ。


 最後に、これだけは言わせてほしい。

 文字喰いに殺されるのは無念であるが、ヤツの存在を証明できることに満足はしている。

 わたしの[#80]の[#81]が、[#82]いというバケモノによるものと[#83]できたなら、[#84]もすこしは[#85]われるだろう。

 それだけで大きな[#87]がある。

 キミの[#88]が[#89]からんことを[#90]っている。


 【柄本大輔】

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