9.薔薇
怒鳴り声を聞きつけて、ユアさんが廊下に顔を出す。
「ちょっと何があったの?!」
少し遅れて、チイとマッキもやって来た。どの顔にも、不安と緊張が張りついていた。
騒ぎの大元であるはずのタミーが、一番動揺しているように見える。きっと、この手の騒動に慣れていないのだろう。感情的になって声を荒げはしたが、気持ちがつづかず対応を持てあましている。
僕だって場慣れしているわけではないが、兄弟がいた分もめ事には多少免疫があった。双子だって兄弟ケンカはする。
「なんでもない、たいしたことじゃないんだ……いや、たいしたことだな」
ごまかそうとしたが、途中で考えなおす。ここらが決断のときだと思った。
僕は進み出て全員の視線を集めると、「実は、サーヤと今回の事件の犯人捜しをしていた」前置きなく事実を告げた。
困惑と驚きが広がっていくなか、サーヤ一人が焦りを浮かべてつかみかかってくる。Tシャツの薄い布地ごと、肩に爪が食い込み痛かった。
「ちょっと、何を言うつもり。あんなの誰も信じてくれないよ!」
「信じてくれなくてもいいんだ。最低限の対処法だけでも伝えておかないと、この先ますます僕らが追い詰められる」
「信じてくれないのに、対処してくれると思えない」
「何も難しいことを頼むわけじゃない。文字を隠すだけでいいんだから手間はかからない、やってくれるよ」
一向にまとまらない話に業を煮やしたユアさんが、僕らの間に割って入ってきた。
「どういうことか、ちゃんと説明なさい!」
「わ、わかってる、わかってるよ」
声に含まれたヒステリックな響きに、僕も驚きはしたが、それ以上にサーヤが過剰に反応した。爪がさらに食い込み、喉が引きつるほど痛い。
これで反対する気持ちが萎えたのか、サーヤはしゅんとなって顔を伏せる。
「えっと、ここじゃあ落ち着いて話せないから、リビングにでも行こうか」一同の顔を見回し、僕は足りない参加者に気づく。「ゼンさんはきてないけど、どうしたんだろう?」
この疑問にはマッキが答えてくれた。
「さっき部屋から出ていくのを見かけた。帽子をかぶってたから外に行ったのかも」
今日は天気がいい。部屋に閉じこもっていても息が詰まるだけなので、気晴らしに散歩に出かけても不思議ではなかった。
できれば全員揃って話したかったが、この際しかたがない。ゼンさんには後ほど説明するとして、ひとまずいまいるメンバーに事情を伝える。
「じゃあ、リビングに行こう」
別荘のリビングには大きな木製のテーブルをはさんで、二台のソファが向かい合わせに置かれていた。僕とサーヤが並んで座ると、自然と四人はもう片側のソファに回る。一人で二人分の面積を要するタミーがいるので、さすがに四人座ると窮屈そうだった。ユアさんとチイの間で、マッキがかわいそうになるくらい縮こまっている。
その姿に思わず笑いそうになって、僕は慌てて視線を外した。ここでヘタに笑ってしまうと、ふざけていると思われかねない。
気持ちをなだめようと、無心で部屋の隅に設置されたカラオケセットに目を向ける。別荘の持ち主が趣味としているカラオケだ。今回のネット依存症改善プログラムの実施に際して、インターネット回線は切られているので現在は使用不能。ただマイクやスピーカー類の接続は切られていないので、アカペラなら歌えると教授が冗談めかして言っていたことを思い出す。
そろそろ頃合いかと視線を戻す――と、「犯人捜しをしていると言っていたけど、具体的に何をやっていたの?」意外なことに、控えめなチイが話を切り出した。真剣な表情で、じっと僕を見ている。
場違いだとわかりつつも、美人に見つめられて照れくさい。頬が熱を帯びるのを感じながら、僕は教授の書き置きを取り出した。
「これは教授が残した書き置き。これを目にして、カズマさんが『文字喰い』とつぶやいたのを聞いたのが、そもそものきっかけだった――」
僕はこれまで得た情報を、一つずつ説明していく。必然的にサーヤの事情も語らなければならず、彼女は不服そうに顔をしかめていたが、止めようとする気配はなかった。
プライベートな事柄ははぶいたが、教授とサーヤの関係、教授とカズマの関係も伝え、欠けた文字の穴埋め作業にはげんでいたことも説明する。唯一教えなかったのは、文字喰いの撃退法についてだ。考えたくないことだが、この中に文字喰いが潜んでいる可能性がある。こちらの手札をすべてさらすわけにはいかなかった。
「――ということで、僕たちは教授とカズマさんの部屋を探っていたんだ」
説明を終え、改めて疑念に満ちた四つの顔を観察する。話しながらも様子を探っていたが、懐疑がつのっていくだけでおかしな点は見当たらなかった。
うまくあぶり出せればと期待していたが、そう簡単にはいかないようだ。
「まったく信じられねぇけど、そんなマンガみたいなこと本当にあったら、いい話のタネになるな」
半ば笑い声となった茶化した言葉が、タミーの口からこぼれる。信じられなくて当然だ、それが普通だと思う。
そんなタミーを、険しい顔でユアさんがにらんでいた。信じてくれたわけではないだろうが、人死にあっただけに、不謹慎と言いたげな表情をしている。
チイは呆けた顔で天井を見上げ、マッキは眉間にしわを寄せて足下に視線を落とす。四人四様の反応だが、その根っこは同じだ――信じられない、この一言に尽きるだろう。
「別に信じてくれなくてもいいんだ。ただ頭の隅っこに、『文字喰い』は書き文字を喰うってことだけはおぼえておいてほしい」
たとえ信じなくても、話を聞いたからには気にかかるはずだ。最低限の注意喚起にはなったと思いたい。
僕は前のめりになっていた体から力を抜いて、ゆるりと背もたれに寄りかかる。知らず知らずのうちに熱が入っていたのか、背中にうっすらと汗をかいていた。
「ねえ、フミくんの話だと文字喰いに名前を知られていたら、もう手遅れなんじゃないかな。こっちがいくら文字を喰われないように注意しても、相手に書かれたら意味がない」
上目遣いに僕を見て、マッキがおずおずと口を開く。信じる信じないは別にして、論理的に考えた結果だろう。
僕も同じ懸念を抱いていたが、その点は今朝解消された。身をもって証明したと言い換えてもいい。
「おいおい、マジになってんのか、マッキ」
「そ、そういうわけじゃないけど……」
タミーが茶化すたびに、ユアさんの目つきが険しくなっていく。そっちのほうが心配で、気が気でなかった。
ユアさんが爆発してしまう前に、僕は急いで疑問の回答を告げる。
「大丈夫だ、その心配はないよ。文字喰いは文字が書けない――もしくは、自分が書いた文字を喰うことができない。他人の書いた文字でないとダメなんだ」
「どうして、そう言いきれるの?」と、サーヤが口をはさんだ。
「実体験だよ。昨日僕の部屋に侵入した人物がいる。おそらく文字喰いで、僕は本名を知られた。でも、僕はまだ生きている。もし文字喰いに自給自足できる力があるなら、僕はとっくに死んでなきゃおかしいんだ」
話し終わった途端、サーヤが顔を真っ赤にして飛びかかってきた。いきなりのことで対応できず、ソファの上で馬乗り状態になっていた。
何か起きたのか理解できず、僕はキョトンと怒りに染まったサーヤを見上げる。
「なんで、そんな大事なこと言ってくれないの!」
隠していたわけではなく、この話題を出す流れにならなかっただけだ。押し倒されるほどの怒りを買うくらいなら、もっと早くに言っておくべきだった。
「ごめん。死ななかったから、気が抜けてたのかもしれない。そうだよな、もし死んでたら貴重な文字喰いの情報を伝えられなかった。危ないところだったよ」
「そういうことじゃない!!」
パンと快音を響かせて、手のひらが胸を叩いた。ヒリヒリした痛みが、手のひら型に伝わる。
サーヤの怒り顔に、じわじわと動揺が浸食していく様子が見て取れた。もはや怒っているというよりは、狼狽しているといったほうが正しいように思える。
「勝手に危ないことすんじゃない! 死んだらどうするんの!!」
あの状況では、回避できることじゃない――と、思ったが、そういうことではないのだろう。サーヤは、僕のことを心配してくれているのだ。
どう返せばいいのかわからず戸惑っていると、ユアさんがマジメな顔で言った。
「フミくん、ちゃんと謝りなさい」
さっき、ちょろっと謝ったとは言えない雰囲気だ。僕は上に乗っかっているサーヤに、首をすぼめて謝った。
「ご、ごめんなさい」
「ま、まあ、死ななくてよかったよ……」
サーヤは少し気まずそうにしながら、ようやくお尻を浮かしてくれた。ちょっと惜しい気もする。
僕は座りなおし、照れ笑い――その姿をユアさんが満足そうに見ていた。よけい照れくさくなってくる。
「何をじゃれあってんだか。フミが言ってることが、ホントかどうかわかんないってぇのに」
しらけた様子で、タミーがぼそっと吐き捨てる。
その言葉を耳ざとく聞き逃さなかったサーヤは、露骨に不快感をあらわにした。目が吊り上がり、片眉がヒクヒクと震えている。
「さっきからグチグチうっさいデブだな」ストレートすぎる悪態に、タミーは顔をひきつらせて面食らった。「そんなに言うなら、証拠を見せてやろうじゃない!」
いきなり何を言いだすのかと、今度は僕が面食らう。
サーヤはぐるりと部屋を見回した後、僕に向かって手を差し出した。手招きするように指を動かし、何かを要求している。
「フミくん、ペン貸して」
「ペン? どうして?」
「いいから貸してよ!」
そう言って、取り出したペンをふんだくるようにして持っていく。穴埋め用に用意しておいたボールペンだ。
サーヤはペン先を見つめて、眉間に深いしわを寄せた。何が気にくわないというのか、あきらかに難色を示している。
「これじゃあ細すぎてインパクトがない、もうちょっと太いのがほしい。ないの、太いペン」
「太いのって、急に言われてもなぁ。部屋に戻ればあるけど、取ってこようか?」
「これだったら……」と、チイがサインペンを差す出した。
ペン先を確認し、サーヤは軽くうなずいた。どうやら、お眼鏡にかなったようだ。
「ちょっと借りるね」上機嫌でペンを手にしたサーヤは、部屋をうろうろと歩き回り、壁際で立ち止まった。「ここらへんでいいか」
一同の注目が集まるなか、サインペンのキャップを外して文字を書く。壁に。
「ちょッ、ちょっと何やってんの――」
「見てわかんない、ラクガキ」
サーヤは大きな文字で、白い壁紙に『薔薇』と書いた。その行動にも驚いたが、難しい『薔薇』の字をスラスラと書いていたことにも驚いた。
「無茶苦茶するなぁ……」と、タミーが絞り出すように言った。
「これが消えたら文字喰いの証明になんでしょ」
確かに無茶苦茶だ。でも、見方によっては面白い試みだとも思った。
存在証明と文字喰いの本能――どちらを選ぶかで、文字喰いの習性がわかる。文字喰いを追ううえで、ある程度方向性をつかめるようになるかもしれない。
「おいおい、どうなってんだ、こりゃ」
「あ、ゼンさん……」
戻ってきたゼンさんは、壁の字を見てあ然としながらサファリハットを脱いだ。陽気はかなりいいようで、髪がぺったり張りつくほどに汗をかいている。
蒸れて透けた頭皮は見て見ぬふりするのが――武士の情けだろう。
「ちょっと、いろいろあって……いまから説明します」
「そッ、それよりも、これを見てくれ!」
本来の目的を思い出したらしく、僕の言葉にかぶせるように、慌てた様子でゼンさんは手にしたモノを突きつけてきた。
それは、画面が砕かれ、ひび割れだらけとなったスマホだった。
「使えるの?!」と、マッキが身を乗り出す。
「いや、うんともすんとも言わない。物理的に壊されているうえに、雨ざらしだったからな。修理も無理だろう。やはり外部との接触は連絡船を待つしかなさそうだ」
しょんぼりと肩を落としたマッキと対照的に、僕は興奮して身震いする。
どうして、これまで気づかなかったのだろう。『連絡船』だ。真ん中に『絡』の字がくる単語なんて、かぎられているというのに頭からすっかり抜け落ちていた。書き置きの『#43絡#44』は『連絡船』で間違いない。
僕はすぐにでも書き置きをチェックしたいはやる気持ちを抑えて、頭の中から目の前の状況に意識を戻す。
ちょうどサーヤがスマホを手に取り、裏側を確認していたところだ。彼女は機種を確かめると、小さなため息をもらした。
「たぶん、おじさんのだ……」
「これ、どこにあったんですか?」
窓の外に目を向けて、ゼンさんは少しまぶしそうな顔をした。
「遠出はしていない。別荘の周りを散歩していて偶然見つけた」
その先を、この場で聞くべきか迷ったが、僕は思い切ってたずねてみることにした。解決の糸口は、どこに潜んでいるかわからないものだ。
「それは……具体的にどこでしょう。教授の部屋の近くですか?」
「いや――」ちらりとゼンさんは、彼女に視線を送る。「スマホが落ちていたのは……サーヤくんの部屋の窓が見える場所だった」
思いがけない返答に、全員の注目は一点に向かう。
困惑顔で固まったサーヤを見ながら、裏目に出たことを申し訳なく思った。そして、同時に感じたのは、これが文字喰いの狙いどおりだったとするなら、罪を押しつけようとする思考力があるということだ。もしかすると文字喰いは、僕らが調べていることに気づいていたのかもしれない。
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