第8話 立ち読みする奴
突然で申し訳ないのだが音楽はいい。
何を今更と思われるだろうが、あえてもう一度言わさせてもらいたい。
「音楽はいい。」
音楽はそれなしでは堪えがたい時間を和らげてくれる一種の麻酔薬のような物である。それは例えばそう電話の保留音、受験生の勉強部屋で流れるインストミュージック、そしてこの杏と晃が乗るワゴンの中で一人陽気に振る舞うTspoon のsex on the beach なんかがそうだ。
二人は今セックスともビーチともほど遠い気分だったが、どういうわけかこのミスマッチな曲が二人の間に生まれた気まずい時間の場繋ぎの役割を陽気に担っていた。
晃の頬にはさっき杏にビンタをされた痛みが残っていて、杏の頬に放ったビンタの衝撃が残っている。
驚くべきことは二人の間に流れているこの気まずい空間はお互いへの憎しみからではなく、己の罪悪感から生まれたものだということだ。
晃は杏を奇妙な格好で驚かせてしまったことを悔い、杏は驚いた勢いで晃をビンタしていることを悔いている。
「それなら何故さっさと謝って仲直りをしてしまわないのか?」
私が驚いている理由が正にそれである。
晃の家から時越交差点まで3km程、無言のままこの短いドライブは終わりを迎えようとしていた。
杏は時越交差点の角のコンビニを見つけるとその駐車場に車を停める。
サイドブレーキを引いてキーを抜くと陽気な音楽が鳴りやむ。
そのタイミングを見計らうかのように、晃がぼそりと「ごめん。」と謝る。
杏も罰が悪そうに「私の方こそ、ごめん。」と謝り返す。
そして二人は唐突に熱い口づけを交わし始める。
今回私は終始一体何を見させられているのだろうと思うのだが、一番罰が悪かったのは会社帰りにコンビニでエロ本を立ち読みをしていたサラリーマンのKである。
プライバシーの問題もあるので、ここでは名前を伏せ彼をKと呼ぶことにする。
こんな彼も一応妻子持ちである。近所の評判を気にしてわざわざ家から少し離れた町でアダルト雑誌を立ち読みするのが彼の日課だった。
雑誌コーナと駐車場を隔てるのは一枚のガラス板だけで、彼の目の前の駐車エリアに白いワゴン車がコンビニ側に頭から突っ込む形で駐車していた。
その車の中で褐色の肌の綺麗な女と首にコルセットを巻いた冴えない男がKの目の前で見せつけるようにキスをしている。
二人のキスを見て急に自分が情けなく思えたKは背中を丸めてコンビニの外に出る。
帰りの道中、Kは晃にキスをする杏を何度も思い返していた。
(可愛い娘だったな。けどあの娘どっかで見たことある気がするんだ・・・どこだっけかな。夢?)
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