第4話

(何のかんの言って、合同執務室に集まってるんだもんな……。仲良い証拠だと思うんだけど……)

 自らの執務室に戻り、戒は唸った。

 鎮定府を統べる親友は、遊びに来るごとに「部下達が流血沙汰を起こすほど仲が悪い」などと嘆いているが、そこまで最悪には見えない。

 例えば、鎮定府は合同執務室の他に、各班員に用意された個別の執務室があるのに対して、この浄呪府には会合用の広間はあるが、執務室は分かれている。広間を使うのは大規模な陣や術を扱う時に集まる時くらいで、普段は各自の執務室に詰め、用があれば相手の部屋を訪ねる。

 術式を解いたり考えを纏めたりするのは静かな環境のほうがはかどるからだが、仮に合同執務室を作ったとしても、わざわざ使う者はいないだろう。

 その点、鎮定府は風狼斎がいない時でも班員は合同執務室に集まっている。本当に仲が悪いのなら個室に籠るはずなのに、だ。

 ただし、指摘したところで本人達は否定するだろうけれど。

「それにしても……、最近、凶悪な妖変が多いな……」

 近江の浄化の手順を確かめながら、憂鬱な気分になる。

 妖変自体はこれまでも各地で起きていたし、それほど珍しいことではない。だが、以前は他の宵闇でも対処できるものがほとんどで、浄呪府も鎮定府も、さほど忙しくはなかった。

 そのおかげで、自分達はそれぞれの「役目」に専念できていた。

 だが、ここ十年ほどで急激に浄呪府に持ち込まれる厄介事が増えた。それは鎮定府も同じらしく、今朝も桂川であわや付近が妖気に包まれかねない事態に陥っていた。

 ――そろそろ、まがが来るのかもしれない……

 最上層部での最近の話題はそればかりだ。

 時期を考えれば、いつやってきてもおかしくない。

うつつにこんなに人がいるんじゃ、かなり力を抑えなきゃな……。予想はしてたけど、厳しい戦いになる……」

 慌ただしい羽音が思考を遮った。

 執務室の前の庭に舞い降りたらしく、その勢いのままに扉が開く。

「戒様! おられますか!?」

 駆け込んできたのは、伝令役の烏天狗だった。門からではなく、直接庭に降りて入ってきたということは、よほどの緊急事態だ。

「どうした?」

「か、戒様……! よ、よかった……! 実は、さ、先ほどっ、奥羽、より……!」

 安堵したのか、烏天狗は何度も息を吐き出しては吸い込んだ。

 霊気は穢れていないし、血の匂いもしない。負傷がないことに、ひとまず胸を撫で下ろす。

「随分と息を切らしてるけど……、大丈夫か?」

「は……、は……いっ」

 さすがに辛そうなので、水晶から瓢箪を取り出した。

「そこに座って。待ってるから、これを飲んで落ち着いてから話してくれ」

「は……、も、申し訳ございません……!」

 ゼイゼイと息を切らしながら、烏天狗は瓢箪に嘴をつけた。

 貴船で採れた湧き水を清めただけだが、ふんだんに山の霊気を含んでいて、霊水と同じくらい霊体を癒してくれる。

 激しく上下していた霊気が落ち着き始めたのを待って、口を開いた。

「霊薬と霊符の依頼なら手配は済んでるよ。夕刻には届くと思うけれど……、追加でも来たのか?」

「それが……、出撃依頼でして……」

「出撃……? 奥羽から?」

 予想外の言葉に眉をひそめた。

 鞍馬に及ばないといっても、奥羽所属の宵闇は一般の霊山よりも戦闘力が高く、人数も多い。

 弱点があるとすれば、雪が多い気候のせいで冬場は霊草が採れず、木霊も深く眠ってしまう。そのせいで霊薬と霊符が不足しがちなことと、管轄地域が広すぎて、宵闇が足りていないことくらいだろう。

 だが、考えてみれば、今は霊草が豊富な初夏だ。この時期に霊薬の補給依頼が来るのはかなりの異常事態だ

「……壱ノ班は? 功刀くぬぎに何かあったのか……?」

 鞍馬に精鋭を集めた班があるように、奥羽にも精鋭ぞろいの班が存在する。

 その中でも選りすぐりの宵闇を集めたのが壱ノ班で、戦闘力順に、弐ノ班、参ノ班と続いていく。実力主義の奥羽では、戦闘力が落ちたと判断されれば、山守がすぐに所属班を交代させるという。

 功刀は壱ノ班の班長を長い間務め、多くの妖変を指揮、鎮めてきた実力者だ。何度か会ったことがあるが、快活な好漢で、随分と部下を可愛がっていた。

「は……、奥羽より届いた言伝によりますと……」

 烏天狗は瓢箪に軽く礼をして自分の水晶に仕舞い、出撃依頼らしい書簡を取り出した。鞍馬の烏天狗は有能で、伝達するべき情報を頭の中に入れてから依頼先を訪れるのが常だ。

 わざわざ書簡を開いたということは、よほど信じられない事態なのだろう。

「い、壱ノ班が倒れ……、救援に向かった弐ノ班が、同じく救援に向かっていた他の班もろともに倒れたとのことです……」

「え………………?」

 執務室に沈黙が落ちた。

 頭の中で何度反芻してみても、意味は一つしかない。

「…………えっと……、奥羽の主力が壊滅状態っていうことで……、合ってるか……?」

「は……、あ、合っております……。鎮定府にて、風狼斎様が御不在と伺いました故、戒様ならばと……」

 妥当な判断だ。

 奥羽の精鋭班が次々に倒れるような事態ならば、こちらも精鋭を選りすぐった班を構成し、実力のある宵闇を指揮役として向かわせるか、各府の長が直接動くべきだろう。

「う~~ん……、マズい状況なのは、よくわかったけど……、じきにオレとみやも近江に行かなくちゃいけないんだ。宵闇府に持って行ってみてくれないか? オレ達の帰りを待つより魔天狗殿に指揮を執ってもらったほうが早い」

「……その……、魔天狗様は西国のご視察に発たれ、御不在でして……、班長殿御一同、急を要する事態故、御府の御二方のご指示を仰いでほしいと……」

「うわぁ~~、今日に限って……。そういえば今朝、『昼から視察に出ることになったから、留守中頼む』って言ってたっけな……」

 近江の妖変はひと月前に鎮めたが、穢れた湖はすぐには浄化しきれず、数日ごとに祓わなければならない。特に今日は、夕刻から地元の霊獣達と合同の大規模な祓いを行うことになっていて、烏天狗達も把握している。

 鎮定府で断られて、出発に間に合うように大慌てで飛んできたのだろう。

「そういうことなら、聞かないわけにいかないか……。奥羽の主力がやられるような勇ましい霊筋なんて、あっちじゃ刃守くらいだと思うんだけど……。どういう霊筋のヤツなんだ?」

「こ、ここに……っ」

 差し出された書簡に軽く目を通し、嘆息する。ある程度は予想していたが、予想を上回って事態は深刻だ。

「何て言えばいいのか……、凄いことになってるな……」

 壱ノ班が妖気の真っただ中で消息を絶ち、功刀は行方不明。生死すら確認できていない。異常に気づいた弐ノ班が他の班と共に壱ノ班救援に出撃するも、班長以下、誰も戻らず。

 数刻後、ようやく一人だけ戻ってきた宵闇は血まみれで、「結界で森を閉ざせ」と言い置いて意識を失ったのだという。

「酷いな……。主力がやられてるのに、妖獣の正体さえわかっていないなんて……」

「は、はい……! 奥羽を担当して長くなりますが……、これほどまでの危機……、聞いたことがございませぬ……!」

「これを近江の後に鎮めるのは、ちょっとキツいな……。見なかったことにしたいくらいだけど……」

「戒様!?」

 伝令役の烏天狗には他の山との調整や連絡を担う者がいて、それぞれに担当する霊山がある。

 担当霊山と良好な関係を築けているほど、伝令役達は担当先に肩入れしてしまいがちだ。特に妖変では顕著で、自分の担当霊山が優先的に加勢を受けられるように各部門を必死に回る。

 これほど必死になっているところを見ると、この烏天狗は奥羽と良い関係を築いているのだろう。伝令役としては優秀だ。

「冗談だよ。ここまで酷いんじゃ、オレ達が出たほうが良さそうだ。近くに人里や他の隠れ里は? この感じじゃ、妖獣が潜んでいる場所の検討もついてないのかもしれないけれど……」

「おそらく、奥羽の中門近くではないかと。以前、銀狐の里があり、当時の霊域がそのまま残っているとのことです。里の跡地の見回りに行った当番が戻らず、捜索に向かった宵闇も戻らず、異変を察知した壱ノ班が出撃したようなのですが……」

「正体不明の妖獣にやられたのか……」

 里に残っていた銀狐が妖獣化したのか、余所から妖獣が入り込んだのか。

 どちらにせよ、尋常ではない。

「中門か……。越後のほうだな。あの辺りは太い霊脈が通ってるはずだけど、影響は出てないな?」

「は。奥羽総出となって霊山の内より結界を巡らせております故、妖気は止められているとのことです。しかし、負傷者が多く……、長くはもたぬと……」

「……明け方くらいが限界ってところだな……。近江は夜更けには終わると思うから、その後で向かうけれど……、風狼斎が夜には戻るはずだから、あいつにも話してみてくれ」

「は。有難うございます!」

 烏天狗は何度も頭を下げ、廊下を跳ねるような勢いで去って行った。

 あの様子では、奥羽に親しい友人がいるのだろう。

「いつもの祓いなら、宮に頼んでオレだけでも行ってやれるんだけどな……。今日のは、あっちのおさ殿達が勢揃いだから、欠席できないからなあ」

 席に戻り、茶を啜った。

 何かを忘れているような気がした。

「……圭吾に霊薬頼んだけど……。マズかったかな……」

 暫し思案し、戒は書簡を処理済の箱に入れた。

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