幾度も廻す

うう…、痛い。

頭がずきずきする…。


そんな痛みに耐えられず、左手で自分のこめかみを押さえた。

意識がもうろうとした状態で、目をそっと開ける。



「_________い……おい……!」



目もぼんやりとしているけれど、少なくとも、自分が白いタイルのような床に座り込んでいる事が分かる。

それに…すぐ近くで、男の人に話しかけられている気もする。


ここは…何処だろう…?



……少し経つと、惚けていた辺りの景色が鮮明になる。




その場所はまさに、病院の一室だった。


場所の正体は、見覚えのあるどこかの病室。

白のタイルに、白く塗装された壁と天井で覆われ、窓からは朝日の光が差す。


横転した丸イスを目の前に、私は尻餅をついている。

ふと今の自分の体勢に、頭がぽかんとした。



そして目の前のベッドには、おでこ周りに包帯を巻いている中島くんがいる。


「はぁ!?おまっ…何で急に倒れんだよ……?」


中島くんは私の方を見て、驚いた表情でそう言った。



「え。『急に倒れた』って…?」

「文字通りの意味だよ…!お前、急にイスから転げ落ちて、後ろにバターンって倒れだしたんだろーが…!」


た、倒れた?私が?


そうだ。えーと、今の日付はいつだっけ。

ちゃんと過去に戻っていれば、5月15日のはず。


「あの、中島くん…今日って何日だったっけ…」

「は?だろーが。11月10日」



え…?今日も、蒼ちゃんの誕生日…?

窓からは朝日の光が差してるし、今日は「11月10日の朝」…ってことだよね。

どうして、5月15日に戻れなかったのか。



状況を整理してみる。

たしかさっき新田くんに追われている最中、思い切って私はタイムスピナーを回した。

新田くんとりんちゃんが出会った、「5月15日」に戻るために。


……けれどスピナーに、具体的な時間設定をするところは無かった。

だからその時は、直感で思い切って…「力強く」回すしかなかった。



恐らく、そのせいなのかな…?

「力強く」回しすぎたから、この場所に弾き


過去に戻る最中に変なノイズが聞こえたのも…、

この丸イスから転げ落ちたのも、回しすぎが原因なのかもしれない。



……え?じゃあ、5月15日には……戻れないの?



「おーい?」

「________えっ」

「何ぼーっとしてんだよ…。お前、どっかおかしくなったじゃねーの…。いやお前は元からずっと頭おかしいけどな」


鋭い目で、私を見つめてくる中島くん。

中島くんのドS発言。どうやら今日も、平常運転みたい……。


いや、こんなところでぼーっとしてられない。次なる手を考えないと。


─────────────────────────────────


中島くんのお見舞いを終えた後。私はりんちゃんを連れて、ある場所にやってきた。


「こんにちは、むらのく…って、え!?何この飾り付け!?かわいい…!!」


りんちゃんは、村野くんの部屋の壁一面に貼られている無数の色紙の飾り付けを見て、目を輝かせていた。


そう。…ここは、村野くんの家。

りんちゃんが見ている飾り付けはすべて、彼女のためだけに作られたから。



「なんで連れてきちゃうんだよ……!?」


机で飾り付けを作っていた村野くんは、私をじっと見て、独り言の様にそう言った。

それも勿論、私がりんちゃんの誕生日サプライズを台無しにしてしまったから。


あらかじめ村野くんには電話で言ったんだけど、その時は呆れ返るように驚かれた。



「ご、ごめんなさいっ」

「もういいけどさ。こっちはサプライズだったんだぜ…?数日前からずっと計画してたし______」


その言葉に、りんちゃんが食いつく。


「え!?すうじつ、まえ?……もしかして、私の誕生日サプライズ…とかなの?」

「あ…!!……もういいですハイハイ!そうですよ!」


村野くんは焦っている様子だった。どうやら口を滑らせたみたい。

でもこの際、誕生日サプライズだった事、バレても大丈夫だよね。りんちゃんもそれを聞いて、すっごく喜んでるみたい。




せっかくなので、私とりんちゃんも、村野くんの作っている飾り付けを手伝うことになった。


「さっきまでギャーギャー騒がしい女子二人がここにいたけどさ、ついさっきお前らのこと探しに行ったわ」

「え!?そうなの?」


私はそれを聞いて、驚いた。

騒がしい女子二人…、おそらく長野ちゃんと奥原さんの事かな。



あ、そうだ。


「あのね、ちょっといいかな…?一つ渡しておきたいものがあって」

「え?なに?」


私はカバンから、とあるものを取り出した。

これは、本来なら渡す事ができなかった、親友への誕生日プレゼント。


「…はい」


素朴なビニール袋に入っていた小さいプレゼントを、りんちゃんに差し出す。



りんちゃんはあっけに取られた顔で、それを受け取った。

彼女はそれを顔の前に持ち上げ、ビニール越しにじっと見る。


「あ、あの…こんな袋でごめんね?もうちょっとマシなものに入れればよかったんだけど…」

「ううん。これは、ストラップ…?」


それは、シナモン色のくまのストラップ。

くまの縦幅は8センチぐらいで、大してデカくもなかった。


「やっぱり気に入らないなら、他の人にあげても______」

「…ううん!すっごく嬉しい。ありがとう…!」


彼女がビニール袋を下ろすと、感動している様子に見えた。



「はぁ…休憩もいい加減にしろよ?早くコレ、完成させるぞー」


飾り付けを作りながら、私たちの様子を見て呆れていた村野くん。

私たち二人は、彼の言葉に対して「うん!」と同時に頷く。


その時りんちゃんは、私が渡したプレゼントを鞄の中に入れた。


─────────────────────────────────


数分後。作業に没頭していると、誰かの足音が廊下から近づいてくる。

扉を開けてやってきたのは…神崎くんだった。


「おっ!神崎!」

「その…僕も何か、役に立つことあるかな」

「いいぜ!んじゃ、七瀬の隣座れよ!」


それを聞いて、神崎くんは私の隣に座る。

彼は村野くんに指示され、ハサミを片手に、真剣そうな目で作業に集中し始めた。




やがて少しずつ、色紙の飾り付けが出来上がっていく。

四人で装飾を作っていると、ふと思う。


長野ちゃんと奥原さんは、まだこの部屋に戻ってきていない。

本来、今の時刻には、長野ちゃんがここにいるはずなんだけど…



「…大丈夫かな?長野ちゃんたち、戻って来ないけど」


私は村野くんに向かって、そう問いかける。

ハサミを動かしながら、村野くんは応えてくれた。


「あ?そういえばそうだな。まだお前らのこと、探してんじゃねーの?」

「そうなのかな…。」


私はそれを聞いて、少しだけ不安になる。

…まさか、二人も新田くんに連れ去られたとか、ないよね…??


いや。そんなはずはない。

新田くんの目的は…おそらく、りんちゃん。ただそれだけのはず。



ふとりんちゃんを見ると、彼女も不安そうな顔をしていた。


「あの…、もし良かったら、今から私が探してこようか?心配だし」


そう言いながら、りんちゃんはその場から立ち上がる。



「マジで?いやいや!別に俺が連絡してもいいけど…」

「ううん。近所にいると思うから」


村野くんはスマホを手に持つ。

しかし彼女の返答を聞き、「あ、そう?」と持っていたスマホを下ろした。


……いや、ダメダメ…!!何としてでも止めないと!

机にハサミを置いて、その場から立ち上がり去ろうとする彼女を、私は必死で止める。



「さ、探さなくても、平気なんじゃないかな…?」


私は勢いで咄嗟に立ち上がり、りんちゃんの目の前にはばかる。

突然の私の行動のせいで、三人に注目されてしまった。


「え…?どうかしたの?実花ちゃん」

「いっ、今頃二人もきっと無事だと思うし」

「…無事かどうかなんて分かんないよ?」


うっ…とっさの判断だったけれど、りんちゃんに何と言っていいのか分からない。



「_____あ、わ、私が二人を探しにいくから!りんちゃんはここで待ってて!」

「え、そう…?」


そんな風に、ついつい勢いで言ってしまった。



りんちゃんはそれを聞いて、自分の席に戻り、そこに座った。

私がその場でぼーっと直立していると、彼女に不思議そうな目で見られる。


「実花ちゃん、上着忘れてるよ?」

「あ。…そ、そうだった。」


私はりんちゃんにそう言われて、床に畳んでいたベージュの上着を手に取る。

それを着た後、仕方なくこの部屋から立ち去ろうとする。



けれどその場で振り返り、彼女に忠告した。


「…あ!あのねりんちゃん!」

「え…?」

「絶対…ぜったいに…、ここから離れないでね…!?ほんと、約束だから!」


りんちゃんは、不思議そうな表情で「…うん?」と頷いて返事した。

その様子を確認すると、私はすぐにこの部屋から去った。




ドアを閉め、廊下でふと立ち止まる私。

……うう、これからどうすればいいんだろう…。


私はざわついていた心を落ち着かせようと、その場で深呼吸する。



ガチャ。


「______七瀬さん?」



すると部屋のドアが開き、神崎くんが現れる。

私がまだここにいた事に気づいて、彼は首を傾げた。


「…あ、ごめんなさい」


私は思わず、顔を俯かせる。

あれ、コレってちょっと、変に疑われてる…?



「えっと…こんな所でどうしたの?たしか、長野さんたちを探しにいったんじゃ…」

「う、うん。そうだったんだけど、あれー?スマホ忘れちゃって…」


そう言って、私は周りをチラチラと見た。…ちょっとわざとらしい演技だけど…。


って……七瀬さん、上着のポケット」

「え?…あ。」



神崎くんが指さした、私の上着ポケットを見ると、自分のスマホが頭からひょっこりと出ていた。

あ…恥ずかしい。この中にスマホを入れてた事、すっかり忘れてた。


「ぷっ…あはは」


すると神崎くんは、微笑むように笑いだす。

思わず私は顔を赤くしてしまい、その目線を斜め下に向けた。



「あ…と、ところで神崎くん…何か用、ですか…?」

「そうだ。今からトイレに行こうと思って」


そう話した後、この場から立ち去ろうとする神崎くん。

彼を見ていると、私は一つの考えが頭に浮かんだ。



私は「あの!」と言って、神崎くんを引き止める。

立ち去ろうとしていた足を止め、彼はこっちを振り向いた。


「…どうかした?」

「あ、あの…その。トイレが終わったらリビングで、その…。ゆっくり話をしませんか」


思い切ってそう言ってみる。

彼は、顔をきょとんとしていたものの、すぐに頷いた。




数分後。リビングの部屋で、ダイニングテーブルの椅子にじっと座る私。

トイレを終えた神崎くんがハンカチで手を拭きながら、私から右隣の椅子に座った。


「ふぅ…。で、どうかした?七瀬さん」


横からそう問いかけられて、私はこう話した。



「あのね。神崎くん。今日、中島くんが大怪我したの、知ってる?」

「え…、そうなの?」


あれ?この驚きよう。もしかして知らなかった?

…でも神崎くんと中島くん、大して深い付き合いでもないもんね。村野くんもその事、教えなかったのかな。



神崎くんに、中島くんを怪我させたのは、りんちゃんの彼氏である新田くんであると話した。


「________それって、どういう意味?」


そう聞かれて、私は話を続ける。


「あ、あのね。新田くんは今日、りんちゃんを殺そうとしてるかもしれない。

中島くんがその事を知っちゃったから、彼に怪我を負わせたんじゃないかって」

「口封じ…ってこと?」


神崎くんのその言葉に対して、こくりと顔を頷いた。

すると彼は考え込む仕草で「どうしてそんな事を…?」と、独り言のような声で言った。



「……分かんない。どうして…どうして、自分の恋人を殺そうなんて考えるのか。

私、そんな人間の気持ち、絶対に分かんない…。分かりたくもないよ…」


暗い感情に押しつぶされそうで、思わず俯き顔になってしまった。



新田くんは……どうしてこんな事をするんだろう…?

何の得も、何の幸せも、得られるはず…ないのに。


「…七瀬さん、大丈夫。きっと蒼さんは死んだりなんて_______」



次の瞬間。


「いや゛っ_________!!」


村野くんの部屋の方から、りんちゃんの響くような悲鳴がした。

その瞬間、廊下から走るような足音が近づいてくる。


「…え?」

「今のって、蒼さんの声…だよね?」



私たちは唖然としながら、急いで廊下の方へと向かう。

玄関の方に着くと、りんちゃんが屈んで靴を履こうとしていた。


「りんちゃん、どうかしたの!?」

「……っ」



すると彼女は突然ピタッとその手を止め、口を開く。


「私…、今日はもう…いいから。お祝いなんて…しなくても」


少し涙ぐんで怯えているような声だった。

靴を履き終えたりんちゃんは、振り返らずそのまま立ち去ろうとする。



「待って…!」


私は彼女の手を掴む。



「っ……!お願い、離してっ______!!」


りんちゃんがこちらを向くと、その純粋そうな丸い眼は、涙ぐんでいた。

全身も、まるで何かに怯えているかのように震えていた。



「ねえ、さっき絶対ここを離れないでって私言ったよね!?何があったの…!?」

「私…っ…!!」


りんちゃんは、何か言いたげで…、けど、何も言えない様子だった。


「えっ。大丈夫、蒼さん…?」


神崎くんがそう心配している矢先に、りんちゃんは玄関の扉を開けて出て行ってしまった。

私たちは、そんな様子に唖然としていた。



……この直前、りんちゃんに何かあったに違いない。


「あの、神崎くん!村野くんの部屋の様子、見に行ってきてくれない…!?」

「う、うんわかった。こっちは任せて」


そう言うと、神崎くんはすぐさま部屋へと急いだ。

私は玄関の扉を開け、りんちゃんの後を走って追いかける。




「……っ、りんちゃん!!」


外の通路のどこを探しても、全然見当たらない。

私のばか…!どうして、どうして…、りんちゃんを逃しちゃったりしたの…!?


涙ぐんだ目で私を見つめてきたりんちゃんの表情が、頭から離れない。

何があったのかは知らないけれど、このまま彼女を野放しにしておく訳にはいかない。



「あれ?ななちゃんじゃん!」


聞き覚えのある陽気な声。それは、長野ちゃんだった。

一人だった彼女が目の前に現れて、軽く片手を挙げて挨拶する。



「な、長野ちゃんっ!?今りんちゃん見なかった!?」

「え?りんちゃん…?あっそういえば、それっぽい服装の人は見かけたよ?」


焦りながらそう聞くと、長野ちゃんは答えてくれた。

たしか、りんちゃんの服装は…白いワンピース姿だったはず。


「それって、白いワンピースの?」

「そうそう!」

「一人だった?」

「ううん?確か…男の人と一緒にいたよ」


えっ?

長野ちゃんは顎に指を当てて、思い出すかのように言った。



「遠くからで見えなかったけど。雰囲気的には、新田くんだったような…

…て、ちょっとっ!?どこ行くの!?」


それを聞いて、すぐさまその場から走り去った。

私…ほんとに馬鹿だ…!このままだと、またりんちゃんが…!



…そんな不安を抱えていた私。

けれど、事はそれ以上に複雑だった。


─────────────────────────────────


新田くんの家に着いた私は、扉の中から顔を出して話す彼と会話していた。


「あれっ?凛ちゃんのお友達か」



私は真剣に、彼にこう聞いた。


「あの。りんちゃんはどこにいますか…?」

「ん?…凛は、ここにはいないよ」


今の一瞬の動揺ぶり。

恐らくだけど、りんちゃんはまだこの家にいる。


「中に入れてくださいっ…!!」

「え?残念だけど僕のプライバシーを見てもらっちゃ困るな」

「ここにいる事は分かってるんです!だから…!」



すると新田くんは、意外な発言をする。


「…いいよ。立ち話も何だし、早く中へ上がるといい」


彼は、玄関扉を開けた状態にして、家の中に入っていく。

一瞬困惑したけれど、私も慎重な足取りで、その玄関の室内に入っていった。




リビングのダイニングテーブルの椅子に腰掛けて、注意深く周りを見渡す。

新田くんはお茶を淹れると言って、隣のキッチンらしき部屋に去って行った。


今なら、新田くんにバレずに、彼の部屋に行けるかもしれない…

私はそう考えて、そっと席を立つ。


しかしその直後、すぐに新田くんが戻ってきた。



「やあお待たせ…ってあれ、なんで席を立ってるんだ?」

「え、あっ…、ごめんなさい…」


私はそう指摘されて、すぐに元の席に座る。


新田くんは、紅茶の入ったコップのグラス2つを持っていた。

そのうち1つを、私の目の前に置き、もう一方は自分の方に置く。



「…どうして、この場所を知っているのかな?」


私と向かい合うような席に座った直後、新田くんは私にそう訊いた。

その言葉に私は、ちょっとだけ心が動揺してしまう。


「…それって、どういう意味ですか…?」

「いやいや、大した意味じゃないよ。誰にも僕の家を教えてないのに、どうやってここまで来たのかなって。」



あ、そういえば…。

新田くんの家は、に奥原さんが教えてくれたんだった。


「それは…ちょっと前に友達が教えてくれたんです。りんちゃんの彼氏さんの家はあっち、って」

「……」


新田くんは黙り込み、少し尋常でない目つきで私を見る。

それは私からすればまるで、今の発言を疑われているような感覚だった。



「…で、僕に何の用かな。凛ならここにはいないけど」


すると彼は突如話題を変え、さっきの表情を取り戻した。


「りんちゃん、本当にここにはいませんか?」

「ちょっとしつこいね。残念だけど、此処にはいないよ」



その時だった。

ほんの一瞬だけチラッと、新田くんは自分の部屋の方向を見ていた。


私は確信して、咄嗟にその席から立ち上がる。

突然の事に唖然としていた彼をよそに、私は両手を机に置いた。



「…ん?どうかしたんだい…?」

「やっぱり…!りんちゃん、ココにいるんですよね…?」


このままここに居ると、手遅れになってしまうかもしれない。



「だから此処にはいないって言ってるじゃないか…!?本当に失礼だ…!」

「じゃあ、部屋を見せてください!!」


あからさまに動揺する新田くん。

そんな彼をよそに、私はすぐさま彼の部屋へと向かった。


すると、新田くんは突如、苦しそうに息を荒げる。



「……っハァ…っハァ……っう゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!!」


バリーンッ!!!


その瞬間、割れるような音が部屋中に響き渡る。

私はその音に驚いてしまい、音の方へと振り向いた。


彼は机に置かれていたグラスのコップを、両手を使って落としていた。

机の下には、割れたコップの破片と、派手に溢れた紅茶。



彼の方を見ると、胸を押さえて荒い呼吸をしている。

豹変した目つきで、眼鏡越しに私の方を睨んでいた。


…また現れた。本性を露わにした、化け物のような新田くんだ。



鋭い目線を感じた直後、私はすぐさま、彼の部屋へと走って向かった。




扉を開けると、その部屋にはりんちゃんがいた。

暗い部屋の天井に掛けられた手錠で、手の身動きを取れなくされられている。


前と全て同じ光景だった。壁や床一面には、盗撮写真が貼られている。



ふと私の真横にあった、壁に寄りかかって置かれている鉄バットが目についた。

私は機転を効かせて、内開き扉とタンスの隙間にバットを置いた。


ドンドンドン!!

扉を恐ろしいほど強く叩く音が、耳元に響く。


バットで扉を開けなくしたおかげで、新田くんはこの部屋に入れない。

逆に私たちも、外に出られなくなったけど……。



「大丈夫!?」


私はすぐに意識の薄いりんちゃんの方に駆け寄り、体を揺する。


「……みか、ちゃ……」

「よかった…。すぐに助けてあげるから…!」


すぐに、彼女についた手錠を外そうと試みる。

鍵穴がついていたので、どこかに鍵が無いかと部屋を見渡した。



「クソがぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


ドンッ______!!!



扉越しに耳をつんざく様な、豹変した新田くんの声。

今にも扉を突き破りそうな程にドアを叩く音に、心臓の鼓動が恐ろしく加速する。


「…はは、僕はね?凛を匿っていただけだよ。凛を付け狙うどもから」


…え…?

急に態度を変えるかのようにそう話していて…、鍵を探しながら聞いていた私は、とても嫌気がさした。



「中島蓮木。アイツは彼氏である僕の存在を知っていながらも、わざわざ凛と同じ通学路に通ってた。

最近になってアイツは僕に近づいて、『アイツと別れろ』だとか…脅してきたんだ。

彼は絶対に…凛を狙ってた…ッ!!」


『アイツと別れろ』…きっと新田くんがである事を知ってたから、警告したんだよね…?



「一番頭がおかしいのは…村野純、アイツだ。今日、凛はアイツに襲われたって、泣きながら話してくれた」


えっ?村野くんがりんちゃんを…?

…いや、今は新田くんの言っていることに耳を貸してる場合じゃない。


私は机に置いてあった黒い鍵を見つけて、すぐにりんちゃんの手に掛けられた手錠を解く。

直後に、脚が崩れて倒れそうになった彼女の体を、私はとっさに手で支えた。



「りんちゃん、大丈夫…?」

「うん…ありがと…」


まだ意識もあるみたいだし、多少は歩けそう。

その一方で新田くんは、今にも扉を突き破りそうだった。



「…そうだ…窓から逃げれば…!」


りんちゃんの手を肩に乗せて運び、部屋の大きめな窓に向かう。

カーテンを開いて窓の鍵を開け、二人で歩いて窓の外に出た。


どうやらこの窓は、裏庭に通じているみたい。



「…走れる?りんちゃん」

「ううん…。ごめんね、足手まといになっちゃって…」


私はりんちゃんの顔を見ながら、首を横に振る。

そして出来るだけ遠くに逃げようと、りんちゃんと一緒にどこかへ向かった。




裏庭から出た後、やがて車の通らないような狭い通路まで逃げ込んだ。

ここまで来ればもう大丈夫かな……。念のため、警察に通報しておけば_____



「凛…ッ!!」


…え?う、うそ…?

その瞬間、新田くんの声がして、靴の足音がこちらへ走るように近づいてきていた。

私はスマホを取り出そうとしていた手を止める。


「に、逃げるよ、りんちゃん…っ!」


ふとりんちゃんの顔を見ると、青ざめたような顔をしていた。

それに彼女の手足も、恐怖で震え上がっている。



「私…死にたくない…」


りんちゃんのその言葉を聞いて、更に決意が固まった。




その場所からできるだけ遠ざかるように逃げていると、別の場所に辿り着く。


「……い、行き止まり…!?!?」


人気が少なく誰もいない、壁に囲まれた行き止まり。

壁を登れば何とか向こう側に行けそうだけど、今のりんちゃんの気力じゃどうにもならない。



「やっと見つけた」

「_______っ!?!?」


私たちは後ろを振り返る。

新田くんが包丁を持って、その場に立っていた。


「ど、どうして…!?」

「分からないのかな。凛の携帯に…んだよ」


え?まさか…GPS?



そんな時、新田くんは私たちを壁に追い込むかのように、ゆっくりとこちら側に歩いてくる。

私は、りんちゃんに近づこうとする新田くんの目の前にはばかった。


「こ、来ないでください…!!」

「君は何もわかってないなあ。僕と凛は…付き合ってるんだよ?

邪魔をするなら…とっとと消えろ……ッ!!!」


見開くような眼で、彼は私の前で包丁を横に振る。



「っ……!!」


その一振りは私の体に掠れ、皮膚に鋭い痛みが走った。

痛みに耐えきれず、私は左側の床に倒れ込んでしまった。



「ご、ごめんなさい…ごめんなさい…っ!!!」


恐怖に震えながら、新田くんの方から後ずさるりんちゃん。

けれど、彼女の背後は壁。すぐに新田くんに、壁際まで追い詰められてしまった。


彼女は俯き、その目からは涙が溢れ出ている。


「謝る必要なんてない…。さあこっちにきて」

「お願いだから…こんなこと、もうやめて…っ!!」



しかし新田くんはそれを無視して、りんちゃんに近づいていく。


「______もうそろそろ、終わらせよう」



そのまま……壁に追いやられた彼女は、再び刺されてしまった。


─────────────────────────────────


病院の待合室を出て、手当てを終えた私は入口前で立ち往生をしていた。

そんな時、村野くんや長野ちゃん、神崎くんが同時に現れた。


「……おい、大丈夫か七瀬…!?」


三人とも心配そうに、私の方を見ていた。



「村野、あんたは黙っといてよ!…ななちゃん。あの子が死んだら、流石に落ち込むよね。私も聞いて驚いたもん」

「……ううん。大丈夫」


と、口では言ったものの、表情はものすごく落ち込んでしまっている。

私は、三人の横を通り過ぎて去っていった。




病院の近くのベンチに寄り、そこに座る。

すると横から、追いかけてきた神崎くんも来て、私の横に座った。


「…大変だったね、事件に巻き込まれて」

「うん…なんだか疲れちゃった」


さっきは包丁を持った新田くんをたまたま見かけた通行人が、警察に通報してくれた。

おかげさまで私は軽症で助かったけど、りんちゃんは……



実は病院に通う直前にガスマスクの人が現れ、スピナーを渡してくれた。

けれどなかなか回す勇気がなく、今は鞄にしまってある状態のまま。



「私、りんちゃんのそばにいたのに、りんちゃんを救えなかった。ばかみたいだよね」

「……そんな事はない。七瀬さんは十分、出来ることをしたよ」


単なる綺麗事にも聞こえるけれど、神崎くんにそんな事を言われたら、少しだけほっとする。


……こうなったら、あのことを打ち明けてもいいんじゃないかな…?



「あのね、神崎くん。笑わないで聞いて」

「え?うん」

「ほんとだよ?絶対笑わない?」

「…うん、笑わない」


よし、だったら思い切って……

私は目を閉じて深呼吸し、目を開いた後、彼にこう言った。



「私、実は………過去に戻れるの!!」


その言葉に対し神崎くんは、漠然とした表情だった。




「……あの…僕もです」


えっ?



「僕も…、過去に戻った事あります」


私も神崎くんの言葉を聞いて、漠然としてしまった。




「……そ、そうなの?」

「うん。っていうか…そもそも、それで七瀬さんを救ったんだから」

「……過去に戻って?」


神崎くんはこくりと頷く。


ええぇぇぇー…

思い切って言ったつもりだったものの、予想外の展開で落ち込む。



「________じゃ、じゃあ村野くんをいじめから救ったのも、神崎くん?」

「うん」

「じゃあ!あのガスマスクの人も、神崎くんの知り合い?」

「え…?なにそれ?知らないよ」


え、それは知らないんだ…?

ガスマスクの人……あの人は一体、何がしたいのかな。



そんな話をした後、ふと話題を変えた。


私はりんちゃんを救うことができるのか。

そんな風に呟くと、神崎くんにこう返された。


「何度も挑戦すればいいんだよ」



なんども…挑戦…。


「それってつまり、りんちゃんが死ぬ所を何度も見なきゃいけないってことだよね…?私、メンタル耐えられるかな…」



そう落ち込んでいると、彼に背中を撫でられる。

ちょっとドキッとしたものの、優しく撫でられて、少しだけホッとした。


「大丈夫。七瀬さんは、僕の命も救ったんだ。きっと耐えられる」


彼の表情を見つめると、私を見て優しく微笑んでいた。



「もし何かあったら僕らに頼ってよ。独りで抱えても、ただ辛いだけだよ」


そんな風に言われて、心のモヤモヤがスッと消えていった。

よし…。こうなったら気合を入れて、挑んでみるしかない。



□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□


それから、私は何度も過去に戻り、りんちゃんを救おうと努力した。



出来ることはほぼほぼ試したし、たまに長野ちゃん達の力を借りようともした。

けれど結果的に、新田くんは一筋縄では勝てず…



『______もうそろそろ、終わらせよう』


何度も何度も、何度もりんちゃんは死んでいった。

包丁で刺されたことはもちろん、鉄バットが当たり血を流したり、稀に階段から落とされる事もあった。


そんなものを何度も見ていると、頭の中がもう嫌になって…………




『大丈夫。七瀬さんは、僕の命も救ったんだ。きっと耐えられる』


けれど神崎くんの言葉を思い出せば、いつだって…耐えられる気がした。



スピナーを手に取って、廻す。ただひたすら、『幾度なんども廻す』。

そんなことが、ただ作業のように…心が折れそうになるまで続いた。


おそらく18回目で、私の心は……ボロボロに疲れ果てた。




新田くんの包丁で右手を大怪我した私は、人気のない住宅街の通路を、一人でとぼとぼ歩く。

りんちゃんが、18回目に死んだのを見た直後だった。


「……疲れ果てているな」


ガスマスクの人がまた突如現れた。



「…どうして……どうして、こんな事になるんですか?」

「彼女が死ぬのがだからだ」

「え…?それ…、先に言ってくださいよ……!?私、何度も何度も挑戦して……!!」


ずっと貯めていた18回分の涙が、人生でこれまで以上にない程の勢いで流れ出す。

ただひたすら泣き崩れていた私に、ガスマスクの人はこう言った。



「……だが運命は、変えられる。変えられないのは……宿命だけだ」




そんな意味深な言葉を発して私にスピナーを渡した後、彼は走り去っていった。

運命は変えられる?……本当に、変えられるのかな。


けれど、たった18回だ。こんな所でへこたれてちゃ、りんちゃんなんて救えない。

私はその場を立ち上がり、再びスピナーを回した。



□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□



「やっと見つけた」

「_______っ!?!?」


人気が少なく、誰もいない行き止まり。

私とりんちゃんは、新田くんにその場所へ追い詰められていた。



新田くんは包丁を持って、その場に立っている。

私は怯えているりんちゃんの前に立ち、両手を広げて、彼女を守る体勢をした。


「ほ…本当に来ないでくださいっ!!」


勇気を出して声を張り、豹変した姿の新田くんに対抗する。



「君は何もわかってないなあ。僕と凛は…付き合ってるんだよ?

邪魔をするなら…とっとと消えろ……ッ!!!」


見開くような眼で、彼は私の前で包丁を横に振る。

しかし咄嗟に避けたおかげで、なんとか無傷で済むことができた。


更にその隙に、包丁を持った新田くんの手を、両手で掴んで抑える。



「クソが_________!!!」


新田くんもこの状況に焦っている様子。かなり調子はいいかも……。


「逃げてっ、りんちゃん!!」


新田くんの手を抑えながら、りんちゃんに警告する。

彼女は私たちの様子を見ながら、その横をすり抜けていった。



「逃げるなあ゛あ゛あ゛_________!!!!」


ドン!!


新田くんに両手を勢いよく振り払われ、私は体制を崩してしまう。

その勢いで壁に頭をぶつけてしまい、頭の中がぼんやりとしてきた。



「っ……いやっ……!!」

「やっと捕まえた…、凛…」


りんちゃんの二の腕を、爪を立てて握りしめる新田くん。


「もう逃げなくたっていい。僕たちは……ずっと一緒なんだ……」

「ご、ごめんなさい…ごめんなさい…っ!!!」


必死に抵抗するりんちゃん。しかし新田くんの力は強く、腕を振り払うことができない。

その直後に新田くんは手を離し、彼女は抵抗していた勢いで後ろに倒れ込む。



倒れたりんちゃんに跨り、新田くんはその包丁を振り上げた。


「______もうそろそろ、終わらせよう」



その状況に私は、目を瞑ることしか出来なかった。

お願い……お願いだから、早く来てっ_________!!





「七瀬さん………っ!!!」


その声が聞こえた途端、私は目を開く。



神崎くんは包丁を持った新田くんの両手を、必死に掴んでいた。

そして必死に新田くんを、りんちゃんから引き離していた。


「く、クソが!!だれだ!?誰だ……!!!」

「僕は……七瀬さんの友達だ」


その光景に、私は安堵する。


実は、ついさっき村野くんの家で、私は神崎くんに事情を説明して助けを求めた。

本当にこれでりんちゃんを救えるかどうか分からなかったけど……来てくれてよかった……!



「僕は……僕は凛の彼氏だ!!!僕たちの、邪魔をするなア゛ッ…!!」

「……ふざけないで下さい。あなたの愛情は汚れてる。

いいかげんこんな事で、友達を巻き込むのはやめてくださいっっ!!!」


突然声を上げて、神崎くんは彼に怒り出した。

包丁を落とし、抵抗を止めた新田くん。



「う……うわあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ッ゛!!!!」


そして彼はりんちゃんを見ながら、大声で喚いた。

……ほんとに、神崎くんの言う通り。こんなの、歪んだ愛情だよ。



その後すぐに、神崎くんが通報した警察がやってきた。

最終的には神崎くんのおかげで、りんちゃんの運命が変わったのだった。

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