この手に託された

まもなく日が沈む病院。神崎くんと、手術室の前のソファに腰掛けていた。

窓の外の曇り空と、薄暗い照明のせいで、ここの室内は少し薄暗い。


…彼は顔を俯かせた状態で、自分の手をぐっと祈るように握っている。私との距離は、いろんな意味で遠かった。


そんな姿を横目に見て、黙々と思う。私のした事は、本当に正しかったのかな。

本当はもしかして、自分の嫉妬心が暴走してしまったせいで、あんな事をしたんじゃないかって。



三島さんの血だらけの頭を、今でも鮮明に思い出す。

軽トラックに轢かれた直後に、ピクリとも動かなくなったあの子のこと…。


「なんで止めたの」

「……えっ」


神崎くんがようやく口を開く。表情は暗くて、あまり見えなかった。



「…なんで僕を止めたのかって聞いてる。あの時、たしかに春香さんを助けられたはずだ」

「そんな、そんな事言わないで。神崎くんが死んだら、あの子だって____」

「止める必要なんてなかった!!!」


表情は分からなかったものの、少しだけ見えた神崎くんの口元は、見たこともないほど歪んでいる。

よっぽどあの時の事がショックだったと、すぐに分かった。



…私は、自分のした事があまり良いとは思えない。けれど同時に、神崎くんが死んだ時の事を考えてしまうと…。


でも、神崎くんは自分の命を犠牲にしてまで、三島さんを助けようとしていた。

つまり彼は、私なんかよりも、あの子の方に好意を抱いていたということかもしれない。



それじゃあ私……ただの邪魔者に過ぎないんだ……。


─────────────────────────────────


翌朝、学校に向かう途中。公園のベンチにポツンと座る、一人の少年を見かけた。

その姿に見覚えがあって、私は一度ここに寄り道した。昨日の事もあったから、学校に行く気力が無かっただけなのかもしれない。


あれは……長谷田くん?確か前に、神崎くんの家で初めて会ったはず。



「こんにちは…?」

「あっあれ!?びっくりした…。今はおはようだよ?」


挨拶を指摘しながらも、彼は焦っている様子だった。

どうやら学校をサボっていた所を見られて、恥ずかしかったみたい。


私は長谷田くんの隣に座り、ランドセルを横に置いた。



「……昨日、春香ちゃんが死んじゃったんだね。」


春香ちゃん…、三島さんのことだ。それを聞き、黙ってこくりと頷く。


「やっぱり?…ふぅ。僕は神崎くんの言った事を信用してなかったって訳じゃないんだけど、まさか本当に死んじゃうなんて思わなかったよ」


長谷田くんは、そう私に話してくれた。

確かに、何もかもが突然で、展開が激しすぎるし…その気持ちもよく分かる気がする。



「あのね。すぐに病院搬送されて、長い時間手術したみたいだけど…脳の損傷が激しすぎて、ダメだったみたい」

「そうなんだ。…ちょっと残念だな」


これは時間が経って冷静になった時、神崎くんが報告してくれたこと。

その前に三島さんの母親と話している所を見かけたし、多分その人から聞いたんだと思う。



「…うらやましい」

「え?」


少し本音がこぼれてしまい、長谷田くんを驚かせてしまった。


「羨ましいよ、三島さんが。だって、5年前の幼馴染だよ…?過去の記憶は最強だもん。私なんかが、勝てる訳がない」

「な、何のはなし?」

「あの子の方が百倍元気いっぱいで優しいし、何よりあの子と神崎くんはっ……!」


そこから先を口走ろうとしたけれど、冷静になってやめた。

あと、長谷田くんが呆気に取られた表情をしているし…。



「…誤解してるんじゃない?」

「……え…?」


元の顔に戻ったと思えば、そう話す長谷田くん。


「僕、こっそり聞いてたんだ。教室で、神崎くんと春香ちゃんが話してたとこ。…神崎くんは、他に好きな人がいるって」

「…え?そ、そんな。本当なのそれ…?」

「うん、確かに聞いたよ。ははっ。我ながら盗み聞きなんて、趣味が悪いけど」


それはつまり、神崎くんは三島さんに好意を持ってない、ってこと…?

笑いながら言う彼の横で、ただぽかんとその場に座っていた。



「もしあの二人同士が、恋愛感情にある…って考えてるのなら、それは誤解だよ。

神崎くんは単純に、友達として春香ちゃんを救おうとしただけなんだって。ね?」

「……そう、なん、だ…」


私は思わず、脱力してしまった。そんな様子を可笑しそうに、ははっと笑う長谷田くん。

今まで勝手に抱いてきた嫉妬心って、一体なんだったんだろう……。



……ん?


今、冷静になって思い出したけど、私…いま何かを忘れているような…?



「_____ぁ」

「……え?」


お、思い出した……!!


今日は、9月26日。それは…ガスマスクの人が言っていた、女子中学生が学校から飛び降りて死んでしまう日。

それに飛び降りる時間帯は、今日の午前中……だったはず。


すっかり三島さんのことに気を取られていた。このままだと、また5年後にやり直さなきゃいけなくなる…!

指定された中学校。そこまで走っていけば、今からでも間に合うはず…。



「ご、ごめん!私今から行かなきゃ!!」

「えっ!?ちょっと!ランドセル忘れてるよ!?!?」


慌ててランドセルを置き忘れてしまったけれど、それに構っている場合なんかじゃなかった。




「はぁ、はぁ、はぁ…ぎゃっ!!」


通路をダッシュで走っていると、途中で思いっきり転んでしまう。

間抜けな声が出てしまい、抑えていた膝から血がじんわりと出てきた。歩行者の視線が気になる。


…けれど今だけは、こんな所で痛みを訴えている場合なんかじゃない…!

スカートで赤い膝を隠し、私は目的地まで走り続けた。



見慣れない建物に囲まれながら、ようやく、他とは一際大きい施設を見つける。

やがて正門のようなものが見えてきた。間違いない、あれが例の中学校だと思う。


じんじんと足が痛むけれど、もう少しは走れそう。

もう、迷っている時間なんかない。私は急いで、門の方へと向かった。



「あれ、君はここの学校の生徒かい?登校時間はもう過ぎてるけど…」


だけど目の前に来ると、門を閉めようとしていた警備員に引き止められてしまう。


「え、ええと…ココの生徒、じゃなくて…」

「ん?悪いけど、この学校に生徒じゃない人は入れられないな。君、お名前は?お父さんお母さんは?」


警備員がしゃがんで、私の顔を覗いてくる。しばらくすると、もう一人の警備員も現れた。

うっ、こんな所で時間を無駄にしている場合なんかじゃ無いのに…!



「…あ、あの、私は…!!」

「私のイトコの娘です」


………え?

低い声につられて、真横を見上げる。完全に私の知らない…赤の他人がいた。

でもそれは確かに、5年前に戻る時に何度も聞いた声。


黒いコートは纏っておらず、オシャレな柄の服を着ていた、少しダンディな見た目の中年男性。

その人は、ガスマスクを外していた……間違いない。



「……失礼。私は、この学校の生徒である中島蓮木の……父親です」


その人は警備員に向けて、吊り下げ名刺を見せた。

横から名刺を見ると、「中島陽介なかじまようすけ」…と書かれてある。



「あ、ああー!そうでしたか!あー…ですが今はもうすぐ授業時間なので、今は別の部屋で____」


その瞬間、彼は私をちらっと見て、合図のようにぐっと頷く。

…そういえば、ガスマスクの人が一瞬言っていた「救世主」。まさかだけど、もしや自分自身のこと!?



警備員らの視線は、彼の方に集中している。体の小さい私はあまり眼中にないみたい。

今だ!と思い、私は彼らの横をひょいとすり抜け、猛ダッシュで校舎の中に向かった。


「…ん?おい!ちょっと待ちなさい!」


意外と簡単にこの敷地内に侵入できた。…申し訳ないけれど、今は大事な時だから…許して欲しい…。

私自身、足が速いことは自覚している。だから今度こそ、救ってみせなきゃ…!!




校舎の中に入って、探す、探す、探す…。

けれど一々、ここにある教室全部を覗く訳だから、なかなかそれらしき人物は見当たらない。


手がかりは、自殺をしそうな女子中学生……今から飛び降りるかどうかすら分からない。

あっ、そうだ。飛び降りて死んでしまうくらいの距離なら、三階ぐらいにいるのかもしれない。



「……あっ……!!」


そして、ようやく見つける。


窓枠に座って足をこちら側に出していた、明らかに危ない位置にいる女子生徒。

黒髪のロングヘアがよく似合っている女の子。あれが中島くんの初恋相手……。


けれど彼女の顔は、どこか我を失っていた。まるで、誰かにされているような……



バサッ。


「っ…!危ないっ______!!」



カーテンがなびいたのと同時に彼女が背中を後ろに倒すと、私は咄嗟に声が出た。

急いであの子の元へ駆け寄り、思いっきり手を伸ばした。


何もかもが、『この手に託されてる』。



けれど、私の小さな手を伸ばすたびに、彼女の手はどんどん遠さがっていった_________




……いやだ。いやだいやだいやだ……!!


ここでチャンスを逃すと、また5年後からやり直すことになる。

もしこの手で掴めなかったら、それでもいい。それでもいい、けど…!



けど私はもう、理不尽な死に方をする人間なんて、見たくない……っ!!!!







__________その瞬間。




確かに私は……もう一つの手の感触を感じた。



私はこの時を逃すまいと両手で、彼女の片手を掴んだ。

こちら側に引き戻す。力が勢い余って床にバタンと倒れ、彼女の体重が乗っかってしまう。

その衝撃で、私が負っていた膝の傷も痛くなった。


……救えたんだ、私。心の底から安堵が溢れ出した。

この子の黒髪ロングが私の口に入り、ペフッって吐き出しながらも。



「…わたし、今まで何してたの……?」


それが最初に聞いた、彼女が透き通るような声で言った言葉だった。

今まで自分が何をしていたのかも分からなく、目が泳いでいる様子で、私の存在にすら気づいていなかった。


…これが、殺人兵器「RE.D」の力?だとすると一体それは、どんな形のモノなんだろう…。



もう一つ。神崎くんは、どうしてここに来なかったのかな?

まさか私と同じく、この時のことを忘れていたのかな。いやいや、神崎くんに関してそれはあり得ないかも…



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指定された中学校に着いたら、既に門が閉まっていた。


「う、うそだろ…どうしよう…。」


僕はその場で狼狽うろたえるしかない。

何故なら今日、この5年前に来た目的の一つを果たすためにここに来たはずだったのに…



完全に、その目的のことを忘れていた…。

友達に日付を教えてもらってから、ようやく気づくことが出来たんだけれど…。

…自分でも忘れないように気をつけていたはずなのに、何故だろう。


ところで一つ、思うことがある。どうして僕らは、見知らぬ女子中学生を救わなければいけないのか。

七瀬さんから聞いたけど、その子は中島さんの初恋相手…だと言っていた。


もちろん見捨てる訳じゃない。けれどもし彼女を救ったとして、根本的な所は何か変わるのだろうか?



「…一足遅かったようだな、愚かな小僧め」


後ろを振り返る。そこには、見知らぬ姿の中年の男。

しかし首に掛けていた名札には、「中島陽介」……と書かれている。


え、まさかこの声…もしかしてガスマスクの人!?それに、中島さんの保護者!?

……とにかく。陽介さんの言う『一足遅かった』って…どういう意味だ?



「えっと…な、なんですか」

「君たちは、この中学校の女子生徒を助けようとしていた。そうじゃないのか?」


ん?この人は、これからこの場所で女子中学生が死ぬ事を知っていたのか…?

そんな時、ふとガスマスクの人が言っていたことを思い出す。



『あの、僕らは中学校の中に入れるんですか?』

『……心配ない。しばらく正門の方で待っていれば、が現れる』


たしかこの場所に、「救世主」がやって来ると言っていた。

もしその正体が彼だと言うのなら…信用できると思う。




僕は彼を見て、少し考える。そしてその質問に黙って頷いた。


「助からなかったんですか…?女子生徒は」

「……見てみろ」

「え…?」



陽介さんが指さした先には、正門の先にある校舎の入り口。

そこから、見慣れた女の子が、警備員一人に無理やり腕を掴まれて出てきた。


「な…七瀬さん…!?」

「おそらく事なきを得たのだろう。なら、もっと大ごとになっていたからな」


七瀬さんがちらっと僕の存在に気づくと、「助けて〜…」と言わんばかりの表情で、こちらを見つめていた。

彼の言う事が本当なら、七瀬さんが代わりに女子生徒を救ってきてくれたのか…?



「しばらく彼女は、不法侵入の事情聴取を受けることになるだろうな。

この辺りでもう少し待っていよう。…その後、私からも君たちに話がある。」


その人は硬い表情で、僕を見ながら言った。




数分後。学校の警備室からとぼとぼと出てくる、疲れ果てていた七瀬さんが姿を現す。

おそらくこの長い間、色々と説教を受けたのだろう。今にも泣き出しそうなオーラが出ている。


「…だ、大丈夫?七瀬さん」


彼女が門を出るのを見計らって、僕はすぐに駆けつけて心配の声をかけた。

七瀬さんは一瞬僕を見て驚いた表情をしたものの、少し安堵している様子だった。



「か、神崎くん、来てくれたんだ。ありがとう…。お母さんに電話したみたいだし、もうすぐ来るかもって。」

「そ、そうなんだ…」

「安心して、神崎くん。女子中学生は救ったし、もう大丈夫なはず……」


そんな話をしていると、後ろからじっと見ていた警備員が「もうすぐ来るぞ」、と僕らに言う。



「……ちょっと実花っ!?なんでこんな所にいる訳!?!?」

「ひっ!!ごめんなさい!?」


七瀬さんの近くに走り寄り、あからさまに驚いて怒鳴る女の人。

…この様子だと、どうやら七瀬さんのお母さんのようだ。


「わざわざ仕事抜けてこっちに来たのよ!?中学校に不法侵入したなんて電話きたから…!心配したじゃない!」



多少怒っている様子の母親だったのだが、僕の存在に気づくと、何も言わず目を見開く。


「あ、えーと…あなたは…?」


そう聞かれたので、「神崎浩太郎です」と返事する。

するとその人は更に驚きだした。僕の苗字を聞いてから、驚いたような気もしたが…?



「ようやく出てきたか。……ん?」


僕らは長い時間ここで待っていたので、近くの自販機にジュースを買いに行っていた中島陽介さんが戻ってくる。


七瀬さんの母親と、彼はしばらく、互いに見つめ合った。



「______え?あ、あなたは…どうしてここに…?」

「…それは、こちらのセリフだ。仕事をほっぽり出して、何故この場にいる?」

「いやいや!あなたもですよ!」


僕と七瀬さんは二人が話している状況を、ただ呆然と見る。

「仕事」って何だ…?まるでお互いに、顔見知りのように話していた。


─────────────────────────────────


その後、僕ら四人で、とある科学施設にやって来た。

敷地内はまるで大学のようだ。基本的に許可さえあれば、一般人でも入れるらしい。


施設の中に入り、シンプルで真っ白な廊下を、てくてくと進む。

陽介さんに言われて、僕と七瀬さんも付いていく羽目になったのだけれど…どこへ行くというのだろうか?



「…着いたぞ。ここが、私たちの職場だ」


一つの部屋の前で、彼は立ち止まる。ここは…研究室?

七瀬さんはすかさず、そこの扉をガラッと開けて室内を覗く。すると彼女は、その光景に息を呑んだ。


その部屋には、沢山の広々としたテーブルがあり、顕微鏡や電子部品…あらゆる実験器具がほとんどを占めていた。

研究室にしては広くも狭くもない。けれど十分、仕事に没頭できる場所だ。

奥の窓から差す太陽の光も、どこか目を癒してくれる。



「この感じ…えすえふ、みたい…」


なぜだか七瀬さんは部屋を見て、目を輝かせている。

そこまでワクワクするような場所ではないと思うのだけれど…。


「私たち、普段からここで働いてるの。神崎くん、だったよね。あなたの父親も今ここで働いているわ」

「え…?僕の、父さんがですか?」



隣にいた七瀬さんの母親が頷く。

さっき聞いた話だが、七瀬さんの母親の名前は「純子じゅんこ」さん。


白縁の眼鏡に茶髪のポニーテールが特徴的で、見た目がオシャレだ。

もしかして、七瀬さんのヘアスタイルや服が可愛いらしいのは、母親に影響されたからなのだろうか?


それは置いておくとして…僕は七瀬さんを追って部屋に入る。

どんどん奥に進んでいくと、パイプ椅子に座って顕微鏡を覗いている人がいた。その人に少しずつ近づいていく。



「_____ん?えっお前、浩太か!?」

「と、父さん…」


ちらっと僕の存在に気づくと、白衣を着た父さんがガッと顔を上げて、驚いた表情でこちらを見た。

何だか、頭の中が混乱してきた…。どうして父さんが、こんなところにいるんだ?


つまり…僕の父、七瀬さんの母、中島さんの父。この3人は仕事仲間ということか?

それも、科学者仲間だったなんて…なにか引っかかる。



「君、一度こっちへ来てくれないか」


僕は陽介さんに手招きされて、隣の部屋に向かう。

七瀬さんも既にそこにいた。この場所に3人きりで話がしたいそうだ。



部屋に着くと、陽介さんは扉を閉め、外からの音をシャットアウトする。

窓も閉められていて…静かな場所だ。さっきと似たような部屋だが、少し狭く、書類も山ほど保管されている。


「さてと…どうして君たちは、あの中学校に行ったんだ?」


彼は腕を組み、僕らに聞いてきた。



「それは…」

「ガスマスクの人に、頼まれて来ました」


七瀬さんが代わりに質問に答える。するとそれを聞き、目を凝らした。


「…ちょっと待ってくれ。そのガスマスクってもしかして……こんなものだったか?」



すると陽介さんは、机の引き出しに保管されていた、研究用の黒いガスマスクを手に取った。

僕と七瀬さんはそれを見て驚く。…マスクの目の部分も黒い。まさしく、「彼」が顔につけていたものと同じだ。


「やっぱり…!あなたが、ガスマスクの人なんですか?」

「いいや、半分違う。厳密には……私が知らない、だろうな」


それを聞いた七瀬さんは、ちんぷんかんぷんな顔をしていた。

…僕も不思議に思った。あのとき会った「ガスマスクの人」は、まさか未来の陽介さん?



「君たちも、その未来から来たのだろう?だとすれば辻褄つじつまが合う。…話が長くなるが、それでもいいか?」


僕と七瀬さんは顔を見合わせ、互いに頷く。


「はい、教えてください。僕らには分からないことだらけなんです」

「で、できれば…私でも分かるようにお願いします…。」


陽介さんは、七瀬さんに「まあ、努力はする…」と言った。

すると奥からホワイトボードの黒板を持ってきて、説明を始める。




「……まず本来、今日死ぬはずだった、女子中学生について説明しよう。」

「そうなんです。彼女は一体、何者なんですか?」

「彼女の名前は、『長野千里ながのちさと』」

「「……え?」」


な、長野…千里って!?始まり早々からいきなりの事実に、頭が混乱する。


「ま、待ってください!『長野』って名字、まさか…?」

「ん?君たちは心当たりがあるようだな」


たしか僕らが高校の時、同じ名字の「長野穂花ホノカ」という一年生の女の子がいたはずだ。

同じ名字?もしかして彼女は、姉妹か何かなのだろうか?


あっ…!そういえばあの子、たしか前にこんな事を話していた。



『……私もね、千里っていうお姉ちゃんがいたんだけど、5年前に死んじゃったんだ、自殺で』


え…?つまり中島さんの初恋相手。それこそが、ホノカさんの

少々ややこしいけれど…、こんな所で繋がりがあった、ってことか?


だとすればちょっと気になることがある。

千里さんの妹と中島さんが、同じ高校に入学している。それって…偶然なのか?

もう一つ。僕と七瀬さんと中島さんの親が、元々仕事仲間だったっていうのも、不自然だ。




「……もう一つ、説明しておこう。君たちは、『RE.D』について何か聞いているか?」

「あ、はい。たしか千里さんを死に追いやった、謎の殺人兵器ですよね…?」

「知っていたか。まあいい、君たちにとっても分からないことだらけだろう。私が大まかな仕組みを教えよう」


そう言って彼が油性ペンで黒板に書いたのは、RE.Dがどうやって殺人を行っているかについてだ。



「まず、人間には一人一人、あらゆる死がある。病気や火事、暴力や猛毒、殺人や事故…そういうものが存在している世界だからな。

私は、老衰ろうすい死を除く全ての死を、『死の運命』…と呼んでいる」

「「死の、運命…?」」

「そうだ。基本的にそれはに変えられない。もし足掻いたとしても、犠牲が増えるだけだ」


え…?『死の運命』は、絶対に変えられない?

それなら僕らが、前に村野や蒼さんを、タイムスピナーで「死」から救えたのはどうしてだろうか。


「死の運命は、個人によって在るか無いかは異なる。しかしそれはこの世に生まれた時点で定められ、確実に変えられない」

「……あの。そ、それは『宿命』…ですか?」



七瀬さんは少し不安げに聞くと、陽介さんは渋い顔で頷く。

彼女が何故『宿命』だなんて言ったのか、僕にはあまりよく分からなかった。


「しかしRE.Dを使えば、話は別だ」


すると陽介さんは、さらに黒板に文字を書く。



「RE.Dというのは、その人についた死の運命を、他人に移植する事が可能だ。

例えば死の運命を持っている[A]の人間と、持っていない[B]の人間がいたとする。

RE.Dを使えば、[A]の人間からそれを取り、[B]の人間に移し替えられる」

「へ?え、ええっと…ぉ…」


七瀬さん、黒板を見ながら、思わず声が出るほどに混乱している様子。

確かに、何だかややこしくなってきた。大まかに言えば……


RE.Dは単なる殺人兵器ではなく、人間に定められた『死の運命』を、他人へ移し替えられる。

それで殺されかけた千里さんの死は、本来なら「他人のもの」だった…って事なのか?



「とにかく。今の話は少し難しいだろうし、あまり気にしなくてもいい。重要なのは…RE.Dによって、この世界に多くの影響を与えているということだ。」

「かなりの影響?」

「そうだ。例えば出会うはずのない人間たちが出会ったり、生きていたはずの人間が死んでしまったり…」


それじゃあ僕と七瀬さん、中島さんとホノカさん…この4人は元々、出会うはずもなかったのか?


そんな風に話していると、あっという間に時間が過ぎていった。



/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/



神崎くんが向こうの部屋に戻り、自分の父親と話をしに行った。

私と陽介さんは二人きりになる。…さっきまでの会話、あんまりよく分からなかったな。


「あ、あの。質問いいですか?」

「ん?なんだ」


陽介さんは黒板を元の位置に戻そうとしながら、返事した。



「さっき、死の運命がどうたらこうたらって言ってましたけど…。

前に、ガスマスクの陽介さんに言われた事があります。『運命は、変えられる。変えられないのは宿命だ』…って」

「ん?未来の私は、そんな事を言っていたのか。」


ずっとそれが気になっていた。

神崎くんの幼馴染が死んだとき、運命と宿命で言えば、一体どっちなんだろう?



「その、だから私…神崎くんを止めたのは、正しかったのかどうなのかって…」


陽介さんは私の言葉に首を傾げる。あっそっか、そういえば彼に何も教えてなかった。

私はこれまでの神崎くんの幼馴染の事について、全てを話した。



「つまり、彼の幼馴染が車に轢かれそうになり、その子を救おうとした彼を、君が止めてしまったってことか?」

「はい…」

「なるほど。それはあながち間違いではなかったな」

「…えっ?」


彼は顎を掻きながら淡々と話す。意外にも即答だったので、唖然としてしまった。


「で、でも、私。神崎くんを心から傷つけちゃったんです」

「彼の幼馴染は、そもそも死んでしまう定め…いわば『宿命』だった。もし君が彼を止めなければ、確実に二人とも死んでいたはずだ」

「そ、そんな……!?」



じゃあ、私がしたことは、本当に間違ってなかった…?


「説明を忘れていたが、基本的にRE.Dが関与していないのが『宿命』で、関与しているのが『運命』と呼ぶ。

幼馴染の死は『宿命』で、女子中学生の長野千里の死は『運命』…ということだ」


つまり、神崎くんの幼馴染である三島さんの死は『宿命』で、命を救うのは不可能だったってこと?

そして千里さん、村野くんや、りんちゃんに見舞われた死が、『運命』?


それを聞いた私は、ついその場を崩れる。安堵したような、少し頭がもやもやしたような。



「とにかく…何にせよ、君が自分を責める必要はあまりない。心配するな」


陽介さんが私に合わせてしゃがみ、頭を撫でて励ましてくれた。


─────────────────────────────────


帰り道。正午の時間に、神崎くんと歩く。学校の授業は終わっちゃったし、今は家に帰るしかない。

私のお母さんは「子供だけじゃ変態につけ回されないか」って、心配そうにしていたけれど…。


「今日は学校サボっちゃったね、僕たち」

「う、うん。そうだね」


案の定、それが話題に出る。

…それにしても、こんな風に二人で帰路を歩くのって今日で何回目だろう。



「______って、こんなのびのびしてる場合なんかじゃないよ!もう一つ、ここに来た目的あったよね?」

「…あれ?そっか。すっかり忘れてた」

「わっ、忘れないでってば!神崎くんってまさか、女子中学生の件も忘れてた訳じゃないよね…!?」


ぽかんとする神崎くん。それを見てちょっと心配になってしまう。

…なんだか、ここに来てのんびりし過ぎなんじゃない…?




やがて人混みの少ない通路に出ると、私は神崎くんを見る。

彼は反対側の横を向いている。まるで向こうの景色を見て、物思いにふけているみたい。


「______あの、神崎くん」


声をかけると、彼はようやくこっちを向いてくれた。



「…ごめんね」

「ん?」

「私…神崎くんを、悲しませるようなことしちゃったから」


私は、頭を少し下げて謝る。ちらっと彼の顔を見ると…意外そうな表情をしていた。


「いや、いいんだよ?僕も分かってる。前は感情的だったから分からなかったけど…

七瀬さんは、僕のことをとしてくれたんだよね?」



それを聞いて、私は呆然とする。

なんだか、神崎くんには私のこと、何でもお見通しなのかって気がしてきた。


……けど、一つ話していないことがある。

言うべきだったとしても、怖くて言えなかったこと。


「違う。理由はもう一つあって…」

「えっ?」

「正直、私……神崎くんと三島さんに…『嫉妬』、してた」



唇を噛み締めて、彼の反応を伺う。

長谷田くんの言っている事が本当なら、神崎くんはあの子のこと、友達として思っているはず、だったのに…私は…


今こんな事言われても、神崎くんにとっては困るよね…。

そんな風に、自分で虚しさと恥ずかしさに浸っていると、彼は予想外の行動に出る。


「……っ!?」


か、体が…ぎゅってなって…!?



「…ごめんなさい。何となく、こうしたくなって」


い、いま私、神崎くんに抱きしめられてる…?

彼の身体は小さいけれど暖かく、ホッとする。やっぱり神崎くんの包容力はすごい…。

まるで「あの頃」みたいだって思ったけれど…何だかいつも以上に、手の力が強い気がする。



「______うっ、ううう……」


え…?



もしかして、神崎くん……泣いてる!?!?


「あ…あれ…?何で、泣いてるんだろ…、僕…七瀬さんのこと、傷つけちゃったからかな…?」

「か、神崎くんが、私を傷つけた…?いやいや、違うよ!?私が神崎くんをっ…!」


必死に首を振ると、彼の頭がこつんと叩き合ってしまう。

けれど、そんな悲しそうな幼い声を聞いてしまうと…私まで、涙が溢れ出してしまう。

なんで私たち、こんなに涙脆くなったんだろう。体と同時に…心も幼くなったのかな。



「…僕が、僕が七瀬さんを、誤解させちゃったんだ」


神崎くんの声。それが私の心にちくちく刺さって、何故だか切なくなる。

そして膝同士もくっつき合って、私の膝の傷も、チクチク刺さるように痛む………



「い…痛ぁ!!」

「___え!?!?」


私は咄嗟に、バッ!と神崎くんの体を、両手で押しのける。

突然大声を出してしまったせいで、彼を驚かせてしまった。


「ぁ…ごめんなさい…」

「……ぷっ、あはは…!」



こんな状況なのになぜか、神崎くんは私を見て、楽しそうに笑う。

う、ちょっと恥ずかしい…。そういえば膝の傷、応急処置してなかったっけ…。


神崎くんがそんな風に笑う中、真横の電柱に、誰かが隠れているような気がした。

金髪の男性っぽい髪で、身長は大人くらいの誰かが……


─────────────────────────────────


やがて夜になり、家にいた私は、お風呂から上がって水玉ピンク色のパジャマに着替える。

もうそろそろ寝ようかなと、リビングにいた両親にそう話す。


「……そうか。おやすみ、実花」

「あら、もう寝るのね。私の職場だけど、恥ずかしいからもう来ないでね?」


両親に「おやすみ」と挨拶して、自分の部屋に移動し、明かりを消して布団の中に入る。

ああ…。やっぱり毛布から懐かしい匂いがするし、何より、ふか…ふか…。



今日は本当によかった。神崎くんとも、仲直りできたから…。

さっきの神崎くんの様子を思い出して、ちょっとだけにやけてしまう。


『……ぷっ、あはは…!』


あんな神崎くんの楽しそうで温かい笑い声、初めて聞いた。

恥ずかしかったけど…やっぱり大好き。ああいう彼を見るのが、私の中で唯一の幸せで______





バクン。


「………っ_____!?!?」




突然、心臓が飛び出しそうな激しい痛みに、思わず目を開ける。


自分の胸を押さえると、その鼓動は、確実に遅くなっていた。

え!?な、なにが起こってるの……!?そう思う度に、深い恐怖と大量の汗が滲み出る。




「……た……す…け…っ______!!」


視界は真っ暗でぼんやりとしている。声を出そうとしても出ないし、そもそも息をする事すらままならない。

それでも私は、はぁ、はぁ…と息をしようと、必死に試みる。






…………。



しばらくして直ぐに、体調が治った。

汗も消え、心臓も良くなり、まるでさっきまでのことが全部嘘みたいで……。



「い、今のって、一体……?」


胸を押さえた状態で、私はそう呟く。

それ以降、今日は目をぱちりと開いたまま、ずっと一睡もできなかった。

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