Tune the Restaurant. おかわり! ~これから…それから…どうしよう~

番外編 ヴァレンタイン・パニック



※ 注意

 この物語は、

 『Tune the Restaurant.

  ~レストランの店員が俺にだけ冷たい件について~ 深山満月篇』

 の続編にあたる物語です。

 第二部公開に先駆けて、番外編としてバレンタイン用の書き下ろしになります。

 期間限定の後悔になるかも知れませんので、ご了承下さい。








「よし、バレンタインチョコフェアをやろう」


 それは、店長のそんな一言で始まった。

 店長の思い付きが、そのまま企画として一気に進んで実行まで持っていかれてしまうのが、この店の凄いところだ。


 この展開をあらかじめ予想していたらしい祇園寺さんは、冷蔵庫を開けてそこに詰まった大量の業務用チョコを親指で差して示した。


「あはは……この店のスタッフ本当に優秀だけど、

 どこかその才能の使い道を間違えてるんですよね……」


 俺が呆れながらそう言うと、藍澤さんはそれにコクリと頷いて同意してくれた。









 それから、祇園寺さんを中心に、俺やポニー、藍澤さんでチョコレートを使った新メニューの試作に追われていた。


「へぇ……うまいもんじゃん!」

「あはは……八重咲さんも感心してないで手伝ってくださいよ」


 そんな俺達を見て呑気にしている八重咲さんに俺がそう言うと、祇園寺さんが真剣なトーンでそれを制した。


「やめておけ……死人が出るぞ?」


 これは後で知ったことだが、何でも八重咲さんは店で作るパフェなどのメニュー以外、料理はからきしなのだという。

 仕事だと割り切ってテキパキと作業としてこなせば問題なく料理も作れるらしいのだが、それ以外はその独創性が災いして、毒性の強い料理を作り上げてしまうとか……。


「祇園寺さんも、苦労してるんですね?」

「……お前ほどじゃない」

「あはは……」


 そんな感じの雑談をしている内に、ざっと十品ほどの新メニューが試作されて行った。






「ん、採用」

「……いや、採用ってどれが――」

「だから全部。全部採用で」


 その試作品たちを軒並みその胃袋に収めた店長は、さらりとそんなことを言って試作品たちは晴れてそのまま、バレンタイン限定メニューにクラスチェンジしたのだった。












「チョコプレゼントシステム?」

「そうだ」


 どうだ? 完璧な企画だろう?

 とでも言いたげな顔をして、『ホメテホメテオーラ』全開の店長。

 だが、店長が俺達に差し出し企画書(?)を見ても、全く企画の内容がつかめない。

 まぁ、その辺りももはやいつものことなのだが。

 多分、この人の頭の中で色々細かく決まっているのだろうが、店長の書くメモはアバウトすぎて、普通に読んでも誰にも伝わらないのだ。

 俺はその雑な企画書(?)を必死に読み解いた。


「ええと……つまり、商品の注文数に応じて長さが変化するレシートの裏面に、

 『あたり』と書かれたスタンプを一定の長さごとにおしておいて、

 その『あたり』のスタンプのついたレシートを手に入れたお客様に、

 指定した従業員からのチョコレートを手にする権利を与える……

 ってことで合ってますか?」

「その通りだ! 流石は少年。私が見込んだだけのことはあるな!!」


 どうやら、俺の解釈は正解だったらしい。

 俺に向かって店長は親指を立ててウインクをした。


「そうすると、注文数が多いほど当たる確率は上がるわけだから、

 お客様は必死に注文数を稼ぐために大量のオーダーをするってことか……」


 当然、そうなれば厨房もフロアも天手古舞になることは間違いないが、売り上げはアホみたいなことになるだろう。

 実によく考えられた恐ろしい企画だった。


「流石店長、適当そうに見えて、しっかり店のこと考えてますね……」


 一応、この店は今経営傾いてるからな。


「そうでしょ!!」


 俺のコメントに満足げな店長。

 どこか子供っぽいところは、正直可愛いとは思う。

 しかし、残念ながら俺には心に決めた人が……。


「ん? あに? どしたの? なんか考えごと?」

「おわぁっ!?」


 恥ずかしいことを考えていたら、頭に浮かんでいた本人に声をかけられて俺は思わず変な声を出してしまう。


「何よ!! 人の顔見て悲鳴上げるなんて、失礼でしょ!!」


 と、その彼女は偉くご立腹だ。

 こういうときは下手な言い訳は逆効果なので、俺は苦笑いを浮かべて適当に深山の視線を受け流す。


「でも店長……」

「なんだよ? 私の革新的かつ前衛的なアイデアに何か問題でもあるのか?」

「いや、バレンタインって……今日ですよね?」

「ぬあっ!? そうだった……

 でも、まぁ、なんとかなるだろ。

 今日は日曜日で、幸いなことに主要メンバーはこうして朝から店に揃っている。

 新メニューは出来たし、最悪手書きのハンドアウトをメニューに挟めばいい。

 レシートへの下拵えは最悪しなくても……」

「店長?」

「……なら、少年がやればいいだろう?」

「……………はぁ、わかりましたよ。その分時給は上げて貰いますからね?」

「はっはっはっ! んなこと出来る訳ないだろう?

 今のこの店はピンチだからな!! 時給の一番高い少年は、

 正直な話無給で働いて欲しいくらいだからな!!」

「……笑えないですから!!」

「笑うしかないだろうが!!」


 そんなこんなで、我らレストランも、海外の風習にのかって、荒稼ぎを狙った製菓会社の陰謀に一枚噛む事となったのだった。















「くそぉっ!! 本当に当たりなんて出るのか!!」

「あきらめるな!! きっと、きっと出るはずだ!!」


 そういいながら店を後にすることなく、店外に続く行列の最後尾に並ぶお客様方。

 そんなお客様方のお財布事情がこの上なく心配ではあるが、店からすると売り上げが鰻上りで嬉しい限りだった。






 まさか、ファミリーレストランの外に長蛇の列ができるなんて言う光景を見る日が来るとは……店長の狙いがうちの客層にクリーンヒットした証拠だった。

 店内の混乱は思ったほどではなかったのだが、SNSを通じて企画が一気に広まったことで、むしろ店外に混乱が広がった形だ。

 

 それなりに長居するお客さんは多いが、注文はとにかく最初にどっと頼んで、その後はその大量のメニューと格闘するのが殆どだ。


『注文メニューは全て平らげること』


 このルールを考えた藍澤さんには拍手では足りないと思う。


 ピンポーンッ――


 店内に響く呼び出しベルの音。

 俺は早足でそのテーブルに向かうのだった。












「……とで頼む」

「承りました、

 『小悪魔チョコレートパフェにビターとチョコレート』ですね」

「うむ」

「にしても……」

「む?」

「仲本さんも、随分頼んでますけど大丈夫なんですか?

 これ結構な額に行っちゃいますよ?」

「しかしなぁ、藍澤さんの手作りチョコ……

 この気を逃すわけにはいかんのだよ……

 これも男のサガと言うものかも知れぬのぉ」

「あはは……

 では、すぐにお持ちしますね」


 従業員からのチョコ欲しさにここまで必死になるとはな……。

 ここまで楽しみにしているお客様ばかりだと、『チョコを作っているのは祇園寺さんです……』なんて、気の毒で俺には言えなかった。


「いやぁ、やっぱり満月ちゃんとか八重咲ちゃんのチョコほしいしさ?

 手作りって聞いたしね!!」

「はぁ? ばっかじゃないの?

 私があんた達のためにチョコなんて作るわけないじゃない!!」


 と常連客に俺は言いにくくて言えない過酷な現実を苛烈に伝えている深山だが……


「あはは、そんな別に本命って訳じゃないんだし、照れることないって」

「照れてなーい!!」


 すっかりツンデレキャラが定着してしまった彼女の言葉を信じる者は、もはや誰もいなかったわけで……



 哀れ、過酷な現実に気づくお客様は一人とていないのであった。

 メイド喫茶とかで良くある、『萌え産業の闇』とはまさにこのことだった。



 やはりイベントとなると、お客様も増える増える。

 回転率も上がるが、回転しているようで、結局同じお客様だったりするので、お客様が心配で仕方が無い。














「あっと、そうそう……」


 不意に、店長が俺に向かって何かを投げてよこす。


「おっと!? ……これなんすか?」


 危うく落としそうになったそれは、可愛い包装に包まれた小さな包みだった。


「ハッピーバレンタイン……ってやつだよ、少年」


 ひらひらと手を振って、そのままバックルームに入っていく店長。

 包みを開けてみると、中からは『チロルチョコおしるこ味』なるものが出て来た。


 しかし、まさか店長から貰えるとは思っていなかったので、俺が包みを持ったまま呆けていたのがまずかった。


「……ふーん、またもらったんだ?」

「み、深山!?」


 俺にそんな台詞をどすを利かせて向けて来たのは深山だった。

 この前の金曜日から、深山はずっとこんな感じだった。


 まぁ、原因は分かっているのだが……





 それは金曜日の朝のことだった。


 いつものように学校に投降した俺が下駄箱の扉を開けると……


 ドサドサドサッ――


 そんな物音を立てて、俺の下駄箱から大量のファンシーな包み紙で包装されたプレゼントがあふれ出て来た。


「へ?」

「……はぁっ!?」


 俺以上に驚いていたのは、一緒に登校してきた深山だ。

 突然の出来事に思考が停止した俺の横で、深山は恐らく怒りに震えていた。

 

「あ、あのですね……これは確かに俺の下駄箱から出て来たものですが、

 俺が望んでこうなったわけではなく――」


 俺の必死の言い訳を聞いて深山が動いた気がして身構えると、深山は鞄から出したコンビニの袋に俺の下駄箱からこぼれたプレゼントの山を詰めて俺に差し出して来た。

 コンビニ袋を鞄に常備するなんて……お金持ちのお嬢様らしからぬ深山の行動に、俺は思わず感心してしまう。


「はい、これ」

「あ、ああ……サンキュ」

「良かったじゃない。大人気ね?」

「お、おう……」


 少々不機嫌そうではあるものの、鉄拳制裁とかそう言ったものがなかったことに違和感を覚える。

 これはどういう風の吹きまわしなのか。

 よく分からなかったが、とりあえず俺にその袋を渡してからは、深山がなんだか少し思いつめたような顔をして気がしてどうにも心配になる俺だった。














 ドサドサドサッ――


 目の前にぶちまけられたチョコチョコチョコ……

 それを見て、最初私は頭にきた。


 なんで、こんなにいっぱいもらってるわけ!?

 私がいるのに、ふざけるな!!

 と。


 でも、冷静に考えれば、そうじゃない。


 今日は特別な日。

 愛が溢れる日。


 チョコレートに勇気をもらって、自分の想いを、想い人に届けることが出来る日だ。


 このチョコ達は、そうして、勇気を出した女の子達の勇気の証。

 それに対して腹を立てるのは、お門違いもいいところだ。

 だから逆に、私は悔しくなった。


 朝からの時間を共にしていて、私はいまだに、鞄から出すこともかなわないチョコレート。

 かたや、こうして彼に届けることが出来た彼女たちの勇気。

 私はそれに負けた気がしたから。


 言葉には恥ずかしくて出来ないが、私は誰にも負ける気がしない。

 彼を世界で一番好きでいるのは、絶対に私であると自負している。


 だったら、何で、私はこんなにも多くの女の子達に遅れをとっているのか?


 それが、腹立たしかったし、情けなかったのだ。


 そして、どうしてか彼に申し訳なかった。


 臆病な私が、申し訳なかった。


 ずっとそのままにしておくのは、彼女たちの気持ちがかわいそうな気がして、私は急いで拾い上げた。

 たまたまポケットに入っていた袋を出して、それに入れたら、彼はなんだか感心していたようだけど、そんなことはどうでもいい。

 今、私の胸に去来していたのは、悲しみと、憤りだった。


 私は何をやっているのか……


 自分自身に一番腹が立った。





 

「あ、これ。あげるね」

「あ、おう」


 また貰っている。

 どうしてあんな人前で、簡単に自然に渡せるのか?

 私にはとても出来ない。

 恥ずかしいし、なんと言うか違う気がする。

 言い訳のような気もするが、やっぱり私には出来そうも無かった。


 しかし、おかしい。

 彼はこんなに人気だったか?


 正直、格好いい。

 それは間違いない。

 だって私が好きになる人だ。


 でも、昔調べた時、彼はそんなに人気の高い生徒ではなかったはずだ。

 休みも多く、自分から進んでで他人に関わるような人でもなかった。

 だから、彼のことを好意的にとらえている人は本当に少なかった。


 あの伝説の先輩の弟。 とか、

 天涯孤独の悲劇のヒーロー。 とか、


 そんなイメージだったはずなのに……


 どこでどう間違えれば、学園のアイドル的な人気にまで登りつめるのだろうか?

 本当になぞだ。だが、


「ねぇ、アイツ、最近人気なの?」


 分からないことは人に聞け。

 これはお父さんの口癖だ。

 私は手近なクラスメートを捕まえて、そう質問を投げかけた。


「え? 彼?

 うーん……ここ最近だよ、皆が『いいね』って言い始めたのって」

「何で? きっかけは?」

「やっぱりさ、あのレストランのバイトじゃない?」

「あ、私も思う。なんかさ、こう、執事っていたらこんな感じなのかなぁって……

 こう、尽くされてる感がいいよね!!」

「そうそう、普段はさ、結構普通なのに、接客のときの落ち着いた物腰とか、

 大人びた表情とか……あの口調もなんかぐっと来るし!!」

「そ、そう?」

「深山さんは同じ職場で働いてるから分からないかもだけど、

 あのギャップは反則だよ。アレでぐっとファン増えたんじゃないかなぁ?」

「うんうん!!」


 というのが手近なクラスメートの意見でした。


 しまった、私。

 ライバル増やしちゃった!?

 だって、あいつの良さが全面的に出ちゃうんだもん、あの仕事!!

 ああ、失敗……

 こんなことなら、アイツを私だけの執事にすれば……


 どうしよう、本当にアイツ、大人気だった。 
















 そんな感じで、あっという間に放課後を迎えたのだった。


 本日の累計獲得数はなんと3桁の大台だ。


「ああ、神様……ついに俺の時代が来たのでしょうか?」


 『つかの間の夢だけどね~』って言う姉さんの声が聞えた気がしたけど、今回は無視する。

 たとえつかの間でも、嬉しいものは嬉しい。

 調子に乗っちゃだめだと思うけど、こんなこともう一生に一度あるかないかだ。

 俺は盛大に到来したつかの間のモテ期を噛みしめたのだった。








 しかし、それからというもの、深山の様子がずっとおかしかったのだ。

 まぁ、理由はなんとなく分かっているが、どうすればいいのか俺にも分かっていないのが素直な感想だった。


 深山に永遠の愛を誓った俺が、こんな風に色んな女の子からチョコを貰っているのだ。

 深山的には面白くないに違いない。

 けれど、そんな女の子達の行為を無下にも出来ないのだ。

 あのチョコ達が、彼女達の勇気の結晶であることが分かるから……


「参ったな……まさか俺が、こんなリア充なことで悩む日が来るなんて……」


 俺は苦笑いを浮かべて、頭を掻くのだった。










「あ、やっほー! 遊びに来ちゃった!!」

「わー、すっごいに会うね、その格好!!」

「あ、あはは……」


 今目の前でハイテンションなのは、クラスの女子の集団だ。

 今まであまり面識はなかったようにも感じるが、わざわざ来店してくれたお客様だ。

 しかもかなりのオーダー数。

 確実に店長の策略に嵌ってくれている。

 お客様なら、相応の対応をしなければならないだろう。


「追加オーダーですね? いかが致しましょうか?」

「うわ!? すっごい丁寧語!! 今噂の執事喫茶ってこんな感じなのかな?」

「彼がいるなら、言ってみたいかも!!」

「お客様? 追加オーダーは?」


 すっかり盛り上がってしまっていて、聞こえていない様子だ。

 しかも、正直他のお客様の迷惑にもなっている。

 どうしたものか……そんな風に悩んでいる俺の横から、細い腕。


 ドンッ――


 この容赦ないコップの置き方はもちろん……


「お水です!! どうぞ!!」


 深山はこぼれる水も気にしないで、憮然とした態度で言い切る。


「失礼しました、今お拭きしま……」

「お客様、あまり騒がれてしまいますと、他のお客様に迷惑です。

 少しお静かにお願いします」


 俺が布巾でテーブルを拭こうとすると、手で制して深山は言い放った。


「み、深山さん……」

「みんな、親しき仲にも礼儀あり。

 こいつも困ってるじゃない?

 厳しいコト言ってごめんね。でも、お仕事だから……」

「うん、ごめん。私たちもはしゃぎすぎた」

「うん。

 で、追加オーダーじゃなかったの?」

「あ、うん、これと、これと……」

「はい、承りました。

 じゃあ、あとお願いね神越君」

「あ、ああ」


 そんな深山の凛とした振る舞いに、正直ドキッとした。


 俺はクラスメイト達から丁寧な謝罪を受けて、そそくさとバックルームに戻る。

 すると……、


「ああいう輩は、一喝していいのよ」

「サンキュウ、助かった」

「全く……優しすぎるのよ、あんたは」

「あはは……」


 こういうとき、こいつは本当に頼りになる。そう実感した。

 まぁちょっと、空気読めないけど……


 なんだかんだ言っても、改めて深山に惚れ直した俺なのでした。



 













 そして、『当たり』レシートを手に入れたお客様に、指名された従業員がチョコレートを配って回る時間がやって来た。


 深山も藍澤さんもポニーも、彼氏持ちを公言している八重咲さんも、それぞれ指名してくれたお客様に祇園寺さんが作ったチョコを配って回っていた。


「こちら、当選者へのプレゼントでございます」

「あ、ありがとう神越君!!」


 かくいう俺も、何人かのクラスメイトに指名されてチョコを配ったのだが……


 そんなこんなで、混迷を極めたバレンタインフェアは閉店時間を迎えて無事幕を下ろしたのだった。











「結局、あいつに渡せなかったな……」


 更衣室で制服から私服に着替え終えたときだった。


 コンコンコンッ――


 突然、更衣室にノックの音がこだました。


「はい?」

「………………入っていい?」

「飛鳥ちゃん? ええ、着替え終わってるんで大丈夫ですよ」


 私がそう言うと、ゆっくりと扉を開けて入ってくる飛鳥ちゃん。

 その顔に優しい笑顔を浮かべている。


「………………来て」

「わっ!? ちょ、ちょっと待って、飛鳥ちゃん!! どこ行くの!?」


 無言のまま、飛鳥ちゃんは私をどこかへとひっぱっていく。


「………………ここ」

「ここって……店長の執務室?」

「………………入って」

「へっ!?」


 いつになく積極的な飛鳥ちゃんに背中を押されて室内に入ると、部屋の中は真っ暗だった。


「え? え? え? 何!? どうなってるの!?」


 真っ暗で何も見えないまま、私は顔に布のようなものをかぶせられた。


「え? きゃぁっ!? 服が!! え? 脱がされて…… 何!? 怖い!!」

「落ち着け、満月。私だ。

 悪いがこっちの用意した服に着替えて貰うぞ?」

「え? 店長!? もう、なにがどうなって……」


 何がなんだか分からない内に、私は店長によって何やらドレスのようなものに着替えさせられるのだった。














 


「なんだこれ?」


 フロアの照明は落ちていて、1つのテーブルの上に置かれたキャンドルが、幻想的なムードを作り出していた。

 そして、普段はもっとテーブルが並んでいるフロアの中心には、何故かグランドピアノ。


「てか、ここどこだよ?」


 俺が着替えている間に、ここは異世界にでもなったのか?

 普段なら、この辺で藍澤さんの解説が入るところだが、


「どうも、それもないみたいだな……」


 とりあえず、フロアを一周してみる。

 外の景色から、ここがレストランであることは分かった。


「誰もいないんですかー!!」


 呼びかけても、反応は0。


 参った、一人ぼっちだ。

 仕方がないので、中央で目立つグランドピアノに近づく。


 ポーン……――


 しっかりと調律された、いい音色だった。

 こんなピアノ、どこから運び込んだんだか?


 ギシッ……――


 やることも無いし、折角なので何か弾いてみる事にした。

 幼少期に姉に連れられてピアノを習っていたので、簡単な曲なら、何とか弾ける。


「よし」


 ポロン……――


 探るように、ゆっくりと、俺は、ピアノを弾いてみた。

 幼い日、姉に習った曲。


 ずっと弾いていなかったので、指が絡まりそうになる。


『だから、そこは人差し指じゃなくて、中指で叩くの!!』


 姉さんの言葉を思い出す。


「また、練習してみるか」


 苦笑いしながら、そんな事を言っていると、背後に人の気配を感じた。

 ゆっくりと振り返って、


「へたくそ」


 再度、俺は息を呑んだ………













 ポロン……――


 突然響いたピアノの音色。

 優しい、けれど、拙い……でも、美しいメロディー。


「ほう、アイツピアノ弾けるのか……まぁもう少し練習が必要だな」

「店長?」

「ああ、動くなって、今髪をセットしてるんだ」

「はい?」


 視界を覆っていた布が取り払われて驚く。

 私は何故かドレスを身に纏っていた。


「店長、コレは?」

「ああ、私たちからのヴァレンタインプレゼントだよ。

 それでアイツを悩殺してやってくれ」

「へ?」


 いまいち、話が見えない。


「お前さ、まだ、少年にチョコ渡してないんだろ?」

「な、何で、私があんな奴に渡さなきゃいけないんですか!!」

「……いいのか?

 結構狙ってる奴多いぞ?」

「うぅ………わ、私は別に………」

「だとさ、飛鳥、満月はいらないようだし、お前が貰っちゃえば?」

「はうっ!?」



 つまり、これは、店長……いや、多分お店のみんなからの心憎い演出……といった所だろうか?

 でも、こんな誰かを頼った形で、本当にいいのだろうか?


「気持ちは嬉しいんですが……こういうことは自分で」

「って言いながら、ここまでずるずる渡せなかったんだよね?」

「はうっ!?」


 痛いところついてくる、八重咲さん。


「それにね、彼、寂しそうだったよ?」

「え?」

「満月ちゃんのチョコ、もらえなくて……」

「え? ええ!?」


 不意に言われた一言で、一気に顔が上気したのが分かった。


「満月、良く聞け」


 店長は、私を後ろから抱きしめて、優しく言った。


「みんな、お前のことが好きなんだ。

 だから、お前の為に色々とやりたいと言ってくれた……

 これはな、満月。お前が動かしたんだ。

 お前が演出したんだよ……」


 まるで私の心を見透かしたかのような……

 いや、事実見透かされているんだろうな。

 店長の言葉は、すっと私の中に入ってきた。


「お前の為に皆が動いた。

 そのことを感謝することはあっても、余計なお世話って言うのは、乱暴だ。

 いいんだよ、時には回りを頼ったって……

 誰にも迷惑かけないで生きていける人間なんて、いないんだ……な?」


 そう言って、ウインク。


「行って来い」


 そして、背中をポンと、叩かれた。


 何響く、ピアノの音色。


 私はそっと、フロアに足を踏み出した。















 

「へたくそ」


 目の前には、真っ赤なドレスに身を包んだ、深山が立っていた。

 いや、えっと、


「深山……だよな?」

「あ、あによ!! へんなこと聞かないでよ!!」


 そこに居たのは、間違えようもない深山本人だった。


「あ、ああ、悪い」

「で、あんたは何してんの?」


 突然のことで頭が回らない。

 自分の顔が上気しているのが分かる。


「えっと、ピアノを……」

「そんなへたくそで、『弾いてる』とか言わないでしょうね?」

「あはは……手厳しいな……そうだな、ピアノを弄ってる。ってところかな?」

「そう」


 俺自身何を話しているのかも、いまいちわかっていない。

 とりあえず、深山の勢いに負けて、俺はピアノの前からどいてしまった。


「ピアノを弾くって言うのは……」


 そして、深山は俺の代わりにイスに座り――、


「こうすることを言うのよ!!」


 俺の弾いていた曲を、譜面もなしに、完璧に弾きこなしたのだった。


「どう? コレがピアノを弾くって言うのよ!!」


 パチパチパチッ――


 思わず俺は拍手していた。

 人のピアノの演奏に感動したのは、もしかしたら、初めてかも知れない。


「凄いな、お前。こんなにピアノうまかったのか」

「ふん!! こんなのお嬢の嗜みよ!!」


 照れているようだ。

 でも、本当にうまかった。

 俺は言葉を上手に使って言い表せないが、本当に、凄かった。


「ほら、テーブルにつきなさいよ」

「え? はい?」

「いいから」

「あ、ああ」


 そしてどういう流れなのかさっぱり分からないが、促されるままキャンドルの置かれたテーブルにつかされる。

 すると、


「いらっしゃいませ、お客様」


 執事服の店長が、ワインをワゴンに載せてやって来た。


「店長、何してるんですか?」

「もちろん、仕事」

「だったら、いつもそうしてくださいよ……」


俺のツッコミなど意に介さず、鮮やかな手つきで、二人分のワインをグラスにそそぐ。


「どうぞ」

「ありがとう」


 それを躊躇い無く口へ運ぶ深山。

 なんと言うか、こういうのが凄く似合ってるし、様になっていた。

 まぁ、当たり前か、本物のお嬢様なんだから。


「どうぞ……」

「あ、どうも」


 俺はと言えば、ぎこちなく注がれたワインに口をつけた。


「って、なんだ……ぶどうジュースか」

「当たり前だろ? お前達は未成年なんだからな」


 俺のつぶやきに、店長は苦笑いを浮かべながらそう言った。


「あ、おいしい」

「ありがとうございます」


 そして、次々と豪華なディナーが運ばれてくる。

 それもこのレストランのメニューに無いものばかりだ。


 どの料理も、昔行ったとんでもなく高いレストランよりもずっとうまかった。

 前に祇園寺さんは一流料理店のシェフだったと聞いたことがあったが……

 祇園寺さん……、完全に才能の無駄遣いだと思いますよ……この職場。


 運ばれてくるメニューは全部美味しくて、あっという間に平らげてしまった。


 会話も弾んだ。

 こいつと、こんなに話したのは、本当に久しぶりじゃないかってくらいに、どうでもいい話をさんざんした。


 そして、最後の皿。


 八重咲さんがデザートの皿を持って来てくれた。


「それでは、ごゆっくり」


 しかし、かぶさった銀色のふたを取らずに、そのまま去ってしまう。


「あれ? ふた忘れて行っちゃったよ……

 八重咲さん、こういうところ抜けてるよな?」

「………」


 俺は、そう言いながらふたを取って目を丸めた。


 フタの下には……


「あれ?」


 何も無かったから。





 いや、正確に言えば何も無いわけではなかった。

 そこにはメッセージの書かれたカードが一枚置かれていたのだ。


『こっから先は、貰うべく所から貰って下さい』


 丁寧なメモ。

 字からして多分それはポニーからのメッセージだった。


 そのメモを見てもらおうと、俺がカードを手に持って顔を上げたとき……

 真っ赤な顔してもじもじ俯いている、深山を見て、俺はやっとすべてを悟ったのだった。













「デザート、空っぽだな」


 アイツの声。

 聡いアイツのことだ、もう分かっているだろうにそんな風に言ってくれたのは、多分優しさが半分と意地悪が半分だ。


「う、うん」

「なんでだろうな? さっきまで、すっごい旨い料理が出てきてたのに……」

「ひ、必要ないから!!    じゃ、ないかなぁ?」


 白々しい答えを口にする私の声が上ずる。

 もう恥ずかしくて、顔も上げられない。


「そっか」


 優しく、本当に優しく、彼は呟いた。


『頑張って』


 声が聞こえた。

 いつかの、優しい声。


「………」


 私は勝手に、彼のお姉さんの声だと決め付けているが本当のところはもちろん私には分からない。

 でも、そのお姉さんの言葉に、私は最後の一押しをしてもらった気がした。


「えっと――」


 だから私は……、


「こ、これ。受け取りなさいよ!!」


 彼に、を差し出した。




 











「こ、これ。受け取りなさいよ!!」


 鼻先に差し出されたのは、可愛いラッピング。

 真っ赤な深山の顔と相まって、思わずこっちにも照れてしまう。


「さ、サンキュウ」


 渡された包みを手に持って、丁寧に包装を解くと大きなハート型のチョコレートが顔を出した。


「べ、別に、変な意味じゃないからね!!」


 ツンデレのステレオタイプみたいな言葉を深山が口にする。

 本当に、こいつは分かりやすい奴だと思う。


 チョコを手に持って違和感を覚えた。

 大きさの割に、そのチョコは妙に軽かったのだ。


「あれ? これ、もしかして中か空洞になってて何か入ってる?」


 軽く振ると、中からなにやらカタカタと音が聞こえた。


「なんだろう? これ、割ってもいいのか?」

「当たり前でしょ!! わ、割らないと食べられないじゃない!!」


 深山の言葉に俺はご尤もだと納得して、軽く力をこめてそれを割り砕いた。


 コトンッ――


「ん?」


 すると、チョコの中から小さな箱が転がり落ちた。

 しかし、まずは手に持ったチョコを口に含んだ。

 折角用意してくれたチョコが手で溶けてしまってはもったいないから……


「あ、うまい」

「あ、当たり前でしょ!! 私が一生懸命作ったんだから!!」

「あはは、作ってくれたんだな……」

「そうよ! 悪い?」

「いや、嬉しいよ。ありがとう」

「っ……」


 真っ赤な顔で怒ったようにいう深山が怒っていないのはよく分かっていた。

 俺はそんな深山に素直に感謝を告げた。

 そして、チョコから転がり出て来た箱を開けみる。

 すると……、


「………え?」


 中から出て来たものを見て、また俺は息を呑んだ。

 ………いや、呆けたが正しいのか? 違うな……惚けるか?


「指輪?」


 俺があっけにとられていると深山の手が俺の左手を掴み、もう一方の手で箱から指輪を取り出していた。


「へ?」


 そして、息つく暇も無くその指輪を俺の左手の薬指にそっとはめる。

 それは、驚くほどぴったりとはまっていた。


「エ? あれ? えっと……」


 状況の理解が追い付かない俺。

 それを真っ赤な顔で見つめる深山。


「こ、これで……

 これであんたは、一生私のものなんだから!!」


 しばしの沈黙のあとで、深山はそんな爆弾発言をフロアに木霊するくらいの大声で言い放ったのだった。


 パンパンパンッ――


 突然のクラッカーの音と、盛大な歓声がフロアに響き渡る。


「まぁ、効果音だけどな……」


 そう言いながら現れたのは店長だった。


「いや、なんなんすか? これ?」


 どうも流れについてけず、呆然と尋ねる俺に店長はウインクをして笑う。


「んなもん、プロポーズに決まってるだろ?」

「へ?」


 そして、店長じゃ『何を当たり前のことを』とでも言いたげな顔で俺を見つめた。


 まさか……そんな風に思いながら、恐る恐る深山の顔を見る。

 すると深山は、ゆでだこみたいな真っ赤な顔で俺を見つめていた。


「返事」

「へ?」

「……返事……は?」


 上目遣いの涙目で、顔を真っ赤に染めたままこちらを見つめる深山……

 すべてが反則技で構成された攻撃に、正直俺もKO寸前だった。

 だから……


「不束者ですが、こんな俺でよければ、よろこんで」


 なんて言ってしまったんだと思う。





 次の瞬間。



「―――――――――仭っ!!」



 俺は、深山の唇で口を塞がれていた。



 周囲から、驚きの歓声が聞こえた。


 そして、深山は俺の唇からその唇を離して、俺を真っ直ぐ見つめてこう言ったのだ。



「私が一生かけて、あんたを幸せにしてやるから、覚悟しときなさいよ!!」



 そう言って、深山は俺の返答を聞くことなく、再び俺の唇をその柔らかい唇で塞ぐのだった。







 続く――?


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