~ episode of World Tree ~
第1話 before summer vacation
前期最後の登校日。
授業はないので、終業式だけ出席する。
・・・じゃあいっそのこと今日も休みでいいじゃん、と思ったが適当に前を向いて話を聞いているふりをすればいいだけだし、授業を受けるよりは楽だよな。
前言撤回、椅子に座っているだけの簡単な作業なのだがお尻がだんだん痛くなってきた。この微かな痛みとは裏腹に昨日徹夜でゲームに使い込んだ脳がマンドレイクのような叫び声を上げ、さらに校長の長話による友情コンボにより今にも寝落ちしそうな私である。
もういいや、寝ちゃおう・・・。
視線の先に年季の入った講堂の床をとらえた瞬間――――
「おかわり」
聞き慣れた柔らかい声が耳を掠める。
重力のまま項垂れるはずだった私に垂直抗力をかけるように顎に手をのせて支えてきたのは、細長く、白く透き通った綺麗な手だった。
犬のように顎をのせたまま、意識が復活するまで数秒。私をもてあそぶような目で校長の話を聞く姿勢を崩さないまま悠々と佇んでいた。
「犬扱いすんな」
「ごめんごめん。そろそろ限界かなぁと思ってたら、案の定昇天する寸前だったもので。むしろ感謝してほしいなぁ・・・あ、よだれ出てる」
体を起こして前に向き直った私にすかさずハンカチを渡してきた手を払い、「持ってるから大丈夫」と言って自身のハンカチを取り出した。
こいつ女子力高いな、おい。
回りからクスクスと微笑が聞こえ自覚があるくらい赤面してしまい、そのお陰もあったせいか、眠気はほとんどなくなってしまった。
目を擦って完全に眠気を覚ますと横目にじとっとした目で黒髪ロングヘアーで阻まれた目線を探すように隣の親友を睨みつける。その視線に気づいたのか左手で口元を抑えながら小さく笑いだしたので私は嘆息と共に背筋を伸ばすと、未だに続いていた校長の話に耳を傾けた。
時刻は現在十二時三十分。
クラスメイト達は高校生活最初の夏休みを満喫すべく、ぞろぞろと講堂から教室に帰って来るや否や颯爽と下校していった。
放課後、私は誰もいなくなった教室に一人突っ伏していた。
みんなそんなにやる事があるのか。いいなぁ、退屈なんて感じてないのかも・・・。私も何かやんなきゃなぁ・・・・・・。あれ?何かやろうと思っていたことがあったような・・・。何だっけ・・・・・・?宿題・・・?真面目か私は!
そんなんじゃなくて、もっと身近な・・・そう、楽しいやつなんだよ。ええっと・・・あ、思い出した。音楽だ。何か楽器でもと思ってたんだった。何で忘れてんだろ、私の記憶の忘却曲線は下りきっているのか?昨日のことなのに。
そうして、突っ伏したまま目線を黒板の方にやる。誰かの落書きか、大きく『夏休み!!!』と書かれた黒板を憂鬱そうに眺めていると、突然私の首元に両腕が絡むように抱きしめられ、体重がかかってきた!
「うわっ!!」
思わず普段の気怠い声より三音くらい上がった声で、肩を竦ませてしまった。身動きは全く取れず頭も動かせないが、背中に感じるほのかな温かみと柔らかさ、嗅ぎなれたシトラスの香り、見るものを包み込むような黒髪ですべて悟った。
「怖いから、やめてよ日々乃。びっくりするだろ」
「唯ちゃん帰ろ?」
悪気もなく私を唯ちゃんと呼ぶこの女は
無人の教室に気配無く近づくなんて・・・足音全くしなかったぞ。忍者か?それとも夏の暑さのせいだろうか。
「それよりまずは謝罪を要求する。深々と私に首を垂れろ。寿命が縮まっただろ、三年は持ってかれたね」
「唯ちゃんだったら百歳なんて軽く超えるから数年減ったってへっちゃらさ!」
「私ってあんたの目にどう映ってんの・・・・・・?」
「うーん、死神かな。昔は唯ちゃん自分で言って――――」
「昔のことは言うな!記憶から抹消しろ!いや、お前を抹消してやる!!」
日々乃の腕を振りほどき、今度は私が日々乃の首を軽く絞めると、しばらくじゃれあっていたが、するりと拘束から逃れ、日々乃は距離を取り後ろに両腕をまわす。
「あの時の唯ちゃんおもしろかったなー!クスッ。い・・・今思い出しても笑いが・・・。あっ、そうだ。ショートコント、昔の唯ちゃんのものまね!くっ・・・この右目の眼帯を外せば死神としての力が解放して――――」
「そうか、今すぐ死にたいらしいな。デスノートに書いてやるからな!」
「まだ死にたくないでござる!」
そんな他愛もない会話が・・・いや、私にとっては不快かつ痛い話であったわけだが、満面の笑みでたった一言「ごめんね!」と、それだけで許せてしまうような、いや許す気なんか毛頭ないのだが、九十パーセントの怒りが十五パーセントに減るくらいの可愛い笑顔だった。眉目秀麗なだけならまだしも、レベルの高いこの進学校で学年十位以内の成績の持ち主だというのだから不公平と言わざるを得ない。
「帰っててゲームの続きしよーよー」
「昨日徹夜でやっただろ、夏休みの前哨戦に一狩り行こうぜ!とか言って、結局百狩りさせられたんですけど」
何を隠そう講堂で呆けていたのはこの女に散々振り回されたせいなのだ。ゲームが終わったころには太陽は登りきっていた。一睡もしてないはずなのに、条件は同じはずなのに眠気どころか目を大きく開いて、腹立つほどさわやかニッコリ笑顔で登校してきた。スタミナって知ってる?
ダラダラと喋っていると無限に続いてしまうので、早く帰路についてやることにした。約十五年の付き合いだというのに話題なんかちっとも途切れない。約十五年・・・。この数字を私はもっと細かく言い直せるのだ。本当のところを言うと生まれた病院が同じで、かつ誕生日は一日しか変わらない。もうそういう星の下に生まれたのだ。今日この日までほとんど一緒にいるんだからきっとそうだろう。そうに違いない。おまけに趣味趣向がほとんど同じなのだから、つまり、笑ってしまうくらい親友なのだ。
まだ昼時。学校を出て十分くらい経過しただろうか?
「夏休み何しよっかー?」
日々乃は何も考えていない感じで空を見上げ、呑気に歩きながら言った。
「何かやりたいことないの?」
「えっ・・・えーと、ゲームとか?」
「そればっかだな」
「だって、いきなりそんなんでてくるわけないのじゃよ」
普通はこんなもんだよな。私だって昨日思いついたくらいだし。・・・何をだっけ?ああ、音楽だ、ミュージックだ。
「そういう唯ちゃんは何かあるの?」
私の言葉に不服だったのか少し怒った顔つきで尋ねてきた。私は待ってましたとばかりに多少の気恥ずかしさはあったが自信をもって言い返した。
「そりゃあ、あるよ。・・・私はこの夏を音楽に投資するのさ!」
「おおー」
日々乃は音楽と無縁な私からこの単語が出たのに驚いたのか、呆れたのか分からないような声を出した。
「いいね!やろうやろう!私もそれに乗っかってもいい?」
賛同の声。やっぱり気が合うなぁ。
「勿論。むしろその方が楽しそうだしね。あっ、でも楽器とかどうしよ――――」
その時、遮るように空腹の鐘の音が日々乃から鳴り響いた。
「お腹空いたね」
本当に気が合うのだろうか、心配になってきた・・・。
「じゃ、ご飯食べに行く?」
「ラーメンを所望するでござる!」
安上がりな女だ。毎回ラーメンなんだよな。
なんだかんだで一時間後。スマホの時計では十三時十分。
私たちは喫茶店で話の続きをすることになった。テーブル席でコーヒーを注文し、語り始める。
「で、話の続きなんだけど楽器はどうしよっか?」
「あたしはキーボードがいいなぁー」
ギターかベースを選ぶと思っていたので少々意外だった。
「へぇ、決め手は?」
「ちょっとだけ弾けるからかな」
「ん?ピアノ習ってたっけ?」
「習ってないよ」
四六時中飽きもせず一緒に遊んでいたのだ。日々乃の習い事など把握しているに決まっている。
「音ゲー感覚で手を出したら、一時期ハマっちゃったんだー。モーツァルトしか弾けないんだけど・・・」
「へぇ、クラシックか・・・曲名は?私知ってるかな?」
「モーツァルトの作曲したのは全部弾けるんだけど・・・それ以外はちょっと・・・・・・」
「まさかの全曲!?」
は?
こやつ今なんと言った?
申し訳なさそうに日々乃は下を向いたが・・・十分だろ!
才能なのか、だとしたらこの扱いの差はなんだ。私の才能はいつ目覚めるんだ?
「そ・・・そっか、いいねぇキーボード。是非聞いてみたいなぁー・・・・・・」
「ええー、恥ずかしいなぁ。でも唯ちゃんならいいよー!」
こんなに壁を感じたのは初めてだった・・・。
「唯ちゃんはどの楽器なの?」
その問いで我に返る。
「いやぁ、実はまだ決まってないんだ。キーボードに合わせるなら何がいいかな?」
「わかんないけど、ギターでいいんじゃない?かっこいいし」
「安直だな、おい」
その後、問答を一通りし終えてから私はこの夏ギターをやる事にめでたく決定した。楽しくなってきたぞ!
というわけで、ギターを見に近くので楽器屋に行くことになったのだが、日々乃が「ちょっと薔薇を摘んできますわ」などとお嬢様口調で小走りに席を立ったので、今はそれ待ちなのだ。しかし考えてみれば七月も終わりの時期に差し掛かっているのに一体どこに薔薇が咲いているというのか、などとくだらないことにツッコミをいれている自分の浅はかな薔薇知識にちょっと不安を覚えたりなんだりしていた。ギリギリ咲いてんのかなぁ・・・。
日々乃の帰りを待っていると、何となく鼻歌が自然と出てきたので感覚任せに奏でていた。・・・何の歌だったっけ?・・・・・・あれ、マジでなんだろ?
完全に気を抜いていた。喫茶店のコーヒーが想像以上においしかったせいもあるかもしれない。常連に成るかもなどとマスターが豆を挽いている姿を遠めに観察していたせいかもしれない。とにかく私は注意というものが著しく欠けていた。
「見つけた・・・」
最初は自分のことではないと思った、しかし。
「
確かに私の名前だった。咄嗟に首を動かし、声の持ち主の方を見やる。
そこには金髪の少女が立っていた。見慣れない白い上着と青いロングスカート、おそらく学校の制服のように見て取れる衣服を身にまとい、かたどった文字のようなものに金箔が纏った小さな飾りのついた紺色のハットをかぶっている。これは私見だが小学校四年、もしくは五年生くらいの女の子だ。日本語が流暢だということは、見た目外国人かと思ったけど日本育ちの可能性があるな。
パッっと見た感じで、二言しか言葉を聞いていないがそう感じた。
私と目が合っても決して臆することなく見つめてくるその目に、逆に圧倒されてしまった。
さて、なんて声を掛けたらいいものか。
勿論、ここで「なんで私の名前を知っているの?」なんてド三流のつまらない返答はしない。そんな返答が許されるのは江戸時代までだ。もしかしたら遠い親戚かもしれない。だとしたら失礼に当たる。でも、そんな異文化コミュニケーション活発で、ましてや結婚までするとは同じ血筋とは考えられまい。
となると選択肢は三つに絞られる。
選択肢その一、私がたまたま同姓同名で顔まで激似の奇跡のそっくりさん。
選択肢その二、前世に因縁を持つ宿敵。
選択肢その三、白昼夢。
これら以外考える余地はない。だが、いきなりこれらの選択肢をぶつけるのは些か大人げないので、彼女への第一声はこれだ。
「何者だ・・・?」
彼女の瞳の奥を見据えて、テーブルの上で肘をつき手を重ねて言い放った。
少し時間が止まった感覚に襲われ内心「スベッたか・・・?」と思ったが、やがて金髪少女が沈黙を破った。
「あ・・・怪しい者ではないわ」
十中八九小学生に怪しい者なんていないだろう、と心でツッコミを入れる。
「あたしはお母さんの遺言であなたを探していたのよ」
「・・・・・・・・・・・・」
敢えて沈黙、姿勢は崩さない。子供でも容赦はしない。遺言?今、遺言って言った?
「いや、あの・・・だから、ええっと・・・・・・その・・・・・・・・・・・・」
さっきまで気を張っていた目がだんだん涙目になってきた碧い瞳が抜群に可愛かったので、初めて私は親友にも見せないようなグッドスマイルを見せた。
「あはは!ごめんね、泣かないでパフェ奢ってあげるから。話はその後にしよ!」
そう言うと、パァっと少女は笑顔を取り戻し、「はい!」と元気よく返事し私の隣の席に座った。
しばらくして日々乃が帰ってきた。
「お待たせー、それじゃギター見に行こっか!って、え、誰その子?」
「しらなーい」
私は無言でパフェを食べ続ける金髪美少女の頭を撫でながら猫を見るような目で微笑みながら答えた。
「いや、知らないとかそういう問題じゃ・・・まさか誘拐・・・?」
「それは断じて違うぞー」
「そう。あっ、もしかしてお母さんが近くにいるの?」
あたりを見回す日々乃。
「全くそれらしい人物は見当たらなかったよ。私に用があるんだってー。えへへ、何の用なのかなー」
未だ表情変えず私は頭を撫でていた。
「どうしよう、お母さん探したほうがいいのかなぁ」
心配した日々乃はおろおろしているが、それを制止するようにパフェのグラスにスプーンが当たる音が鳴り響いた。「ごちそうさま」と礼儀正しく手を合わせる。
私はクリームがついたほっぺをハンカチで拭ってあげた。
「あの・・・あたしは迷子ではないのでご心配なく。ギターを見に行かれるんですよね?あたしもついて行っていいですか?あたしの用はそのあとでもいいので・・・」
日々乃に若干上目遣いで頼む少女。すると、日々乃が固まってしまったように見えたがすぐさま表情を変えた。
「可愛い!!ちょー良い子じゃん!金髪ロリっ子の時点で密かに萌えてはいたけど!ああっ、可愛いよー!持って帰りたい!あたし一人っ子だからこういう妹に憧れてたんだよね!!」
お前のそれは全国のアニオタがに共通した感情だろ。
金髪少女は私の満面の笑みを遥かに上回る笑顔の日々乃に抱きしめられ、少し赤面していた。
「さぁ!そうと決まれば出発だ!善は急げだよ!」
そう言って金髪少女を抱えたまま外に行ってしまった。ってお会計は私かよ!
渋々お金を払う私。ここでの一服だけでラーメン代の倍の金額を払わされることになった。主にパフェが原因なわけなのだが。
パフェを食べるのはいつだって至福の時であり、食べた後は悪魔の時間がやってくる。今回食べたのは私ではないので脂肪云々はいいとして、吹き飛んだ金額はパフェで脳みそをドロッドロッに甘やかしてやらないと一女子高生としては受け入れられない金額だった。・・・・・・ギター買えるかな。
すでに所持金は五千円を切っていた。・・・絶対無理じゃん!
程なくして、楽器店に到着した私たちは目移りしてしまう数のギターに翻弄されていた。
「うわーすごい数だね。どれがいいのかなぁ、迷っちゃうね。咲苗《さなえ》ちゃん!」
いつもは私にしか見せないキュートスマイルで咲苗ちゃんとギターを見て回っている。
クラスではめったに喋らない日々乃はこういう時だけコミュ力が高い。ここに来る道中にさらっと名前を聞き仲良くなろうと励んでいる。そもそも咲苗ちゃんは何の用なのだろうか?全く見当がつかない。
頭の中でごちゃごちゃ色んなことを推測しながら、ギターの値札を見て回り所持金では買えないことに一人涙した。
・・・いや、家に帰ればなけなしのへそくりがあるはず・・・。
自宅の机の引き出しに淡い期待を込めていると、突然誰かの携帯の着信音が鳴り響いた。マナーモードにするのを忘れそうな人物に心当たりがあったので、見回していると慌てふためく日々乃姿があった。
やっぱりか・・・。
数分店の外で会話しているのを窓越しに見ていると、残念そうに店内に戻って来る日々乃。
「ごめん、唯ちゃん。今日は早めに家に帰って、お母さんの荷物を受け取る約束してたの忘れてた・・・。悪いけど先に帰るね。この埋め合わせはちゃんとするから。・・・あと、咲苗ちゃんのこと頼んだからね!それじゃ!」
私と咲苗ちゃんに短く別れの挨拶をすると素早く店を後にした。・・・が、あいつは足が遅いので店の中からでも見失うのに結構時間がかかった。
コーヒー代の恨み!帰ったら不在届を目にするがいい!
なんて小さくほくそ笑んでみたものの、これからどうしようか悩んでいると、後ろから制服の裾を掴んできた。もちろん咲苗ちゃんなのだが、さっきまでどこにでもいる無邪気な子供のような目ではなく、出会った時の真剣な目を携えていた。
「やっとあたしのターンですね」
「そうだね、結局何の用なのかな。実は生き別れの妹です!とか?」
「まったくちがいます!」
「えー」
「先ほど申し上げました通り、あたしはお母さんの遺言で来ました」
「まっ、まさか・・・」
私は何かを悟ったかのように表情を変えると、咲苗ちゃんもやっとわかったかといった感じで安堵した表情になる。
「なるほど・・・私を殺しに来たと・・・」
「何でですか!意味わかんないです!ふつー白昼堂々人殺しなんてしないですよ!!」
切れる寸前の少女は全力ツッコミの後、嘆息しスカートを抑えながら屈んでギターを見ていた。私には視線を合わさず、ギターに話しかけるように続けた。
「これから話すことは、とても重要なことです。心して聞いてください」
そう言って目を閉じ、数秒。意を決したように目を開けるとゆっくり立ち上がり私の眼を見て力強く、確かに告げた。
「神木唯奈さん、あなたに託宣が下りました。私と共に世界を救ってください!」
スケールの大きい話をするには私の思考回路とこの楽器店はあまりに小さすぎたようだった。
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