第13話 狂気 4

 

 目覚めると、フィルハリーは白い部屋にいた。

 ただ何も周囲になく、座している。

 内壁は魔怪獣である彼の巨体でもまだ余裕がある―――窮屈さを感じないスペースだ。

 光沢のある、つるつるとした床は磨き抜かれているようで、彼自身の黒い身体を反射している。

 静謐な部屋だ。

 安らかに眠ってしまいそうに。



 ……眠っていたのか?俺は。

 フィルハリーは疑問を抱く。

 どうして、どういう過程でここに。座っている。



 記憶にない場所に連れ去られた―――というのがおそらく正しいのだろうが……そう、連れ去られた……誰に?

 魔怪獣ではない、最後に出会ったあの女。

 人間の女がいた……女というよりも少女、そいつに、


「切られて……」 


 意識はあるが、はっきりしていない。

 頭が左右に振り回されたような悪感覚が、未だ続いている―――。

 万全ではない。



 俺の身体はどうなっている―――黒く、岩石のような爪は健在だ。

 女との小規模な戦闘で、切り傷を負ったが、あれ自体はたいして大きくない、もうふさがっている。

 痛みはない、少なくとも今は。

 五体満足で今戦える―――そうだ、俺は戦いに、というより、略奪に来ていた。

 人間を襲い、感情エネルギーを奪取しに来ていたのだ。

 


 今は身体を伏せているが、姿勢を変えようとする。

 爪を立てた。地面ではない―――なんだ、この精密に加工されたかのような床と。

 目に映るすべてに違和感を感じる。



 人間の建物とは雰囲気が違った。

 部屋の壁が見える点……ものが少なすぎる。

 彼は人間界を襲う、その過程で、人間のいる建物への侵入を試みたことはあった。

 当然の流れである。

 しかし彼や、魔怪獣全体の傾向―――巨体で、あまり動けないということが判明した。

 ニンゲンがすれ違うのがやっとのドアなどがあれば、逃亡されてしまう。

 魔怪獣は通ることができない。

 苦労するだけで、エネルギーを簡単に手に入れれるわけではないとあって、今ではそうする同志は少なくなった。

 苦い経験ではあるが、建築物の内的構造は目にしていた。



 立ち上がる。

 ……精微せいびな、建物内は。

 組織の船の中の部屋に共通するものはあるか、記憶を探す―――魔界獣の伏魔殿たる巨大な戦艦。

 もっともフィルハリーも熟知はしていない。

 他の魔怪獣も、すべての部屋や機能をしているわけではなかった。

 幹部間しか用がない場所もある。 


 この部屋は、もしや。

 ―――いや、こんな部屋はないだろう。

 製作者が違うことが明らかにわかるほどの、差がある。

 眩しいほど清潔な白か灰色で、空間が構成されている時点で妙だ。



 カラーリングからして、まず魔怪獣の感覚では落ち着かない空間の筆頭といえる。

 部屋の端に申し訳程度に転がっている毛布やら何やらが見えた。

 魔怪獣の身の回りにあるものとは完全に違っていた。

 やはり俺が知る組織の船内ではない。確信できる。


 なにから考えればいい---まずは、場所はどこだろう。

 俺は確かに人間を襲った。

 手ごろな、弱い、取るに足らない人間を少しばかり、締めていた。

 そのはずだった―――。

 人間界のどこかのビルであるということだけは予想がついた。

 俺は同志たちと確かにビルの合間を飛び回っていた。



 その同志たちは一体……いや、まず場所からだ。

 そうだ、確かにあの周辺は建物が多かった、その一室だろうと予想つく。

 あれは、ついさっきのことでは---なかったか?

 何時だ?今は……一体。



 目の前で扉が開いていて、隣にも部屋があることがわかる。

 何をしている、あの人間。

 時折わずかに動く、その背中を見ていた。

 魔怪獣の多くよりも痩躯のその背中は、危機感が沸かない。

 その服装もまたしかりだった……攻撃的なものはまるでない。


 

 塗りたくったようなブルーの衣服、基調としてあるどころではなく、彼女はブルー一色であった。

 細部に宝石が施されているのか、部屋の照明を受けてさりげなく光っている。

 目を引くことは確かだが、どうもおかしい。

 むしろ俺が危険を与えかねない―――背を向けて、隙だらけの獲物を前にしている。


 直立不動だった―――否、不動というか、両手のみが時折、動く。

 背中で隠れているから、彼女が行っているらしい作業は見えない。

 作業―――?

 何かを見下ろして作業しているように見える……机の上で何をやっている。



 ブルーの服の、女。

 髪が肩に触れる程度に長いから女であると判断した―――人間の容姿の傾向は多少だが理解できるようになってきた。

 そいつは―――。

 記憶がよみがえる。


 ―――武器に塗った麻痺毒だよ。



 そうだ、奴の言うところの麻痺毒によって俺の行動、意識は制限された。

 制限され、失った。

 攻撃された、つまりは敵。

 隣の部屋とはいえ、魔怪獣の跳躍力をもってすれば一歩、一足飛びで攻撃を仕掛けることができる距離である。

 


 フィルハリーは思った。

 すぐに戦闘には入らない……次の瞬間に襲われるわけでも、ない。

 姿勢だけをわずかに動かして、準備する。

 まだ何かあるかもしれない。

 奴は見える、だが奴だけか?

 もう少し様子をうかがって……、確実に倒すやる




 しゃり―――、と金属がれた音がした。

 鎖が俺の脚を拘束している。

 前足首を、両方。


 


「……はッ!?」



 顔をバッと上げた、机は見える。

 机に何か黒いものが倒れていた―――いや待て、女はどこに?

 

 フィルハリーが硬直しているとき、それは背後から現れた。

 フィルハリーの首に、白く細い指が触れた。


「……っ!?」


「待ってくれ」


 懇願するような声。

 フィルハリーは戦慄しつつも、今の状況、確信を得る。

 やはりこいつか、エネルギークリスタル回収の最中に襲った、敵。

 あの女の声、聴き間違いではなかったのか。




 状況というより、この少女について。

 何もかも不明点が多く、確証はなかっただが、ひとつわかる。

 ピュアグラトニー……

 だがこれは、それでは―――どういうことだ?

 正体はまるでわからない、だが魔怪獣たちの間で広まっているオレンジの怪物の噂とはかけ離れている。


 新しい―――敵。

 魔法協会が俺たちを殺すためだけに作った、新しい戦士だとでもいうのか。

 くそ……なんとかしなければ。

 だが、これでは碌に動けない。


 少女の声は続いた。


「ワタシは討伐を好まない……!キミたちの」


「……ッ!?」


「キミたちの討伐をぉ……!」


 したくはないのだ、と言った。

 十代前半と思しき、少女の声色だった。



 ★★★





 住み渡る空の色。

 この世界のどころとも知れない、広大な城。

 その周りには綺麗に刈り整えられた植え込み風景が広がる。

 

 公園とでもいえそうな城の庭では、小さなマジカルマスコットたちが駆けていく。

 二頭身のぬいぐるみの中でも、さらに年端のいかない幼子たちであった。



 それを眺めているわけにもいかなかくなった国王。

 豊かな眉が下がるのは、日頃の苦心によるものだろう。

 背後には片膝をついた報告者がいる。

 彼もまた、ぬいぐるみのようにしか見えない存在ではあるが、重大な役目を背負っている。



「メルテル、キミは目にしてるのだろう、新しい『魔法少女』を」


 マジカルマスコットに不安を吐露する国王。

 振り返る顔には皺が刻まれている。

 魔怪獣たちの襲撃はすでに始まっていて、人間の心配をするのは人間だけに限らない。

 犬のような耳をピクリと動かし、返答した。


「彼女たちだけでなく、世界各国で魔法協会は動いていますよ」


「もう、日本を攻めているのだろう」


「魔法協会、ひいてはマジカルマスコットの国を率いる儂が、本来なんとかせねばならないのに。此度の魔怪獣は止めきれんかった」



「国王様、その心配はいりません」


「魔法協会日本支部の防衛を任されている『魔法少女』」


 魔法戦力は申し分のない状況である。



「最初に申しあげた通りですよ国王様……『歴代最多』とされた二年前の世代にも、決して遅れは取らないでしょう」


 メルテルはぬいぐるみのような表情で、無感情そのものに、言葉を続ける。


「……今年度の日本の平和を守っているのは、歴代で最も凶悪な少女たちなのですから」



 自分たちの国だけでなく、人間界の未来を心配する国王。

 彼もまた二頭身で、見る者が見れば癒される光景であったかもしれない。

 だが苦労を重ねていた。

 個のマジカルマスコットの国だけでなく、人間界に想いを馳せ続けていた。

 彼はしわの多いまぶたを降ろす―――瞳を閉じた。


「良い準備が、できなかった」


 魔怪獣が人間界に到達する予測は立っていた。

 いつかは起きるその時に対して、準備を急がせていた。


「―――そして、悪い準備は、した!」



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