5.二人目の死者
雨は、すぐに本降りとなった。瞬く間に無人島の景観を、白い霞が覆っていく。
時おり海の彼方で雷鳴が響き、遠くの空にかすかな閃光を走らせていた。まるで嵐だ。少なくとも今日一日は荒れたままだろう。
「雨……すごいな」
屋根を叩く激しい雨音に、思わず天井を見上げる。まさか雨もりするようなことはないと思うが、途切れることない騒々しさは不安をかき立てる。
「雨なんて、どうだっていいだろ」と、タミーがぶっきらぼうに言った。「いまは、そんなもん気にしてる場合じゃない」
「そうだね……」
天井から視線を落として顔を巡らせる。
僕たちは食堂に再集合して、沈痛な表情を突き合わせていた。この異常事態に、誰もが名状しがたい危機感を抱いている。
「こんなのおかしいだろ。立てつづけに二人も死ぬなんて、絶対何かある!」
「殺人とか?」
タミーの感情任せの主張に、チイがぽつりと返す。
その瞬間、場を包んでいた緊張感が一段階上がった気がする。ずっと頭の隅にあった疑念を、言葉として具現化したのだ。もう目をそらすことはできない。
軽率な一言であったとチイは顔を伏せるが、早いか遅いかだけで、いつかはふれなくてはならなかった話題だ。ためらって無駄に遠回りするよりは、むしろ話しやすくなってよかったと言えなくもない。
「まさか殺人なんて、そんなこと……ねえ」
戸惑いをにじませたユアは、曖昧な言い回しで否定意見を導き出そうとする。しきりに見回して、すがるような視線を送っていた。
ユアさんとしては、安心がほしかっただけだろう――だが、誰一人として同意はしなかった。現実から目をそらして認めてしまうのは簡単だが、場合によっては自分に危害が及ぶ可能性さえある状況だ。いま必要なのは、安心ではなく事実だった。
「二人とも、心臓発作みたいな似た状態で死んでいた。これがもし殺人だとしたら、手口は同じってことになる」
「フミは同一犯による連続殺人と思っているのか?」
几帳面にメガネを押し上げながら、ゼンさんが言った。その声色には、懐疑的な響きが含まれている。
「まだわかりませんが、可能性の一つとして考えただけです。ただ用心にこしたことはないでしょ」
「しかし、そうなると、犯人はこの中にいるということにならないか。あまり考えたくはないな……」
そう犯人は、参加者の中にいる。信じられない気持ちはあるが、疑いようのないことだ。
誰もが疑心暗鬼に陥り、口や態度にこそ出さないが、警戒する気配は伝わっていた。打ち解けはじめていた参加者の心が、反転して散り散りになっていく。
僕だって怖かった。でも、それ以上に何が起きたのか気になっている。これはもう性分だろう。
「あっ――」
唐突にマッキが声をもらし、体をビクンとはずませた。椅子の脚がズレて、床をこする不快な音がした。
マッキは、隣に座るサーヤから距離を取ろうとしていたのだ。その行動に、サーヤのほうは心外そうに目をむいている。
どのような思考回路をたどり、サーヤを警戒したのか、何となくわかった。
教授のときもカズマのときも、サーヤは一番最後に集合場所へやってきた。状況的にもっとも怪しい立ち位置であるのは間違いない。
しかし、二人の殺害時刻を考えると、誰もが犯行可能だと言える。教授は三日目の昼から夕方まで、カズマは三日目夜から四日目の朝まで、空白の時間がある。調べたわけではないので言いきることはできないが、全員アリバイのない状況だ。
「今後は、とりあえず個人個人で自衛する方向がいいのかもしれんな。揃って会う分には危険性は低いが、二人きりになるのはさけたほうがいい」
「食事はどうするの。自分の分は自分で作る?」
「ああ、できるだけ、そうしたほうがいいだろう」
ゼンさんとユアさん――大人二人が話し合いで方針を決めていく。そこに、ぼそっとチイが口をはさんだ。
「毒でも入れられたら、防ぎようないですもんね」
その通りかもしれないが、言う必要のないことである。場の空気が重くなった。
チイは一言多い。同僚と折り合いが悪くなる理由が、少しわかった気がした。
「なあ、二人の死体なんだけど、あのままにしとくのか?」
「警察がきたら現場検証とかやるだろうし、動かさないほうがいいんじゃないかな」
「フミ、お前はいいかもしれないが、俺の部屋はカズマの隣だぞ。ずっと死体の近くですごさなきゃいけないのは勘弁してほしい」
「死体の近くと言っても、部屋で区切られてるから見えるわけじゃないだろ」
タミーは嘆息して、じろりとにらみつけてくる。
「デリカシーのないヤツだな。普通は嫌なもんなんだよ、気にならないってんなら部屋代わってくれよ!」
予想以上の剣幕で迫られ、僕はたじたじとなった。感性のズレはいかんともしがたい。
しかたなくといった様子で、ゼンさんが間に入って治めてくれる。さすが役所勤めだけあって、仲裁は手慣れたものだ。
「確かに現場の維持は必要かもしれないが、警察がくるまで四日間は待たなければならない。死体の腐敗も考えれば、移動させても文句は言われんだろ」
「ゼンさんがそう言うなら、まあ、いいと思うけど、どこか安置場所あるかな。まさか外に放りだすわけにもいかないでしょ」
「だったら、地下の倉庫がいいんじゃないかしら。あそこなら温度も低いし、ちょうどいいと思う」
ユアさんが提案したのは、別荘の地下倉庫だ。僕は入ったことないのでよくわからないが、備蓄庫として防災に備えた非常食や備品などを溜め込めるようになっているらしい。本来の主人がズボラなのか、いまは空っぽだったとたわむれに覗いてみたユアさんが説明してくれる。
他に案もないので、安置場所は地下倉庫で決まった。問題となるのは、死体の運搬作業だ。
「俺は絶対に嫌だからな!」
提案者のくせに、タミーは断固として拒否する。当然のことながら、他の参加者も気乗りしない様子だった。
「いいよ、僕が運ぶ」
「フミ、お前根性あるな……」
「そんなんじゃないよ。死体に慣れているだけ」
「ハァ?」と、タミーはすっとんきょうな声を上げる。説明が足りなかったせいで、かなりおかしな想像を働かせているようだ。
僕は苦笑して、ほんのちょっぴり目を伏せる。角度にすると一センチにも満たないが、それだけで視界がずいぶんと曇ったように感じた。
「僕は同じ部屋で生活していた弟が死んでることに気づかず、一日以上死体とすごしていたんだ。ずっとベッドで横になっていても、ただ寝ているだけだと気にもしなかった。死んでると知って、本当にびっくりしたよ。そのおかげというか何というか、死体に対する免疫がちょっとはできたみたい」
タミーは言葉を失い、気まずそうに目線をそらした。他の参加者は同情的な憂いを表情に塗り込めている。
そんな中で、サーヤだけは下唇を噛み、怒ったように眉を吊り上げていた。どんな感情が腹のうちに渦巻いているのか、まったく読めない。
「私も手伝おう。一人では大変だろう」
「あっ、俺も――」
ゼンさんとマッキが名乗り出てくれて、三人で死体を運ぶことになる。
まずはカズマの部屋に行き、シーツで死体を包んでカチコチに死後硬直した体を持ち上げた。想像していたよりも重く、運び出すのに苦労する。
「こりゃあ難儀しそうだ」
地下倉庫は廊下に設置された、取り外せるようになっている床板の下にあった。せまく急な階段が、暗闇の底につづいている。
ゼンさんはげんなりして、大きなため息をつく。
電気のスイッチを勘を頼りに手探りし、どうにかこうにか見つけ出して押した。ポッとオレンジの明かりが、数度点滅した後に灯る。電灯の設定を間違っているとしか思えない、淡い光がうっすらと地下倉庫を照らし出す。視界は最悪だ。
それなりの広さがあることはわかったが、細かな状況はわからない。ただユアさんの言ったとおり、ひんやりとして死体安置場所としては最適だった。
コツンと何かが頭に当たる。四角い黒い固まり――目を凝らすと、それが天井から吊り下げられたスピーカーだとわかった。この別荘の持ち主は大のカラオケ好きで、リビングに置かれたカラオケの音を届けるために、別荘のあらゆるところにスピーカーを設置するという迷惑極まりない行為に走っていた。僕の部屋にもスピーカーは設置されていたが、まさか地下倉庫にまであるとは思わなかった。いったい誰に聞かせようというのか。理解に困る趣味である。
「うわ、暗い……」
地下倉庫を覗き込んだマッキが、顔をしかめて尻込みした。
「暗いのが苦手なのか。だったら、無理はしなくてもいい。フミ、私たちで運ぼう」
「はい、了解です」
僕が下で死体の足側を受け持ち、ゼンさんが上体を抱えて階段に踏み出す。ゆっくりとした足取りで、一段ずつ慎重に下りていった。結構な重労働だ。
カズマの死体を地下倉庫の奥に運び終えたときには、うっすらと汗が吹き出していた。
「ごめん」
上で待っていたマッキが、申し訳なさそうに謝る。
「いや、気にすることはないさ。誰だって苦手なものはある」と、ゼエゼエ肩で息をしながらゼンさんはかっこつけた。
まだ教授を運ばなければならないのに、本当に大丈夫なのかと不安になってくる。
腰を叩きながら先頭を行くゼンさんを、思い詰めた表情でマッキが見つめていた。よほど手伝えなかったことを気に病んでいるのか、かすかに震える頬が赤く染まっていく。シャイでとっつきにくいところもあるが、根はマジメなのだろう。
「前に体育倉庫に閉じ込められたことがあって、夜になっても誰も来てくれなくて……そのせいで暗いのが苦手になったんだ」
マッキはぼそりと苦手になった理由を告げる。
コメントに困る内容だ。僕はどう返せばいいのかわからず、いくら練っても形にならない言葉を飲み込み、そっと口を閉じた。
対してゼンさんは、さすが年の功といったところか。「学生の悪ふざけは変わらないな。私も昔やられたことがあった」と、軽く笑いながら自身のエピソードをかぶせた。マッキの苦悩の告白が、同列の話題をそえたことで少しやわらいだ気がする。
「どうやって出れたの?」
「普通に、体育教師が見つけてくれた。遊んでんじゃないって、なぜか私が怒られたのはいまでも納得してない」
それらしく怒り口調を混ぜたオチを聞いて、マッキの表情がゆるむ。たいした人心掌握術だと、僕は感心した。
ゼンさんは仕切り能力があって、他者への対応も的確だ。職業柄、そういうことに慣れているのだと思う――でも、ここでは積極的に行動するのを、さけているように感じるのは気のせいではないだろう。ゼンさんも何かに悩んでいるのかもしれない。
「よし、もう一回がんばるか」
教授の部屋に到着し、二度目の死体運搬作業に取りかかった。地下倉庫に運び込む手伝いができない分働こうとしているのか、マッキが率先してシーツで包もうと尽力している。
おかげで手持ち無沙汰になった僕は、ちらりとデスクに目をやった。例の書き置きは、まだ残っている。二人に気づかれぬように手に取り、折りたたんでポケットに忍ばせた。
「フミ、やるぞ」と、ゼンさんに声をかけられ、慌ててシーツで包まれた死体を持った。二度目ともなると少しは要領をつかめたようで、さっきよりも格段に手早くすませることができた。
運搬作業を終えて、僕は一旦部屋に戻る。しばらく書き置きを眺めて時間を潰し、頃合いを見て廊下に出た。
誰にも気づかれていないことを確認して、その部屋に向かう。
そっとノックをすると、ほどなくして「誰?」と、戸惑いを帯びた声が返ってきた。
「僕だ、えっと……フミだよ」
ドアの向こう側から逡巡する気配が伝わってくる。相当悩んでいるらしく、かすかなうなり声が聞こえた。
「ああ、もう入って!」
勢いよくドアが開き、腕をつかまれ部屋に引きずり込まれた。目を吊り上げたサーヤが、忌々しそうににらんでいる。
あまりの形相に少し笑いそうになった――実際ちょっとゆるんでしまったのか、ますますサーヤの顔は険しくなる。それが何だかおかしくて、よけい笑いそうになってしまった。
「ちょっと何なの。二人きりにならないって話じゃなかったの!」
「それなら部屋に入れなきゃいいじゃないか」
「勝手に来て勝手言うな。用件は何ッ!!」
僕は軽く肩をすくめて、吐息をもらす。これまで見せてきた控えめな顔とはまるで違う、この怒りっぽくて感情的な顔こそが本来の彼女なのだろう。
「わっかてるだろ。『文字喰い』について聞きに――」
ふと視界の隅に、適当にたたまれた衣服の束があることに気づく。前日着ていた上着が、しわくちゃの状態で雑に置かれていた。
洗濯は自分で行うのが、ここのルールだ。量的に見て、無人島に来てから一度も洗濯していないのではないだろうか。
本題とはまったく無関係であるが、気になりだすと止まらない。よせばいいのに思わず、口をついて出る。
「洗濯してないの?」
「べ、別にいいでしょ。日数分着替え持ってきたから、しなくても問題ない。全然大丈夫」
「何があるかわからないんだ。洗濯、やっといたほうがいいんじゃない」
「だから、いいってば。この季節だとにおうわけじゃないし、持って帰ればすむ話だ」
サーヤはかたくなに洗濯を拒絶する。ちらりと見回した部屋の様子からして、家事全般苦手そうだ。
そう言えば、彼女が当番した日の料理はインスタントのカレーだった。
「でも、洗濯――」
「あんたは、わたしに洗濯させにきたのか!」
しつこくつつきすぎて、ブチ切れられる。サーヤは頭突きしそうな勢いで迫り、僕をにらみあげた。よほど腹にすえかねたのか、手をギュッと握り込んで拳を作っている。
腰が引けて、自然と愛想笑いが浮かんだ。ここで叩き出されたら、元も子もない。
「ご、ごめん、冗談がすぎた。『文字喰い』のこと教えて……」
「本気で言ってんの。『文字喰い』なんてバケモノいるわけがない」
「いる・いない以前に、それがどういうものか僕は何も知らないんだ。判断するためにも、くわしく教えてほしい」
ケガの功名とでも言えばいいだろうか。一度怒らせたことで感情が昂った彼女は、突っぱねることなく思案にふける。
しばらく考えを巡らせた後に、じろりと僕を見て、口の中でこもった舌打ちを鳴らした。
「弟さんが死んだって言ってたけど、そのときどんな気持ちだった」
「どうして僕じゃなったんだろう。そう思った」唐突な質問であったが、真面目に答える。こちらの質問にも、真面目に答えてもらうために。「双子だったからね。僕が死んでてもおかしくなかったんじゃないかって、いまでも時々考えることがある」
「そっか。わたしはパパが死んだとき……納得できなかったな」
ぼそりとつぶやき、サーヤは自嘲した。身内を亡くした者同士、シンパシーを感じてくれたのだろうか。
彼女は小さく深呼吸をして、ゆっくりと顔を上げる。そこにあったのは、覚悟を決めた凛々しい目だ。
「いいよ、『文字喰い』のこと話したげる。ただ、どう説明すればいいのかよくわからないから、ちょっと昔話に付き合ってもらうよ。それが一番手っ取り早い気がする」
ぺろりと唇を舐めて、サーヤは話しはじめた。それは六年前――彼女が小学五年生だった頃にさかのぼる。
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