8.調査開始

 目が覚めて、自分が生きていることに少し驚いた。また僕は生き残った。

 むくんだ寝ぼけ顔を鏡に映して、弟のことを考える。どうして僕ではなく、弟だったのだろう。いくら考えても答えは出ないとわかっているのに、無意味に意識は内側を覗き込む。


 何度も頭を振って淀んだ感情を払い、つと視線を朝日が差し込む窓辺に寄せた。カーテンの隙間から、うららかな日差しが陽気をともない部屋を照らしている。

 前日の雨は彼方の空にすぎさり、見渡すかぎり青空が広がる晴天だった。雨の残り滴は地上に染み込んでいるが、それも午前のうちに塗り替えられることだろう。

 天気にならい気持ちを新たにして、僕は身支度をすませると食堂へ向かう。


「今日はフミくんが最後だね」


 待ち構えていたように、サーヤが笑顔で出迎える。

 食堂には全員が揃っていた。各々が暗い表情で食事をしていたが、僕の登場で若干空気が軽くなったような気がする。そこに吹き込まれたのは安堵だ。また誰か死んでいるのではないかと、戦々恐々だったのだろう。


「よお、生きてたか」


 朝っぱらからカップのアイスクリームを食べていたタミーが、白く染まった唇で声をかけてきた。


「タミーも元気そうで何よりだ。みんな無事でよかったよ」

「本当にねぇ……」


 しみじみと言って、ユアさんはモーニングティーを流し込む。見たところ朝食はそれだけのようだ。

 ゼンさんはコーヒーのみ、チイはミネラルウォーターをペットボトルのまま、マッキは牛乳とトースト一枚――食欲がないのか、控えめなメニューばかりであった。タミーでさえアイス一つですませている。


 僕もあまり食欲はないが、何かお腹に入れておかないと頭が回らない。とりあえず食料を求めてキッチンに向かおうとしたとき、サーヤがムシャムシャ食べている物が目に入った。食パンだ。焼くこともせず、バターも塗らずにそのまま食べている。どこまでズボラなのかと渇いた笑いがもれた。


「さて、どうしよう……」


 食材を探して一通り見て回っているところで、少し気になることがあった。食器類が片づけられていたのだ。

 昨日僕がインスタントラーメンを作るとき使った鍋やどんぶりは、流しにつけ置きしておいたのだが、それらも綺麗に洗われて所定の位置に並んでいる、こんなことをしてくれるのは、一人しか思い浮かばない。


「ユアさんがやってくれたのかな?」


 心の中で感謝しながら、朝食作りをはじめる。キッチンにあった食パンを二枚焼き、冷蔵庫をあさって発見したチーズとハムをはさんだ。

 簡単に作ったホッとサンドと牛乳を持って食堂に戻り、モソモソ口に運んでいる間に、他の参加者は一人また一人と部屋に帰っていく。居座る意味はないのでしかたないことだが、少しさみしい。最終的に残ったのは、サーヤだけだった。


「今日はこれからどうすんの?」

「教授とカズマさんの部屋を探ってみようと思う。教授の部屋は前にも調べたけど、何か見落としているものがあるかもしれないしね」


 少しでもいいので、書き置きを読み解くヒントがほしかった。現状において文字喰いを追う手がかりは、これだけなのだから。


「じゃあ、わたしも付き合うよ。他にやることもないし」

「それなら、まずこれを見てくれないか」僕はポケットから、書き写した書き置きを取り出して、隣にきたサーヤに渡す。「昨日の夜、ちょっと付け足したんだ」

「へえ、どれどれ――」


 サーヤは身を乗り出し、書き写しを覗き込んだ。


※※※


 この書き置きをキミたちが目にしているということは、おそらくわたしは生きていないだろう。

『文字喰い』と呼ばれる恐ろしいバケモノに、名前を喰われて殺されている。

 文字喰いは、その[#12]のとおり、紙[#13]の[#14]く[#15]をけしさってしまう。ヤツに[#16]の[#17]をうばわれると、[#18]ぬことになる。

 キミたちは[#19]の[#20]をうばわれないように[#21]をつけなさい。


 まずやらなければならないのは、[#22]も[#23]もなくテガキの[#24]をすてることだ。

 文字喰いは[#26]された[#27]はけせない。

 マイニチつけていた日記(#28)を、まっさきに処分(#29)すべきだろう。プライベートな[#30]が[#31]された[#32]は、[#33]をうばわれるだけでなく[#34]もうばわれることを[#35]する。

 [#36]だけではなく、テガキの[#37]があったなら[#38]をすすめる。

 もやしてしまって、田(#39)んぼや原(#40)っぱにすてるといい。


 [#41]なので、けっして[#42]しをしてはいけない。

 かえりの[#43]絡[#44]がくるまで、[#45]にこもっておとなしくトキがすぎるのをまったほうが[#46]いだろう。

 文字喰いに[#48]をうばわれるスキを[#49]えないことだ。ヤツ[#50]は[#51]を[#52]くことができない。[#53]でいる[#54]は、[#55]をうばわれる[#56]はないとみていい。

 いいかい、[#57]にムチャをするんじゃないぞ。文字喰いはヒトと[#59]た[#60]をしているが、ヒトではないのだ。

 たとえ[#61]な[#62]や[#63]の[#64]の[#65]をしていても、たとえ[#66]するヒトや知[#67]と[#68]じ[#69]をしていたとしても、[#70]ているだけでちがう[#71]――バケモノだ。


 [#72]に、これだけは[#73]わせてほしい。

 文字喰いに[#75]されるのは[#76]であるが、ヤツの[#77]を[#78]できることに[#79]はしている。

 わたしの[#80]の[#81]が、文字喰いというバケモノによるものと[#83]できたなら、[#84]もすこしは[#85]われるだろう。

 それだけで[#86]きな[#87]がある。

 キミの[#88]が[#89]からんことを[#90]っている。


 【柄本大輔】



※※※


「ああ、そうか。『田(I#39)んぼや原(#40)っぱ』は、言われてみるとそれしかないって感じ」

「無人島にない田んぼと原っぱってのが気になるけど、他に思いつかなかった。それから、テガキから連想するのはこんなところじゃないかと。マイニチときたら#28は『日記』だと思うし、話の流れ的にも引っかかりはない」


 一通り書き写しを見ておさらいを終えると、二人でまず教授の部屋に向かう。

 以前通信機を探して訪れたときと、見たところ状況は変わっていない。今回は他人の目がないので、一層深く探せると思っていたのだが――これといった新しい発見はなかなか見つからなかった。


 しばらくすると、飽きと諦めで捜索が適当になってきたサーヤは、デスクの椅子に身を預けて大きく背筋を伸ばす。背もたれがしなり、落ち着いた色合いの革張りがキュッとこすれて音を出した。


「おー、いい椅子。座り心地最高」

「遊んでないで文字喰いの手がかりを探してよ」

「別に遊んでいるわけじゃない。おじさんの気持ちになって、部屋を見てみると何かわかることもあるかもしれないでしょ」


 言い訳だけは達者だ。でも、一理あるような気がして、僕も椅子の背後に回り部屋を見てみる。

 教授はここに座って、文字喰いと対面したのだろうか?――それとも、別の場所で文字を喰われて、無念のうちに倒れたか。これまでの話を統合すると、文字喰いは直接手を下す必要はない。名前の文字を喰えば、それで名前の持ち主は殺せる。


 ふと気になったのは、どうやって名前を知ったのかということだ。名前を晒していた教授はともかく、カズマは本名を告げていないはずだ。


「文字喰いが喰った文字って、どこかで消化されるんだよな」

「何を言ってんの?」


 心底不可解そうに、サーヤは顔を歪める。


「いや、文字喰いが参加者に化ける前に喰った文字も、名前を消して殺す手段に適用されるなら手の打ちようがないと思ってさ」

「それは、さすがにない……と思いたいな」


 もし喰った文字の蓄積を再利用可能ならば、僕たちにできることは名前を隠すくらいしかない。それでさえ、すでに名前を知られていたら無意味となる。


「ど、どうするの?」

「どうしようもないさ。対処しようがないんだ、これまでどおりつづけるしかないよ」


 不安の残る顔で、サーヤはデスクを見つめている。考えてもしかたないことだとわかっていても、どうしても考えてしまうものだ。

 よけいなことを言ってしまったと後悔し、せめて僕はしっかりしようと思った――そのとき、唐突に「あっ!」とサーヤが声をあげる。


「ねえ、これ見てよ!」


 サーヤが手にしたのは、鈍器になりそうなほど分厚い国語辞典だ。合間にはさまった白紙のメモ用紙を頼りに、辞典を開ける。


「ああ、四万十川か」

「何それ。また急にワケわかんないこと言って、どうしたの?」

「そのメモ用紙がはさんであるページに、『四万十川』が載ってるのを前に見たんだ。妙に印象に残ってね」

「あっ、本当だ。『四万十川』がある。ええっと、高知県西部を流れる~四国最長の河川――」


 サーヤは顔を近づけて、解説文を朗読していく。たぶん、四万十川は文字喰いとは関係ない。

 僕の興味はすでに別のところに向いていたのだが――サーヤが読みあげていく単語に、耳が反応した。


「おじさん、漢字でも調べてたのかな。しまんとがわ、しみ、しみ、しみだいこん――」

「しみ!?」

「うわっ、ちょっと何ッ!」


 勢いあまって、サーヤに覆いかぶさるようにして辞書に飛びついた。下でもがいているのは感じていたが、かまわず並んだ単語に目を走らせる。


だ。だったんだ!」

「何がよ。ちゃんと説明して!!」


 僕の下から這い出してきたサーヤは、目を吊り上げて肩にパンチした。本気で苛ついたのか、結構痛い。

 目当ての単語を指さしながら、僕は空いた手で書き写しを取り出す。


紙魚しみだ――本や紙なんかを食べる虫の一種なんだけど、『文字喰いは、その[#12]のとおり、紙[#13]の[#14]く[#15]をけしさってしまう。』の#13は紙魚なんじゃないか」

「変な虫がいるんだね。はじめて聞いた」サーヤは目を丸くして驚く。「じゃあ、そうなると、『文字喰いは、その名前(#12)のとおり、紙魚(#13)の――』って感じになるのかな」

「たぶん、そうだろうね。つづく『[#14]く』は……なんだろう?」


 サーヤは目を瞬かせて、軽く首をかしげる。


「流れ的に『如く』じゃないかな。~のようにって意味で」

「それは僕も考えたんだけど、少し時代がかりすぎてないか。他はそうでもないのに、ここだけピンポイントで大仰になるのは、文章的におかしい気がする」


 元々教授の書き置きは漢字の取捨選択で独特で、文脈にもクセがある。それらは文字喰い対策に練ったものだと推測するが、ならば『如く』とする理由もあるはずだった。それが見えてこないので、どうにも納得ができない。


 しかし、サーヤは僕では知りえない理由に気づく。

「あッ!」ビクンと体が震えて、見る間に顔つきが強張る。その目には恐怖が張りつき、心なしか青ざめたように感じた。


 サーヤは手近にあったペン立てから鉛筆を抜き取り、白紙のメモ用紙に文字を書く。『如』の字だ。


「わたし、無人島行きの前におじさんの大学でカズマさんと会ったことがあるんだ。そのとき聞いた名前が……」彼女は震える手で、つづきを書いた。『如月一真』と。「キサラギ イッシンって名乗ってた。カズマとよく呼び間違えられるって、自分で言ってた」


 まだ『如く』で確定したわけではないが――僕は言葉を失い、息を飲む。それは、教授がカズマの名前の文字を、文字喰いに喰われることを知りつつも書き残したことを意味した。『如』だけではない、判明しているだけでも『一』の字が入っている。他の字も、まだ証明できていない欠けた文章の中に隠れている可能性があった。


 まさか殺されることを前提で連れてきたわけではないだろう。教授の身に何かあったときのために、友人の娘であるサーヤを助ける目的があったことは、彼女を気にかけていたカズマの行動からもわかる。

 では、どのような意図があって、名前の文字を記したのか?


「どうして、おじさんは……」


 サーヤは思い詰めた表情でつぶやく。教授に対する信頼が揺らいでいるのがわかった。


「まだ結論は出ていないよ。教授の意図がわからないことには、判断しようがない。とりあえず書き置きの欠けた文字が、また判明したんだ、一歩前進したことを喜ぼう」


 あらかた見て回った教授の部屋の調査は、これ以上つづけても成果を得られそうにない。僕たちはもう一つの目的地である、カズマの部屋に場所を移す。


 カズマの部屋は、意外と言うと失礼な気もするが、見栄えよく整理整頓されていた。死体を運ぶときには気づかなかったが、こまめに掃除を行っていたらしく、ペーパータオルやローラー式のクリーナーも揃っている。もちろん洗濯物が、たまっているなんてことはない。


 僕は、ふと目についたキャリーバックに手を伸ばす。カギはかかっていなかった。

 中身は着替えや日用品など、旅支度が整えられている。数冊医学関係の本も入っており、彼が教授の生徒であることがうかがえた。


 ただ、不思議な点が一つ――バックの中は、思いのほか適当に押し込まれている。かぎられたスペースに、荷物を入れていく作業が難しいことは僕も経験済みなので知っていたが、部屋の様子からして案外几帳面な人物像を思い描いていただけに、ちぐはぐな印象を受けた。


 僕は疑念を抱きながら、部屋の調査をつづける。ちらりとサーヤの様子を確認すると、まだ引きずっているのか、物思いにふけて手が動いていない。しかたないので一人で部屋を見て回ったのだが、これといって役立ちそうな資料は見つからなかった。


「おかしいな、日記がない……」

「日記って、おじさんに渡された日記?」サーヤは不思議そうに首をかしげた。「カズマさんは協力者なんだから、使ってないんじゃないの」

「使ってなかったとしても、持ってないとおかしいじゃないか」


 日記は集合時に、教授から全員分手渡された。使わないからといって、わざわざ返したりするとは思えない。文字喰いに奪われたと考えるのが現実的だろう。

 タイミングとしては、カズマの死後いくらでも盗み出すチャンスはあった。その警戒を怠ったのは、僕の落ち度だ。


「何が書かれていたかも気になるけど、また文字を喰われただろうことが痛いな。これ以上ストックしてる文字が増えたら、誰かの名前にいきつくかもしれない」


「名前……」と、サーヤはぽつりとつぶやき、顔をしかめる。視線が左右に揺らぎながら、足下に落ちていった。

 憂いているというよりは、何やら考え込んでいるふうに見える。


「昨日言ってたよね、文字喰いの倒し方――」

「思い出したの?!」

「思い出したというか、記憶違いというか、おじさんが話してくれたのは中国の古いおとぎ話みたいなもの。これが実際の文字喰いに通用するのか、微妙なところだと思う」


 僕は身を乗り出して、サーヤに詰め寄った。額がぶつかりそうになり、サーヤは反射的にのけ反る。


「真偽なんて、この際どうだっていいよ。どんな些細なことでもいいから、文字喰いの実像を知る情報がほしい」

「わかったから、ちょっと離れてよ!」


 ほんのり赤く染まった頬をプクッと膨らませて、サーヤは僕の胸を強めに押した。腕を突っぱねた分、二人の距離が開く。

 僕は頭をかいて、慌てすぎたと反省する。


「おじさんが言うには――昔の中国の偉いお坊さんが、文字を喰うバケモノと遭遇して、そのバケモノ自身の名前をうまく騙して喰わせることで退治したんだって」

「バケモノの名前を?」状況を解釈すると、こんなところだろうか。「つまり文字喰いが化けた人間の名前を、文字喰い自身に喰わせるってこと?」

「そうなのかなぁ。よくわかんない」


 文字喰いは名前の文字を喰って、相手を殺す。それが自分自身にも適用されるなら、退治方法の理屈は通る。

 しかし、この方法が事実だとして、文字喰いは命の危険をかえりみず自分の名前を喰うだろうか?――と、ここではたと気づく。僕は書き置きを取り出して、食べ残された漢字を確認した。


 残っているのは、『紙』と『絡』と『知』だ。もしかすると、これらは文字喰いが化けた人間の名前と関連性があるのではないか。それならば、残した意味が見えてくる。ただ『知』はともかく、『紙』と『絡』が入った名前は、とんと見当がつかなかった。


「ここまでにしようか。もう何も出てきそうにない」


 サーヤのおかげで進展はあったが、部屋から得られるものはなさそうだ。文字喰いの後手に回っていることを痛感する。

 次は、どうするか――そんなことを考えながら部屋を出た瞬間、僕はギョッとして足を止めた。


「お前ら、何やってんだ……」


 険しい顔で腕組したタミーが、部屋の前で待ち構えていたのだ。そういえば、カズマの隣がタミーの部屋だった。壁越しに話し声が聞こえたのだろう。


「いや、ちょっと探し物を――」


 いきなり胸ぐらをつかまれ、力任せに迫られる。体重差からくる圧力をいなすことができず、僕は壁に押しつけられた――背後にいたサーヤごと。


 壁と僕にはさまれる形となったサーヤは、「ぐえっ!」と不格好な悲鳴をあげる。その声に驚いて、タミーの手が胸ぐらから離れた。

 苛立ちの奥に動揺が広がっていく様子が伝わってくる。それでも、これまで見せたことのない険しい顔を堅持して、タミーはかすかに震えた口を開く。


「ちゃ、ちゃんと説明してもらうぞ!」


 タミーの少し裏返った怒鳴り声が、廊下に響いた。

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