第0話∬ そして困難へと立ち向かうことを決めたレストラン
カランカランッ――
ドアベルの音に呼び出されて店の入り口に駆け足で向かったのはポニーだった。
「いらっしゃいませ!
お客様はお一人様ですね。お煙草は――」
「禁煙席でお願い」
「かしこまりました。
それではお席にご案内いたします」
ポニーの案内に食い気味に返して、不機嫌そうに店内をキョロキョロ眺めるお客様。
見た目からだと俺やポニーと対して年は変わらなそうだが、どうも纏っている空気が見た目通りの年齢ではなさそうな気配をはらんでいた。
「食事は済んでいるから、バーの方に案内して貰えるかしら?」
「はい。かしこまりました。
それではご案内いたしま――」
「ああ、案内はいらないから。
あんなに目立つバーカウンターまで行くのに、流石に迷わないしね」
店の様子を眺めながらポニーのあとを歩いていたそのお客様は、そう言ってポニーの案内を振り切ろうとする。
しかし、
「ですが、他のお客様とぶつかったりという可能性もございますので……
余計なお世話だということは承知しておりますが、ご案内させて頂きます」
そこはそう簡単に食い下がらないのが、我が店のエース、ホスピタリティの権化かるポニーだった。
「……そう。なら、案内をお願いするわ」
お客様はポニーのことを値踏みするようにしげしげ見つめたあと、そう言って頷くとその後ろを歩いてバーカウンターへとやって来た。
ちかくで見るとやはり若い。
高校生か……大学生にしか見えないが、こうもためらいもなくバーカウンターにやって来るということは、やはり成人女性なのだろうか?
俺はその辺りを見誤らないように、そのお客様のことを細かく観察した。
薄く、でも丁寧に施されたナチュラルメイク。
シックな色合いのカジュアルなリクルートスーツにも見える服装。
手入れの行き届いたヘアスタイル。
そして、その言動と立ち振る舞い。
正直、判断に苦しむ見た目だ。
だが、上着で隠されているネックストラップを見て、俺はなんとなくそのお客様の正体に気付いた。
「こちらがバーカウンターになります。
どうぞごゆっくりお過ごしください」
「ええ、ありがとう」
俺の方を一瞥してから去って行くポニーのアイコンタクトを受け取る。
ポニーも俺と同じように、お客様のネックストラップを見つめて俺に苦笑いを浮かべた。
どうやらあいつも俺と同じ見立てらしい。
本来なら、このお客様のような見た目であれば、いつもならポニーは年齢確認を入れているところだが、それをしなかったのもそれに気付いたからだろう。
「君はここのバーテンダーかな?」
「はい。いらっしゃいませ。
ご注文がお決まりでしたら伺いますが、いかがなさいますか?」
俺のことも、ポニーのときと同じようにしげしげと値踏みするように見つめるお客様。
小さく嘆息してから、俺に向かってこんな言葉を切り出した。
「君は、この店をどう思う?」
バーカウンターの席に座り、お客様は俺の目を真っ直ぐ見つめた。
「……面白い店だと思いますよ。
こんなバーカウンターを試験的に導入したり、
少し変わった接客をする従業員を採用したり、
店長も少々おおらかというか……
歯に衣着せぬ言い方をすればいい加減な感じなのに、
こうして店内は大きな混乱も起きずに楽しい雰囲気を維持している。
お客様と従業員の間の敷居も低く、雑談のようなやり取りも絶えない。
なんと言うか、地域に根差した酒場、ないし大衆食堂のような店ですよね?」
俺はそんな鋭い視線をいなしつつ、笑顔を浮かべてそんな言葉を返した。
お客様はそんな俺の言葉を受けて、少しだけ黙り込んだあとゆっくりと口を開いた。
「お客様との距離が近い接客……
確かにそういう言い方をすれば良いようにも聞こえるが、
要は節度のある距離感の接客を従業員が出来ていないだけなんじゃないか?
それに、本来はお客様同士が楽しく会話をする場所である店内で、
従業員と客が楽しく雑談を交わすのも、決していいこととは思えないが……」
そんなお客様に、俺は一杯のカクテルを作って差し出した。
コトッ――
「どうぞ、『アイ・オープナー』です」
「……注文していないが?
この店は客に注文していないメニューを出して金をとるのか?」
「いいえ、こちらは私からのサービスです。
代金は私の給料から天引きして貰いますのでご安心を」
そう言って笑顔を浮かべる。
すると、お客様はそのグラスをじっと見つめた。
「『アイ・オープナー』
ホワイト・ラムを1/2、
パスティス、オレンジキュラソー、クレーム・ド・ノワソーを2ダッシュ、
卵黄を一個に、砂糖を小さじ一杯……
それをシェイカーでシェイクしたリバイバーカクテルか」
そう言って再び嘆息してから、カクテルグラスを口に付けそれを一気に傾ける。
「……ふむ、いい腕だな。
しかし、どうして私に君はこのカクテルを出したんだ?」
グラスをカウンターに置いてから、お客様は俺を睨むように見つめてそう言った。
「……いくつも店舗を回られて、お疲れになられているかもと思いました」
「っ!? ……どういうことだ?」
「上着の下から見えるシャツは、当グループの制服のシャツですよね?
首から下げているのに上着で隠しているネックストラップも、
当グループの30周年記念に社員に配られた記念ネームプレートのもの。
お客様は、恐らく当グループの本部スタッフの方だと見受けました」
「……よく見ているのね。
でも、どうしていくつも店舗を回って来たって思ったの?」
「店にいらっしゃって、
まずお客様は店内を駆け回るスタッフの様子を確認してらっしゃいました。
始めて来た店の様子を見るなら、まずこの目立つバーカウンターを見るものです。
ですがお客様はそうではなかった……
だから、店舗の様子を抜き打ちで確認に来た本部の方か、
他店舗の敵情視察かな? とおもいましたが……
当グループの方だと分かったのと、カクテルレシピにお詳しいようだったので、
最近いくつかの店舗に導入されたバーカウンターの様子を見て回って、
最後のこの店にいらっしゃったのではないかと考えました」
「……なるほど。
カクテルのレシピを覚えている客なんてそうそういないか……
やるわね。あなたの推理通りよ。
本当に話に聞いていた通り、腹が立つくらいに涼宮みたいな子ね」
今度は盛大に溜息をついてから、お客様は上着で隠していたネームプレートを取り出した。
「私はトワイライトガーデングループ本社で、
食販部門統括部長をやってる大輪よ。
この店の店長の涼宮とは、前にここに来た金霧といっしょで長い付き合いなの」
「私はこの店の店長補佐をさせて頂いている神越です。
一応このバーカウンターの責任者も兼任させて頂いています」
「知ってるわ。
君の名前を知らない本社スタッフはもういないわよ。
親会社会長の肝煎りで、あの涼宮が認めたアルバイトスタッフ……
君の作ったマニュアルで他店のバーカウンターも何とか体裁を保ってるんだもの」
知らぬ間に、俺の名は随分と広まってしまっているらしい。
「げぇ…… 大輪来てたのか!?
少年、私は急に体調が悪くなったから早退する。
あとのことは任せたぞ?」
そこにふらりとバーカウンターに現れた店長。
そのまま回れ右をして去ろうとする店長の背中に、大輪さんが声をかける。
「あのね、逃がすわけないでしょ?
今日はあなたに話があって私はここに来たんだから……」
「くぅ…… こんなことなら、こっそり早退して置くんだった……」
「こらこら店舗責任者」
店長は盛大に溜息をつきながら、振り返って大輪さんの横の席に座る。
「ここに来る前に、この店以外のバーカウンターを見て来たわ。
あなたの言う通り、彼の作ったマニュアルで何とか体裁を保てるところまでは、
改善が図れてはいるけど……とてもこの一号店ほレベルには達していない。
明らかにバーテンダースタッフの技量が足りていないわね」
「あぁ、まぁそうだろうな……
こいつほどの腕を持つバーテンダーはそうそう見つからないだろうからな」
「分かってるの?
今は他店の売り上げをこの店の売上で底上げしているからなんとかなっている。
けど、そんなのそう長くは続かないわ。
いつか、この状況は破綻するぞ?
そうなったら、彼は本社に取り上げられて、
各店舗のバーテンダースタッフの教育係になるのよ?」
「………………店長、その話初耳なんですが?」
「はぁ~……でしょうね。
こいつはそう言うやつだもの」
どうやら、いつの間にかそんな密約が本社と交わされていたらしい。
てか、他店のバーテンダーってそんなにひどい腕なのか?
「少年、君は難なくこなしているから分からないのかも知れんが、
ホテルバーテンダーや店舗のバーテンダーと違って、
レストランのバーテンダーって言うのは本来ものすごく大変なんだよ。
本社が見つけて来た腕自慢のバーテンダー達はみな有能だけどね……
君ほど器用にこなせていないんだ。
……はぁ~、もう少し早く彼らも順応してくれると思ったんだけどね……」
「腕自慢を集めたのが仇となったな。
変にプライドが高い分、やり方の修正が上手く行っていない……」
そんな会話をどこで聞いていたのか、バーカウンターにはいつの間にか店舗スタッフが集まりつつあった。
「ちょっと店長。
そいつが本社に取り上げられるとか、聞いてないんですけど?」
深山は不機嫌そうに店長にそう言って詰め寄る。
「………………彼に付いた固定客も多い、
彼を失うのは、この店舗にとって大きなマイナス。
彼の穴を埋められるスタッフなんてそうそういない」
藍澤さんも何だか珍しく饒舌だ。
二人とも、俺のことを守ろうと必死なのだ。
そして、
「本社の人選が上手く行っていなかったのと、
その後の教育が行き届かなかったことが原因なのに、
仕組みを導入する際に店長が掲げた条件を傘にして、
他店の主要スタッフを引き抜くなんて……
流石に横暴じゃないですか?」
誰よりも冷静に、しかし誰よりも怒気をはなんだ視線を大輪さんに向けるポニー。
「もちろん、君の言い分は120%正しい。
だが、このままでは他店に導入したバーカウンターが回らないのも事実だ。
ここのでのノウハウを、他店に共有するにも書面だけでは難しい……
彼に直接行ってもらうのが一番効率がいいんだよ」
大輪さんの言い分も分かる。
それに、
「何より、この案を通そうとしたときに、
そこの涼宮が本社の重鎮達に『そうする』と明言してしまっているからな」
というのが大きいのだろう。
大輪さんもそこがネックで、困っているという風な雰囲気だった。
「でも……」
それでも納得しないポニー達。
「それなら、他店のバーカウンターには『改修工事』という名目でお休み頂いて、
しばらくの間、この店にそのバーテンダーの方達に、
『研修』という形で来ていただくのはいかがでしょうか?」
俺は大輪さんにそんな提案をする。
すると、店長がそれに付け足した。
「その辺の説明や交渉は私が本社に行って直接重鎮達に掛け合おう。
大輪、その方向でお願いできないか?」
店長の言葉を受けて、大輪さんはやれやれと溜息をついた。
「はぁ~…… 分かったよ。
まぁ、その辺りが落としどころとしては妥当だろうな……
ただし、もう一つの条件はきっちり守ってもらうからな?」
「ああ、そっちはなんとかする。安心しろ」
そう言って何から意味ありげなアイコンタクトを交わす店長と大輪さん。
「店長?
もう一つの条件って何ですか?」
そんな店長に、先程のままのテンションで怒気をはらんだ視線を向けるポニー。
「ん?
ああ、そう言えば話してなかったな。
ここ最近、例の感染症の混乱で多くの店舗が赤字を叩いていてな。
食販部門は大きく店舗削減を考えているんだよ。
んで、その削減対象を店の維持コストと売り上げのバランスで
判断する取り決めになったんだが……
うちは店舗の維持コストがご存じの通りでかくてな。
このままだと、売り上げの方で全店舗中上位三位までに入らんと、
閉店対象になりそうなんだよ」
こともなげに告げられた言葉に、一同は言葉を失った。
「へ、閉店~~!?」
店に響き渡る、スタッフ達の悲鳴に似た声。
その声は、当然常連客達にも波及して広がっていった。
「そ、そんな!? 店長、なんでそんな大事なことを黙ってたんですか!?」
パニックに陥る従業員達。
それを見渡して、店長は笑顔で答えた。
「なに、大丈夫だ。
新規顧客を増やして、売り上げを伸ばせばいいだけだからな!!」
そんな店長の言葉に、その場にいた全員が溜息をつく。
しかし、もうやるしかないことも分かっていた。
だから、
「みんな、全力で頑張るわよ!!」
深山の掛け声に呼応するように、従業員達は心を一つにするのだった。
「本当に、飽きさせられない店だよな?」
「あはは…… 先行きに不安しかないけどね……」
「けど、深山の言う通りなんとかするしかないからな……」
「覚悟を決めて、頑張るしかないね」
そんな光景を眺めながら、俺とポニーは苦笑いを浮かべる。
きっと、俺達ならこんな困難も乗り越えられる。
だって、もっと過酷な困難を乗り越えて来た連中だ。
ここで終わるような奴らじゃないさ。
「というわけで、まずは店の稼働時間を延長するぞ。
24時間営業は流石にしないが、閉店時間を大きく後ろ倒しにする予定だ。
さしあたっては、夜シフトに入れる従業員の増員が必要になる。
これについては店長補佐の少年に一任しよう。
私のお眼鏡に適うような美少女をここに連れて来てくれ!!」
「いやいやいや、店の売り上げ増の為に維持コストを上げてどうするですか!?」
「ふっふっふっ……知らんのか、少年?
働き始めの新人は研修扱いだからな、給与は半額で済むんだ。
君が即戦力になる美少女を連れて来れば、
低コストで店の売り上げを伸ばせるんだよ!!」
「あんたなぁ…… はぁ、分かったよ。
せいぜいあんたが気に入りそうな子を探してくるさ……」
店長からの無茶ぶりにも慣れたつもりでいた俺だが、まさかここに来て人材発掘の仕事を振られるとは思っていなかった。
「……彼にはバーカウンターの売り上げ増を任せた方がいいんじゃないか?」
「大輪、お前も分かってないな……
少年に任せておけば、間違いなくとびっきりの美少女が釣れるはずだ。
可愛い店員は新しいリピーターを生むんだよ。
そこに上手いこと面白可愛い企画をぶつければ……
売り上げの倍増も夢じゃないのさ」
「……はぁ~、お前がもう少し真面目にやってくれれば、
この店に閉店の危機なんてこないだろうに……」
「馬鹿だな、こういうトラブルがあるから楽しいんじゃないか?
まぁ見ているといい……
次の業績集計で、この店が全店中何位の売り上げを叩き出すかをな」
俺の知らないところで、店長と大輪さんがそんな会話をしていたことを、もちろん俺は知らなかった。
後になって、こっそり耳にしていたポニーからその話を聞いた俺は、天を仰いで頭を抱えることになるのだが、それはまた別の話だ。
そんなわけで俺達は、トワイライトガーデン由芽崎店の閉店の危機を乗り越えるべく奮闘する日々を迎えるのだった。
Tune the Restaurant. おかわり!
the overture ~これから、それから、どうしよう!?~ 開幕
続く――。
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