第15話 狂気 6



 浅い海のような色の部屋だった。

 驚愕。

 再会は偽りだった。



 そのことに気づいたフィルハリーは凍り付く。

 知らない部屋で目覚め、その隣室で出会った同志。

 帝王の如き鬣を持つレッベルテウスほどではないにしても、身体能力は高い。

 牡鹿の角、そしてしなやかな体躯を持つ魔怪獣だった。

 そのヘミオーは返事をしない、いや、返事をすることが出来ないということが……それだけはわかった。

 奴は、呼びかけに答えるどころか……。



「……?」



 瞳孔が開いている。

 瞳が全く動かず、表情筋が停止している。

 何を感じているのか、何も感じていないのか。

 笑みも怒りもなしに沈黙のみが続いていた。

 


 牡鹿のその表情にこびり付いているものは過去に対する―――しいて挙げれば、驚愕。

 その状態で床を睨んでいる。―――数日ぶりの対面をした、俺を見ていたわけではないと気づいた。

 なんだ……?

 白いものが、その毛皮について……お前……そんなに白かったか?


「ああぁ、そこ入っちゃったかあ……」



 意図せぬ会話相手の消失を受けて、言葉を失うフィルハリーに会話を持ちかける。

 ブルーの、装飾されたドレスを纏った少女が部屋の敷居を跨いで、歩いてきた。

 両手をゆるりと広げる。

 例によって、討伐はないとアピールする少女。



「初めはね、鎖でほらぁ、―――やっていたんだよ。キミみたいに捕らえようとした。でも暴れるよね……だから」


「お、お前……!」


 臨戦態勢のままに叫ぶ。


「ヘミオーに何を! こ、殺しやがった!殺しやがったな!」


 俺は吠えていた。

 部屋中に響き渡るように吠えていたが、言っていることが違うことは心のどこかでわかっていた。


 ―――違う。

 殺したんじゃあない。

 殺しただけじゃない。

 

 ヘミオーが生きていないのは直感でわかった。

 だが、どういう……状態でこんなことになった。

 自分にはわからない。

 身体全体が硬度を持っている―――牡鹿の角の様なその硬直が、身体全体へと伝わったかのようだ。



 だが、何だ―――何をした。

 何をしたんだ、何を考えて……こんな。

 何が……何者……?



 形だけは姿勢だけはと、臨戦態勢のまま、俺は背後へ歩を進める。

 引き下がる。

 部屋の後方へと後ずさり、青い少女は両手を広げて歩み寄ってくる。

 何度も武器を持っていないか確認した。

 持っていない、確かに小刀の一つも持っていないまま―――無造作に近づいてくる。



 少女。

 そうだ―――女は若かった。

 人間の年齢判断にはおぼつかないところがある魔怪獣ではあるが、それでも無視できないほどにつややかな顔色。

 青白い、しかし皺ひとつない肌をしている。

 精密に作られたかのような白い顔が、獣を見下ろす。


 

「ヘミオー……ああ、確かにそんなことを言っていた。魔怪獣は名前もあるけどなかなか教えてもらえない。 でも、何とかして調べたくて……」



 牡鹿の彫像の横に並び立つ少女。

 感慨深そうに眺める。


「急速冷凍だよ。やっと何とかなった。本当に大変で……もう……ね?」



 どうやら同意を求めているらしい。

 理解ができない。 

 少女は目を瞬き、感極まってのことか。

 情は豊かな方らしく、天井を仰ぐ。


「最初期の連中はみんな粉々になってしまって、肩を落としたよ」


 言ってから確かに肩を下げた。

 ぶつぶつと、過去の労苦を呟いているらしい。


「まるで剥製はくせいだね! 今気づいたよ……普通の鹿でやるよりは相当に手間だろうけど」


「死体……!を、そこまでして、何故」


 その口ぶりからすれば牡鹿が最初ではないということだった。

 失敗を経験したことがある……この敵。

 今までに、一度や二度ではない?

 何度もこういうことをしている……?



「何故って」


 少女と目を合わせると、フィルハリーは努めて音を立てずに後退した。

 右方に丸机があった。

 透明な液体と、水色な液体の入った容器だけが乗っていた。

 それをじっくり眺める余裕はない。



 見ずに下げた後ろ足が何かにぶつかる。

 家具だ。

 それに危険性などない、通常の机だった―――。

 その上からなだれ落ちる。

 電気鉗子、内視鏡用鉗子、鑷子せっし、電気手術電極、レトラクタ、吸引カニューレ、ゲル癒着防止フィルム、骨片打込器。



 それらの用途を、一介の魔怪獣であるフィルハリーが知る由もない。

 ただ全くの説明なしにカシャカシャと騒がしく雪崩なだれ落ちた、異様に細い金属。

 それが視界の端に映っているのみである。

 彼は声を絞り出す……出さねば。


「な、何をしている……何を」


「キミねぇ……、ワタシ、知りたいと言ったじゃあないか」


 奴は歩み寄ってくる。

 手術器具を連想させるような痩躯そうくの少女。

 彼女の歩みが、停止する。

 高圧的に映ったのは、ただ視点がフィルハリーよりも高いからか。

 本当に困ったような表情で、少女は言う。


「敵のことをもっと知りたいと思うことが―――そんなにおかしいかな?」


 こいつは。

 この、正体不明の敵は。


「……な、何者だ!」


「『ピュアマッドネス』―――そう呼ばれている、魔法少女だよ」



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