第6話

 陣から金属性の霊気が離れていく。

 森の外まで出たということは、このまま鞍馬に戻るつもりなのだろう。

(急ぎの用があったわけじゃなさそうだが……)

 どうやって刃守にいると知ったのかはわからないが、こんなところまで来たのだ。

 入ってきても構わなかったのだが、そのつもりはなかったらしい。

(奎も、班の連中も、刃守のことはあんま好きじゃねェからな……)

 太狼は温厚で優雅、小柄な者が多数派なのに対し、天狼は剛毅で過激、大柄の者が大多数だ。その違いは剣術や操る術、戦い方、考え方に至るまで広く表れ、主義主張も穏健派と強硬派で対立することが多い。

 だからといって、決して反目しているわけではなく、むしろ当主同士は仲が良いくらいだが、配下は複雑な胸中なのだろう。まして、圭吾達は天狼の中で暮らし、天狼以外と接点を持つ機会はこれまでなかったと聞いている。刃守に対して良い感情を抱いていなくても、しかたがないだろう。

「風狼斎様? どうかなさいましたか?」

 澄んだ声が呼んだ。

 圭吾の霊気を追うのをやめて、意識を目の前の少女に戻す。

 若草色の瞳が何かに気づいたように庵の出入り口を見た。

「もしや、結界が……」

「いや……、問題ねェ。随分と長居しちまったと思ってな」

 刃守弥生は庵の窓から空を窺い、目を丸くした。

「まあ、本当……! こんな時刻までお引止めしてしまって……。風狼斎様がこんなに薬草にお詳しいなんて、思わなかったものですから……」

「互いにな。刃守の姫君が、こんなに研究熱心だって知ってたら、鞍馬で扱いに困ってる薬草でも持ってきたんだがな。京よりも刃守こっちの水のほうが合ってるかもしれねェのがいくつかあってな」

「ぜひ拝見したかったですわ。私も、風狼斎様が霊草に造詣が深いと知っておりましたなら、珍しい薬草をご用意しておきましたのに……。刃守は木属性がほとんどおりませんから、研究がなかなか進まなくて……」

「火属性が多い里だからな。霊薬を作るにしても苦労が多いだろ?」

「はい……。親戚に薬師を束ねている者がおりますが、霊気を霊草に馴染ませるのに難儀しております。どうにも、火属性は草木に嫌われているようで……」

 弥生は寂しそうに笑った。

 彼女は里長の妹で、土地の浄化を取り仕切る巫女であり、薬師でもあるのだという。だが、話し始めると、薬師が本業ではないかと思うほど薬草や霊薬の知識が深く、調合も独創的で面白い。

 本題だけを話してすぐに帰るつもりが、つい話し込んでしまった。

「なら、今度は火の気と相性のいい薬草の種でも持ってくることにするか。アンタなら、新しい霊薬を創り出せるかもしれねェ」

「まあっ、本当に!? 楽しみにしておりますわ!」

 目を輝かせている少女は無邪気で、心の底から嬉しそうだ。

(あの時はどうなるかと思ったが……、戒の見立て通り、刃守は問題なさそうだな……)

 この現に堕ちて記憶を失ったことは、弥生達にとって悪いことばかりではないのだろう。直にそれを確かめられただけでも、今日の訪問は意味があった。

「急に押しかけちまって悪かったな。昨日の今日でこんな庵を用意するのは骨が折れただろ?」

「風狼斎様の御為ならばこのくらい……、と申したいところですが、次はせめて三日前にお知らせいただけますか?」

「大げさに考えなくてもいい。水と落ち着いて話せる場所があれば十分さ」

「そうはまいりません。刃守の姫として、御三家嫡流の御方を十分なおもてなしもせずにお帰しするわけにまいりませんもの」

 弥生は悪戯っぽく笑った。

「三日あれば、里の自慢のお茶とお菓子をご用意できます。刃守の菓子は、その美しさも自慢ですもの。きっと、お楽しみいただけますわ」

「……味はわからねェが、作った奴が込めた霊気や思いは味わえる。この茶みたいにな」

 一口啜った茶から幼い霊気が漂った。

 意識を広げると、窓の傍で息を詰めてこちらを見つめている幼い姿があった。

 小さな手で、緊張しながら頑張って淹れてくれたのが、霊気から伝わってくる。

「そうだな……。じゃあ、次は菓子でも食べながら、ゆっくり霊薬の話でもするか。少し先になるかもしれねェが……」

「ええ、ぜひ。何年先になっても、お待ちしておりますわ」

 弥生は俄かに真剣な表情をした。

「お探しの太狼の件は、私がお預かりします。決して口外いたしません」

「悪いな。兄君の立場もわかっているが、取り繕った報告じゃ判断しきれねェところがあってな……。この件はオレの内に留め、外には出さないつもりだ。迷惑はかけねェ」

「お任せください。早急に里と周囲の村の者の霊筋をお調べいたしましょう」

「ああ。頼んだぜ」

 力強く頷き、弥生は外を見張っている幼子を呼んだ。

「甲矢。風狼斎様に包みをお渡しして」

「は、はい!」

 肩の上で揃えた柴色の髪を揺らしながら、甲矢と呼ばれた幼子はわたわたと棚から小さな包みを取り出した。弥生と同じ浅葱色の袴に、桃色の花柄の着物が良く似合っている。

 刃守家の分家の子で、両親を亡くし身寄りがないので弥生が内弟子として引き取ったのだという。

 薬師を目指しているらしく、茶を淹れてくれたり、香を焚いて結界を強化してくれたりとなかなか手際が良かった。

 同じく内弟子として引き取られた双子の兄がいるらしいが、何をするにもやる気がなく、今日も朝からどこかへサボリに行ってしまったらしい。

 甲矢は包みを両手で大切そうに持ち、トコトコとすぐ傍まで来て、緊張した面持ちで差し出した。

「些細なものですが、お持ちください」

 小さな手から包みを受け取り、漏れてくる香りに目を細めた。

「香……、桜か……」

「太桜から作った太桜香です。消耗した霊体を癒し、穏やかな眠りに誘ってくれますわ」

「随分と澄んだ気だ……、良い品だな」

「今年できたものの中から、一番強く霊気を宿すものを選びました。風狼斎様の霊格に釣り合えばよいのですが……」

「これだけ清浄な霊気を纏っていれば、どんな霊格だろうと効くさ。有難く使わせてもらうとするぜ。近頃、少しばかり夢見が悪くてな。久しぶりに、よく眠れそうだ」

「風狼斎様の御休みをお手伝いできるのでしたら、きっと香も喜びますわ。私も光栄です」

 無邪気に微笑み、弥生は立ち上がった。

「森の外までお送りします。甲矢はここにいて。風狼斎様にご挨拶を」

「は、はい……! あ……、あの……っ」

 顔を上げ、甲矢は泣きそうな顔をした。口をパクパクと動かしているが、体が震えて上手く言葉にできないのだろう。

 しかたのないことだ。

 どれだけ霊格を抑えても、自分の霊気は幼子には恐ろしいのだから。

「またな、甲矢。いい薬師になれよ」

 癖のない柴色の頭を軽く撫でると、少女はこくんと頷いた。

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