重い後悔

「……僕が中学の頃に、いじめられていた子がいた。それが、広瀬さん。

僕は、彼女のいじめから、ずーっと目を背けてた・・・・・・んだよ」


彼は、複雑そうな表情をしていた。

真っ黒な罪を、これまで抱えてきたように。





学校図書館で、神崎くんと二人きりの状況。

広瀬さんという人とはどういう関係なのか、と質問をした時だった。


……広瀬さんのいじめから、目を背けた?


「___それって、どういう意味?」

「あのね…僕は中学時代、ずっと友達がいなくて。

元々広瀬さんって子とはその時、唯一の仲だったんだ」


中学時代の唯一の仲が、広瀬さん?

神崎くんは、さっきの話の続きを話してくれた。


「最初に会った頃の広瀬さんは、赤い髪がボサボサで、誰もいない廊下の隅で体育座りしてた。

全身アザだらけだったから『どうかしたの?』って話しかけたんだけど、最初は『部活中に転んだ』としか返してくれなくて…」


私の思っていた広瀬さんの印象とは、だいぶかけ離れていた。

まるで……大人しく内気な感じ。今まで見てきたあの狂った笑顔は、彼女の全てではないと思い知らされた。


「それから一緒に話して打ち解けてくれるようになった頃、広瀬さんは僕に全て打ち明けてくれた。自分は、日常的に……そういうことだった、って」

「か、神崎くん。こんな事訊くのもあれだけど、念のため。……どうして、目を背けたの?」

「____うん。怖かったんだ」



「怖かった」。……やっぱり。

実際それを知ったからって、中学時代の神崎くんは、どう行動すればいいのか分からなかったんだと思う。


「広瀬さんと仲良くなってしばらく経つと、いじめていた生徒たちが僕の存在に気づいた。

やがて僕もその対象者・・・になって…これ以上、自分まで被害に遭いたくなかった」


一層、深く後悔しているような面持ちに変化した。

きっと、他にも何かできる事があったんじゃないかって、過去の自分を責めているのだと思う。


「え?それってつまり……」

「僕は親に、転校したいって言いだしたんだ。自分だけ・・逃げ出すために。僕まで被害に逢いたくなかった。彼女の事より、自分の事を優先したんだ」



それじゃあ神崎くんは、虐められていた広瀬さんの事を「見捨てた」ってこと……?

見捨てたと言えば、人聞き悪いかもしれない。


「だから、七瀬さん。僕は……きっと君が思っているような人間なんかじゃない」



真剣な目で、神崎くんは私のことを見ていた。

終始、彼は自分のした過去の過ちを、ずっと抱えている表情で___




____いや。


「……そんなことない。」

「___えっ?」



神崎くんはその言葉で、少し驚いたような表情を見せる。

私は、そんな彼の顔を見て言った。


「仕方なかったよ。確かにそんな事したら、自分を責めちゃうのも無理はないけど…

……私も神崎くんと立場が一緒なら、同じ事してたよ。心が未熟な頃だったら尚更だと思う」



しばらく経つと、神崎くんは下を見た後、目を伏せ、優しい声を漏らして微笑んだ。

あれ?なんか変なこと言ったかな。


「そうなんだ。七瀬さん、本当にごめんね。変な心配かけて」

「えっ?…う、ううん!全然…!えーっと。ごめんより、ありがとうって言ってほしいな」


神崎くんは私をじっと見て頷き、「ありがとう」と言ってくれた。

まあ、私がその言葉を促した訳だけど……それを聞いて少しほっとした。



「____あのさ。僕は…、明日、広瀬さんの家に会いに行こうと思ってる」

「えっ!広瀬さんの……家に?」

「…うん」


彼は頷く。


「僕は直接広瀬さんに謝罪して……少しでもいいから、自分の後悔に踏ん切りを付けたいと思ってる」



え、もしかして。

前にこの図書館で話した時も、神崎くんは『自分の後悔に踏ん切りをつけたい』って言っていた。

それってつまり、広瀬さんと会って謝罪するって意味だったんだ!


「……よかったら七瀬さんも、一緒に行く?」


すると再び神崎くんに、そう誘われる。

だけど私は、こう提案をしてみた。


「えーと……神崎くん。それって明日じゃなきゃ、ダメなの……?」

「ん?どういう意味?」


11月3日。

明日神崎くんは、謝罪するはずの広瀬さんに、殺される。

そんな事が起こってしまう未来を、私は知っているけど……


そうだ。神崎くんに、過去に戻った事を話すべきかな。



『あのね、神崎くん……!私実は、過去に戻れるんだ!』

『え?急に何言ってるの七瀬さん?タイムリープは現実においてあり得ないよ。非科学的だし、現実で証明されていないものしか信用できないんだ。まあ今すぐ証明できるなら話は別だけどね』

『……ぁ……ご、ごめんナサイ……』


……いやいや!


ダメだよね。昔から、私が変なことを言っても、あんまり人には信用してはもらえない。

ましてや、真面目で性格の神崎くんには、首を傾げられるだけだよね……というか、私の妄想なかの神崎くんって、こんなに早口なんだ…。



「……で、でも!せめて明後日とか、しあさってとか!」

「___悪いけど、どうしても明日じゃなきゃダメ。僕の予定がなくて。もしかして明日、予定あった?」

「ううん。でも、そっか……うーん」


私は首を振った。唸りながら考え込む。

つまり、「死の運命」はそう簡単に回避できないってことかぁ……



「……私も行くよ、神崎くん」

「そう?ごめんね。あ、違うか。……ありがとう、本当に」


やっと、神崎くんの事が知れた気がした。きっと、ほんの少しだけだけど。だから今度こそ明日、神崎くんを救ってみせる。

それにしても。私なんかを、どうして誘ってくれたんだろう。何にせよ、そんな大事な瞬間に誘ってくれた事は嬉しかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そして戦い当日。11月3日の朝、人気のある街の道路。

横の歩道で、私は神崎くんと隣同士で歩いていた。緊張感が漂う中、横の道路を走る、自動車の音だけが響く。


こう見えて私は、足が速いのが取り柄。

この日の為に運動シューズも履いてきた。少しでも早く犯人に追いつくため。それに応じて洋服も、軽い服装で挑んでみた。



やがて、神崎くんが事故に遭う、交差点の赤信号の前に着く。人混みに紛れながら、私はその瞬間を伺う。あたりをキョロキョロと警戒して見渡す。

……私が見る限り、広瀬さんの気配はまだない。


もちろん、ちゃんと考えはある。成功するかはどうかは分かんないけど、やってみるしかない。



「えー!これやばーい!」


ふと真横に、スマホを見ている若い女子二人がいた。さっき・・・と同じ状況だった。


「……大丈夫、七瀬さん?辺りキョロキョロしてるけど」

「あ、ごめん!気にしないで」


警戒して、あたりを見渡してたとこを気づかれてしまった。

変に神崎くんの心を緊張させるのも、あんまり良くないかも知れない。もしかしたらバタフライエフェクト(?)的なのも存在してるかも知れないし。


ブゥゥウウ───ン!


銀色の高級車が、道路の向こう側を勢いよく走る。

二度目だけど、つい驚いてしまう。やっぱり……今起こっていることが、前とまったく同じ。


……次は、神崎くんだ。



「_____七瀬さん」


いつもよりトーンを下げた声。神崎くんが話しかけてくる。

私は「なに?」と返事をし、彼の方を向くと、やっぱり真剣そうな顔で、こっちを見ていた。


「もし。もしこの件で僕が、踏ん切りをつけられたら……_____」



はっ……!!


一瞬の事だったけど、私は予想が出来ていた。うん、それもそう。二度目だから。

直ぐに気づき、神崎くんの背後に迫っていた黒い両手を掴む。



よし、捕まえた!

黒いコートを着て、フードで顔を隠している。けれどこの人はきっと……

その人は驚いた様に私の方を向き、表情が私の方だけに露わになる。


広瀬さんじゃなくて、「米塚さん」の方だった。

直後、黒いフードの米塚さんは、人混みを抜けて走り去っていった。



しかし今度は、追わない。

もちろん、神崎くんの安全を確保するため。この場を去ってしまえば、本当に命が危うくなるから。


「大丈夫?神崎くん」

「う、うん。僕は大丈夫…だけど……」


神崎くんはその場に立ったまま、目を白黒させていた。

何せ、自分の背中を押そうとした怪しげな人がいたもんね。


「___神崎くん。今日は危ないから帰ろう」

「えっ?……それは…ごめん。しばらく今日しか予定が空いてないんだ」


突然の提案だったものの、まごまごとした後に返事をされてしまった。



「その予定、どうにか空けられないの…?

……今から会いに行くっていう広瀬さんは……悪魔だよ?だからそんな人に構ってる場合じゃ___」

「七瀬さんは……彼女の何を知ってるの」


その時。神崎くんの顔色は真剣さを帯びて、私の言葉を途中で切った。


向けられたその眼は、とても……

……思わず、言葉が詰まってしまった。



「七瀬さんはあの子の事、何も知らないよね?

君は広瀬さんを知ってる風に言うけど、少なくとも彼女は…君が思っているような人間じゃない」

「………っ、か、神崎…くん?」


広瀬さんの件になると、神崎くんはいつにも増して真剣そうだった。

怒っている……というより、警戒しているという事だけが、ひしひしと伝わってきた。


……こんな神崎くんの一面、見たことがなかった。



思わず悔しくて、ちょっとだけ涙が出てくる。


「……っ、そんな事分かんないじゃん、神崎くんも…!もしかしたら今会ったら全く別人かもしれないし……!」

「違う、広瀬さんはあの頃からずっと、内気で大人しくて、でも_____」


広瀬さんを、熱烈に語っているその表情を見て、私はそんな考えが頭によぎり、つい笑ってしまう。

言いたくなかった。でも、気が付けば、言ってしまっていた。




「____そういう、事だったんだ」

「え?」

「やっぱり……好きな子なの?」


神崎くんは聞いた直後、さらに唖然とした表情を浮かべた。

……正直、そんな図星な反応を見たくなかった。知らなければよかった。



「神崎くん。そこまで熱く語れるぐらい、広瀬さんのことが好きなんだね」

「……っそ、それは…」


感情に任せて追い討ちをしてしまった自分が、後になって恥ずかしくなる。

神崎くんは、黙り込んでしまった。その空気は重く、彼から目を逸らして袖で涙をそっと拭く。



「私の告白を断った理由だって、本当は」


心に潜めるべき言葉が溢れすぎたと意識し、言いかけて止めた。

もう既に、取り返しのつかない状況だったけど。


正直、悔しかった。私なんか、初めから神崎くんとは付き合えなかったんだ。




「____っあ゛……!?」



その時。

神崎くんが、声を出す。


直ぐに、斜め下に向けていた視線を、首と同時に彼の方へと向ける。

黒いフードをつけた人が、背中に密着していた。神崎くんの体はしばらく立ったまま硬直していた。



彼の背中からは、血が流れ出ている。


背中が血に染まった神崎くんは、その歩道に倒れ込む。

その状況を辺りの人が見かけ、突如としてざわめきだす。


「神崎……くん……!?」


肝心の私は何も出来ず、呆然と立ち尽くすしかなかった。

救うはずだった命を、油断して奪わせてしまった。



同時に目についたのは、黒いフードの人が腹に当てて持っていた、真っ赤なサバイバルナイフ。

その黒いコートの腹部には、真っ赤な返り血を浴びていた。


「ふふっ」


ざわざわ騒ぐ人混みを無視し、奇妙に微笑む。その人は、私と同じ身長・・・・

倒れ込んだ神崎くんを見て、見下すように笑っていた。



……間違いない。広瀬さんだった。

どうして……!?たしか本来、車に轢かれるはずじゃ………?


そういえば。過去に戻る前、広瀬さんの大きなかばんの中には、使われていないサバイバルナイフがあった。

という事は……運命が、少しだけ変わった?



でも、彼が死んだ事に変わりはなかった。

私はただその横で、じっとしている事しかできなかった……。


─────────────────────────────────


自宅の帰り道に、人気の少ない住宅街の道を歩く。


警察官の事情聴取を受けた後で、もう夕方だった。

広瀬さんは現在逃走中で、指名手配されているそう。


赤い夕日が、私の体を暖かく照らす。




……いろいろと、疲れた。

頭の中がぼんやりとしていて、足取りも重い。


「………。」


すると突然目の前に人が現れ、私はとっさにその足を止めた。

黒いガスマスクをつけた人。……もしかしてまた、過去に戻るの?


「もう出来ません」

「……訳を訊こうか」

「こんな事しても、自分がみじめになるだけだからです」

「___逃げるか?」

「そうですよっ…!!もう、辛い…!私は、神崎くんを知ろうとして、知りすぎてしまって……!

っ、だから、私が過去に戻っても……何も得られない、というか……何も、変わらないんです……」



感情的になって俯き、片足を地面に叩きつける。


……まただ。私の悪い癖。

他人の苦しみと比べれば、大した事でもないはずなのに、勝手に苦しくなって感情的になってしまう。


挙げ句の果て、訳の分からない事や、根拠の無いことすら思ってしまって。それを言ってしまう。

神崎くんに告白を断られた直後だって、そうだった。変な被害妄想が働いて、傷付けるような事を言った。



「……本気だと言うなら、お前を止めない。だがこのままでいいのか?曖昧な心で救える命から逃れるのなら、一生後悔することになるぞ」


この人、正論すぎる。思わず見上げて顔を見た。

確かに神崎くんが死んだ状況を見て、それで諦めるというのも、心がもやもやする。



私はガスマスク越しの賢そうな人に、こう聞いた。


「あの…、どうして神崎くんはナイフで刺されて死んだんですか?本来だったら、交通事故に遭ったはずなのに。」

「………過去は、少しの変化すら許さないものだ」

「え?」


少しの変化すら、許さない?もしかして。



「俗に言う、バタフライ効果の様なものだ。一人の人間が及ぼす影響は、多からず少なからずある。

お前の行動次第で、この世にも影響を与え、変化するということだ」


ガスマスクの人は、私に向かって指をさす。

あ……バタフライエフェクト!本当に存在していたんだ。てっきり、物語の世界だけかと思ったけど。


バタフライ効果……。

じゃああの時、黒いコートの米塚さんを追いかけなかったから。私の行動が変化した・・・・から、広瀬さんの行動も変化した?



「……だったら、私なんかがちょっかいを出すものなんかでは……」

「どういう意味だ?」

「私が余計に過去をいじって…もしかしたら、もっと最悪の結末に陥る可能性もあるって事ですよね……?」


私はパニック状態になる。

しかし、ガスマスクの人は、ぴくりとも動かない。


「……怖いか?」

「怖いに決まってます……!だって私、只の女子高生ですし……!」

「お前が只の・・女子高生かどうかは別として。なら命を、見捨てるのか?」


っ……!!


そ、そんなこと、言われても……!!



「じゃ、じゃああなたが、過去に戻ることはできないんですか?」

「私には出来ない」

「どうしてですか…!?」

「これを使える権利・・があるのはお前だけだ」


権利……?訳の分からない言葉に、頭が困惑する。


「神崎という人間は、お前の事を誰よりも信頼している」

「うそ…?で、でも、神崎くんは私なんかより、広瀬さんの方が……」

「本人に確認したか」

「えっ。それってどういう……___」


するとガスマスクの人は、私にスピナーを差し出す。



「……運命を変えた後、彼の本心を聞くといい。」


私の右手が、黒い手袋のつけた両手で掴まれ、無理やりスピナーを握らされる。



「あの、あなたって、一体_____」


私が話そうとした隙に、ガスマスクの人は走り去っていった。

うう……これぞミステリアス。っていうか、本当に何者なの??



……神崎くんは、私の事を誰よりも信頼している。

そう言われたけれど、あんまり信用できなかった。けど……


握っていた右手を開き、スピナーを見る。



私はまだ、彼の本心を訊いていない。

本当に、広瀬さんのことを好きなのか。それを知った私は、どう行動するか。

それを訊くには、まず彼を救う。見捨てれば、絶対に後悔する。



だって。私はどんな神崎くんでも、やっぱり好きだから。ちょっとやそっとの事では、諦めたくないから。


それに、現にあの人にも説得された。

しょうがない。こうなったら、最後の最後まで粘ってみる……!!


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□


「えー!これやばーい!」


横にいた、スマホをいじる若い女子二人が目につく。

テンプレートのような台詞を、また繰り返している。あの子たちにとっては一度目なのだろうけど。



交差点の赤信号の前。人混みに紛れ、二人で青になる時間を待っていた。

……この後すぐ、神崎くんは……


「……大丈夫、七瀬さん?」

「あっごめんなさい」


私の真横には神崎くんがいて、心配そうにこちらを見ている。

細い目のクールな眼差しは、少しドキッとしてしまった。


……あ、久々にドキッと。



いや、ダメダメ!!集中しなきゃ。

なんせ神崎くんの命がかかってるし、こんな動揺した気持ちで望んではならない。集中しなきゃ……。

えーと。確かこの後、銀色の高級車が……



ブゥゥウウ───ン!


銀色の高級車が、道路の向こう側を勢いよく走る。



三度目だった。けど。

その音の大きさにビビる事は、何としても回避できなかった……!恐ろしい。これも運命なのかも。


いいや、だとしても。少しの可能性があるのなら、神崎くんの命を救う事は諦めない。

よし、今かもしれない。私はそう思って、彼の方を向いた。



「_____七瀬さん」


真剣そうな顔をしていた神崎くんが、低いトーンの声で話しかけてくる。

私は意を決して……視線で返事をする。じっと見つめて、話の続きを施した。



「もし。もしこの件で僕が、踏ん切りをつけられたら__」

「後ろ」

「………え?」


神崎くんの背後にある、「黒い両手」がピタッと止める。

そして、私の目線を追って神崎くんは、自分の背後に振り返る。


じっと見てみると、米塚さんが驚いた表情で立ち止まっていた。



「……え、米塚……さん?」


その正体を知った神崎くんは、唖然とする。

あっ。前までは彼の表情は、私だけに見えていた。



「………ご…ご…ごめん、なざい……!!」


直後に米塚さんは涙を流し、足を崩す。辺りの人混みは、その状況に騒然としていた。

もしかして……少しだけ、未来が変わった?


─────────────────────────────────


ひとまず近くのベンチに座り、三人で話し合う。私は真ん中の方に座り、神崎くんはその隣にいた。

取り敢えず、神崎くんが交差点から移動してくれて良かった。けれど、死がいつどこに潜んでいるかも分からないし、油断は大敵。


「米塚さん。久しぶり。……どうして僕の背中を押そうと……?」


神崎くんは私越しに、フードを外した米塚さんを見て、そう問いかける。


「……広瀬さんに指示された」

「あぁそうだよ………って、お前どうしてそれ知ってんだよ?」

「あっ。そ、その、なんとなく答えてみただけです…。」


代わりに私が説明してしまった。

なんで知ってるかに関しては、嘘で誤魔化した。ちょっとわざとらしかったけど…



「……悪かった、神崎。俺はさ、あの頃からずっと頭が変だった。悔やんでも悔やみ切れない」

「ううん、僕はとっくに許してるから。僕に謝らなくても平気だよ」


そう言って神崎くんは首を振る。

米塚さんは驚いた後、そんな彼に向けて微笑んだ。



「ありがと。その言葉聞いてホッとした」


わたしもなんだか、つられて嬉しくなった。

神崎くん、米塚さん。二人とも互いに話し合って、落ち着いたかな。


「でも……」

「広瀬さんに指示されたって、どういう事?」

「そうなんだよ____それはな……」


米塚さんは神崎くんに、これまであったことについて全て説明してくれた。

私が前に聞いたものと、一語一句違わなかった。それを聞いている時の神崎くんは、やっぱり真剣そうな目だった。




「この服着て、神崎を脅かしてこい・・・・・・って、訳の分かんない交換条件を言われた……」

「……そうだったんだ」


全てを聞き終えた神崎くんは、放心状態だった。


「正直、広瀬さんがそんな事する人間なんて思わなかった」

「なあ、神崎。だから、アイツにもし会っても、絶対に関わらない方が……___」

「___でも、僕にも十分責任はある」


えっ!?ど、どうしてそうなるの!?!?

私は神崎くんを見て、疑問を抱く。



「か、神崎くん、自分の命狙われてるんだよ!?どうしてそんなこと言えるの!?」

「だって僕は、彼女の事を見捨てたんだ。そんなの当然___」

「……当然なんかじゃない…!」


私は両手の拳を握って、ベンチから勢いよく立ち上がり、強い眼差しを向ける。

気がつけば唇も噛みしめ、私は、悔しさ・・・を露わにしていた。



「……七瀬さん?」


神崎くんは私を見上げ、不思議そうな顔で見つめていた。



悔しさ。神崎くんが自分を殺そうとしている広瀬さんに惹きつけられているから、心配になっている……とは、違った。

何でか分からない。分からない、けど。猛烈な悔しさが、心にあって……。


その時、私の中に一つの可能性が浮かんだ……認めたくない。でも。

広瀬さんは容姿もキレイだし、性格も彼と似ていそうだし……。

何より、自分は彼女に殺されてもいいって。まるで二人は、同じ世界にいたような気がした。そこに私なんて居なくて、除け者にされていた。



これは、嫉妬なんだ。



「_____ずいぶんと騒がしい」

「……!?」


その途端、横から野次るような声が聞こえた。

可愛らしくハスキーな女声は、低いトーンで震えていた。



赤い髪の少女。

……それは、黒いコートをつけた広瀬さんだった。

広瀬さんは私たちから10メートルくらい先に立っていて、完全に怒っていると一眼で分かった。


「お、おい、広瀬……!?こ、これは……その……!!」

「言い訳はいい。……この無能が_____ッ!!!!」


豹変したように叫び出し、鋭い目つきで米塚さんを睨む。

上着の中に隠し持っていたサバイバルナイフを素振りして、片手で構える。


しかし、この辺りに人は少なく、助けを呼んでも意味はあるか分からない。

たまたま通りかかった通行人も、そこで騒ぎながら、携帯を構えて通報する事しか出来なかった。

一般人を無闇に巻き込むのも悪いし、ひとまず最後の手段に考えておく。



私は正面の広瀬さんに視線を戻す。彼女は……パニックを起こしていた。

今にも殺しそうな勢いで、近寄る事も刺激する事も出来ない。


「あなたのせいで………私は、私はッ…!!この目を失ったの!!」


息切れを起こしながら、ナイフの先で、自分の左眼を指す。

……右目と比べれば、見るからに白っぽい。



神崎くんを横目に見ると、困惑した表情だった。


「……え?ど、どういう事……?」

「私はね……コイツにいじめられてた頃、左眼を蹴られて失明したの」


神崎くんはそれに心当たりが無かった。じゃあ、広瀬さんはずっと左側が見えてなかったってこと……?

次に広瀬さんは、そのナイフを米塚さんに向ける。



「コイツのことも恨んでる。

けど……一番恨んでるのは、私の気持ちも何も知らずに生きてた……あなた」


すると今度は、神崎くんにナイフの先を向けた。

……これまで以上と言っていいほど、彼を恨むように目を見開き、睨んでいる。


「ずっとずっと、アナタの事を捜してた。ようやく……殺せる。

……死ねッ……!!死んで詫びろ!!」


広瀬さんは理不尽な感情のまま、サバイバルナイフの柄を両手で握りしめて腹に当て、そのまま彼女は、神崎くんに向かって走る。

助けを呼ぶには、あまりにも短い一瞬だった。




私は彼の前に来て、手を広げて守る。

広瀬さんはそれを察知し、私の目の前で立ち止まった。

不自然な動きだった。感情のままに行動していたのなら、このままナイフを私の腹に刺していたのに。


「……どきなさい……!!」

「嫌です……っ!!」


冷静な表情。だけど、声は少し焦りを帯びていた。


シュッ!!


その時、広瀬さんは私に、サバイバルナイフを振り払う。

それは私の右肩を掠り、洋服も切れた傷跡から、赤い血がじんじん滲み出てくる。



「な……七瀬さんっ……!!」


心配の声が、背後から漏れる。でも、そこを退く事は、どうしても出来なかった。

私の中には嫉妬の感情があったかも知れない。神崎くんは、広瀬さんに殺されてもいいと望んでいるから。

もしかしたら心配に聞こえた声も、本当はこうやって妨害した私が邪魔なだけかもしれない。けど……。


例えどんな思いが混じってても。

目の前の大切な人を、見殺しにするような人間じゃないよ、私。



彼女は再び、持っているナイフの先を、私の胸に向けた。

……怖い。下手すれば私も死んじゃうんじゃないかと、考えが頭によぎる。


けれど……この際、最後まで抵抗するしかなかった。

死の恐怖を押し殺し、正面の広瀬さんを見据える。逸らすことなんで、絶対にしない。できないって、使命感があった。


彼女を見ていると、あまりにも理不尽過ぎた。だって、神崎くんは……。



「神崎くんは………ずっと、ずっと。『重い後悔』を抱えて生きてきたんだよ!?」


ふと、心の中で思っていたことが漏れ出す。



「広瀬さんは何も考えてないって思ってるかもしれないけど、彼は彼なりに、ずっと思い悩んできたんだよ……っ!」

「……どういう意味……!?」


神崎くんの思いなんて、わたしには分からない。

もしかしたらそんなに大して、思い悩んでないのかもしれない。


……少なくとも、これだけは言える。


「っ____!?!?」


私は、ナイフを掴んでいた広瀬さんの両手を掴む。

どうにか、自分の胸に刺さらないように。神崎くんが好きな彼女を、殺人者・・・にしてしまわないように。



「……私、広瀬さんに、こんな事してほしくなかった。」


広瀬さんは、放心状態になっている。そんな彼女の目を、私は真剣に見つめ続けた。

きっとこの子も本当の性格は、私みたいな普通の女の子のはずだって、信じ込んでしまっていた。



「うるさい…ッ!!」


彼女は私たちに、ナイフを振って威嚇する。

けれどその感情は、さっきまでとは大きく異なっていた。



「……なんで…なんでこうなるの……?私は誰からも愛されず育ってきた。

私にあなたを殺せなかったら…もう私には…、何も残ってないのっ…!」


しかし直後、そのナイフを持っていた手を下ろし、膝を崩した。

一人の赤い少女が俯いて涙を落としているのを、私たち三人はただただ見ていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


翌日。雨が降った。

日曜日のニュース番組を見ても、広瀬さんの件は報道されていない。


……なにせ、誰も彼女の事を通報していなかったから。


「大丈夫か、実花」

「……ん?」

「傷跡の方だ。病院に行った方がいいんじゃないか」


ダイニングで朝ご飯を食べていた時、お父さんにそう心配される。

私はそのテレビから、お父さんに目線を変えた。


「……ううん。誰にだって間違いは、あるんだから」


意味深な説明だけど、お父さんは首を傾げもしなかった。何の深掘りもせず黙々と、テーブル上の朝ご飯に目線を戻す。



あの後、広瀬さんと神崎くんがどうなったかは知らない。通報しようとしていた一般人に、上手い言い訳をしていたかも。「演劇の練習中だったんです」……とか?


その後に二人と米塚さん、何とかその三人で色々と話したみたいだけど……みんな、落ち着いていたみたい。

私はお邪魔かに思えたので、安全を確認し、空気を読んでその場を離れた。




食器を片付けて部屋に戻ると、スマホの着信音が鳴る。

あれ?蒼ちゃんだ。どうかしたのかな。


私は通話に出てみた。こんな休日に電話なんて、珍しい。


「もしもし?」

『あ、実花ちゃん!よかった、出てくれて。』

「りんちゃんどうかしたの?」


それにいつもは夜中、電話でガールズトーク的なことしてるんだけど……。

声色は普段通り。少なくとも何かしらの事件ではないし、ホッとすべきなんだろうな。



『あ、あのね?今から代わってもいい?』

「え?うん、いいよ」


しばらく経つと、電話の声が他の人に変わった。



『……七瀬さん』

「…か、神崎くん?」


うう。声を聞いて少し緊張してしまう。けど、無事で何より。

あれ…!そういえば、神崎くんって私の連絡先、知らないっけ……。



「どうかしたの?」

『ご、ごめんね急に。……あ、あの。二人きりで、話せないかなって』



えっ?二人きりで……?


「……神崎くん、予定とかないの?」

『忙しいけど……数分だけ時間を空けた。この件に関しては、十分に話し合いたいと思って』

「そ、そうなんだ」


神崎くんが真面目なのは、相変わらずだね……。

それにしても、「この件」……って、何だろう。


いやいや。あんまり期待しない方がいいかも。

もしかしたら、大して大事な話じゃないかもしれないし。え?待って。



神崎くんと広瀬さんが、付き合った……とか?

だ、ダメだ!また私の中で、変な推測が働いた。でも、声のトーンからしても辻褄つじつまが合う、かも。


私たちは今日、公園で待ち合わせの約束を交わした。

電話を切って自分の思考にため息を吐くと、すぐに出かける準備をした。


─────────────────────────────────


雨だったので、ピンク色の傘を差して公園に着く。傘を動かして見上げた曇り空は、不穏な予感を彷彿とさせる。

神崎くんはまだいなかった。濡れたベンチに座るのも何だし、立ったまま彼を待つ。


暇つぶしがてら、あたりを見渡すけど……この雨の公園には、ほとんど人がいない。

やっぱり生憎の天気だから、通行する人もいつもより減るんだもんね。少し経ったら、ゴミ収集車が公園の外の道路を走っていった。



すると遠くから、神崎くんがビニール傘を差した姿でやってくる。


私の目の前に来て、そこで立ち止まる。

息切れをしているみたいだし、どうやら遠くから急いで来たみたい。


約160センチ。それ以上の距離は、埋まりそうにない。

しばらく沈黙していると、神崎くんの方から口を開いた。



「……ごめんなさい」


唐突な謝罪。



いやいや!!何を謝ってるの!?!?

うう、もうちょっとだけ、謝罪の原因を説明してもらわないと……


「……あ、あの、調子どう?広瀬さんは」

「____えっ?あー……まあまあいい方だよ、多分。何とか三人で話し合ったら、広瀬さんの心も晴れたみたいだし。やっぱり、本当は優しい子だったんだよ」

「……そ、そっか……」

「…………えーと……」


沈黙。ただただ沈黙。

話したいことなんて、山ほどあったはずなのに。それすら忘れてしまった。



「……神崎くんって広瀬さんの事……好きなの」

「………!!」


思い切って勇気を出して、唐突に切り出してみた。

単刀直入すぎたのを自覚した時には遅かった。聞いた直後、神崎くんはとても、ぽかんとした表情を浮かべた。


その図星な反応、やっぱり辛い。

私はその表情から目を背けようと、拳を握って地面を見る。



「………うん。実は広瀬さんが、僕の初恋の子だった」


それが、神崎くんの言った答えだった。


「そ、そんな正直に……言わなくてもいいじゃん……!!」

「____えっ」


ついつい、思っていることが漏れてしまった。

自分から質問しておいて炸裂する、理不尽な女心。けれど、どうしても抑え切れなかった。



「私、つらい…!神崎くんは私なんかより、あの子のことが好きなんじゃないかって!二年生になった頃から神崎くんに一目惚れしてた。けど、そんな想いじゃ甘いんじゃないかって。

過去の初恋の人なんて、そんなの、叶う訳ないじゃん!!」


顔を上げて、神崎くんの顔に強い眼差しを向けた。

本来なら「いや、そうは言われても……」と口をつぐむと思っていた。けど、神崎くんの反応は、少し必死そうだった。



「甘くなんてないよ…!七瀬さんは七瀬さんなりに良い所がたくさんあるし……」

「ちがっ…違うっ!!私は……神崎くんの、一番になりたいのっ!!」


神崎くんはその言葉に対し、さらに驚く。



「か、神崎くんは………っ…!!人でなし……です……っ!」


そう叫ぶと、いつの間に傘を落としてしまった。

雨のせいで、私の洋服や髪の毛は、びちょびちょになってしまった。




次の瞬間。

冷えた身体の周りに、ホッとするような温かい感覚を感じた。


神崎くんは、私の体を……ぎゅっと抱きしめていた。

彼の手には傘がなく、神崎くんの服や髪までもびしょ濡れになる。



「七瀬さん……傷付けてごめん。確かに広瀬さんは初恋の相手だけど、今は良き友達だから」

「……う、うそ。本当に?」

「本当。だから七瀬さんは、ずっとそのままでいいから。僕は、そんな七瀬さんが、好きだから……!」


感情的な声で、神崎くんは、さらに私をぎゅっと抱きしめる。

冷たい雨水と紛れて、その涙は私の肩にぽつぽつと落ちる。


……私まで、涙が溢れ出てきてしまった。



「……ごめん。いや、ありがとうだよね。本当にありがとう。庇ってくれてありがとう。

七瀬さんは出会って間もないけど、一言では言い表せないほど、僕に楽しい思い出をくれたから」


公園の真ん中。私の中に秘めていた辛いもやもやが、すーっと抜けていったような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る