第8話∬ いよいよそのときを迎えるレストラン





 さて、本日はこの店にしては珍しくない店休日。

 最近はほぼ正社員同様の出勤シフトだった俺にとっては待ちに待ったお休みというやつだ。

 だが、今日は少々事情が異なる。


 店に向かう足を止めて、ビルのガラス窓に映る自分の姿を確認する。

 少し乱れた前髪を直して、鏡代わりのガラス窓に笑いかけるその顔は亡き姉の顔そのものだった。

 姉を知る者が見たら、間違いなく二度見して驚くだろうその完成度には、俺自身も呆れてしまう。

 ここまで完璧に再現してくれた店長には、一応感謝をしなければならないだろう。


「よし、行くとしますか」


 わざと声に出して自分の発する声が姉のものになっているかを確認する。

 幼い頃、姉との遊びの延長で身に付けた声帯模写だが、まさかこんな風に活用する日が来るとは夢にも思わなかった。


 俺は吹き抜ける風に髪を抑えながら、横断歩道を渡ってトワイライトガーデンに向かうのだった。

























「おはようございます、店長」

「おう、おはようさん」


 先程、一緒に店長の家を出たので数十分ぶりの再会だが、店長は俺の顔をマジマジ見つめて満足そうに頷いた。


「よし、完璧だな」

「あはははは……」


 それにしても、店内は物々しい雰囲気に包まれていた。

 店の中央にあるバーカウンター周辺には無数の撮影機材が用意され、店内ということもありそこまで高さはないものの特設ステージが組まれている。

 ステージ正面には審査員用の席が用意されていて、その背面にはいつもの客席が。

 ステージの背面には大きなスクリーンが用意されていて、ステージ上の様子が映し出されるようになっており、その向こうにはいつもの客席が用意されている。

 この店の従業員ももちろん忙しなく準備に追われているが、普段は見ないようなTV番組の撮影スタッフが、何やらインカムで会話をしながら駆け回っていた。


「何か、ものすごい雰囲気ですね……」

「まぁ、一応全国ネットで放送されるらしいからな」

「ぜ、全国⁉

 地元のローカル番組って話じゃ……」

「あはは、話題が広がってキー局の取材申し込みが入ってな。

 本社がそれを受けたらしい。

 まぁ間違いなく宣伝になるしな…… 断る理由もなかったんだろう」

「……ってことは、俺の醜態が全国のお茶の間に?」

「ああ、お届けされるな」

「………………はぁ、私恥ずかしくてもう街を歩けませんよ」

「はっはっはっ! 優勝したら別の意味でも街は歩けないだろうから安心しろ!」

「それ、全然安心できないんですけど?」


 その雰囲気に気圧されて緊張はしているが、こうして店長と馬鹿なやり取りが出来ているので問題はないだろう。

 なんと言うか、自分なようで自分じゃないような……

 そんな不思議な感覚だからかも知れないが、全国に放送されると聞いてもそれほどその緊張感が増すということはなかった。


「ぜ、全国⁉」

「おお、万里子。どうした?

 そんな仔馬が人参鉄砲を食らったような顔をして?」

「そんな格言ありませんから!!

 っていうか店長! 全国に放送されるとか、私聞いてないんですけど!?」

「だろうな…… 誰にも話してなかったし。

 キー局の取材が入るかもとは言われていたが、確定したのは昨日だしな」


 俺と店長の話を偶然聞いたポニーは、俺とは正反対にガチガチに緊張しているようだった。


「………………っていうか、どうして瑛ちゃんはそんなに落ち着いてるの?

 全国だよ? 全国のお茶の間が私達を見るんだよ?」

「うーん……、色々な状況が重なって、

 もう私には現実味が感じなくなってるからかなぁ?」

「……あはは、本当に流石だねぇ」


 ポニーは俺の呑気な発言に呆れて思わず笑顔を浮かべていた。


「にしても、こんな日でもお客様は入れるんですね?」

「ああ、各席にも投票権があるんだ。

 審査員の得点と、会場の投票の総合点で審査されるシステムなんだと。

 つまりは、会場の客達からの票もかなり重要になるってことだな」

「まぁ、そういうシステムはもう正直どうでもいいですけど……

 主戦力を欠いたスタッフで、これだけのお客様を捌くのはしんどくないですか?」

「大丈夫だ。

 今日に関しては、食事も飲み物もオーダー制じゃなくコース料理だからな。

 元ホテルシェフの祇園寺が振舞う簡易版フルコースだから厨房の負担も少ない。

 それに、フロアスタッフも配膳と下膳くらいが主な仕事だから混乱もないさ」


 この臨機応変な状況に適応できるのは、恐らく長年この店長の下で働いてきたこの店のスタッフだからだろうな。


「今日の来店には特別なチケットが必要で、

 そのチケットは数日前から抽選で販売している。

 映画館のようにその席に座る客もこちらで全て把握しているから、

 アレルギーなんかの対応も問題ない。

 まぁ、要はディナーショーみたいな感覚だな」

「ディナーショーに行ったことないからよく分かりませんけど、

 お客様はみんなオーディションを見に来る観客だってことですよね?

 となると、大事なのはこのオーディションの成功の方ってことですか」

「そうなるな……

 まぁ、せいぜいお前がかき回してくれることを私は祈っているよ」


 そう言って、房木社長と色々打ち合わせがあるとかで店の奥へと消えて行く店長。

 俺とポニーはその背中を見送って、改めて店内の様子を見渡した。


「あはは…… なんかすごいことになって来たね、瑛ちゃん?」

「ああ、そうですね。馬堀先輩。

 ドラマのヒロインの妹役と賞金……

 それと女優としての本格デビューをかけたこのオーディション。

 私はもちろん優勝狙ってるんで、馬堀先輩とも真剣勝負ですね」

「オーディション参加者の大半が顔見知りっていうよく分からない状況だけど、

 正々堂々頑張ろうね、瑛ちゃん!!」


 俺とポニーはそんなことを話して握手をすると、参加者用に用意された控室へと向かうのだった。






















 控室の中もそれなりに混乱しているようだった。


「………………テレビの撮影なんて、聞いてない」

「しかも全国放送って…… 明日からどんな顔して学校に行けばいいのよ……」


 テレビ取材の話に動揺しているのは藍澤さんと深山だった。

 まぁ気持ちは分からないでもない。

 そもそも二人とも俺と同じで、店長に勝手に応募された口だ。

 自身の痴態を全国に晒すなんてことになって、内心が穏やかではいられないのは仕方がない。


「いやいや、満月ちゃん。

 満月ちゃんがノリでやってるTikT〇kとかInstagr〇mなんて、

 日本全国どころか全世界に配信されてるじゃん。

 今更全国放送にビビッてどうするのさ?」


 そんな深山に、微妙にズレた論点で声をかけるのは八重咲さんだ。

 流石というかなんと言うか。

 この状況でも普段のノリで笑っていられる彼女は凄いと思う。


「お、瑛ちゃんにポニーちゃんも来たね。

 これでこの店からの参加メンバーは揃ったかな?」


 そう言って俺とポニーに声をかける八重咲さんの言葉で俺の姿を見つけた藍澤さんが駆け寄って来た。


「………………こんな状況は想定外です。

 私は、どうしたらいいのでしょうか?」


 俺の服の裾をキュッと握って、若干震えながら上目づかいで聞いてくる藍澤さん。

 守ってあげたいという保護欲にかられるそんな姿は、見た目通りに幼子のそれだった。

 まぁ、それをそのまま伝えたら怒るのだろうが。


「うーん…… 演劇部の劇だと思えばいいんじゃないかな?

 藍澤先輩はの登場人物。

 テレビの取材もオーディションも全部舞台上のフィクション。

 そう思ってみたら、少しは気持ちも楽になるかも知れませんよ?」

「………………これは舞台……

 私はその舞台の演者…… 分かった。そう考えてみる」


 俺の気休め程度の助言を鵜呑みにする程メンタルが追い詰められているようだ。

 藍澤さんのことが少々心配になりながら、俺は深山に近付いていく。


「あ、瑛。今日はよろしくね」

「うん。満月もよろしく。

 ……にしても、なんかすごいことになってるね。

 流石は皐月さんというか、なんというか……」

「まさか全国ネットで放送されるとはね……

 今からでもなんとか出来ないかと思って、

 お母さんにテレビ局ごと買収できないかって連絡したんだけど、

 お母さんったら『それなら録画しなくっちゃね!』とか言って……

 全然役に立たないんだもん。

 全く、何のためにあんなに無駄にお金を持ってるのよ……」

「いや、色んな企業が協賛し合って企画したイベントをぶち壊すなんて、

 流石に天下のMIYAMAでも許されないでしょ……

 それは駄目だよ、満月」


 流石は天下のMIYAMAのご令嬢だ。

 いざとなったときの強硬手段のスケールが違う。

 しかし、その気持ちは分からないでもないので、あまり強くは言えなかった。

 俺だって今からでもこのイベントをなかったことに出来るのならそうしたいのだ。


「うちの店の人たち以外に参加者は3人みたいね。

 一人はうちのクラスの有名人で、インターハイチャンプの國崎さん。

 もう一人は房木プロダクションの一押し新人、水瀬さん。

 それと最後にプロダクションOBIT’の練習生、鬼塚さん……だったかな?」

「満月、詳しいんだね?」

「あはは…… 私これでもMIYAMAのご令嬢だからね……

 向こうから勝手に挨拶してくるのよ。

 私と仲良くなってお父様にでも気に入られれば、

 CMとか貰えるかも知れない…… とか考えてるんじゃない?」


 深山の視線に気付いて、水瀬さんと鬼塚さんは深山に向かってはにかんでから頭を下げる。

 そんな二人に会釈を返してから、やれやれと言いたげな溜息をつく深山。

 有名企業のご令嬢と言うのも色々大変なのだろう。


「……せめてもの救いは、あいつが来れないってことよね。

 テレビ取材も急遽決まったことみたいだし。生放送だって話だから……

 あいつに私の痴態が見られることはないわ!!」


 そう言ってガッツポーズをとる深山。


「あいつってもしかして?」

「そう、結局あなたは会うことはなかったけど、

 この店のバーテンダーの神越よ。

 もうこうなったら誰に見られて構わないけど、

 あいつにだけは見られたくなかったから……」

「そ、そうなんだ……」


 その絶対に見られたくないあいつが、今目の前にいるとは口が裂けても言えなかった。

 いや、俺も俺で、深山に今の姿を『俺』だと認識されるのは流石に嫌なので絶対に明かさないけどな。


「それにしても、ドラマの役のオーディションだから『演技審査』は分かるけど、

 どうして『歌唱審査』とか『ダンス審査』とかがあるのかしらね?

 今度この店で撮影するドラマって、別にミュージカルとかじゃないんでしょ?」

「うーん…… 確かに満月の言う通りだけど、

 今どきは女優さんにもそう言う能力が要求されるんじゃない?

 ドラマの主題歌を歌ったり、ドラマのエンディングとかで踊ったりするの多いし。

 一昔前だと、恋ダンスとか大流行してたでしょ?」

「なるほど…… そう言われればそうなのか……

 けど、歌もダンスも演技も、私全然自信ないのよね……

 飛鳥先輩は演劇部だからそう言うの得意みたいだけど」

「ああ、確かに。

 藍澤先輩は演技はもちろんだけど、

 歌もダンスもびっくりするくらいうまいもんね……」


 ちなみに、八重咲さんはダンスが得意だ。

 高校生の頃は『踊ってみた動画』でものすごい数の再生数を誇っていたとか。

 そして、ポニーは言わずもがな、歌もダンスも演技もなんでもこなすパーフェクトガールだ。

 あいつの場合は、基本スペックが俺達とは別次元なのだ。

 あの容姿にスタイル、そして頭脳明晰でスポーツ万能…… 本当にどうしてこの店の弄られ役の位置に甘んじているのか不思議になる高スペック女子なのだ。


「瑛はどうなの? バーカウンターでの接客を見てる限り、

 演技の方がかなりのものだと思うけど、

 歌とかダンスは得意な方? 苦手な方?」

「うーん、人並みかそれよりちょっとましな程度には?

 あ、でも運動神経にはすこし自信あるかも?」


 実際には、ここ数日店長の元で猛特訓をしていたのだが、それはもちろん秘密だった。


「とか言って、どうせ上手いってオチなんでしょうね……

 なんて言ったって瑛は店長の秘密兵器なんだから」

「へ? どういうこと?」

「店長が言ってたのよ。

 『優勝はうちの従妹がかっさらう予定だから、お前達は気楽にやってくれ』って。

 店長は基本いい加減な人だけど、そう言う嘘はつかない人だからね……

 まぁ、瑛の活躍に期待してるわよ」

「あはは…… 皐月さんってば…… あとでお仕置きだなぁ……」


 俺の知らないところで、そう言うことを言いふらすのは辞めて欲しい。

 しかし、深山の落ち着きがそれによるものなら、まぁ大目に見よう。

 何度も言っていることだが、もうやるしかないのだ。

 深山や藍澤さん、ポニーに八重咲さんと國崎さん、そしてこの店の未来のために。


「開始まであと少しか…… あとは國崎さんだけど……

 寝坊でもしたのかしら?」


 深山は未だにこの店に現れない國崎さんを心配しながら、控室の時計を見つめていた。

 

 しかし、深山の言う通りだ。

 あの真面目な國崎さんが、遅刻と言うのはありえないと思うが……

 何かあったのでなければいいのだが、と少し心配になる俺だった。






 続く――。

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