第13話 

「ところで、何の用で奥羽に来たんだ? 妖変を鎮めに来た、って感じじゃねェが……」

「霊薬の補給です。班長が発たれた後、戒様よりご依頼が……」

「戒から?」

 風狼斎の片方の眉が跳ね上がった。意外だったのだろう。

「アイツからは何て聞いてきたんだ?」

「奥羽にて『厄介な妖変』が起き、霊薬と霊符が足りなくなっている、とのみ……。妖変について詳しいことは……」

 あの時の戒の様子では、妖変の内容を把握していたとは思い難い。

 とにかく温厚で、風狼斎と別方向に危機意識がズレた少年だが、一つの府を任される実力者であることは変わりない。ここまでの事態だと知っていたならば、霊薬ではなく妖獣討伐班の編成を相談しに来ただろう。

「……なるほど。じゃあ、お前が出てきた時点では霊薬の依頼しか届いてなかったってことか……。まあ、出撃依頼のほうが届いてたなら、こんなとこを単騎でうろついてるはずねェよな」

 普通に妖変の話をしている風狼斎に違和感が襲った。

 とんでもなく重要なことを流してしまっていたことに、今更ながら気づく。

「な、何故、班長が奥羽の妖変をご存じなのですか!? 今朝はまだ言伝は届いていなかったはず……! いえ、それよりも……、どうして、ここに!?」

「刃守まで妖気が届いててな。あとは成り行きだ」

 さらりと言ってのけた顔は普段と全く変わらない。確信するには十分すぎた。

(バレていたのか……)

 森の中で声が聞こえたのは、風狼斎が陣を緩めたからに違いない。そもそも、自分ごときが風狼斎を出し抜けるはずがないではないか。

「動けるか? 致命傷スレスレだったんだ、無理はするな」

「問題ございません」

 触れてみた腹の傷は跡形もなく消え、妖気も残っていない。

 話をしている間に浄化と止血だけでなく、傷跡すら残さず完治させてしまったということだ。

(これが……、噂に聞く風狼斎様の霊符の力か……)

 強大な木属性を持つ風狼斎が霊気を込めた霊符は、桁違いの力を発揮するとされている。残念なことに、風狼斎にまつわる伝承や戦記では、風や派手な戦闘ばかりに紙面を割かれていて、霊符のことは僅か数行しか取り上げられていない。霊符は地味な印象があるせいなのだろうが、これほど強力ならば、霊符こそ強調するべきだろう。あるいは、風狼斎に会ったことも、戦いを見たこともない者が好き勝手に編纂しているだけなのかもしれない。

「……問題なさそうだな」

 斬られた腹を見、風狼斎は僅かに眉をひそめた。傷は消えても、黒い布にはっきりとわかるほど濃い血の跡が広がっている。我ながら、かなりの惨状だ。

「お前は予定通り霊薬を届けに行け。残してきたオレの霊気を辿れば霊域を抜けられるだろう。できるなら、途中で功刀を拾ってやってくれ。傷は治しといたが、霊体が消耗してるんでな」

 風狼斎は体の向きを変えた。

 既視感のある動きに嫌な予感が襲った。

「この辺りの術は解呪しておいた。霊薬を届け次第、山守殿と協力して、勾陣の中で伸びてる連中を回収してやってくれ。幻術よりか、お前の霊刃のほうが効いてるみたいだったが……。なかなかに手厳しくやったな」

「お、お待ちください! 班長はどうなさるのです!?」

「妖変を鎮めてくる」

 散歩にでも行くような口調に、先ほどまでの温かい気持ちが吹き飛んだ。

「なりません……! このような異質な妖変にお一人では……!」

 行く手に回り込んで道を塞ぐと、風狼斎は普段と変わらない笑みを浮かべた。

「えらく元気じゃねェか。見た目より頑丈なんだな」

 軽い口調にカッとなる感情を抑える。

 ここで乗せられたら負けだ。いつものように、はぐらかされて逃げられてしまう。

「お供します……! どうか、自分もお連れください……!」

 飄々としていた表情が、にわかに険しくなった。

「ダメだ。大怪我したばっかで消耗してる奴を連れて行けるわけねェだろが。大人しく奥羽に行って休んでろ。供なら帰りにしてくれりゃいい」

「ですが……!」

 気配が二つ、動いた。

 背後で一つ、風狼斎の頭上で一つ。

“刃よ……”

 背後で人が倒れる気配から僅かに遅れ、風狼斎のすぐ横の地面に黒装束の男が転がった。標的を失った白刃が背後で木々の向こうへ飛び去って行く。

(な……に……?)

 振り向き、言葉を失った。

 足元に黒装束の男が昏倒していた。男の肩で青龍が緑に灯っている。

 ――いつの間に霊符を!?

 慌てて視線を戻すと、既に風狼斎の指先で霊符が光を放っていた。取り出してから霊気を込め、発動させるまでの一連の動作が全く見えなかった。

(風狼斎様の霊符をまともに見たのは初めてだが……、なんという早業……!)

 何よりも恐ろしいのが、圭吾が白刃を放つよりも早く、どうやって圭吾の背後にいた標的に霊符を命中させたのか――、全然わからなかった。

「圭。向こうで宵闇の連中を縛り上げてたやつ、そいつに頼めるか?」

「は」

 地面に伸びている男の姿に違和感が襲った。

(……妙な姿勢だ……)

 剣を両手で握り、片足を持ち上げ――、まさに斬りかかろうとした姿勢のまま倒れている。青龍で失神したのだとしても、宵闇ならば霊体の力だけで肉体を動かし、受け身くらいは取る間があったはずだ。

 違和感を追いやり、刀を取り上げようと引っ張ると、何の抵抗もなく手から離れた。

(なんだ……? あまりにも手応えが……)

 ある可能性に思い至り、男に触れた。

 ――これ……は……、

 霊気の抵抗が一切ない。霊体が眠りについているのだろうが、あまりに深い。

 昏睡しているというよりは、「霊体を封じられた」といったほうが正しいだろう。

 姿勢を見る限り、霊符が触れると同時に霊体を封じられたに違いない。

(霊符だけで……、これほどの真似ができるものなのか……?)

 風狼斎はというと、白刃が貫いた男に天一の符を張っている。別の意味で驚愕する。

「は、班長!? 何をなさっているのです……!?」

「? 手当だが……」

「なっ!? 何故です!?」

「何故って……、味方だろうが。お前こそ、容赦なく急所狙ってんじゃねェ。奥羽の連中を全滅させる気か?」

 話している間にも、青い光が瞬く間に傷を塞いでいく。鉄蛇を放つのも忘れ、見入っていた。

(なんという治癒力……。先程の青龍といい、この御方が全ての霊符を使えば、天変地異すら操れるのでは……)

 霊符には五行全ての符が存在する。符の力を限界まで引き出し、使いこなせるということは、五行全てを使いこなせるということでもあるのだ。そんなことに初めて思い至った。

 ――至らん事ばかりだな……

 笹貫家は金属性の家系の為か、相克の関係の木属性を軽んじる風潮がある。自分も例に漏れず、木属性を侮っていた。そんなつい先刻までが恥ずかしくてたまらなくなった。

「……圭。護衛としての立場はわかるが、味方にはもう少しばかり情けをかけてやれ。こいつらも術に嵌っただけだ。咎める必要はねェ」

「術に堕ちたことは同情します。ですが、御身への害悪を取り除くのが護衛の役目です。班長を狙った時点で、排除対象と看做すべきかと……」

「お前な……。味方に排除それはねェだろ……。せめて、急所は避けてやれ。脚を狙って動きを止めるとか……、お前の腕なら、そう難しくもねェだろうが」

「自分に対するものであれば、その程度でも良いでしょう。ですが、貴方に危険が及びかねないとなれば別……、味方であろうと完全に黙らせねば安心できません。少なくとも、護衛部隊では、お館様の御身を害する恐れがある者は隊員であっても息の根を止めます。夜の間に暗殺が起きることも珍しくありません」

「……前から思ってたが、えらく特異な文化の中で生きてきたんだな……」

 風狼斎は露骨に眉をひそめた。

「護衛部隊は宿舎暮らしだろ? そんなので、よく同じ屋敷内で暮らしてるな……。ちゃんと食って、寝てたか?」

「自分達にとっては普通のことですので……、どこにいようと、油断して寝首を掻かれる者が悪いのでは……」

「……オレの周りじゃ、そういうのを『普通』とは呼ばなかったと思うが……。まさかと思うが、護衛部隊っていうか、天狼分家は、皆、そういう考え方なのか……?」

 風狼斎は本当に理解できないようだ。

 この青年が、というよりは、周りが甘い考えの者ばかりなのだろう。

(……なんと手ぬるい……。畏れ多くも、「風狼斎様をお守りする」のだぞ……? 護衛が慣れ合っているようでは……)

 だからといって、この青年に天狼の護衛部隊が似合うかというと、それは違うような気もする。

「……『あるじに害成す者に敵味方の区別は不要。親子兄弟であろうと斬れ』が、我が笹貫家の家訓です。他の家は知りませんが、部隊内で、この点に於いて見解が異なる者と会ったことはありません。自分達は主への忠義という点では同胞ですが、主に害を成すとなれば誅殺の対象でしかありません」

 当たり前のことを答えただけだったが、風狼斎は頭痛を覚えたように額を押さえた。

「そうか……。分家で一、二を争う名門の笹貫家がその調子じゃ、他の家も似たような家風もんだよな……。天狼の護衛部隊が異様に殺伐としてるのは知ってたが……、そこまで過激だったとはな……」

 何事か考え、風狼斎は息を吐いた。

「どうにもお前達と話が噛み合わねェと思ってたが……、考え方やら主義主張以前に、根本的な前提が違ってたみたいだな……」

 独り言のような言葉に内心で頷いた。

 風狼斎と自分達とは生きてきた環境がかなり違う――、今まで何となく感じていたが、どうやら思っていた以上に異なっているらしい。

 それがわかっただけでも、大きな前進だと思うべきなのかもしれない。

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