6.サーヤの過去

「わたしが五年生のとき、医者だったパパは医療訴訟で訴えられていた――」


 患者が亡くなったのは医療ミスがあったからだと決めつけられ、親族が弁護士を引き連れて病院にきたのだという。サーヤの父は娘に失敗はなかったと告げた、娘は父の言葉を信じた。

 しかし、裁判がはじまる当日――学校から帰宅したサーヤが見たのは、父の亡骸だった。外傷も争った形跡もなかったことから、医療ミスを苦に病み、自殺したのだと警察は結論づける。


 サーヤは絶対に父が自殺するはずないと必死に訴えたが、子供の声は届かず、誰も聞いてはくれない。それどころか、ここまで父を応援してくれていた病院側の人間までも自殺説を口にするようになっていった。ただ一人を除いて――


「パパの学生時代からの友人、柄本のおじさんだけは、わたしを信じてくれた。パパは医療ミスするような医者じゃないって、パパを擁護してくれたんだ」

「柄本って……柄本大輔教授?」


「そういうこと」サーヤはうすく笑って、目を伏せる。「わたしがここに来たのは、ネット依存症だからじゃない。そりゃ人並みにスマホは使ってるけど、SNSに熱中してるわけではないし、ゲームも無課金でちょっと遊ぶ程度。参加者に欠員が出たんで、無人島に遊びにいかないかと誘われたから来ただけ。それが、こんなことになるなんてね……」


 僕らと一線を引いていたのは、ネット依存症とは無関係の部外者だからということもあるのだろう。いまのところの印象でしかないが、不器用なサーヤは参加者とのかかわりかたを割り切れず、だいぶ苦慮していたのかもしれない。

 本来の彼女は感情的で、良くも悪くも人間味に溢れた女の子だ。どちらがいいかは好みによるが、僕として猫をかぶっていない姿のほうが付き合いやすかった。


「パパを亡くして途方に暮れていた家族に、おじさんはよくしてくれた。いつも気にかけてくれて、いろいろと面倒を見てくれてたんだ。本当におじさんには感謝しかない。でも、あるときから、急におかしなことを言いはじめた。パパを殺したのは、『文字喰い』というバケモノかもしれないって」

「お父さんは『文字喰い』に殺された?」


 サーヤは軽く肩を揺すって、曖昧にうなずく。納得しているとは到底思えない様子だ。


「あまりにとっぴな話なんで、正直マジメに聞いてなかったんだけど、おじさんが言うには『文字喰い』は人の姿に化けて、その呼び名どおり書かれている文字を食べちゃうんだって。それだけなら無害な怪異で、気にすることもない。ただ名前を知られて、名前に使われている文字を食べられちゃうと――死ぬ。そんなことを、おじさんは神妙な顔で言っていた」


「それって、もし『田中一郎』さんがいたとして、田と中と一と郎を食べられたら死ぬってことなのかな?」

「たぶん、そうなんだと思う。本当に『文字喰い』なんてものがいるとしたらね」


 ここで、ふと疑問がわき起こった。


「どうしてカズマさんは、『文字喰い』を知っていたんだろ」

「おじさんに教えてもらったんじゃない。あの人、参加者のフリしてたけど、実際はおじさんのゼミの生徒で、サクラとして参加者に入り込む役目があった。参加者のコミュニケーションを円滑にするのが目的だって、本人が言ってたよ」

「なるほど、それでか……」


 言われてみると、カズマが積極的に行動を起こして打ち解けさせようとしていたことを思い出す。チイに対しては、少々行きすぎた個人的な感情もあったようだが。


 カズマが教授とつながっていたことを知ると、これまで見えてこなかった裏側が少し垣間見えてくる。文字喰いについて共有していた情報があったのなら、あの時点でカズマは事情をくみ取れたはずだ――だから、次に狙われたのだろうか?


 思案の材料が増えたことで、ぐるぐると頭が回り出す。僕は状況も忘れて、深い考察の穴に落ちていこうとしていた。


「ねえ!」と、腕を叩かれて現実に引き戻される。顔を上げると、サーヤが困惑を宿した目をじっと向けていた。「こんなよくわからない話、本当に信じてんの?」


 一瞬何を問われているのかわからず、キョトンとした――が、すぐ察して苦笑する。確かに、『文字喰い』なんて荒唐無稽な話を普通は信じたりしないだろう。

 たとえ怪死した二人の存在があっても、にわかに認めることはできない。僕のような人間でなければ、鼻で笑って終わる話だ――僕のような怪異の存在を意識している人間でなければ、けっして掘り下げたりはしない。


「信じるよ。『文字喰い』はいるって」

「どうして、信じられる?」


 理由は至極単純だ。信じたいから――その一点につきる。


「僕は弟が死んだことに納得ができなかった。双子で、ずっと同じ生活を送っていたのに、なぜ弟だけ死んだのか明確な答えがほしかったんだ。ネットで病気について調べられるだけ調べて、それでもわからないからオカルト方面にまで手を伸ばすようになった。オカルト関係の記事は、見るからに作り物っぽいやつでも片っぱしから読んでたな。おかげでオカルトを受け入れやすくなってるのかも。まあ、そんなことばかりしていたから、ネット依存症だと思われて、無人島に送られることになっちゃったんだけど」


 重くなりすぎないように軽いジョークも交えたつもりなのだが、サーヤの表情は暗い。渇いた笑いが喉に引っかかる。

 サーヤは濁った目を伏せて、ぎこちない笑みを作った。


「わたしも、信じたかったな」

「えっ?」

「わたしは信じられなかった。おじさんに何を言われても、信じようとは思えなかった。フミくんと違って、心のどこかであきらめていたんだと思う。口ではパパをかばっていても、実際は自殺したんじゃないかと疑っていたのかもしれない」


 思わず「そんなことはない」と言いそうになって、慌てて口をつぐんだ。軽はずみななぐさめが、どれほど辛く腹立たしいか身をもって知っている。

 身内の死は、本人にしかわからないところに傷を作るものなのだ。軽々しく他人が手を出すべきじゃない。


「何が正しいかなんてわからないよ。僕は、弟の死に囚われていることを逃げているだけのように感じるときがある。現実から目をそらして死因を探ったところで、何も変わりはしないからね。それに、『文字喰い』のことが引っかかったのは、弟とは関係ない。これを見つけなきゃ、気にしなかったんじゃないかな」


 僕はポケットから一枚の紙を取り出す。文字の欠けた例の書き置きだ。


「これは何?」

「教授が残してくれた、『文字喰い』を追う手がかりだよ」

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