14.謎解きパズル

 ひさしぶりに外の空気を吸った。ツンとした磯の香りが、鼻腔を刺激する。


 ゆるりと吹きつける海風に、若干の肌寒さを感じた。ここ数日文字喰い騒動で別荘にこもっている間に、季節が少し進んでいたようだ。ちっぽけな無人島で何が起きようとも、素知らぬ顔で世界は変わらず回りつづける。


「よし、行くか!」


 僕はつまさきで地面を叩きスニーカーを調整して、いざ踏み出す。目的地は別荘の裏手側にあった。

 玄関先から建物に沿って歩いていくと、周辺を囲むように植えられた松林が見えてくる。通り道らしい隙間に入り込むと、松林と並行して伸びる木板を連ねた遊歩道を発見した。潮風の浸食で色あせた木板は、体重をかけるとミシリと音を立てわずかに沈み込む。


「これかなぁ……」


 ここがゼンさんの散歩コースだろうか。どうやら別荘をぐるりと一周するルートになっているようだ。

 松の木の合間から見える別荘を横目に、注意深く探りながらゆっくりと進んでいく。やがてテラスの端に行き当たり、別荘の裏手に入ったことを知る。

 外から見たテラスは地面より少し高い位置にあって、まるで宙に浮いているような奇妙な印象を受けた。


 僕は遊歩道から、が見える位置を探す。


 朝にテラスへ踏み込んだときから、不思議に思っていたことがある。ゼンさんが壊されたスマホを発見したのは、サーヤの部屋が見える場所だったと証言していた。と限定したのだろうか。隣り合っているチイの部屋も見えないのは不自然だ。


 ゼンさんが意図的にサーヤの部屋に限定した、もしくはチイの部屋をはぶいた――とは思えない。そんなことをしても、ゼンさんにメリットはない。では、どのような理由があったというのか。


 現地にきて、少しわかってきた。現場百篇とはよく言ったもので、その場に行かないとわからないことがある。

 テラスのすぐ下に植え込みがあった。高い位置にあるテラスでは意識しないが、外からの視界を遮る効果があった。植え込みはいくつかに分かれており、切れ込みの位置によっては見えてくるものが変わってくる。

 両方の部屋の窓が見えるところもあれば、チイの部屋だけが見える場所も、サーヤの部屋だけが見える場所もあった。


 ちょうどサーヤの部屋の窓が覗ける位置に、それは捨てられていた。おそらくスマホが落ちていた場所と同じだろう。

 砕かれ、引きちぎられ、原形をとどめていなかったが、間違いなくカードの残骸だ。プラスチックの物から紙の物まで、複数のカードがバラバラになって捨てられている。


 文字喰いの習性か、それとも別の問題によってかは不明だが、どうであれ同じ場所にあったことは僕にとってラッキーだ。


「ここにあったってことは、カードを奪ったのは文字喰いの仕業でいいんだよな。どういう意図があるんだ?」


 僕は目についたカードの残骸を、拾えるだけ拾って別荘に戻った。

 どうしようか迷ったが、かなり細かく分かれているので一人で修復していては時間が足りない。僕は思いきって、みんなが揃っているリビングに向かう。


「これをつなげろってか。無茶苦茶言うなぁ」


 事情を説明して協力を求めると、タミーは呆れた様子でぎこちなく笑った。あきらかに乗り気ではない。


「四枚……いや、五枚分くらいあるかしら」と、ユアさんも困惑気味だ。


 集めた残骸を一旦テーブルにすべてさらして、そこから選別作業をはじめる。

 サーヤは身を乗り出し、眉間にしわを寄せた難しい顔で欠片を色別に分けていく。途中鼻息で吹き飛ばしそうになったり、うまく標的を指でとらえられなかったりと、苦労していたが不器用なりにがんばってくれている。


 そんなふうに率先してサーヤが動いてくれたことで、マッキも手を貸す気になったようだ。こちらはよどむことなく、順調に欠片を分けている。


「へえ、器用だね、マッキ」

「サーヤが不器用すぎるんだよ」

「ううっ、悔しいけど言い返せない……」


 ユアさんも加わり、最後にしかたなくといった様子でタミーも太い指を伸ばした。

 五人がかりともなれば、作業効率は格段に上がる。あっという間に、六つに選別された残骸の山ができあがった。


 問題は、ここからだ。これをジグゾーパズルよろしく、組み合わせていかなければならない。


「これを元に戻して、本当に意味はあるのか?」


 文字喰いがわざわざ処分したモノだ――意味はあると思うが、どんな意味かはまだわからない。

 僕は口ごもり、対応に困る。その代わりというわけではないだろうが、真剣に残骸と向き合っているサーヤが、視点を固定したまま投げやりなことを口にした。


「きっと、文字喰いが困る情報が書かれてんでしょ」


 意識のほとんどは、組み合わせ作業が占めていたはずだ。深く考えず、適当に返したにすぎない。

 でも、その言葉がきっかけとなり、僕の中で線と線が結びつく。慌てて書き置きを取り出し、まだ埋まっていない箇所に目を通す。

 タミーが大きな体を寄せて、隣から不審そうに覗き込んできた。


「それ、まだやってたのか」

「タミー、そっちはフミくんに任せてこっちやってよ」

「悪いな、サーヤ。パズルゲームだけは苦手なんだ」


 周りの声は聞き流して、僕は書き置きに集中する。

『プライベートな[#30]が[#31]された[#32]は、[#33]をうばわれるだけでなく[#34]もうばわれることを[#35]する。』と、この文章では二つ『うばわれる』モノがあると示唆していた。一つは、もちろん『文字』だろう。もう一つは、サーヤが何気なく言った『情報』ではないかと直感的に思った。


 文字喰いに知られて一番恐ろしいのは、名前を知られることだ。名前以外にも行動や思考を知られるのは、当然ながら厄介なことになる。場合によっては、それが命取りになることもありえた。


 [#33]が『文字』で、[#34]が『情報』とするなら、その前段にあたる『プライベートな[#30』が[#31]された[#32]は』は、情報源となる物品を指しているものと思われる。無人島内で貴重な情報源となり、文字の供給源となるのは日記しかない。


 つまり、『プライベートな事柄(#30)が記(#31)された日記(#32)は、文字(#33)をうばわれるだけでなく情報(#34)もうばわれることを意味(#35)する。』となるわけだ。


 その次に書かれた『[#36]だけではなく、テガキの[#37]があったなら[#38]をすすめる。』は、つづく『もやしてしまって、田んぼや原っぱにすてるといい。』とのつながりを考えると、文脈的に『日記(#36)だけではなく、テガキの書面(#37)があったなら処分(#38)をすすめる。』といったところか。


「なあ、ここの欠けてる部分って、『最後(#72)に、これだけは言(#73)わせてほしい。』じゃないか?」


 タミーが予想外の鋭さで穴を埋めてくれた。パズルは苦手と言っていたが、案外やるものだ。


「きっとそうだよ。ありがとう、タミー!」

「ま、まあ、これくらいは……」


 感謝されると思っていなかったのか、タミーは照れくさそうに頭をかく。ご機嫌を隠しているらしく、頬肉がピクピクと震えていた。

 これで興が乗ったようで、さらに手つかずだった穴を埋めてくれる。


「こっちの『文字喰いに[#75]されるのは[#76]であるが、ヤツの[#77]を[#78]できることに[#79]はしている。』は、[#75]が『殺』で[#76]は『無念』だと思うな。殺されたら無念ってのは当然の感情だ」


「そうだとしたら、『ヤツの[#77]を[#78]できることに[#79]はしている。』は、『殺(#75)されるのは無念(#76)であるが』につづくわけだから逆説的な言葉が当てはまりそうだね。ヤツというのは、当然文字喰いのこと。周りに信じてもらえなかった教授の立場からすると……『存在(#77)を証明(#78)できること』って感じかな」


「そうきたら、当然『うれしい』とつづきそうなもんだけど、これだと文章にならないな。『[#79]はしている』か、何がはまる?」


 タミーはたるんだアゴ肉を撫でながら、難しい顔で首をひねった。


「うれしいと同義語は、『喜び』とか?」

「うーん、『楽しい』は違うな。『幸せ』『幸福』だと合わないか」


「満足」と、サーヤがポツリと言った。カード修復に夢中になっているので、耳に入った情報をほとんど無意識に変換したのだろう。

 僕とタミーは顔を見合わせて、「それだ!」と同時に叫ぶ。

 相談しながらだと穴埋め作業がはかどる。文殊の知恵というやつか。


「残りは……サッパリだが、下の『[#86]きな』ならわかるな。これは『大』だろ。他に考えられない」


 まだ断定とはいかないが、可能性としては充分高い。僕は仮定ながら『大(#86)きな』と書き込んでおく。


「うーん、これ全部揃ってないんじゃない?」


 前進した書き置きの穴埋めに対して、カードの修復は難航していた。ユアさんは半端な再生状態のカードと残った欠片の数を比較し、困り顔で首をかしげる。

 落ちていた欠片は全部拾ったつもりだが、取りこぼしがあったのかもしれない。そもそも風に吹き飛ばされるなどして、あの場にすべて揃っていたとはかぎらない。


 どれほどの数に分散されたのかもわからない状況だ、これから収集するのは現実的ではないだろう。足りない部分はどうしようもなかった。足りている部分をどうにかつなぎ合わせて、そこから意味を見いだすほかない。


 手先の器用なマッキが、最初にカードを完成させる――といっても、これも欠けている部分が多い歯抜け状態であった。書き置きといい、埋まらない穴に悩まされつづける。

 そのままでは調べられないので、崩れないようにゼロテープでしっかりと固定した。どうやらスポーツジムの会員カードのようだ。


「えっと、なになに――」サーヤは記載されたカタカナを読み上げようとして、不機嫌そうに顔をしかめた。「……ハラチカ」


 前の文字が抜けていて、正確な情報が伝わらない。


「名前かな?」と、書かれてる位置や並びからマッキが推測する。

 一枚のカードから得られたのは、このたった三文字だけ。他のカードも完成させて、総合的に判断するしかなさそうだ。


 マッキはめげることなく、別のカードをつなぎ合わせる作業に取りかかる。こんな無茶な頼みに文句一つ言わず付き合ってくれて、本当に頭が下がる思いだ。


「悪いね、変なこと頼んじゃって」

「別にいいよ。結構好きなんだ、こういう細々とした作業をするの」


 マッキはけっして生き方が上手なタイプではない。貧乏くじを引かされて、苦労を背負い込むことも多いだろう。

 でも、人は懸命な姿を忘れないものだ。いまは大変な時期だとしても――いずれ報われる日がくる。僕は、そう強く感じた。


「ねえ、この『イ』って、なんだと思う」


 カードの欠片を指さして、サーヤはしかめっ面で言った。マッキと違い不器用なサーヤは、この作業に相当イライラしている。

 僕たちは額を寄せて、疑問箇所を見た。


「これ、カタカナの『イ』じゃなくて、じゃないかな」


 印字のバランス的に、『イ』にしてはかたよっている。隣に何かはまることで、釣り合いが取れるちょうどいい大きさだ。

 マッキが同種の残骸の山から、見合いそうなものを探し出してくれた。


「これなんて、ピッタリだと思う」と、差し出したのは『圭』の字だ。これもかたよって、縮尺が微妙に違う。

「なるほど、『佳』か。確かにそれっぽいね」


 納得のいく答えに、サーヤは目を輝かせて笑顔を浮かべる。

 ただ『佳』であったとして、その意味は不明のままだ。結局それ以外の文字を、残骸の山から見つけ出すことはできず、正確なことは何もわからない。


 最終的に苦労してカードの修復にはげんだ甲斐なく、発見したのは『ハラチカ』と『佳』と、マッキが見つけた『原』の字だけ。『原』に関して下半分が欠けていて、予想でしかない始末だ。


「無駄骨だったんじゃないか?」

「タミー、またそういうこと――」


 ユアさんは瞬間的に跳ね上がった怒りを、すべて吐き終える前に自制した。昨日のことを少なからず反省しているようだ。

 またヒステリーの標的になると感じて身構えていたタミーは、ひきつった顔で安堵の息をつく。


「おじさんなら、これでわかったのかな……」


 ぽつりとサーヤがつぶやく。僕は唇を噛んで、書き置きに記された教授の名前に目を落とした。

 おそらく文字喰いが隠したかったことは、教授が伝えたかったことだ。書き置きとカードのつながりは、どこかにあるはずだった。


「もう少し、ヒントを残してくれればよかったのに」と、心の中で愚痴を言う。

 僕は嘆息して、しかめた顔を上げる――顔を上げようとしたとき、ふと書き置きに埋めていった漢字が目に入った。これまで何度も見てきた漢字だが、ちょっぴりも疑問に思うことがなかった意外な共通点に気がつく。


 ぞわりと毛が逆立つような感覚を味わった。

 はやる気持ちを抑えて、僕はじっくりと書き置きに目を通す。埋めていった漢字、推察を重ねた文字喰いの習性、知ることになった情報、それにバラバラのカードから拾いあげた三つの言葉――これらが考えもしなかった形でつながる。


 興奮すると同時に、まだ結論を出すのは早計だと冷静に受け止める自分がいた。

 僕は数度深呼吸して、一同の顔を見回す。最後のピースを埋めるためには、彼らの協力が不可欠だった。


「ねえ」と、呼びかけてから思いとどまる。何事もタイミングが重要だ。話を持ちかけるにしても、もう少し落ち着いた状況がいい。「お腹空かない?」


 時計の針は午後三時半を指していた。朝食も昼食も抜きで、ここまでやってきたことを思い出す。意識した途端、キュッと胃袋が縮んだような気がする。


「あら、もうこんな時間。何か作ろうか……って、個別で用意するんだったわね」

「ううん、ユアさんが作ってくれるなら食べたい。インスタントばっかりで、手料理が恋しいんだ」


 ユアさんは驚いて目を瞬かせた後、じっくりと時間をかけて顔にはにかみを宿していった。


「わたしもユアさんの料理がいい!」

「俺も、そっちがいいかな」


 サーヤとマッキも賛同し、唯一表明していないタミーに視線が集まる。


「なんだよ……」と、ふてくされた顔で言って、耐えきれないといった様子で顔をそらした。「わかったよ、食えばいいんだろ、食えば」

「別に無理しなくていいのよ?」

「無理はしてない。いまから飯を作る手間を考えると、作ってもらったほうが楽でいい」


 どこまで本心かわからないが、タミーも了承した。僕たちは揃って食堂に場所を移す。

 リビングを出る直前、何気なく壁に目をやる。『薔薇』の字は、まだハッキリと残っていた。

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