第2話
「圭吾!」
鞍馬に置かれた妖変鎮定府。木々に囲まれた屋敷の玄関を潜るなり、小柄な少女が飛び出してきた。
「班長は? お迎えに行ってきたんでしょ?」
最年少の班員、
この少女も、他の班員達も、天狼一門を統べる一族の分家出身だ。班員は皆、天狼当主直属の護衛部隊に所属し、当主直々の命で現に降りた。
向こうに残る当主に代わり、風狼斎を護衛し、その役目を補佐する為に。
だが、肝心の護衛対象にして仮の主君は単独行動を好み、自分達は護衛の任務を全く果たせていない。
「あれ~~? もしかして、今日も、御一人でお出かけになられたの~~?」
馬鹿にするような口調が、収まりかけていた苛立ちを再燃させる。
以前は人形のように無表情で無口だったというのに、現に降りてからは人格が変わったように騒々しくなった。
これが本来の性格なのか、風狼斎に取り入ろうとしているのか。
どちらでも構わないし興味もないが、とにかく鬱陶しい。
応えずに通り抜けようとした視界に、銀の光が閃いた。
刃がぶつかる甲高い音と剣圧がぶつかり合った余波が背後の玄関の門を削ぎ、木々の葉を刻む。
「なーに無視してくれちゃってんの?」
酷薄な笑みを浮かべた寧々の手で、短刀が白く光った。
受け止めた刀に本気の殺意が伝わる。
「どーせ、また逃げられたんでしょ? 副長なのに全然頼りにしてもらえないとか、最悪じゃない。アンタ、煩すぎんのよ」
「黙れ……」
刀に流れ込む霊気が白くざわめく。殺気へ変わろうとするのを必死に抑えた。
「あ~~、ヤダヤダ。眉間にしわ作っちゃってさあ」
ふざけるような口調で呟いた寧々の眼がギラリと光った。
「お役に立てない副長なんて、意味ないって言ってんの! だいたい、アンタが副長になれたのなんて、私達の中で一番、家柄がよかっただけじゃない……! そうでもなきゃ、アンタみたいな面倒な石頭、お側に置いてもらえるはずがないでしょ……!」
寧々の眼が獲物を狙う狼のようにギラギラと光った。
「図々しく居座ってないで、愛想つかされる前に、副長の座、私に譲りなさいよ! アンタよりもずっとお役に立ってみせるわ!」
「なら、力で奪えばどうだ?
「へえぇ、アンタにしては面白いこと言うじゃない……」
小さな顔に冷たい笑みが浮かんだ。
五月雨家は暗殺者を輩出する家系。「血生臭い」と評される天狼の中でも、特に暗部を担う家柄だ。寧々はその直系で、暗殺術に長けている。
面倒な相手に違いはないが、実家にいた頃に五月雨家の者を抹殺する術も叩き込まれている。
こちらも無事では済まないが、正面から戦う以上、負けることはないだろう。
(ちょうどいい……)
――このまま片付けてやる……
運良く風狼斎は遠出している。事故に見せかけるように細工する時間は十分あるだろう。
足元の砂利が霊気に弾かれ、合図するように転がった。
踏み込もうとした刹那、ひらりと霊符が舞った。
(火の斗……!)
寧々との間に割って入るように降りてきた赤い符が弾けた。
咄嗟に飛び退いた直後、昼間に影ができるほどの閃光が詰所を照らす。
舌打ちしたいのを抑え、屋敷の出入り口を睨む。
予想通り、大柄の男が立っていた。
「ちょっとぉ、邪魔しないでよ、劾修!」
「いい加減にしないか、お前達……」
追加の霊符を構え、
「班長の留守中に鎮定府を破壊する気か? 寛大なあの御方でも、さすがにお怒りになるぞ?」
大げさに溜息を吐き、劾修はこちらを睨んだ。
「特に圭吾。お前は副長だろう? 止めなくちゃならん立場の奴が、率先して
「……以後、気をつける……」
苛立ちを抑え、刀を収める。
悔しいが、あちらが正論だ。
寧々を葬ったところで、風狼斎の信頼を得られるとは思えない。
「聞いてよ、垓修! 圭吾ってば、また班長に逃げられたんだって! 副長なのに、未だにお供もさせてもらえないって、そろそろ拙いよね! 私だったら、なりふり構わずについていっちゃうのにさあ!」
聞えよがしな声を無視して奥の執務室に急いだ。
(……これが向こうならば……)
――今夜にでも消してやるのに……
御三家を構成する三つの霊筋、幻狼、天狼、太狼。その中でも、天狼は最も家柄と形式を重んじる。
一般的にそう言われてはいるが、あくまで建前だ。
少なくとも、護衛部隊において家柄がモノを言うのは出仕初めの数年だけ。
入隊して三年も過ごせば、主を同じくする者同士の下剋上が黙認され、上司だろうと力のない者は淘汰され、時には部下の手で命を落とす。
弱い者が姿を消したところで騒ぐ者はおらず、主が咎めることはない。
同時期に入隊した「仲間」もそうだ。
邪魔者は消す。弱いから消えた。強いから残った。
向こうでは、それだけで済んだのに――。
「オレがお前達に命じることは一つだ……。何があっても死ぬな」
現に降りた時、風狼斎は跪く自分達に静かに告げた。
「お前達がオレの護衛を命じられ、それを使命とするのと同じように、オレには、お前達を当主殿の元へ無事に帰す責がある。だから、この現で誰一人欠けることは許さねェ。生死を迫られた時は、迷わず生き延びる道を選べ。例え、オレが危機に陥っていたとしてもだ。あと、これは命令じゃねェが……、」
狼の霊筋の畏怖と尊敬を一身に集める青年は、少し照れたように笑った。
『オレは仰々しいのが苦手でな……。
物心ついた時から命を賭して主君に従うことを絶対と叩き込まれてきた圭吾には、全く意味が分からない命令だった。
しかし、他の班員は何故か感極まったように何度も頷いていた。
寧々に至っては、今では「主」というよりは「兄」のように、すっかり懐いている。
(恥知らずの暗殺女が……! あの風狼斎様に対し、なんと無礼な……)
自分達は護衛であり、主の手足。
この命は主君にとっての消耗品――、主君の剣となり、盾となって散った時にこそ意味を持つ。それが天狼分家の務めであり、誇りだ。
この現に留まる間だけの主君であっても、それは変わらない。
まして、風狼斎は天狼当主すら跪く存在。本来ならば、自分達などと視界に入れてもらえることすらない、神にも等しい存在だ。
それを忘れたかのように、馴れ馴れしくまとわりつくなどと――、吐き気がする。
だが――、
(あの御方が望んでおられるのは、俺よりも寧々のような態度なのだろうな……)
風狼斎と話すたびに痛感する。
自分と風狼斎の考える「主従」は、かなり異なっている。
というよりも、土台となる価値観がまるで違うのだ。
考えに沿うことができない自分は、いつか、副長の任を解かれるのかもしれない。
(……班長の御意思ならば、解任も追放もやむ無しだな……。俺は……、他の忠義の示し方がわからんのだから……)
重たくなった腕を持ち上げるようにして執務室の扉を開けた。
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