永遠に消えない傷

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「──りがとな、神崎! もう俺お腹いっぱいだわ」


スピナーを回し終えて、鮮明に聞こえてくる村野の声。

未だに辺りがぼやける中、徐々に目の前に、二人の姿が見えてくる。


やがて視界がハッキリしてくると、目の前には村野と七瀬さんがいた事に気付く。

夕方頃。どうやら僕の家の入り口で、家に帰ろうとする二人を見送る時間に戻ったようだ。



「じゃ、またな〜っ!」

「あ、また明日……!」


しばらく手を振った後、彼らは僕に背中を向ける。

恐らくこれから少し時間が経てば、七瀬さんがまた僕の元に戻ってくるはず。


でも、今の僕は何故か、胸にむず痒い違和感を覚えていた。やがて胸のむず痒さは、心の圧迫感に変わる。

しかしそれは、これから村野を救えるかどうかの心配から来たもの、ではなかった。

──このままだと、どうにも不安で、孤独な気がしてならなかった。今だけは独りでいたくない。こんな気持ち、今までは全く感じた事が無かったのに。


「……ぁ……待って!!」


思わず漏れ出た僕の声に反応し、村野らは振り返る。

不安定な声量で、大げさに二人を引き止めてしまった。ここまで来て、何でもないよと言うのは気が引けてしまって……。



「あ、その……キャッチボールしない?」


真っ先に頭の中に浮かんだ言葉を、引き止めた理由にした。

……急にキャッチボールに誘うなんて無理があったのではと、自分で思ったのは、沈黙してから数秒経った後だった。


「……え? それって、どういう──」

「おー! 楽しそうじゃん! だったらさ、近くの公園なら広いし、いいんじゃねーか?」


唖然とした表情で、首を傾げていた七瀬さん。

しかし村野は、彼女が話している最中にも関わらず、少し上擦った声で僕の提案に乗った。こいつ、体を動かす事は好きらしい。


……もしかしたら、村野の口から、折原についての確かな情報を漏らすかもしれない。折原の妹の件が、気になる点ではある。

前のタイムリープでしてこなかった事を行うのは少し気が引けたが、保守的になってしまうと、何も変わらないのも事実だ。



村野に勧められ、近くの公園に着く。

自宅の奥に弾力性のある青色のボールがあったため、僕はそれを持ってきた。

……これを持つのは、小学生ぶりだろうか。そう思うくらい、滅多に使わなかったボールだ。埃だらけで信頼性もない。最低限、使えそうではあるが。


地面に三角を作って、それぞれの角に立つように、向かい合ってボールのパスを行っていた。

僕は、右の手前にいた七瀬さんにそれを投げる。


「あ……っ、キャッチ!」


ボールはギリギリ、七瀬さんの左側を通り過ぎる寸前だった。しかしそれを目で追い、何とか彼女は両手でがっしりと掴む。

……本人が一番そんな風に見えるけど、その様子を見ていると、僕らまでヒヤヒヤしてしまう。


「……えと、神崎くん。どうして急に、キャッチボールなんてしようと思ったの?」

「あ。そ、それは」


訊かれた僕は、明らかに動揺してしまった。

彼女に「えいっ」と半ば不器用に投げられたボールを、難なく右肩の横でキャッチした村野が、その疑問にも対応した。



「キャッチボールが俺たちの出会ったきっかけだから……とか?」

「……え」


一瞬、唖然としてしまったが……言われてみれば確かにそうだ。

村野の言う通り、僕と村野が初めて出会ったきっかけは、キャッチボールだった。今さらだけど思い出したよ。


「あれ? 違うのかよ! なんっだそれー!?」


僕の反応を見て、村野は予想を裏切られたかのように不機嫌な表情を見せる。

でも確かに、さっき無意識に「キャッチボール」という単語が頭の中に湧いて出てきたのは、それが原因なのかもしれない。



「出会ったきっかけが、キャッチボールって?」

「ん……たしか一年前ぐらい前に、ちょうどこの公園で弟とキャッチボールしててさ。そこに偶然、神崎が通りかかって」

「えっ? 学校で知り合ったとかじゃ?」

「ああーそれがな!? 実はちげーんだよ! まあ、学校でも会ったことはあったけど? 実際に話したのは、そん時が初めてだったわけ」


村野の言う通りだ。

今年の春に初めて村野と話して、その時に村野の弟、涼くんとも顔見知りになった。

僕はそこまで村野と仲良くなりたいとは思ってなかったけど、村野の方から僕に話しかける頻度は、その日から格段に増えたのだ。


笑顔で語る村野は、ボールを片手で掴んだまま、僕を指差す。


「……あ。そーいえばおまえ、あん時はめちゃめちゃボール投げるのヘ──」

「早く投げて」

「お、おうっ!」


……危ない。僕が何も言わなければ、過去の黒歴史を七瀬さんの前で炙り出される所だった。

だがその直後。安堵の息を吐き、油断していた僕を見て、村野はニヤリと悪戯に口角を上げる。



「──あん時はめちゃめちゃボール投げるの下手だったよな!!!」

「ぇ……」

「ハイ落としたー!」


村野が勢い良く投げてきたボールを掴みきれず、そのまま向こう側に転がっていった。

こ、こいつ……! 人を安心させた矢先に、何て性格の悪いヤツだ……。張本人を睨んでやると、何の罪悪感もないような満面の笑みをこちらに見せていた。


「神崎くんって、ボール遊び苦手なんだ……!」

「う、うん……もういいでしょ、はい次次」


七瀬さんは瞳を輝かせていて、それが僕の弱点を知って喜んでいる風に見えたのは、失礼な思い違いだろうか。



僕は焦りながら、向こう側に転がったボールを拾って、持ち場に戻る。

気を取り直して、再び七瀬さんに投げる。彼女は少し転びそうになっていたけど、キャッチしてくれた。やはり妙にビクッとさせられる。


「それにしても神崎くんと村野くんって、ほんとに親友なんだね」

「いやいや、こいつとは親友じゃねーよ。……心の友、心友しんゆうだっ!」


目を輝かせ、親指を上げる村野。

……僕には何を言っているか、さっぱりだった。


「普通に親友でいいとおもう」

「え〜!? な〜んか、ロマン溢れんじゃん? そーいう男友達に対して、俺一度言ってみたかっ──」

「お願い恥ずかしいからやめて」


即答しただけで、村野に不満げな表情を見せられた。彼の様子を見た七瀬さんは、急に腹を抱えて笑い出す。

七瀬さんを見ていると、なんだかこっちまで面白くなってきて、全員で笑ってしまった。


──いや。村野に言われた「男友達」って言葉に、思わずニヤけていたのかもしれない。僕がそんなの、らしくないのだが。



「……あれ、村野ー? それに、おっ!! なーなちゃーん!」

「あ、皆さんこんにちは!」


そんな時。公園の外にいた女子二人が、こちらに向かって手を振って挨拶してきた。

ん? 村野らの知り合いか? 一目見るだけじゃ、僕の顔見知りかどうかは分からない。少なくともその可能性は極端に薄いが。


前の女の子は、茶色のショートヘアで、活発げで元気の有り余った印象。後ろにいたもう一人は、黒髪ポニーテールの、真面目で清楚な印象だった。

どちらも、今時風の可愛らしい洋服を着ていた。



……ん、この二人。どこかで見た事があるような……。


「あ、神崎に自己紹介しとくわ、あのうるさそうなやつが長野穂花ながのほのかで……」

「はぁー!? うるさくなーい!!」

「……な、うるせーだろ? そんで黒髪ポニテの清潔な子が、奥原夏目おくはらなつめ。二人とも俺らと同じ学校の一年で、バトミントン部だから」


怒鳴られた後は声を潜め、彼女たちについて僕にそう紹介してくれる村野。なるほど、二人とも一年生なのか。

……因みに、長野さんはさっき言われた言葉で、しかめっ面で頬を膨らませていた。


長野さんは、長袖の白いセーターを着て、青のショートパンツに黒いタイツを穿いていた。

その隣にいる奥原さんは、ボタンを止めたブラウンの上着、袖から出ている白いもこもこが印象的。ファーと呼ばれるものだった気がするが。


「──あっ!」


奥原さんは僕に向かって、唐突に驚いた声を上げた。

その直後、前にいた長野さんを通り過ぎて公園の中に入り、早歩きで近づいてくる。


「……あの時、体育倉庫に閉じ込められてた人ですよね!?」


ん? あっ。僕は気が付いた。

そういえばそうか……! 前に厚見先生に体育倉庫に閉じ込められていた時、たまたま通りかかって僕を助けてくれた女子高生が、奥原さんだ。



「あ、は、はい! そうです」

「ですよね!? はぁー、無事で何よりですよ! あの時はホントにびっくりしました。部活の休憩時間に体育倉庫の辺りを覗きに行ったら、中から人の声が聞こえてきたので……」


奥原さんは、安堵の息を吐きながらそう話す。……僕も驚いた。こんな所で再会できるとは。

長野さんと七瀬さん、村野は、揃いも揃って首を傾げているが。まあ事情を知らない時点で、それこそ普通の反応である。



「ん、お前ら知り合い? 閉じ込められてたって、何があったんだよ?」

「知り合いっていうほどではないんですけど、まさかこんな所でまたお会いできるとは!」


奥原さんが僕を見ながらそう話すのを見て、少し驚いてしまった。

後半の質問は無視するのか。村野は軽く拗ねていた。体育倉庫の件に関しては話が長くなるし、今は僕もこいつの事を気にしなくていいだろう。

やがて再び、彼女の隣に長野さんが立つ。


「ところで、みんなここで何やってたの?」

「ん? ……ああ、キャッチボール!神崎に誘われてさ……お前らも一緒にやろうぜ! ほら、多人数だと楽しいし」


長野さんは「えぇ〜……?」と嫌がる素振りを見せた。

正直、何で村野が二人を誘ったのか分からなかった。僕からすれば、多人数は緊張するのだが……。



「んー……いいけど? 私いまお腹いっぱいだから、そんなに激しい運動はムリだよ?」

「あ、じゃあホノちゃんが言うなら、私も参加させてください!」


案の定、二人は頷いた。長野さんは、その言い方からして昼食を摂った後なのだろう。それでも承諾するとは、随分とアクティブな人だ。

……うっ、大丈夫だろうか。僕の緊張は既に、鼓動に影響を及ぼしている。顔馴染みのない人は、ちょっと苦手だ。



ん? いや、もしかしたら。二人から何か、村野や折原の情報を聞き出せるかもしれない。これもチャンスの一つである。

僕は深呼吸し、何とか気を確かに持って、この時間をやり過ごす事にした。


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「ふぅ! あー……お腹痛ぃ……」

「あ、あの、大丈夫ですか?」

「あ、アリガト! そうだね、運動しすぎちゃったかもー。ていうかさっき外食行ったばっかだし! 腹にパフェ溜まってんのー」


僕はキャッチボールで疲れ果てて、ベンチで体を休ませていると、同じく激しい運動で疲れ果てていた長野さんが、僕の隣に座ってきた。

その息切れして、額から汗を流している横顔に、何故食後なのに運動したのかと改めて思わされた。というか普通、パフェで腹一杯になるものだろうか。


「神崎、ホノカ、もう休憩かよ! つまんねーな!」

「誰のせいだと思ってんのよ! あんった女子相手にマジでボール投げすぎ!!」

「おー! じゃあそこで見てろよ、補欠どもっ!」


村野がウインクをしながら、ピースサインで僕らを指差す。

それに対し「ぬあぁーっ!」と、両手を宙で回して怒りを露わにする長野さん。この人、まだ元気が有り余っているのか。


……そういえば、前に村野が話したことのある「ホノカ」。恐らく村野の腐れ縁らしいが、それがこの子だったのか。

うろ覚えなのだが、前に蒼さんと中島さんに男子トイレから救ってもらった直後、一瞬だけ彼女の事を見かけたような気もする。


ちょっとしたモヤモヤを頭の中で晴らした後、改めて正面を見る。村野と七瀬さん、奥原さんが、ボールを投げ合っていた。

すると、ベンチで僕の隣に座っていた長野さんが、横からこちらを見て話しかけてきた。


「もしかして、噂の神崎くん?」

「え? ……あ、はい。そうですけど」


「噂の神崎くん」と呼ばれ、少々驚いてしまう。



「へー、きみが神崎くんかぁ。噂には聞いていたけど、やっぱイケメンだね~っ!!」


不意な冷たさにビックリして、肩が反応してしまった。

一瞬頭が回らなかったが、長野さんが僕の頬の柔らかさを確認するように、人差し指で触っていたのだ。涼しい季節の影響で、指が冷たかったのだろう。


「うわっ! ちょ、や、やめてください!?」

「あ、ごめんね。冷たかった?もう冬だもんね」


……初対面だと言うのに、あまりにも馴れ馴れしい。急に女の子に触られたということもあって、正直、恥ずかしさもあるにはあった。

おそらく、村野がこの子に余計な噂を流したのだろう。



「……えーと、僕に関して、何か噂を聞いていたんですか? 長野さん」

「名前呼びでいいよ? 私後輩だし。……う〜ん、そうだねぇ。一言で言えば、神崎くんは真面目ボーイって所くらい? 村野がさ、よく話してくれるの」


「真面目ボーイ」って。僕は村野に、そんな風に思われていたのか。

そういえば、長野さんは一年生だった。ホノカと呼べばいいか。……いや。ホノカさん、の方が呼びやすい。

ホノカさんは、そんな話をし合うぐらい、村野と仲がいいのだろうか。


「ホノカさんは、村野と仲がいいんですか?」

「うーむ? まあまあかな。でも、私が入学したての頃からの付き合いではあるねぇ。……ってか、敬語じゃなくていいのに!」


けたけたと笑われ、軽く肩を叩かれる。

確かに半分、無意識で敬語になっていた……しかし勘弁してほしい。出会ったばかりの人間に、タメ口を利くような勇気は僕には無いのだ。


というか、ちょっと待てよ? 入学直後からって、僕なんかよりも付き合いが長いって事じゃないか。驚いたな。

じゃあもしかすれば、村野の例の件・・・に関して、何か情報を握っている可能性が高い。



「……じゃ、じゃあホノカさん」

「ん? なに?」


言い淀んでいた僕を、素朴な丸い瞳で見つめるホノカさん。僕は思い切って、小声でそれを訊いた。


「村野が、その……いじめ、を受けているって、知ってますか?」

「──えっ?」


それを言った後、ホノカさんは明らかに面持ちを変えた。ん? もしかしたら、初耳なのか……?

だとすれば今、僕は余計な事を言ってしまった? 彼女の唖然とした様子を見せられ、僕は頭の中からこの状況に相応しい言葉を探していた。

しかし。



「……神崎くん。その……知ってたよ、私も。ずっと前から言えなかったけど」


えっ…?

僕は思わず、目を見開いた。


「そ、そうなの?」

「一学期の頃、別のクラスの二年生に……何というか。蛇口の所でそういう現場、見ちゃってさ。

私、最初は本当ショックだった……でももちろんその時は、すぐにでも先生に報告しようと思ったんだよ!? ……けどさ」

「……けど?」

「村野くんに止められたんだ。誰にも話さないでって」


村野に、止められた?

衝撃の事実に、思考が疑問符で固まってしまった。何故? どうして村野が、いじめの件を誰にも言おうとしないんだ?

そして、それを僕に隠し通す理由は、何なんだ……?



「あんまり顔に出せなかったけど、ずっと不安だったの。あの村野の笑顔が、全部嘘なんじゃないかって。……私、神崎くんに言われて、改めてそう思っちゃった」


そう言ってホノカさんは、公園でボールを七瀬さんに投げる村野を見ながら、笑い声を漏らす。しかし僕が見るに、それは寂しさのような感情を帯びているような気がした。


どうして僕に対しても、その秘密を打ち明けてくれなかったのだろうか。

「心友」? そんなの、本当に馬鹿馬鹿しい。全然、心が通じてないじゃないか。



「……何で、僕にも言ってくれなかったんだ」


一人呟く僕の隣、黙り込んでしまったホノカさん。お互い、軽く俯いていた。



もしかして、村野は僕の事、そもそも友達とも何とも思っていないんじゃないだろうか。

そうすれば、僕にその秘密を話してくれなかったというのにも説明がつく。


思えば、僕は村野に、「お前は友達だ!」と明確に断言された事がない。指を組んで必死に記憶を辿っても、それに似た言葉すらも思い出せない。

……きっとそうだ。だったら村野は僕のことなんて、親友だと思ってない可能性が……高い。




「…………誤解しないで、神崎くん」


僕はホノカさんの一言で、沈黙から遠のいていた意識を取り戻す。



「……誤解って、どういう事、ですか」

「あのね、正直に話すね。──主犯の、折原拓海くんっていう生徒、知ってる?」

「……! は、はい。知ってますけど……」


折原?どうして村野をいじめていた奴の名前が、今になって出てくるんだ?

いや、まさか……



「……私、噂で聞いたんだけど、折原って人は昔、妹がいたらしいの。

けどね、父親から日常的に、その。そういう事だったらしくて……そのせいで、彼の妹は死んじゃったんだって」


僕はその折原の意外な過去に対して、驚いた表情のまま…しばし沈黙してしまった。

ホノカさんが言うことが本当だとしたら……


「……むごい話だよね。

彼には母親もいないって聞いたから、家族がいなくなった怒りを村野にぶつけてたのかもね…」



…曖昧な気分だ。

自分にそんな仕打ちがあったせいで、彼をいじめるなんて、絶対によくない。

でもまさか折原が、そんなに重たい過去を持っているだなんて、思いもしなかった。


「誤解っていうのは、どういう意味ですか」

「……村野、ああ見えて優しいから、きっと同情してたんだよ。家族のいない彼に対して。

だからね。私的には、別に神崎くんを信用していなかったわけではないと思うよ?」



それを聞いて、少しほっとしていた自分がいた。

でもそれと同時に、村野を親友じゃないだとか思った自分自身を、心の中で責める。


「……僕は何で今まで気づかなかったんだろう。もう少し早く気付くことも出来たかもしれな……えっ、ホノカさん?」

「………ばかみたい……っ…」


ホノカさんの方を見ると、膝に手を置き、大粒の涙をぽろぽろと流していた。

僕は、さっきの様子から一変した彼女に、唖然としてしまう。



「確かに……家族を失う辛さは……計り知れないよ……?

けど、それで他人を傷つけるなんて………どうかしてるっ……!」


確かにそうだ。考えてみると、この前の七瀬さんの家の放火事件も、

厚見先生が家族を失って起こった事件だし、どこか繋がっているところがある。


ただ一つ違うのは、復讐の感情ではなく、怒りの感情である事。



それと、最後に分からないことがある。

折原は村野に対して『俺の過去を侮辱・・した』と言っていた。

あの言葉は一体、どういう意味なのだろうか……?



「……ご、ごめんね、神崎くん。隣で泣いちゃったりして」

「いや、その……辛かったのに、言ってくれてありがとう」

「ううん。こちらこそだよ」


僕は、ホノカさんの手元に綺麗なハンカチを渡そうとする。

だが彼女は僕に手のひらを向けて遠慮し、涙をセーターの長袖で拭いた。



「……私もね、千里ちさとっていうお姉ちゃんがいたんだけど、5年前に死んじゃったんだ。

だから折原くんの気持ち、少しくらいなら分かる気がする……と思う」


涙は止んだものの、辛そうな表情でそう話すホノカさん。

……よっぽど、その千里という姉に思い入れがあるのだろう。


「えっとね。私こう見えて、ずっと辛い思いしてた。

私なんかより、親友である神崎くんに救われた方が、村野にとっても幸せだと思うよ?」

「親友……でしょうか」

「え!そうだよ!だって村野、四六時中、神崎くんの話ばっかするんだよ!?」


そ、そうなのか。

相変わらず、人に喋りまくるのが……村野らしいところで、思わず笑っちゃいそうだ。



「おーいっ!もうそろそろ休み終えただろ!早く来いよ!」

「はっ!?うるっさいっ!今行くから待ってろっつーの!……あ、神崎くんも行く?」


すると、村野の声が聞こえてきた。どうやら、僕たちを呼んでいるようだ。


ホノカさんが振り向いて僕の様子を見る。それに対し、僕は首を横に振った。

それを見た彼女はベンチから立ち上がり、気持ちを切り替えてすぐに村野たちの方へ向かっていった。



僕はただ、四人が会話しながらキャッチボールをしているのを、そこでぼーっと眺めていた。


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翌日。教室の休み時間に、自分の席に座って、村野の方に注目している。

今は自分の席に座り、教科書をしまっている様子だ。


その時、村野の後ろに、四人の男子生徒が迫っているのを目撃した。

……四人の中の一人は、折原だ。


折原は三人組より前に来て、村野の肩を背後から叩く。



「よー、村野じゃねーか。」

「……!」


村野は驚いた表情をして以降、一言も喋る気配もなく自分の机を見てただ俯いている。

話しかけるのなら、今しかない。僕は席を立ち、折原の横に近づく。



「………あ…?」

「こんな事は…っ、やめてください」


……この言葉で引き下がる奴らだとは思えない。

けれどこれが僕の唯一出来る、折原に対する警告だった。


「お前、誰?俺たちの邪魔しないでほしいんだけど」

「僕は、村野の親友です」


そう言うと、俯いていた村野は、僕の方を見て驚いた表情を見せた。

前は確か「神崎です」とだけ名乗ったけれど、今は違う。折原と後ろの三人には、あざ笑って馬鹿にしているようだが。

思い切り勇気を振り絞った僕の表情と裏腹に、やはり握っていた拳の汗が半端ではない。



「あそ。別にいいじゃん友達と遊ぶぐらいとか。友達と遊ぶのがダメってあんたキチガイじゃねーの」

「………さっき、約束したんです」

「は?」

「僕と村野、今から二人でサッカーする約束をしてたんです。だから…ごめんなさい」


四人の…ヘビ、いいや、それ以上に恐ろしい睨みは、かなり僕に利いている。

……嘘は苦手だ。でも誰かを敵に回しても、村野を守るための嘘だって重要だと思った。

バレていないし、こう言い訳すれば折原らも、物を言えないはずだ。うん、多分だけど…。



「ふざけるな!村野、ホントにコイツとそんな約束交わしたか?おい?聞いてんのか?」

「………。」


村野は僕を見た状態で、何も言わない。

だけど、何も言わないけど……僕の目をじっと見ていた。「助けてくれ」の眼差しだと、僕は勘づいて思った。


「……なんとか言えよ!!!」


折原は右足を床に強く叩く。かなり焦った様子で、村野に対し大声でそう言う。

それに対して、周りの生徒たちもしばしば反応する。鋭い視線が村野に集中し、本人は気づいていないけど。

頼む、村野。命が惜しいなら……僕の些細な嘘に付き合ってくれ。



「………俺は____」

「あ゛あ゛ッ………!もういい…………ッ゛!!!!!」


今まで以上に鋭い目つきで、村野を向いて、教室中に響く大声を出す。

全員がザワついたが、それと同時に村野の腕を掴み、無理に教室の外の方へと連れ出す折原。


ちなみに、彼の仲間である三人組は、その状況に唖然としていた。

……僕も含めて、だ。思わぬ展開に、軽く開いた口が塞がらなかった。



「か、神崎くん!何があったの!?」


その時、横からこの状況に困惑した七瀬さんが話しかけてきた。

確かにこの短い間に色々と起こりすぎた。うう……困惑するのも無理はない。


だがこのまま村野が理科室に連れていかれたら、更にまずい事になる。



「ごめんなさい、七瀬さんっ…!!」

「ぇ、どうしたの!?まっ…!?」


僕は動揺する七瀬さんを差し置いて、理科室の方へと急いで向かった。

……ごめん。今は非常事態なんだ。





「……全員、地獄へ堕ちろ……ッ!!!」


理科室の前に着くと、感情的になった折原が、村野の首を絞めて掴み、開いていた窓の外に上半身を無理やり出して放り出そうとしていた。

まずい。ここは三階だ。窓から放り出されたら恐らく助からない。


嫌だ嫌だ…これ以上事態が悪化する前に、早く終わらせなきゃ……!!

僕は折原の方へ、ゆっくりと歩いて近づいてみる。こんな時こそ、僕は冷静に考えるべきかもしれない…。



「…ちょっと待って」


とっさに僕は、声を出して引き止める。

同時に七瀬さんが、背後にある廊下にやってきて叫ぶ。


「神崎くん!?それ以上は危ない…!!」

「…………へぇ?お前、神崎って言うんだな?ずいぶんと俺の気分を踏みにじってくれたな……?」


折原はその状態のまま、僕を見て不気味ににやけていた。

明らかに精神が、尋常で無いほど狂っている。もはや「いじめっ子」なんかの枠では収まらない。





「………『三月みつき』」

「_____は…?」


折原は目を見開き、しばし唖然としていた……やっぱり。



『折原三月』。父親に殺された、折原の妹の名前だ。

実は、僕は前にホノカさんから、その名前を教えてもらったのだ。


「……どうしてお前が…誰から聞いた…?」


折原は弱々しく震えた声で、僕にそう言う。感情的な様子は、次第に薄れていった。

やっぱり、妹に対して相当な思い入れがあるのだろう。



「………三月は、14歳だった。父親から俺をかばって死んだ。頭を角にぶつけて…ッ!!」


突如、涙を流しだし、目線を変えて村野の方を向く。


「何ッ…何で…!!そん時…、おんなじクラスだったコイツが目についた。

俺の目先で、他のやつとヘラヘラ笑ってる村野が、許せなかったんだよ…!!」


え?待てよ。もしかしてそれだけで、村野は………?

じゃあ前に折原が言っていた「侮辱」っていうのは、村野が他の人と関係ない話をして笑っていた、ただそれだけの事か?



「……それじゃあ、ただの八つ当たりだ…!」

「違う、違う違う。ッ…こいつは…俺を侮辱した。

きっとその時だって、俺の陰口を叩いてたんだよ………あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


そう言われたって単なる被害妄想だ。……嘘だ…そんなの意味が分からない。

何故、折原と関わりのなかった村野が、ここまで苦い思いをしなきゃならなかったんだ。何故村野は、八つ当たりのせいで死ななくちゃいけなかった?何故だ…??



僕は怒りを抱く前に、理解が不能だった。

それに気付けなかった僕が一番意味不明だけど、それでも…村野の気持ちは…。村野はずっと、苦労してきて……!!!



「……おれ…は……」

「…!!」


すると村野が、恐る恐る声を振るわせ、折原に対して言う。


「……俺は、折原の苦痛、全部分かってた。だからさ……受け止めたくなったんだ、なんとなく…」

「…は?」

「前から知ってたんだ、俺は。ずっと大切にしてた兄弟が亡くなるって、ほんと、『辛い』って言葉じゃ表現できない程、辛いはずだろ…?

お前にとっちゃ、永遠に消えない傷だって思ってた…。少しでも癒えるなら、俺みたいなバカ、どうとでもしてくれて良かったんだよ……」


それは、僕らが初めて聞いた、村野の本心だった。

じゃあ村野は、ずっと折原のために、どんな苦痛にも耐えていたって事か……?


……お人好しだ。確かにバカが付くほど、村野はお人好しすぎる。



そして、『永遠に消えない傷』。

折原はそんな村野の言葉を聞き、口を震わせた。



「………は?何だよそれ……っ、てめぇドMか、ふざけんな………!!」

「そんなんじゃねー……」


折原は暴言を吐いていたが、それと裏腹に、大量の涙を、ぽとぽと村野の制服の腹に落としていた。

そして村野も、目を閉じたまま、フッと笑っていた。何であんな表情が出来たのか……やはり意味が分からなかった。



戦意を喪失したのか、折原は村野を室内に無理やり投げ戻す。

折原は放心状態になり、立っていたその場で足を崩した。



「……神崎くん、あとは任せて」


いつの間に隣にいた冴島先生が、放心状態の折原に近づいて、理科室の外に連れ出した。察するに今までの騒動も気付いていたようだ。

二人きりになり、僕はすぐにその場に倒れていた村野の近くに寄る。



「村野、大丈夫か」

「おう……助けてくれて、ありがとな………」


これで村野の命は、やっと救われた…はずだ。

だが彼の背中を手で持った時には、目を閉じかけていて、意識はもうろうとした状態だった。


「……村野は、本当のバカだね」

「くっ、神崎に言われると照れるわ……」


いや褒めてないから……と、突っ込む暇も無さそうだ。

村野は、目を閉じそうだった。



「…あのさ、僕、本当に心配したんだ……いや、僕なんかだけじゃない。みんなが心配した」

「分かってるっつーの……本当に悪かった」

「うん。……ねえ、これだけは覚えて。村野の身体は、村野だけのものなんかじゃない。

だからこれからは、僕らに相談して…お願い。もっと、自分を大事にして……」


そう言った直後には、もう彼の意識がなかった。


───────────────────────


放課後。僕はすぐに病院へ向かい、村野のいる病室に着く。


意識のない村野の寝ていたベッドの横で、僕はただ彼が目を覚ますのを待っていた。

……だって、村野は僕の親友……ええと、心の友……?だもの。







「________ん、あぁ゛……」

「村野…!」


数十分ほど経つと、唸り声を出して、彼は意識を取り戻した。



「………おお、神崎か」

「大丈夫!?怪我は?意識は…!?」

「……ぷっ!そこまで質問攻めされても、俺医者じゃねーし分っかんねーっつーの!」


僕のあたふたした姿を見て、吹き出す村野。どうやら無事なようだ。

よかった……あそこまで長い間窒息させられて、意識も無くなるってどういう事だよ全く…。



「あっはは!はぁー………つらかった」


直後、暗く落ち込む村野。これまでの事全体を、ようやく把握できたのだろうか。


「神崎。ずっと言えてなくて、済まなかった。勇気がなかったんだよ俺には。

あいつ…折原にもさ?いい所があるんじゃないかって……信じ続けたかったんだ……ははっ、ばかみたいだろ?」

「………考えたけど、やっぱり馬鹿なんかじゃない、村野は」


村野はそれを聞くと、俯いて涙を流しはじめた。

まるでこれまで経験した痛みを、全部さらけ出すかのように。


「…ふ、あっ…ありがと…な…?」


僕はそんな村野の肩に、黙って両手を乗せた。

そして、親友は僕の胸に飛び込んだ。服が汚れるとか今はどうでもいい。



村野についた心の傷が、少しでも癒えていく事を祈って。







ガラッ、バタン。


「ひ、ひいいっ!」

「えっ七瀬さん!?」


病室から出ようと扉を開けると、その扉の目の前には、カバンを両手で持つ制服姿の七瀬さんがいた。

急に扉が開いたのに対し、小動物のようにびびる七瀬さん。古風な声の出し方に僕もびっくりした。



「ええ、と…こんな所で何してたの?」

「そ、そのぉ…邪魔しちゃわるいかなぁ、と思って……。大丈夫?村野くんは」

「うん、大丈夫だよ村野は。じゃあ僕は帰るね」


村野の様子に、ため息をつき安堵する七瀬さん。



「よかった…。あ、うん、じゃあね、気をつけてね〜!」


七瀬さんを通り過ぎて、僕はそのまま病室を去っていった。

途中、「ゴンッ!」と何かが何かとぶつかる音がしたが。まあ気にしなくてもいいか。




病室の廊下の途中、制服姿のホノカさんとすれ違った。

かなり走って急いでいる様子だったが……そこまで村野が心配なんだろう。


こうしてそのまま僕は病院を出て、直行で家に帰った。

何より疲れたからである。友達が無事である時だけが、僕の安心できる時間だと実感した。


「……それにしても、何で七瀬さんと村野、二人とも死にかけたんだ?」


素朴な疑問も呟いたが、やがてそれは忘れ去られていった。




夕方。自宅の前に着くと、真っ先に家のポストを確認した。

タイムスピナーはない。……役目を果たし終えたから、だろうか。



これからまた、過去に戻る日が来るのか。それはそれでイヤだな。

けど、だとすれば………誰かの命を救えるのは、きっと僕しかいない。そのために、心の準備をしておこう。




寝室。着替える余裕もなく、僕は制服でそのままベッドに仰向けで倒れた。


はぁ。今日はなんだか、色々とあったな。

いや今日というか、なんだろう。過去に戻った時は、どんな風に一日がカウントされるんだ。

……「いじめ」、か。そういえば。僕が中学の頃、たしか同級生の女の子も……


いや。あの時の事は……あんまり思い出したくない。

とにかく今日は色々あって疲れた。勉強にも集中できなかったし、後でまたやろう。




僕は安心してすぐに、眠りに落ちてしまった。



▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽



「………アハハっ…!……やっと見つけた……、コウタくんのおうち。」


一方、僕の家の前で赤髪の女子高生が、不敵な笑みで呟く。

そして、この時はまだ知らなかった。





次のターゲットは………他でもない。


僕自身である事を。

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