心の隠し事

自動ドアを抜けた先、見上げると、快晴の青空が広がっていた。


今日退院したばかりの僕は、その空をただじーっと見ていると、雨上がりの虹が浮かんでいた事にも気が付く。

少し時間が経過した。何だか気分も、晴れたような気がする。



深呼吸した後、ふと携帯の日付を見てみる。


『10月27日(土)』。入院していた期間は、3日だ。

流石に、3日間も入院するとは思わなかった。それでも医者の人には、退院後も少しは安静にしておくべきだと言われている。

……七瀬さんの命を救えたと思えば、大したことじゃないけど。



そういえば昨日、新しい担任教師・・・・となった冴島先生が、病院に挨拶をしにやって来てくれた事があった。

僕が倉庫に閉じ込められていた時、合鍵を使って助けてくれた、あの女性教師である。


明るい笑顔で、七瀬さんや村野の話をしてくれた。学校でも、僕の事を心配して気にかけてくれているらしい。……いや、僕の入院初日にも会ったばかりだけど。



そこで重要な話を聞いた。七瀬さんの家を放火した犯人ら二人は、逮捕されたらしい。指示を出した厚見先生と、放火を行った共犯者だ。


放火事件があった翌日に厚見先生は自首をした。先生は、自分の罪悪感に耐えられなかったのだと思う。

共犯者であるYosi、本名「慶滋豊よししげゆたか」という人も、その翌日の夜に逮捕された。


半年間、ずっと僕らの担任教師を務めてきた厚見先生が、生徒である七瀬さんを危険に晒す……そんなの、3日が経った今でも信じられないけど。

少しずつ、普段の日常に戻りかけていた事に安堵する。


ただし、大きな心残りが一つだけある。「タイムスピナー」が、本当に存在していたかどうか。

もしかすれば、単なる夢だったのか。……いや、あれは現実だった。確かに手に持っている感触も、過去に戻っている感覚もあった。けれど、どうして……。


いや、一旦この事は頭の隅に置いておこう。今は何だか、家が待ち遠しい。



久々に家に帰ると、真っ先にポストの中身を見た。

……スピナーは、無さそうだ。そもそも空っぽだったため、僕はため息を吐いた直後、鍵を開けて玄関に入った。


「ただいま」


一人だと言うのに、思わず呟いてしまった。……久々の我が家だ。

懐かしい壁。踏み心地よいフローリング。そして、心地いい照明。入院して3日程度だというのに、この空間に深い安心感があった。


よし。気を取り直して、久々に料理でも作るか。

そう思い立って、僕はキッチンの方へと向かった。



「あらおかえり浩太郎」


だが。


コンロの方には、フライパンを両手で揺らして料理を作っている──叔母さんがいた。大げさに驚く表情を見られてしまった。

……予定では確か、今日は家に居ないはずだ。カレンダーにも一応、10月27日のマス目の右下にも「×」と書かれてあった。


「ど、どうして? 今日は、遠くの実家に帰ってる日じゃなかった……?」

「あら、浩太郎の顔を見に来たのよ。退院して一人だと寂しいでしょ? あ、このチャーハンはアタシのだから」


……僕は思わず呆れて、ため息を吐いた。

正直、今日は一人で家の時間を過ごしたかったと言うのに。残念ながら誰かが家にいると、あまり落ち着ける性格ではない。


ピンポーン。


ふと、玄関のチャイムが鳴った音が聞こえた。

叔母さんはフライパンで手が塞がってるし、僕が対応するしかない。玄関に向かい、扉を開けると……。



「よっ!」


3日前にも会った人物が、手を挙げて挨拶。私服の村野だ。


……考えれば当たり前だった。家の住所を知っているのは、叔母さんと村野しかいない。

橙色のパーカーを着ていた村野は、にこにこと満面の笑みを見せていた。


「何しにきた」

「ちょ、おいおいおい! 冷たい顔するなよ〜っ!!」


僕の不機嫌な顔を察したのだろうか、村野は少し焦りを見せる。それでも笑顔は絶やさなかった。

土曜日、折角の休日。……頼む。みんな僕を一人にしてくれ。


「退院祝いだ! 邪魔するぞ!」

「──いやちょっと待てっ!? 家の中、入るの……!?」

「え〜? せっかく来たんだしー、いいじゃん! 俺たち心の友、心友だろー?」


……つまらん。今時そんな究極にダサい事言うのか。


思わず驚いた後、目を細めた僕。そんな僕の横をすり抜けようとする村野。何の罪悪感もない行動が失礼極まりない。

心友だと言うのなら、僕の心を読んでほしい。「は・い・る・な」の四文字を。



「うひょー!! やっぱお前の家落ち着くわ〜!」

「……何しに来たんだよ、村野は」


半ば無理やりではあるものの、村野を家に入れる羽目になってしまった。

リビングの床に、大の字になって寝転ぶ村野。これが退院祝いとは……皮肉すぎる。村野を呆れ果てた目で見つめていると、横から叔母さんがやってきた。


「あらいらっしゃい、村野くん! 元気にしてた?」

「あ、あれーぇ……? も、もしかして、神崎の叔母ですか!?」


素早く立ち上がり、そのままピンと直立する村野。

そういえば。村野は2ヶ月位前も、僕の家に来た時があった。そこで叔母さんと初めて会ったんだっけ。


「久しぶり! この前話してくれた、弟さんはお元気?」

「おおー! まあそうっすね! ぼちぼちって感じです、反抗期ですけど」


最後の一言に苦笑いしながら、村野は頭の後ろを掻く。

叔母さんは両手の平を合わせた状態で、顔が一層パッと明るくなる。確か他人と話すのが好きなんだったっけ。



「あらそうなの! じゃあ部活はどう?」

「まあまあですかね? 割とサボってるし。でもねー、チームプレイは得意な方なんですよ、俺!」


部活……ああ、サッカーの事か。



──そういえば。僕が入院していた時、村野が病室でこんな事を言っていた。


『あのさ、村野……その左肘についてるアザ、何?』

『ん? ああ、すまん! サッカーで転んじゃってさー。ははっ! バカみてーだよな』


あの時から、制服の裾から見えた左肘のアザが、どうも薄々気になっていた。

最近の村野は部活を休んでいる事が多いらしく、サッカーで怪我をするなんて事、ここ何週間・・・・・も聞いて来なかった。


いや、僕が今まで、彼が怪我してきたのを知らなかったか、やはり部活で怪我をした……ただそれだけの話かもしれないけど。



「じゃあアタシ、チャーハン作ってくるから! 村野くんも要るかしら?」

「んー、お構いなく! えっと……ここにいていいっすか?」

「大歓迎よ! 浩太郎も、一人だと寂しいでしょう!?」


いや寂しくないです。……とツッコむのは、今はやめておく。

叔母さんが部屋を去り、村野とリビングで二人きりになる。



「なあなあ、こういう事言うのって失礼かも知んないけどさ」

「……ん?」

「お前の父さんと母さんって、今どうしてんだ?」


部屋を出るまで見送った後、真顔でそう問いかける村野。

……確かに、両親はこの家には居ない。唯一会った僕の身内は、叔母さんだけだという事に違和感を覚えたのだろう。


「そういえば、言ってなかった。僕の両親は……子供の頃に、亡くなったんだよ」

「──えっ、そうだったのか」

「うん。それ以来、叔母さんが唯一の家族なんだ。あんなのでも」

「一言余計だな?」


ツッコまれて、思わず少し苦笑いした。

……やがて、リビングが静かになる。村野は申し訳なさそうな顔を俯かせていた。亡くなった両親の件を僕に訊ねた事を、後悔しているのかもしれない。


彼は陽気でお調子者に見えて、たまに人の心を察する事がある。こういう一面は、村野の良い所だと思った。


「今では僕にとって、叔母さんが本当の母親みたいなものだから」

「……そうなのか。はは、俺の頭じゃ想像できねーな、家族がいない世界なんて」


村野はようやく僕の方を向いて、そう話す。


そうか。こいつには弟という家族がいる。

やっぱり兄弟は、喧嘩でもするんだろうか。家にいると落ち着かなそうなものだ。

けれど、生まれつき一人っ子の僕にとっては……ちょっぴり、それも悪くなさそうな気がした。


数分後、僕と叔母さんに挨拶を終え、そのまま帰っていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「おっ、じゃまっ、しまーす!!」

「か、神崎くん……おはよう」


え?

翌日。昼間にチャイムが鳴って、玄関のドアを開けた先の光景。僕はただただ唖然とした。


──七瀬さんを連れ、村野は僕の家にやって来たのだ。

昨日と異なり、今度は黄色のカーディガン姿で現れた村野。隣にいた七瀬さんは、白いシャツにベージュ色のキュロットという私服だ。


いやいや待てよ。何故だ。なぜ二人で、僕の家の前に現れたのか。

二人は手を上げて挨拶。にやにやと笑う陽気な村野の隣、上げている手も震えていて、俯きながら、申し訳なさそうに僕を伺う七瀬さん。



「『おいおい、また村野が来た』って思ったろ? 神崎。図星だな?」

「っ……分かってるならとっとと帰ってください」


眉をひそめながら、僕の声真似をする村野。けどそんな余裕ぶった感じじゃないぞ、こっちは。

隣の七瀬さんは、未だに申し訳なさそうな表情をしている。


「ご、ごめんなさい。私はただ、村野くんに誘われて……ダメだった?」

「その、迷惑ではないよ。でもね……はぁ。昨日も思ったけれど、前もって連絡してくれよ、むら──」


そんな僕の話を聞かずに、僕の横をすり抜けて無断で中に入ろうとする村野。

おいおい!? 話の途中で、何を勝手に入ろうとしてんだ!? 僕は、すり抜けようとする村野を必死に腕で止める。


「ちょっと!? 何も言わず勝手に……!」

「いやいや、ずっと外にいてもつまんねーからさぁー。早く家ん中に入ろうぜーっ!」


……何て奴だ、こいつは。

僕が何を言っても、おそらく村野には通じないだろうし……確かに、わざわざ来てくれた二人をこんな所で帰らせる訳にもいかない。


その腕をどけると、村野が「やっほい!」と、飛びつくように玄関に入っていく。

七瀬さんも……礼儀正しく僕に頭を下げ、そのまま村野の後を追っていった。



「あっはは!やっぱ神崎の家の床、広々としてんなぁ〜!!お前も来いよ、七瀬!」

「わ、私はいいよ……神崎くんが、すごい目で見てるし」


僕は、自分の額を叩くしかなかった。せっかくの休日が、こいつのせいで台無しだ……。

そんな思いも知らず、村野はリビングの床で、昨日と同じように大の字になって寝転んでいる。


そんな寝転ぶ彼の姿を、七瀬さんと一緒に見ていると……。


「──え?」

「今なんか、音したよな?」


どこからともなく、ぎゅるるるる、と音が鳴った。

大したことはないか、と思っていた矢先。ふと隣にいた七瀬さんに目をやると、様子がちょっとだけおかしい。顔を赤くしているような気がする。



しかし、僕らは気づいた。

七瀬さんはお腹を摩りながら、どこか恥ずかしそうにこちらを見ていた事を。


「ご、ごめんなさい。お腹が、減っちゃって……」

「……えっ」


僕は驚いたが、その様子を見ていて、無意識にこう言ってしまった。


「──あの。良かったら、僕が簡単な料理でも作れる、けど」


発した言葉に、七瀬さんと村野も意外そうな表情を見せた。


───────────────────────


ジュー……。

黄身を一つ、フライパンの上に乗せる。この場合、油を引いた後のタイミングが重要だ。


「えーと、ちなみに焼き加減は?」

「あ、ありがとう。その、何でもいいよ」

「俺は全熟ね!」


黒いエプロンをつけた僕は、村野と七瀬にリビングから覗かれる中、キッチンで料理を作っていた。

目玉焼きと、味噌汁だ。……簡単な料理だけど、まさかクラスメイトに振る舞う羽目になるとは思わなかった。

しかも、途中から村野も乱入して、こいつの分も作らないといけない。七瀬さんに乗っかりたかっただけだろ。


仕方ない。よし、中火にして、後からもう一つ卵を入れた後に弱火にして……。

鍋の火加減はどうだ……? まあ、こんなもんで良いか。



そしてダイニングの机の上に、二人分の料理の乗ったお皿が音を立てる。

二人はそれを見て、目を輝かせた。


「うわっすっげー! ちょーうまそーじゃん!」

「す、すごい! 神崎くん、本当ありがとう……!」


腕で汗を拭く。……それほど難しくない料理なのに、何となく疲れた。

けど見る限り、何の問題もないだろう。



テカテカ光る全熟と半熟の黄身。その黄身を覆う白身の横には、半分に切ったハムを数枚添えてある。

一方で色鮮やかに輝く味噌汁は、割と目玉焼きとの相性が良い。


「……材料が少なかったから。こんなのでごめんね」

「ううん! 作ってくれただけで嬉しいから……! え、ええと。じゃあいただきます!」


七瀬さんは村野より先に、目玉焼きの白身を箸で割り、大きく口に頬張る。

その直後、彼女は顔を俯かせて目を閉じ、とても幸せそうに両手を揺らした。


「んじゃ、俺もいただきまーす!」


村野も七瀬さんの様子を見て、真ん中の黄身を箸で全部掴んで頬張った後、同時に味噌汁も飲みだす。

……ちょっと斬新な食べ方だったので、その場に立ったまま驚いてしまった。

しかしその時、村野の体が突如固まり、更に目を輝かせる。



「「う……うまいっ!!」」


よかった。どうやら、二人のお気に召したようだ。



食事を終えた後、僕らは玄関に移動する。

もう既に夕方になっていて、普通なら家に帰る時間だ。玄関で靴を履き終えた二人と会話する。


「ありがとな、神崎! もう俺お腹いっぱいだわ」

「このお礼は、いつか必ずする!」

「ううん、そういうの要らないから。……つ、次は僕の家じゃなくて、学校で会おうね?」


できれば極力、家には遊びに来ないでもらいたい。

まあいいか。その時は、その時だ。


「じゃ、またな〜っ!」

「うん! また明日、学校で会おうね!」


その後、僕は家の外で手を振る二人を、黙って玄関で見送る。

二人はしばらく手を振った後、背中を向けてそのまま歩いていった。



見送った後、僕は玄関の扉の鍵をガチャッと閉める。


その時、叔母さんのいない家で一人きりになって、不思議と孤独感を感じた。

……おかしいな。こんな感情、今まで無かったのに。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「はい! 神崎くんは退院したという事で、みんな拍手!」


翌日の平日。クラスの教室中に響き渡る、生徒と冴島先生の拍手。

教壇の手前に立ち、担任教師になった冴島先生の横で……少しこそばゆかったけれど、そんな様子を見ていた。

いつもの席に着くと、普段通りのホームルームが始まった。



休み時間。自分の席でいつも通りノートに、今回の授業で大まかに学んだ事を書く。

2018年10月29日。まず、日付を書く。

──入院していたせいで、3日ほどノートの時間が空いた。まあ、よくある事だ。


鉛筆で、ノートに顔を近づけて書き記していた時、七瀬さんがそっとやってきた。

僕の目の前でじーっと黙ってこっちを見ているので、しばらくして気になり彼女に目を向けて話しかけてみた。


「……七瀬さん?」

「へっ!? あっ。お、お邪魔だった……?」

「いや全然、そんなことないよ」


僕は、一旦ノートをパタンと閉じて、七瀬さんを見る。


「昨日は、ありがとね」

「う、ううん。料理、上手だったんだね」

「そんな事ないよ」

「なんかすっごい、料理のできる人って……」


僕が「ん?」と首を傾げていると、後ろに手を回してもじもじしていた七瀬さんは、「な、何でもないっ!」と言って、外れそうな位に首を振る。



「……えーと、今日は、天気いいね」

「えっ!? あっうん! そ、そうだね……」


……このまま会話しなきゃ彼女を困らせてしまうと思い、窓の向こうの、清々しく晴れた様子を眺めながら、二人でそう話す。


いやいや。天気の話って。まるで先生みたいだ。



「──天気予報だと、今日これからずっと晴れなんだって! 私、雨の時だとちょっと頭痛くなるから、嬉しいな」


そんな時。ふと横から、ある女子高生が僕たちに話しかけてきた。


確か、村野の家で会った……蒼さんだったっけ。

窓の外を眺めて満面の笑顔でそう話す。この前はワンピースだったし、制服姿で見かけるのは初めてだ。


「……あはは。急に話題に入ってきてごめんね」

「りんちゃん! どうしてこの教室に?」

「うん、勉強も終わったし、退屈だったから。実花ちゃんと会いたくなっちゃって!」


そういえば蒼さん、たしか1年のクラスだったはず。

蒼凛、七瀬実花。「りんちゃん」「実花ちゃん」って……そんな風に呼び合うぐらい仲がいいのか。


「あと、村野くんにも会いに来たんだけど──今は、いないみたいだね」


そういえば。村野の席にも、教室中を見渡しても、あいつの姿が見当たらない。

蒼さんに言われるまで何も気づかなかったけれど、今はどこにいるんだろうか。


───────────────────────


二人と別れた後に学校図書館で、理科の教科書の内容を見ていた。

……途中、村野の事を思い出す。この図書室で誰かと話しているかと思ったが、ここにも村野はいない。


300ページほど見終えた所で、外の空気でも吸いにいこうと席を立つ。


僕は教科書を閉じて鞄にしまい込み、廊下に出る。

もしかしたら……どこかでばったり会えるかもしれないし。



「──お、おい、ちょっとあれやばすぎるだろ……!」


そう思っていた矢先。

背の高い男子生徒ら三人が焦りながら、逃げるようにして早歩きで僕の横を通り過ぎる。


「いやいや! 先公にバレたらガチでやばいやつ! あの野郎・・・・、いい加減すぎるだろ……!」


三人組の二人が焦りながら、不機嫌そうに話しているのを僕は聞いた。彼らの事が、少し気になりだす。


……妙だな。何だか、胸騒ぎがする。村野がいないせいか、それとも──。

とにかく、僕はそんな予感を抱えたまま、彼らとは逆方向へ向かった。



やがて着いたのは……理科室だ。

何か普通ではない違和感を感じ、廊下越しに部屋の様子を見ると……そこで起こっている状況を、ある程度把握した。


……え?


目のピントが合わなくなった。思わず両手も握っていて、一瞬で手汗も感じ取れる。

猛烈に不快な気分が、僕の心を蝕んでいく。


理科室の棚の壁に、もたれかかって倒れていた男子高校生が見えた。彼には意識がなく、全身アザ・・だらけ。

俯いた状態で目元が見えなかったが──いや、まさか。



あれは、村野だ。



「──フフ、あっはははははぁ……!!! やっとだ!! やっと、やっと死んだっ……!!」


村野の向かい側にいたのは、見覚えのない黒髪の男子高校生が、その場で膝を崩していた。

彼は、黒髪で目を覆うほどくしゃくしゃに荒らしながら、不気味に笑って、村野を見つめる。

そして村野に対して、何度もそう叫んでいた。狂気の沙汰だ。



いやいや、嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。

その光景に、頭が真っ白になる。信じられなかった。……こんなのって、ないだろ。


──何で今度は、村野なんだよ?


───────────────────────


放課後のチャイムが鳴り、いつものように授業が終わって、生徒らが動き出す。クラスの生徒たちの話題は、例の件で持ちきりだった。当たり前だ。

……僕は自分の席に座って、ぼーっとノートを見ながら、考えていた。



──村野は、手で首を絞められて窒息。

全身アザ状態だったら、身動きを取る事すらままならなかっただろう。これは、あまりに突然で理不尽すぎる「死」だ。

しかしその後、先生から衝撃の話を聞いた。



村野は……「いじめ」に遭っていた事が分かった。


主犯の折原拓海おりはらたくみが、その事を打ち明けたそうだ。4人組男子グループだ。

さっき不気味に笑っていた奴が、きっと折原という生徒だろう。そんな事より、ずっと胸に残っている事があった。



……僕は、未だに信じられない。

そんな素振り、村野が僕に見せた事なんてなかった。見せていないと言うより、まるでそんな事が無かったかのように。

少なくとも誰かに打ち明けないと、精神が崩壊するはずだ。それなのに昨日も、僕の前では笑顔を見せていた。



……とにかく悔しかった。僕が、何も知らなくて、何も出来なかった事が。

村野はずっと辛い思いをしていた事に、何も気づけなかった。


それが悔しくて、悔しくて、悔しくて……真下の椅子を見ながら、拳で自分の脚を何度も叩く。

何で。何でまた、僕の周りの人間は、こうも……。



「……だい、じょう……ぶ……?」


心配そうに震える女子高生の声。僕はすぐに手を止め、顔を上げて横を見た。

七瀬さんだ。心配そうに驚いて、僕の顔を見つめていた。よほど、親友を亡くした僕のことを気にしているようだ。


「……ううん、気にしないで」

「そ、そう……? な、なにか不安があったら、私に全部言って! こんなことしか出来ないけれど」


七瀬さんは優しい人だ。……このクラスで僕にそんな風に声をかけてくれる人なんて、彼女か村野くらいだろう。


一度、この手で救った命。七瀬さんを見ていると、何処からか自信が湧いてくる。

ああ、そうだ。まだ「可能性」はある。おそらく、だ。



──タイムスピナー。村野が死んだ今、それが家のポストの中に入っている可能性は高い。

しかし、誰が入れているのかも分からない。そう言ってしまえば、何もかもが不詳だが。


「……七瀬さん、ありがとう。僕はもう帰るよ。じゃあ、またね」

「あ、え、えっと、うん! さよなら!」


挙動不審になっている七瀬さんを横目に、僕は鞄を持ってすぐに教室を出た。



……家に着くと、僕は息を切らしながら、真っ先にポストの中身に手を突っ込む。

この中にあるだろうか。いや、あってほしい。


唯一村野を救える方法は、過去に戻るだけだ。前みたいに上手く行くかどうかは知らないが、頼む、あってくれ……。





──あった。

僕はタイムスピナーをポストから取り出し、握る。


一つ、思った事がある。何故、これは「ハンドスピナー」の形をしているのだろうか?

もっと他に形があっただろうに。もしかすれば、この形に訳があるのかもしれない。

けれど、素朴に抱いた疑問は……今は置いておく。



今回も、村野を救うのは容易ではないはずだ。

これがある僕に、選択の余地はなかった。今は選択肢は一つしかなかったんだ。


死んでしまった友達を、何もせず放っておくわけにはいかない。村野には貸しがある。七瀬さんや、他の人たちを出会わせてくれた事だ。


親友である村野を死から救うチャンスがあるのなら、僕はそれに賭けてみる価値はあると思う。

スピナーをじっと見つめて、思いを込めた後、それを回した。



キュル──────




時間の渦の中。「村野を救い出す」と、繰り返し意気込んでいた。

だがそんな言葉だけで表すほど、この物事は単純ではないのかもしれない。アイツの問題は、想像よりずっと複雑・・な予感がした。

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