第31話♭ 絶望に沈む少女の帰りも待っているレストラン




 時間は、少しだけ遡る。




「何よ、お父さん。こんな時間に呼び出して……」


 流石の私も、こんな深夜に呼び出されれば、相手がお父さんだってイラっと来る。

 そんな苛立ちをそのままぶつけながら、お父さんの書斎にやってきたら、そこには何故かお母さんもいた。

 二人とも、信じられないくらい真剣な顔。

 空気が読めないとかよく言われる私ですら、二人の雰囲気がおかしいことには流石に気付いた。


「満月、よく聞いて欲しい。

 今から話すのは、とても大切な話だ。

 そして、きっとお前にとって、とてもショックな話だと思う……」

「だから、満月。真面目に、気を落ち着けて聞くのよ……」

「う、うん……」


 真剣な顔のお父さんに、心配そうな顔のお母さん。

 そんな尋常ならざる両親の雰囲気に、私もだんだん不安になって来た


 なんだろうか。

 胸が不安に押しつぶされそうな……嫌な予感がした。


 分からないけれど、この話を聞かない方がいいような……そんな気さえする。


 ふと、小五月蠅いあいつの顔が思い浮かんだ。

 それだけで少しホッとしてしまう自分に苦笑いを浮かべる。


 そう、私はあいつの顔を思い浮かべるだけで安心できた。

 ……この話を、聞く前までは。


「満月は、を覚えているかい?」

「え?」


 それは、全く予想外の話だった。

 だって、去年は私達家族は、毎年言っていたから。


 詳しい話は覚えていないが、確か去年、私病気で倒れてしまって、両親は年中行事だった軽井沢旅行を断念したはずだ。

 私はそう聞いていた。

 だから、覚えているも何も、私にはそんな記憶があるはずもないのだ。

 ……それで、間違いない。

 不意に、ズキンと頭が痛んだ……


 頭を過ったのは、、でも景色。


 青い空と、空を舞うお気に入りの日傘だった。


 そう言えば、私はあの日傘をどこへやってしまったのだろうか?


 お気に入りだったのに、いつの間にかなくしてしまっていた。


 ズキンズキンと痛む頭。

 

 悪い予感が、加速する。


「え? 覚えてるも何も、行ってないじゃない……

 去年は軽井沢旅行には行かなかったって……

 そう言ったのは、お父さんでしょう?」


 私は言い知れない不安を胸いっぱいに満たしながら、そうお父さんに尋ねた。

 すると、お父さんは難しい顔でゆっくりと首を横に振った。


「……あれは嘘だ。去年も我々家族は、軽井沢に行ったんだよ……

 いつも通り、家族全員でね」

「………………え?」


 胸騒ぎがした。

 これ以上聞くなと、誰かの声が聞こえた気がした。


「え? え? だって、行かなかったって言ったのは、お父さんじゃない!?」

「ああ、『あの時』はそう言う他無かったんだ……」



 『あの時』?

 あにそれ、どういうこと?


 何でお父さんはそんな話をするの?

 なんで、嘘をついたの?

 なんで、それを今になって訂正するの?

 なんで?

 なんで?


 私はお父さんの言うことが、理解できなかった。


「今から私がする話は、お前が忘れてしまったあの夏の出来事だ。

 ……でも、この事実を、お前は知らなくてはいけないんだ」


 お父さんは、決意の顔でそう言った。


「『あの時』のお前には、重すぎた過酷な現実だった。

 ……でも今のお前なら、きっと受け止められるから……」


 そして語った。

 お父さんは、あの夏の軽井沢での出来事を。

 私の不注意で起きた、凄惨な事故の顛末を……。







「君のよく知る彼の、ご家族を奪ったのは……

 他でもない、我々家族だったんだよ……」







 頭を駆け抜けたのは、私の知らない、あの夏の悲劇の光景。

 私の知らない、私が目の当たりにした、あの夏の惨劇。


「うそ…………?」


 信じられなかった。

 でも、何故か確信できてしまった。

 お父さんの話が、嘘偽りのない真実だということを。


「嘘よ……嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘……

 そんなの嘘だって言ってよ、ねぇ、お父さん!!」


 私の言葉に、お父さんは痛ましい表情で首を横に振った。


「事実だ。お前もそれが、分かっているのだろう?」


 もう、頭の中がぐちゃぐちゃだった。


 そして、気が付けば、


「おい、満月!! 待ちなさい!!」


 私は駆け出していた。


 お父さんの書斎を飛び出して……

 どこへ向かっているのかは、私にも分からない。

 でも、その足は止まらなかった。


 多分、私は逃げていたのだ。


 何って、私の許されざる罪から……

 



 ………………逃げたって、意味はないのに。












 


 息が、上手く出来なかった。

 真っ暗な自室で、私は一人ベッドに顔を埋めていた。


 心臓が張り裂けそうだ。

 そして、溢れ出てくる様々な思いに、私の胸も張り裂けそうになっていた。

 震える手で、脈打つ心臓の上についている乳房を引き千切って、その心臓を抉り出し握りつぶそうと指に力を込める。

 自分の指の爪が食い込んだ乳房が痛んで、私はその手を胸から離した。

 この程度の痛みで手を引いてしまうなんて……これでは、心臓を抉り出すなんて不可能だ。

 情けない自分に、泣けてしまう。

 いや、もうとっくに、私の双眸からはとめどなく涙があふれていた。


「うっく、……えぐ……ぐしゅ……ひっく……」


 必死に堪えても、しゃくりあげてしまう。

 あまりに泣き過ぎて、むせてしまう。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 もう、わけが分からなかった。


 お父さんがあいつと話していた話を聞いて、逃げるようにこの部屋に飛び込んだ私の頭を、突然の頭痛が襲った。

 すると、見たことのない光景が、ちょうどDVDのコマ送り再生のように映し出されたのだ。

 去年の夏、軽井沢に家族で出かけたこと。

 お父さんとお母さんが、珍しく普通のレストランに行きたいと言って、観光案内に載っている評判のお店に行ったこと。

 お気に入りの日傘をお母さんとお揃いで差していたこと。

 そして、


「ああ、あああああ……」


 その傘が風に飛ばされて、私は道路に飛び出してしまったこと。


 迫りくる車の恐怖に腰を抜かして、動けなくなってしまった私を、一人の男性が身を挺して助けてくれたのだ。

 その男性が……あいつの父親だったなんて。


 そうだ。


 あいつに話していた、お父さんの話は、事実だ。

 紛れもない、去年の出来事だった。

 それが、はっきりと分かった。


「いや……いやよ……そんな………………」


 頭痛がやまない。

 吐き気と眩暈で立っていられない。

 そして、涙も止まらない。


 つい最近になって知った、あいつの過去。

 去年の夏、ご両親とお姉さんを事故で亡くしたという話。

 それを私はまるで、他人事のように友人から聞いた。

 でも、そうじゃなかった。

 他人事なんかじゃなかったのだ。


「わ……たし……? 私なの?」


 事故で亡くなった彼のご家族。

 そして、私を助けて車に撥ねられた、彼のお父さん。

 その事故が原因で、お母さんとお姉さんもお亡くなりになったのだとするなら……


「私が?」


 私が、彼の家族を■したの?


 ふと、そんな私に語り掛けてくる誰かの声を聞いた気がした。


『今更何をしらばっくれているの? もう分かってるでしょ?」


 違う。私は、私は……。


『知らないって言うの? 今までのように、知らんぷりをし続けるわけ?』


 そ、それは……。


『でも、思い出したんでしょ? あの日のこと。

 あの日起きた全てを。認めなさいよ。

 お父さんは言っていたけれど、あの言葉には間違いがあるわ。

 そうでしょう?』


 し、知らない! 私はそんなの知らない!!


『だって、道路に飛び出したのは私よ?

 お父さんもお母さんも関係ない。私の責任だわ。だったら……』


 やめて! そんなの……そんなの嫌!! 聞きたくない!! 知らない!! 分からない!!


『彼の家族を奪ったのは――』


 嫌よ、そんなの嫌! だって、私は、私はあいつのことが……。


『認めなさいって言ってるでしょ?

 彼の家族を殺したのは、他の誰でもない私なんだから』


 ――っ!?


「わたしが……殺した?」


 そうだ。

 彼の家族を根こそぎ奪ったあの事故を引き起こしたのは、

 彼の家族を皆殺しにしてしまったのは、

 全部、私だ。


「あは……あはは…………そんな、でも、そうか…………そうだ」


 そうだ。

 私だ。

 私のせいだ。

 あの日、あの傘を追って道に飛び出さなければ、あの事故は起こらなかった。

 あんな日傘、無視していれば良かったのに。

 私は大金持ちのお嬢様なのだ。

 また、同じ日傘を買えば良かったのに……。


 誕生日プレゼントで貰った、お母さんとお揃いの日傘だった。

 お気に入りだった。


 それがどうした?

 そんなことに気を取られて、私が愚かにも道路に踏み出した結果、彼の家族はどうなった?


「そう。私のせいで、彼の家族は死んだんだ」


 私が傘を追わなければ、私が傘を諦めていれば……


 彼の家族は死ななかった。

 全部、私のせいだったんだ。


 私のせいで、彼は家族を失った。

 私のせいで、彼は心を傷付け悲しんだ。

 私のせいで、彼は必要のない苦労を背負い込んでしまったんだ……


 全部、全部私のせい。

 

 そんな私が、彼に抱いていた淡い感情……。


「そんなもの、許されるわけないじゃない……

 そんな資格、私にあるわけがなかったのに……」


 もう、わけが分からなかった。

 でも、ひとつだけ分かることもある。

 それは……


「私は、絶対に許されないんだ」


 全てを奪った私が、許されるわけがないという現実だ。


「あはは、あははははははっ! バカみたい!! 私って、本当に!!」


 私はもう、壊れるしかなかった。


 私には重すぎるのだ。

 大切な人の幸せを壊し、奪ったという罪が。

 大切な人から恨まれ、憎まれるという現実が。


 その罪を背負って、そんな過酷な現実を生きなければならない、私の人生そのものが。


 耐えられるはずがなかった。

 そんな罪も、重荷も……


『あの人は、私のせいでもっと辛い人生を歩んで来たって言うのに?

 私って最低ね』


 もう、誰の声も聴きたくない。


 それは、私を責める声だから。


 もう、誰にも会いたくない。


 それは、私を責める人だから。



 死にたいとは思った。

 でも、死ぬのは怖かった。


 だから、死んでお詫びをしても許されないなんて、そんな情けない言い訳をして、私は死からも逃げていた。


 自分の罪からも、贖罪からも逃げ出して、私は自分の膝を抱えてベッドの真ん中でうずくまった。


 


 もう世界から、音も色も失われて、

 私は、音もないモノクロの世界を、茫然と眺めて泣いていた。


 何も聞こえないはずの世界に、小さな声が微かに聞こえる。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 それはまるで呪文のように、ずっと私の部屋に聞こえていた。


 私にはもう、それが自分の声だということも、分からなくなってしまっていた。










 俺は上がった息を整えてから、目の前の扉を見つめて言葉を吐き出した。


「ここが、深山の部屋……」


 目の前には、展望室の窓から店長が見つめていた部屋の扉。

 どうやらここが深山の部屋で間違いないらしい。

 結局、人が何かから逃げるとき、逃げ込むのは自分のにおいが染みついた場所なのかも知れない。

 それが人によって異なるわけだが、どうやら深山は俺と同じで自室がそれだたようだ。


 思い返せば、実は俺と深山は良くも悪くも似ていると思う。

 本当に大切なものには素直になれないところとか、何もかも背負い込もうとしてしまうおこがましいところとか。

 だから、こうして追い詰められたときの行動が似てしまうのだろう。


 扉に耳を当てても、室内からは深山の息遣いは聞こえない。

 静まり返ったその部屋に深山がいるということが、俺には何故か確信できていた。


 扉に手をかけて捻る。


 ガチャリッ――


 すると廊下に響く重い音。


「鍵が掛かってるか……」


 深呼吸をしてから、俺は目の前の扉を見つめた。

 どうすればいいかなんて、もちろん分からない。

 でも、俺は深山を放って置くことなんて出来ない。

 店長とも約束したんだ。

 深山を救ってみせるって……。


 この奥にいるのは、恐らくあの日の俺だ。

 現実に絶望して、悲しみの海に沈み、世界の全てを拒絶して塞ぎ込んで……。

 その先に死すら考えて、でも死ぬことも選べなくて、八方塞がりになっていたあの日の俺と同じだ。

 深山がいるのは、そんな救いのない絶望の底なのだ。


 あの夏の事故。

 あれは間違いなく、深山が引き金を引いていた。

 店長の話を信じるなら、あの夏の事故の裏に暗躍していたあやしい研究機関があったというが、結局その機関は全て未遂に終わったというので無視してもいいだろう。

 つまり、あの事故の引き金は日傘を追いかけて道路に飛び出してしまった深山なのだ。

 それが深山にも分かっているのだろう。

 だから、その責任という名の重圧に押しつぶされようとしているのだ。

 その重圧はは、計り知れないものだと思う。

 自分の失敗によって、三人の命が失われたのだ。

 自分のせいで、自分の命の恩人が命を落としたのだ。

 そして、そんな自分のせいで、一人の友人が不幸になったのだ。

 失われた命の責任も、身内を失った友人の苦しみの責任も……。

 年端も行かない深山が背負うには重すぎる重責だ。

 その重みに、押しつぶされても仕方がなかった。


 でも、俺は深山を恨んでいない。

 両親の死が、姉さんの死が、深山のせいだとは思っていない。


 けれど、当然それを深山は知るわけもない。


 今、彼女を責め立てているのは、本当はありもしない糾弾の声なのだ。

 でも、彼女にはそんな声に対して、言い逃れが出来ない。

 状況的には、深山があの事故を引き起こしてしまったのは事実だから。


 ……俺の声は、深山に届くのだろうか。

 深山を苦しめているのは、俺への大きすぎる罪悪感なのだ。

 俺という存在が、今、深山の心を責め立てている。

 そんな俺に、深山を、いや、深山の心を救うことが出来るのだろうか?


 そんな不安が頭によぎって、俺は首を大きく左右に振った。


「救えるかじゃない。救うんだ……」


 親父が命を賭して、深山を救おうとしたように。

 姉さんが、命を失ってまでも俺や店長のことを救ってくれたように。


 俺も、己の全てを賭けて、深山を救わないといけないんだ。


 俺は深く深呼吸をする。


 大丈夫だ。

 俺も、深山も、決して一人じゃないんだ。


 目を瞑れば、店長の笑顔がそこにあった。

 俺には彼女がついていてくれる。

 それに、きっと姉さんだって……


 加えて、頭に思い浮かぶのは、トワイライトガーデンの仲間の顔。

 付き合いはそれほど長くないのに、何故だろうか、思い浮かんだその顔触れに安心する俺がいた。

 どうやらすっかりあの店は、俺にとって大切なものになっているらしい。



 姉さんが『奇跡』と共に届けてくれたメールで俺をすくってくれたように。

 今度は俺が、深山をその絶望の闇の中から救い出すんだ。





 さぁ、始めよう。

 あの夏の、俺の忘れ物に決着を……。

 そして、今日の深山の心を救って、あの店に帰るための戦いを……





 続く――。

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