11.名探偵

 夕食は冷凍チャーハン――電子レンジで温めるよりも、鍋で炒めたほうがおいしくできると教えられ、フライパンに火をかけて二人前作る。

 冷蔵庫をあさっているとき、ひょっこりあらわれたサーヤに、「わたしの分も作ってよ」と押しつけられた結果だ。


 釈然としないものはあったが、断る理由を探すのも面倒なのでおとなしくしたがった。できあがったチャーハンは皿に分けて食堂で食べる。「やるねぇ、おいしくできてる」とお褒めの言葉をいただいたが、一切褒められた気はしなかった。

 食後はお茶を飲みながら、のんびりとした談話の時間となった。昼間にゴタゴタがあった影響か、他の参加者は誰も姿を見せない。


「そう言えば、さっき見て来たんだけど、リビングの『薔薇』まだ消えてなかった」

「人が起きている時間は、誰に見られるかわからないからね。もし文字喰いが来るとしたら、寝静まった夜中じゃないかな」

「だったら、リビングで見張っていたら文字喰いの正体をつかめる?」


 そこまで考えていなかったが、可能性としてはまったくないとは言いきれない。意外と悪くない案に思えてきた。


「うん、いいかも。今夜見張ってようかな」

「やるなら付き合うよ」

「見つからないように隠れられる場所があればいいんだけど……」


 リビングの間取りを思い浮かべると、二人隠れるのは少し厳しい気がする。危険性も考えて、女の子にやらせるわけにはいかなかった。

 ひとまず僕は話題を変えることにした。ポケットからいくつか字を埋めた書き写しを取り出す。


「また少し埋めたんだ、意見を聞かせてほしい」

「どれどれ――」サーヤは身を乗り出し、ザっと書き写しに目を通す。「えっと、『かえりの連(#43)絡船(#44)がくるまで、部屋(#45)にこもっておとなしくトキがすぎるのをまったほうが良(#46)いだろう。』か。うん、自然な感じだ」


 その他にも予測できる範囲は増えてきた。ただ、この書き置きの意図はまだ見えてこない。その点を探り当てないことには、すべての文字を埋めたところで意味がないように思える。


 やはりカギとなるのは、残された三つの漢字か。わかっている『紙魚』『連絡船』に関連性は感じない、『知#67』についてはお手上げ状態である。


 僕は長い吐息をもらし、背もたれに寄りかかった。前のめりの姿勢から背を反らしたことで、視界が開け――それまで気づかなかったものに気づく。食堂の入口で立ち尽くす人影が見つけたのだ。

 ハッとして、息を飲む。そこには、青ざめた顔を僕に向けるユアさんの姿があった。


「ど、どうしたの?」


 僕の声を聞き、遅れてサーヤも顔を上げた。その瞬間、ユアさんはビクンと肩を震わせる。

 あきらかに様子がおかしい。ユアさんはひきつった顔で口を開くが、かすかに喉は鳴るも言葉にならない。その告げたかった言葉の代わりに、手にしていたものを突きつけた。教授から支給された日記だ。

 受け取る僕の指も微妙に震えている。最初のページをめくったところで、「あっ!」と声がもれた。


「文字が消えてる……」


 いっしょに覗き込んでいたサーヤが、むせたように驚きを吐き出した。

 最初のページにつづられた文章に、不自然に欠けた箇所が散見される。文脈的に欠けた場所にはまる文字は、おそらく漢字だろう。


「ご、ご午前中は……消えてなかった」ユアさんがやっとの思いで声を出す。「フミくんから文字喰いの話を聞いて、半信半疑だったけど確認したから間違いない」

「ちょっと待ってよ。それじゃあ午後の間に喰われたってこと?」

「たぶん、そうなる……」


 明確に文字喰いがあらわれたタイミングのわかるはじめての事象だった。僕は興奮して、次のページをめくる。


「こっちは消されていない。最初のページだけみたいだね」


 悠長に文字をあさっている時間はなかったようだ。最初のページの消されている文字は、四つほど――文字喰いがどのようにして文字を喰うのかわからないが、短時間ですませたことは間違いないだろう。

 問題となるのは、いつユアさんの部屋に訪れたのか。そのタイミングにアリバイのない人物が、文字喰いということになる。


「ユアさんの部屋に入ったことがある人っている?」

「……さっき、わたしが落ち着くまで部屋にいてくれたサーヤとチイだけ」


 タミーとの口論の後、ゼンさんの提案でユアさんには女性陣がついていたと話を聞いている。

 サーヤはギョッとして、髪が乱れるほどに首を振った。顔に張りついた髪を、荒い鼻息が吹き飛ばす。


「わ、わたし、何もやってないよ!」

「サーヤのことは疑ってないって。チイさんに怪しい動きはなかったかい?」

「そんなのおぼえてないよ、こんなことになるなんて考えもしなかったし」サーヤは眉間に深いしわを刻み、上目遣いに僕を見た。「ひょっとしてチイさんを疑ってんの?」


 容疑者の一人ではあるが、彼女が文字喰いと断定できるわけではなかった。


「ユアさんがタミーと言い争ってるとき、あの場にいなかった人たちも可能性はある。あのタイミングなら、部屋に忍び込むことができたからね」


 そう考えると、タミーは文字喰い候補から外れる。文字を喰われたユアさんであるが、自作自演で疑いを他に向けようとしている――ということもありえなくはない。もちろん口にはしないが、容疑者から外すことはできなかった。


 とにかく、まず行うべきはアリバイ調査だ。僕は事情を説明して、全員に話を聞いてみたのだが――これといった成果は得られなかった。

 アリバイはないが、犯行の証拠もない。どちらも証明が難しい状況だ。僕が推理小説に登場するような名探偵ならば、わずかな矛盾点を見つけ出すことができたのかもしれないが、ただの高校生には荷が重すぎた。


 不発に終わったアリバイ調査の後、部屋に戻った僕のところに難しい顔をしたゼンさんがやって来る。


「あれから考えてみたんだが――」メガネのレンズに電灯が反射して、ギラギラと光っていた。「私はやはり、文字喰いという存在を信じることはできない。頭が固いんだろうな、どうしても疑念を拭えないんだ」

「しかたないですよ。一般的には、こんなの信じてる僕のほうがどうかしている」


 ゼンさんは少し表情をやわらげて、わずかにズレたメガネを中指で押し上げた。


「もし文字喰いというバケモノではなく、これが人間の犯行だとしたなら、ユアの日記から文字が消えたことに違和感があるんだ」

「違和感ですか?」

「ああ、いまのところ犯人の手がかりは、まったくないと言ってもいい状態だ。そんな中で見つかるかもしれない危険を冒してまで、わざわざ文字を消す理由は何か考えた」


 文字喰いならば、そういう習性ということで片づく。だが、ゼンさんが言うとおり人間が犯人であったなら、消す理由が見当たらない。

 それこそ文字喰い実在の証明ではないだろうか。文字喰いの存在を信じていた僕にとって、疑問の余地はなかった。


「思いついたのは、犯行が『文字喰い』の仕業であるとなすりつけるためだ。架空の存在に罪をなすりつけるというのは普通ならあり得ないことだが、いまの環境では無茶も通るかもしれない。その下準備として、文字喰いの存在をすり込む必要があった……」


 ゼンさんが言いたいことはわかった。文字喰いの存在を明かしたのは、僕とサーヤだ。そして、ユアさんの日記を消す機会があったのは――


「ち、違うよ。そんなことあるはずない」

「君はそう言うと思った。私も信じたくはないが、彼女も容疑者の一人であることは間違いない、確かめる必要がある」

「確かめるって、どうやってですか?」


 ゼンさんの口元に小さな笑みが浮かぶ。


「リビングに書かれた『薔薇』の字だ。私の推理が正しければ、今日明日のうちに彼女は消しにいく。人目を避けて夜行動するだろうことを考えると、見張っていれば証拠をつかめるはずだ」


 それは、くしくもサーヤが言った文字喰いを見つける方法と同じだった。犯人が文字喰いだろうと人間だろうと、いきつくところは同じと言うことか。


「僕に……こんなこと言っちゃっていいんですか? 彼女に教えるかもしれませんよ」

「もしフミが彼女の協力者なら、なおさら身柄を確保しておく必要がある。君には、私といっしょにいてもらう。それが一番手っ取り早い」


 ゼンさんの部屋は、女性陣の部屋にもっとも近い場所にあった。誰が出歩いても監視できる位置だ。

 時刻は午後十一時を少しすぎたあたり、寝入りにはちょっと早い気もするが、活動範囲は部屋中心になる頃合いだった。監視をはじめるなら、ちょうどいい時間帯だろう。


 僕は、ゼンさんの提案を受けることにした。文字喰いの正体を見極めるためであり、サーヤの無実を証明するためでもある。ユアさんの日記の文字が消えて、サーヤと交わした見張りの件がうやむやとなっていたことも都合がいい。


「よし、まずは部屋の出入りを見逃さないように仕掛けを施しておこう」


 そう言ってゼンさんは、ドアの隙間に小さな付箋をはさんだ。ドアが開くと、自動的に落ちる仕組みだ。

 サーヤの部屋のドアに仕掛けを施し、次に隣のチイの部屋のドアに付箋をはさむ。最後に少し迷ったようだが、二人の部屋の向かいに位置するユアさんの部屋のドアにも付箋をはさんだ。


「これで、女性陣の動きは確認できる。この状況で彼女たちがおとなしいまま『薔薇』の字が消えていたら、犯人はタミーとマッキのどちらかということだ。あの二人に、そんなマネができるとは思えないがな」


 あとはゼンさんの部屋で動向を確認するだけ。ほんの少し開けたドアの隙間から、廊下を見張る地道な作業となる。


 監視をはじめて十分とせず、サーヤが部屋から出てきた。彼女が部屋の前を通りすぎてから、ゼンさんは音を立てないように注意して後を追う。僕はこの場で待機を言い渡されて、やきもきしながら待つことになる。

 ほどなくしてサーヤが戻ってくると、ゼンさんも何食わぬ顔で部屋に帰ってきた。彼女の部屋のドアに、付箋を再セットするのも忘れていない。


「トイレだったよ」


 まったく同じことが、ユアさんでも起きた。ついでにリビングも見てきたようで、「まだ『薔薇』の字は消えていなかった」と報告を受ける。


 午後十二時を回ると、いよいよ動きはなくなった。耳をすませても、聞こえてくる音はない。

 交代でドアの隙間から覗きつづけていたが、あまりに空虚な時間が長くて、ついウトウトしてくる。僕は眠気覚ましに書き置きを取り出して、まだ解明されていない穴埋めに取り組む。


「それ、例の書き置きかい。ちょっと見せてくれないか」


 言われるがまま手渡すと、ゼンさんはメガネを光らせながら文面に目を通す。

 やがて困り顔に笑みを混ぜ合わせたような複雑な表情を浮かべて、軽く肩をすくめてみせた。


「こんな状況じゃなければ、謎解きも楽しめるんだがな……」

「謎解き、好きなんですか?」

「少し恥ずかしいが、実はクイズ番組なんかで結構本気になったりするタイプだ」


 意外な嗜好であるが、微笑ましくもある。僕も弟が生きていた頃はよく答えを競い合っていたので、ゼンさんに親近感がわいた。


「僕も同じですよ」

「昔からミステリが好きなのも関係あるかもな」サイドテーブルに置かれた文庫本は、普段推理小説を読まない僕でも知っている有名なミステリー作家の作品だった。「探偵役を演じられるチャンスだと思ったが、現実に事件が起きると頭が真っ白になった。やはり小説と現実は大違いだ」

「名探偵になんて、そうそうなれるもんじゃないですね」


 ゼンさんは軽く笑って、ズレたメガネを押し上げた。

 しばらく他愛もない談笑をつづけ、話題のタネが尽きた頃に、ふとゼンさんは真顔となった。じっくりと僕を見つめた後、どこか気まずそうに顔を伏せる。レンズ越しに覗いた双眸に、陰とした気配が宿っている。


「こんなことに付き合わせて、迷惑に思ってないか?」

「いや、そんなことは……」


 自嘲の笑みがこぼれる。悲しげで、苦しげな切ない笑みだ。


「みんな、そう言っていた。迷惑なんかじゃない、助かっている。そう言っていたのに――仕事でもプライベートでも、私は良かれと思って積極的に行動してきたが、同僚は内心こころよく思っていなかったらしい。裏で『仕切り屋』と毒づいているのを聞いてしまった。それから、私は周りの人間の反応が気になって、普段の彼らの言動だけでなく、彼らのSNSまでチェックするようになったんだ。仕事が手につかなくなるほど毎日毎時間、悪く言われていないか調べないと落ち着かなくなっていた」


 多少なりとも打ち解けたことで、思わず苦しい胸の内をもらしたのだろう。きっちりとして見えるが、ゼンさんもネット依存症改善プログラムの参加者だ――心に闇を抱えている。

 ゼンさんは頼りになる大人だが、妙なところで消極的になる場面が何度もあったことを思い出す。同僚のトラウマが、行動を阻害していたのだろうか。


「本当に迷惑とは思ってないですよ。僕としては緊急事態だから、むしろ『仕切り屋』であってほしかったくらいだ」そうすれば、もっと早い段階で『名探偵』になれたかもしれない。


 ゼンさんはメガネを押し上げながらはにかみ、安堵の息をもらす。心なしかレンズが反射する光までも、やわらかくなった気がする。


「なんだか、救われた気分だよ。死人が出ているこんな状況で言うことじゃないが、フミの言葉を聞けただけでも、このプログラムに参加してよかったと思える」


 少し照れくさいが、わずかでも助けになったのなら甲斐があったというものだ。僕の中で満足感が膨れ上がり、その結果――あくびがもれた。

 反射的に口をふさぐが、バッチリ目撃していたゼンさんに笑われる。ちらりと時計に目をやると、そろそろ二時になろうとしていた。


 それから、何が起きたのかよくおぼえていない。どうやら睡魔に負けて、気づかぬうちに寝入っていたようだ。

 唐突に覚醒した僕は慌てて重いまぶたをこすり、うつろな思考のまま時計を見やる。二本の針は五時半を指していた。三時間ほど眠っていたらしい。


「ごめん、ゼンさん。眠ってた――」


 椅子に腰かけた姿勢で頭を垂れたゼンさんに、寝起きのかすれ声で謝罪する。

 反応がない。ゼンさんも眠っているのかと思ったが、何気なく肩にふれた瞬間、その異変に気づく。


「ゼ、ゼンさん?」


 軽く揺すると、ひざに置かれていた手が力なく落ちる。メガネがズレても、几帳面なゼンさんが直そうともしない。

 僕は喉を引きつらせながら、動揺を無理やりに押さえ込んで、そっと首筋にふれて脈を確かめた。


「……し、死んでる」


 ゼンさんの死顔は苦悶に歪んでいた。口の端に渇いたツバの跡が張りついている。すぐそばにいた僕を起こす余裕もないほど、あっという間の出来事だったのだろうか。


 僕は取り乱しそうになるギリギリの境界に踏みとどまり、急いで部屋を出てドアに仕掛けた付箋を確認する。三つのドアの隙間に、付箋は残ったままだった。

 誰も外に出ていない――やはり犯人は『文字喰い』だ。


 呆然としながらゼンさんの部屋に戻ったとき、ふと遺体の近くに二枚の紙が落ちていることに気づいた。一枚は書き置き、もう一枚は――


「穴埋め、やってくれたんだ……」


 僕が手こずっていた箇所を見事に解いて、メモ書きを残してくれていた。僕一人ではきっと解けなかった問題だ。感謝と無念で感情が揺り動かされる。

 自然と頭を下げて、ゼンさんに誓った。


「ありがとう、名探偵。必ず仇は取るよ」

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