10.タミーの苦悩

 部屋に戻り、一人で書き置きの穴埋めにはげむ。新たにわかったことから推測を重ねて、少しずつ文脈をつなげていく作業だ。


 書き置きに記されていない情報を加味すると、かなり見えてきた部分もあるのだが、まだ足りないものは多い。文字喰いを追ううえで重要なピースが、欠けている気がしてならなかった。


 書き置きと、にらめっこすること一時間ほど――煮詰まった僕は、少し休憩しようと席を立つ。時刻は午後三時を回った頃、軽くお腹も減ってきたところだ。

 しっかりとカギをかけて廊下に出ると、沈んだ表情のチイと出くわす。彼女は僕を見た瞬間怯えを顔によぎらせたが、一拍置いて少し固い笑顔を作ってみせた。

 こんな状況だ。僕を信頼しろと言うほうが難しい。チイが警戒するのはしかたがないことだった。


「ちょっと、小腹が空いちゃって」


 気まずさに耐えられず、よけいな言葉が思わず口をついて出る。言われたほうは反応に困り、かろうじて苦笑を浮かべていた。


「あの……」チイは素早く周囲に目を配り、遠慮がちにたずねる。「本当にサーヤは『文字喰い』ではないの?」


 壊されたスマホがあった場所がサーヤの部屋近くということで、疑いの目が向けられた彼女を僕は全力で擁護した。サーヤが文字喰いでないことは、これまで文字喰いにとって不利になる情報を流してくれた状況的に間違いないと思っている。


「サーヤは『文字喰い』じゃないよ。信じてもらえないかもしれないけど」


 ただ僕がどれだけ訴えても、それは僕の視点だからわかることであって、他の参加者はこれまでの疑わしい行動を見せていたサーヤしか知らない。疑念を抱くのは、感覚的に理解はできた。僕が何を言ったところで、通らないだろうということも。

 しかし、チイが見せた反応は意外なものだった。


「わかった。信じようかな――」


 信じてくれるのはうれしいが、引っかかる言い回しだ。僕の言葉に動かされたわけでもなければ、本人の意思さえも無関係のように感じる。


「本当に?」

「うん、信じる……というよりは、サーヤを信じているキミを、信じてみたいと思った」

「よくわからないな。どうして?」


 チイは戸惑いの奥にさみしげな気配を漂わせて、わずかに目を伏せる。


「わたし、よけいなこと言っちゃうクセがあって、そんな気はないのに敵を作りやすいみたいなんだ。そのせいで、周りに信じてもらえることが少なくて、誰かに信じてもらえるのがすごくうらやましい。信じてもらえる人の気分を、信じることで感じたいのかもしれないな」


 自嘲混じりの声で、チイは秘めた悩みを打ち明けた。

 何か気の利いたことを言ってあげたいところだが、まったく思い浮かばない。僕の浅い人生経験では、どれだけ掘っても彼女に送る助言は見つかりそうになかった。


「素直に信じさせてくれるのが、本当は一番いいんだけどね」


 付け足されたよけいな一言に、思わず笑ってしまう。

 チイも笑顔を浮かべたが――それは、すぐに強張ったものに変化した。


「いい加減にしなさい、あなたは!!」


 突然耳をつんざく怒鳴り声が、廊下まで響いてきたのだ。僕とチイは顔を見合わせて、声のした方向にこわごわと足を進める。


 場所の特定は簡単だった。キッチンの入口から、体半分はみ出ている。丸まった背中は肉づきがよく、うっすらと汗をかいてTシャツに染みができていた。

 タミーだ。キッチンに入ろうとしているわけではなく、むしろ後ずさりして出ようとしているところらしい。僕はタミーの大きな体越しに、入口の隙間を探して覗き込む。


「子供じゃないんだから、他人をくさすようなことを言って不安をまぎらわせるのやめなさい」


 向かい合っている相手は、案の定ユアさんだった。声に含まれたヒステリックな響きが、頭の奥まで震わせる。

 タミーはさらに後ずさりしようとしたが、背後にいた僕とぶつかり足を止めた。ここではじめて僕たちに気づいたようで、色を失った顔をちらりと向ける。


「な、なんだよ……」


 いまにも途切れそうなくぐもった声が、かろうじて発せられた。タミーはばつが悪そうに、視線を微妙にずらす。

 僕は迷った末に、タミーではなくキッチンの奥に声をかける。そのほうが手っ取り早いと思ったからだ。


「どうかしたの、ユアさん」

「彼があまりに女々しいんで、ちょっと注意してた。さっきもマッキくんをつかまえて、確証もないのにサーヤのことをくさしていたものだから」


 見たところキッチンにマッキの姿はない。どさくさにまぎれて逃げていったのだろう。

 それにしても、タミーの疑いは深いようだ。もしくは、ユアさんが言っていたとおり、不安をまぎらわせるための悪者を作りたかったのか。


「まったく、いい大人がやることじゃないわ。まるで子供ね」


 多少は落ち着きを取り戻してきたようで、ユアさんの声から刺々しさがうすれていた。

 このまま何事もなくおさまってくれたなら安心できたのだが、よせばいいのにタミーが反発する。


「あんただって、本当は疑ってるんだろ。いい子ぶるのが大人かよ……」


 ぼそぼそした聞き取りにくい声だったが、しっかりと耳に届く。親に怒られて反発する、すねた子供のようだ。

 ユアさんの一旦は静まった興奮が、この一言で再びぶり返した。見る間に怒りに包まれて、見開いた目が血走っていく。


「ふざけたこと言わないで、そういうことじゃないでしょ。サーヤを疑うのは、あなたの勝手よ。でも、分別があるなら、それを他人に押しつけるんじゃない。意見があるなら、こそこそしてないで――」


 怒りに任せてヒステリックにまくし立てている途中で、唐突に言葉が切れる。

 原因はわからないが、ふいにうろたえるような何かがあったのかもしれない。ユアさんの怒りに染まった顔に、狼狽が混じっている。しかし、それらを振り切り、ヒートアップした激情は加速した。


「自分がどれだけ周りに迷惑かけているのかわかってる。自分のことを、少しは見つめなおしなさい!」


 一方的に責められても、タミーは微動だにしなかった。受け止めているわけではない、どうすることもできず反論できないのだ。握り込んだ拳が、かすかに震えている。

 かろうじて、「チッ」と舌打ちを鳴らす。それが精一杯の反発だったのだろう。


「何もやらないくせに、不満ばかり言って、それで何かをやった気になってるんじゃないの。不満があるなら、自分でやりなさいよ。できもしないのに口だけ出して、自分のこと棚上げしてるだけじゃない。本当に腹が立つ!」


 鋭いキンキンした声色に覆われてわかりづらいが、その内容に変化があらわれはじめていた。タミーを通して、別の誰かに怒りをぶつけているような気がする。

 タミーも精神的に不安定になっていたが、ユアさんも同じような精神状態なのかもしれない。不安を自分一人で抱えきれなくなった結果が、現在の状況ということだ。


「ねえ、ちょっと聞いてる?!」


 ユアさんが、たまらずタミーの胸を小突いた。重量差があるため、タミーはびくともしなかったが、さすがに手を出すのはやりすぎだ。


 そろそろ制止すべきなのだが――ここに割り込むのは勇気がいる。できることなら他に任せたいところだが、年上のチイはオロオロするばかりで頼りにならなず、やはり僕が止めるしかなさそうだった。

 僕は腹をくくり、気合いを入れて足を踏み出す。


「ユアさん、もう、それくらいで――」

「おい、こんなところでケンカするんじゃない!」


 僕の声に、揺るぎない太い声がかぶさる。慌てて振り返った先には、厳しい表情のゼンさんがいた。その背後に、不安げなサーヤとマッキもいる。

 ようやく来てくれた援軍に、僕は安堵の息をついた。仲裁役は僕なんかよりも、ちゃんとした大人が適している。


 メガネを指で押し上げながら、ゼンさんは二人を交互に見た。それだけで、ユアさんは沸騰した頭が冷めてきたらしく、ばつが悪そうに顔をうつむかせた。少しは言いすぎた自覚があったのだろう。


「まったく、何をやってるんだ。これ以上よけいな騒動を起こさないでくれ」

「こ、これは、タミーに注意していただけで、騒動とかそういうんじゃないの」


 身振りを交えた言い訳の声が、少し上ずっている。まだ怒りの残り火が、ユアさんの内側でくすぶっていた。

 対照的に沈みきったタミーは、無言のままゆっくりと歩き出そうとしていた。


「タミー、どこに行く気だ」


 丸まった背中がゼンさんの制止に一瞬反応したが、踏み出す足は止まることはない。この場から一秒でも早く去りたいという気持ちが、廊下を軋ませる重い足音にこもっていた。


「僕が行ってきます」と、急いで後を追う。正直に言えば、ユアさんの対応よりタミーの相手のほうが楽そうに思えたからだ。


 部屋に戻るものと思っていたタミーだが、意外なことに向かったのはリビングだった。ぼんやりと壁に書かれた『薔薇』の字を見ている。

 僕が近づくと、気配を察してちらりとうつろな視線をよこした。


「まだ消えてないみたいだな。文字喰いってやつは小食なのか?」


 かすかに震えた鼻声が、分厚い唇からもれる。


「タミー、大丈夫かい?」

「困ったもんだよな、ヒステリー女は。好き勝手言いやがって、何様のつもりだよ。あんなの相手してらんねえ」


 荒い言葉遣いは、強がりの証だろう。押さえきれない動揺が、左右に揺れる視線の動きにあらわれている。

 僕はどう声をかけるべきか迷い、口を閉じてタミーを見つめていた。それをどんなふうに受け取ったのか、タミーは眉をひそめると小さく舌打ちを鳴らした。


「そうだよな、お前はサーヤの味方だった。いつの間にか仲良くなってたもんな」


 めんどくさいタイプの絡みだ。僕はため息をついて、少し突き放す。


「じゃあタミーは敵なのかい?」

「敵とか……そういうんじゃなだろ」


「僕は、サーヤが文字喰いではないと思ったから彼女をかばった。そこに個人的な感情はないよ。状況証拠に基づいて、そう判断した。逆を言えば、サーヤ以外信頼していないとも言える。他の参加者は文字喰いではない証拠がないからね。正直タミーのことも半分疑っている」


 これが偽らざる本心だ。信じたい気持ちはあっても、信じきれる状況にない。

 タミーは息を飲み、強張った頬を震わせた。


「お前は……たいしたヤツだな。理路整然として、行動にそつがない。でも、わかってもらえないかもしれないけど、俺だってちゃんとやってるんだ……」


 話が微妙にかみ合っていないのは、ユアさんに言われたことが尾を引いているからだろうか。

 軽く鼻をすすり、タミーはわずかに目線を上げる。瞳が潤んで見えるのは、たぶん気のせいじゃない。

 僕はかける言葉を探しに探して、「タミー、疲れてるんだよ」と逡巡しながら口にする。これが正解である自信は、まったくない。


「……そうか?」

「こんな状況じゃあ無理もないけど、みんな疲れている。いっぱいいっぱいで余裕がない、少し冷静になる時間が必要なのかもしれないな」


 タミーはわずかに顔をしかめて、僕をじっと見つめる。その目の奥に宿っていたのは、疑念だ。


「お前は疲れてなさそうだな」

「そんなことない。結構疲れてるよ」


 ウソではない。書き置きの穴埋め作業は、想像以上に脳のエネルギーを消費する。疲労感はつねに体に残りつづけ、食事も睡眠も充分とは言えない――でも、タミーたちのように、精神的に追い詰められていないことは確かだ。冷静に状況を見極める余裕はあった。


 タミーが懐疑的になるのは、自分自身を客観視すると、わからなくもない。二人も死人が出た異常事態の中では、僕のほうこそ異常なのかもしれないと思った。


「いまの状況をどうにかしようと、無理をしているだけだよ。これでもがんばってるんだ、褒めてほしいくらいだよ」


 場をなごまそうと冗談めかして言ったつもりだが、これが逆効果だった。

 タミーの顔は一層険しくなり、吐き捨てるように口からこぼれた言葉にトゲが混じっている。


「俺だって、がんばってる……」

「そ、そっか、がんばってるんだね」


 反射的にもれた返事が、タミーの神経を逆なでしてしまったようだ。


「お前にはわからねぇよ、俺の気持ちは。ちゃんと評価してもらえるヤツにわかりっこないんだ」

「どういうこと?」


 タミーは声を詰まらせるが、喉を塞ぐ逡巡を内にわいた憤りが突き破った。


「俺はいつだって、誰にもがんばりを認めてもらえない。親にもよく言われる、他のヤツらみたいにちゃんとやれってな」タミーの中ではつながっているのか、家庭の問題に話は飛躍した。「そりゃ仕事になじめないで一年もたずやめちまったけど、こんなもんしかたないことだろ。性格的に合わない仕事を、いつまでもつづけてられない。俺だって将来のこと、ちゃんと考えてる。部屋にこもってただ遊んでるだけじゃない、自分なりにできることを模索していたんだ」


 接合性が見えてこないが、現在の状況とタミーが身を置く環境に近いものがあるのだろうか。

 僕は内心の困惑を必死に抑え込み、表情にあらわれないように努力する。タミーが自身の正当性を語ろうとしていることだけは、ぼんやりとだが感じることはできた。


「どうせうまくいかないことはわかってるんだ、会社に頼らなくてもいい働き方をずっと探してた。親からしたら一日中パソコンの前に座って遊んでるように見えるのかもしれないが――違うんだ、俺なりに新しい生き方を考えていた」

「それで、答えは出たの?」


「ゲーム……笑うんじゃねえぞ。昔からゲームだけは得意だったから、動画サイトでゲームの配信をはじめた。まだ成果は出てないが、工夫を凝らして視聴者がつくようにがんばっている。それなのに、親はネットにうとい世代だからわかってくれないんだ」


 ようやく言いたいことがわかってきた気がする。自分の努力を認めてもらえない――サーヤに対する嫌疑も、自分の中では論理的な理由があってのことだが、それをわかってもらえないとなげいているということか。

 過程を認めてもらうのは難しい。説明が足りなければ、当然納得してもらえない。成果のない努力の価値を押しつけられても困るだけだろう。


 まだ高校生の僕に、どうにかできる問題ではなかった。できることは、せいぜいこれくらいだ。


「タミーの配信チャンネル、なんて名前?」

「おっ、登録してくれるのか。『タミヤ・ゲーム・フリーク』っていうんだ」

「いやぁ、ゲームほとんどやんないから登録するかはわからないな。一回は見てみようと思うけど」


 そこに価値を見いだせるかはわからないが、とりあえず歩み寄ることで理解しようとしている姿勢を知ってもらう。

 若干タミーの表情がゆるんだように思う。「チッ」と口からこぼれた舌うちも、少しやわらかく聞こえるのだから不思議なものだ。


「そこはウソでも登録するって言えよ」

「ウソじゃダメでしょ。タミーの力で、僕に登録させてみせてよ。そうでなきゃ意味がない」


 僕は肩をすくめて笑う。

 ようやくタミーの顔に、呆れ混じりの笑顔を浮かんだ。

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