第5話

 鬱蒼と広がる森を上空から眺め、圭吾はくうを蹴った。

 気配を消して降り立ち、最も木霊がざわめいた大木の横を通り抜ける。

 木漏れ日が差し込む森は静かで、足元には野草が茂り小さな白い花がそこここで咲いている。

(良い森だ……)

 そんな感想が浮かび、自身にひどく驚く。

 風狼斎に倣って詰所や屋敷の草木の手入れをしているうちに、「趣」とやらが少しわかるようになったのかもしれない。

 少なくとも、護衛部隊においては、草木も花も野草も視界を阻む障害物であり、罠を仕掛け、姿を隠す為の道具だ。自分達が通ると、木霊達は怯えて姿を隠してしまうのが常だった。

(……この奥で間違いなさそうだな……)

 森の奥へと進むにつれて、周りの木々や草花に宿る木霊が活気づき、圭吾が放つ金属性の霊気に威嚇を向けてくる。

 強い木属性の霊気を持つ者がこの場を通った証だ。

 暫く進み、足を止めた。

 目の前には、入ってきた時に見た白い野花が、先ほどと同じ配置で並んでいる。異なっているのは、差し込む陽の光が先程よりも橙に染まっていることくらいだ。

(木霊の法……!)

 内心で舌打ちした。

 風狼斎ならば、初めて訪れた森だろうと、そこにいる無数の木霊を従わせるなど造作もないはず。森全体の木霊達に働きかけて、自らを隠す陣を敷いているのだ。

 ――ここまで来て……っ

 木属性は相克の金属性を苦手とする。風狼斎への敵意など微塵も抱いていなくても、木霊達は圭吾を「敵」と看做して締め出したのだろう。

 苛立ち紛れに近くの木の幹に拳を打ち付けた。立ち上った白い霊気が表面を削り、宿る木霊が威嚇するように枝を鳴らした。


 ――俺は、あの御方をお守りする為にうつつに……!


 握り締めた手の甲で、刻紋がうっすらと光を放った。

 本家に仕えてすぐに刻まれた天狼当主の紋は、玉響を隔てても尚、主との繋がりを保っている。

 揺らぐことのない主からの信頼の証であり、自分が主に仕えることを許された証でもあり、存在意義だ。

 この紋があれば、他家の本丸だろうと宮殿だろうと主の元へ駆けつけることが許される。自らを証明する言葉は何もいらなかった。

 だが――、この手には風狼斎の紋はない。

 現にいる間だけの主従だからなのか、風狼斎は班員の誰にも紋を授けなかった。

(刻紋がなければ……、俺達は、何を以て己を証明すれば良いのだ……!?)

 自分達の存在は「主君」が在ってこそだ。

 この現では「風狼斎の配下」であること。それが全てであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 その主君の存在を示す証こそが「刻紋」だというのに。

 紋を抱かない今、自分はこの現で、どうやって「主」の存在を、自分の立場を証明すればいい?

 何を以って自分達は主従と言える――?

 溜まりに溜まった感情を吐き出すように息を吐き、ぼんやりと頭上を見上げた。

(現まで来て、何をやっているのだろうな、俺は……)

 木々の向こうから流れてくる風に吹かれていると、少し気分が落ち着いた。

 どれだけ嫌われようと、疎ましく思われようと、ここで当主の命令を完遂する以外に道はない。自分は、護衛部隊でしか生きられないのだから。

(やけに霊気が混じった風だな……。いくら隠れ里とはいえ……?)

 咄嗟に風上を睨み、感覚を研ぎ澄ます。

 風だけでなく、周りの木々からも霊気が微かに漏れてくる。

 握り締めていた手を開き、風狼斎がよくやっているように幹に静かに触れた。

 自らの霊気を同調させていくと、火の霊気と木の霊気が掌に伝わった。


「まあ、鞍馬でも霊薬はそんなに?」


 火属性の霊気の内から楽しそうな少女の声が鼓膜の奥に響く。この霊気の持ち主だろう。

(この霊気は太狼……。刃守の里長に近しい者か……? もう一人いるようだが……)

 少女の他に、火の霊気の持ち主が同席しているようだが、こちらは随分と霊気が弱い。幼子だろうか。

「ああ、効力が強いほど不味くてな。宵闇の中には致命傷だっていうのに飲むのを嫌がって、器が死滅した奴もいるくらいさ」

 ふわりと和やかな声が聞こえた。屋敷で自分達に談笑している時のような声音と砕けた口調に更に意識を集中する。

(班長……!)

 間違いなく風狼斎の声と霊気だ。

 しかし、少女よりも遥かに強いはずの主の霊気は木霊がそこにいるように微弱で、周りの木々に紛れる小鳥ほどの存在感しかない。 

 それだけ木霊の法が強力ということであり、風狼斎の木霊達を操る力が桁違いに強いということでもある。

「この刃守でも霊薬の味は深刻な問題です。日夜、武術士と薬師の間で問答が繰り広げられておりますわ」

「何処も同じだな。鞍馬は薬師を纏める七瀬の連中が強くてな。味を改善させようと息巻いて乗り込んだところで、宵闇が言い負かされるのが常だな。ま、薬師も必死になって作った霊薬にケチつけられて、面白くねェのはわかるんだがな」

「風狼斎様が仰っても聞き入れて頂けないのですか?」

「オレの味覚のことは七瀬にも知れちまってるからな。この手の話は説得力がねェから戦力外さ。戒がよく負かされてるから加勢してやりたいところだが、こればかりはな……」

「ふふ、宮の姉様からお聞きしたことがあります。戒様は苦いものがお嫌いで、薬湯をこっそり捨ててしまわれるから、飲ませるのに一苦労だって」

「あいつはオレと違って舌が敏感だからな。そういえば、花見の時にここで出してもらえる茶菓子が美味いって、いつも楽しみにしてるぜ」

「まあっ、本当に!?」

 嬉しそうな声に圭吾は幹から手を離した。

(…………問題なさそうだな……)

 少女からは全く敵意を感じない。

 伏兵がいる気配も、術が仕込まれている気配もない。

 幼子が一人いるようだが、あんな頼りない霊気の者が主に危害を加えられるはずがない。仮に茶菓子に毒を盛ったとしても、風狼斎ならば口にする前に気づくだろう。

 強いて言えば、もっと身分に相応しい威厳ある振る舞いをしてほしいが、それは今に始まったことではない。

 屋敷でも詰所でも、風狼斎は圭吾達直属の部下だけでなく、格下の宵闇や烏天狗にも気さくに接する。

 そのせいで麻呂のような奇人に惚れられることもあるが、それ以上に他の霊筋の宵闇達ばかりか烏天狗や一般の天狗達からも慕われている。

 それは副長として、部下として喜ぶべきことだ。

 なのに――、重苦しいものが心に広がり、気分が酷く沈んだ。

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