第32話♭ そしてまた明日みんなが揃うレストラン
目の前の大きな扉を俺はゆっくりとノックした。
コンコン――
静まり返った廊下に、ノックの音が響き渡る。
室内からの反応は、ない。
「深山、聞いてくれ。俺だ」
室内にも聞こえるように、出来るだけ大きな声で呼びかける。
その声も、やはり静かな廊下に響き渡るが、依然として室内からの反応は皆無だった。
私の部屋に、彼の言葉が響き渡った。
すぐに私は、布団を被って耳を塞いだ。
彼が私に告げるのは、きっと怒りの言葉だ。
そう思って、私はそんな彼の言葉から逃げるように目を瞑った。
だって、許されるわけがない。
だって、私なら許せない。
すべて奪ったんだ。
幸せも、家族も、安定も、笑顔も、安心も……何もかも。
全部、私が奪ってしまったんだ。
殺されたって、文句は言えない。
それだけのことを私はした。
許されるわけなんてないことは、分かっていた。
でも、逃げてしまった。
だって、怖かった。
殺されることじゃない。
責められることでもない。
「……嫌われた。絶対にもう嫌われちゃった」
いや、それどころか、恨まれているだろう。
私は彼からすべてを奪った、憎き仇なのだ。
恨んでいないわけがない。
それが、苦しかった。悲しかった。辛かった。
彼に嫌われて、「お前なんてもう嫌いだ」と言われることが。
殺されることよりも、罪を責め立てられることよりも、何よりも怖かった。
でも、
私は被っていた布団をはいで、ゆっくりと扉に近付いていった。
胸を締め付ける恐怖を、決死の覚悟で抑え込み、私は扉の向こうの彼の言葉に耳を傾ける。
だって、私が悪いのだ。
全部私のせいなのだ。
謝ったって許されるようなことじゃない。
だったら、せめて彼の言葉を受け止めなければ。
それが例え、聞くに堪えない罵倒だとしても。
それが、私の罪に対する贖罪だ。
死んだって、償えない。
私が死んだって、彼の家族は戻らない。
私の命を、彼に押し付けてもしょうがないのだ。
だから、私は彼の言葉を、その罪を背負って生きるしかない。
もし、彼が私の死を望むのなら、そのときは喜んで命を差し出そう。
私は、そんな覚悟を決めて扉の前に立つのだった。
俺の言葉に、深山からの反応はない。
でも、俺は続ける。
「多分、お前が思っている通りだ。お前が聞いた話が現実だよ」
声は平坦に、でも努めて優しく。
俺は部屋に閉じこもっている深山に語り掛ける。
「今、お前の目の前にあるのは、紛れもない現実で、それは夢でも幻でもない」
あのとき、絶望に膝を折った俺は、姉さんが起こした『奇跡』に救われた。
俺は、それが幻だとは思っていない。
ありえないようなことだけど、あのとき姉さんは確かに俺の前に現れてくれた。
俺はそう思ってる。
「そして、今ここでお前に語り掛ける俺も、紛れもない現実なんだ」
だから、俺も深山を救うためにここに居る。
例え、今は深山の心に声が届かなくても――。
「聞こえてるんだろ?
でも届かないってんなら、届くまで何度だって言ってやる」
俺は、この声が深山に届くまで、叫び続けるつもりだ。
「お前は、お前の不注意であの事故を起こした。
そして、その事故が俺の家族の命を奪った。
それは、紛れもない事実だ」
現実は曲げられない。
深山がそう思っているのも間違いない。
なら、全てはそれ前提に話をすすめなければだめだ。
「俺は、お前に家族を奪われた。
それが、現実だ。
だから、俺はお前を許さない」
「俺は、お前に家族を奪われた。
それが、現実だ。
だから、俺はお前を許さない」
それは、いつもと同じ、優しい声で告げられた。
だから余計に、その言葉に私は絶望する。
微かに抱いていた、淡い期待がその言葉で全て打ち壊された。
許されるはずなどないのに、少しでも期待した自分の愚かさを私は呪う。
でも、それが正しい結末だ。
優しい声は、彼のせめてもの優しさなのだ。
罵倒しないことが、彼の気遣いなのだ。
だって、私は罪人なのだから。
私は次に彼が告げるであろう私への決別の言葉を、覚悟のもとに聞き届けようと、部屋の扉によろよろと近づいて、きつく目を瞑った。
不意に、扉のすぐ向こうに深山の気配を感じた。
俺はそんな深山に届くように、精いっぱいの気持ちを込めて言葉を続ける。
「多分、昔の俺なら、きっとそう言ったと思うよ……」
さぁ、ここからだ。
深山が扉に近付いてきたということは、少なくとも俺の話を聞こうという意思があるということだ。
なら、きっと届く。
俺の気持ちが、深山の心に届くはずだ。
「でも……今は、今の俺は違うんだ。
俺はお前を許したい。許したいんだよ……」
俺の言葉に、扉の向こうの深山が動く気配を感じた。
トンッ――
「………………嘘」
それは消え入りそうな、でもはっきりと聞こえた深山の声。
「………………嘘だよ、そんなの。
私だったら、許せないもの。
大切なものを根こそぎ奪ったんだよ?
そんな相手を許せるわけないじゃない!!」
悲鳴にも似た、叫び声。
深山の精一杯の心の叫び。
「あなたの言葉は、私には信じられない!」
それは明確な拒絶の言葉。
でも、言葉は届いた。
届いてくれた。
そんな言葉に、深山はむき出しの心をぶつけてくれた。
でも、俺の想いはまだ届いていない。
「信じて貰えるまで、俺は何度だって言ってやる。
俺はお前を恨まない。
憎まない。
俺はお前を許したいんだ」
だったら、俺はこの想いが届くまで、この声を張り続けるだけだ。
想いが届くと信じて……。
「俺はもう、泣いて泣いて泣きはらして、もう現実を受け入れたんだ。
悲しかったし、辛かったけど、あれは事故だったんだ。
ただの不幸な事故だったんだよ。そう思って俺は割り切った。
受け入れたんだよ。だって、誰も望むわけがないだろ?
誰かを恨んで、憎んで、ずっとそれを抱えて生きていくことなんて……
そんな悲しい人生、俺だって望んでないんだよ」
だから、深山。
お前はそんなこと気にしなくていいんだ。
誰もお前の絶望なんて、望んでないんだ。
父さんも、母さんも、姉さんも……俺だってそうだ。
「俺は誰も恨まないって決めたんだよ!
お前が父さんを殺したのか?
違うだろ。
お前はそのきっかけを不注意で作っただけだ。
その状況で、車の前に飛び込んだのは父さんの意志だった。
それで死んだのは、父さんのせいでもあるんだ。
母さんも姉さんも死んだ。
そのきっかけは確かにお前だ。
でも、それだって飲酒運転の運転手の方がもっと悪いだろ?
そいつも事故で死んじまってる。
ズルいけど、そいつも相応の対価は払ったって思うしかないだろ?」
「違う! 私のせい! 私が殺した!!
それが現実。
それ以上もそれ以下もない!!
私は許されない!! 許されていいはずがないのよ!!」
それはもはや、俺への言葉ではなくなっていた。
深山自身を責め立てる言葉。
俺が深山を責めないから、深山は自分で自分を責めているのだろう。
「きっと、誰かが悪いなんてないんだよ、深山。
お前の、父さんの、運転手の……
色んな人の小さなミスが重なって、あれだけの大きな事故になったんだ。
けど、今そこに戻って、あの事故をなかったことには出来ない。
出来ないんだよ……
何が悪いのか、もしそれを突き詰めるなら。
きっと運が悪かったんだ……そうだろ?」
「違う!! 私が!! 私が悪いんだ!!」
こんな簡単に許されていいはずがない。
そんな深山の思い込みを、ぶち壊さなきゃダメなのだ。
「何度だっていうぞ、深山。
俺は、お前を許したい。
お前を責める声なんてないんだ。
だってそうだろ?
お前を糾弾するはずの俺が、この俺が、お前を許すって言ってるんだから!!」
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」
「嘘じゃない!!」
「っ!?」
だから俺は、全ての想いを込めて、深山に向かって叫ぶんだ。
「だから、深山。頼むよ……この扉を開けてくれ。
笑ってくれ……俺は、お前の笑顔が見たいんだ」
俺の想いが届くまで、何度でも。
何度だって……。
もう分かっていた。
扉の向こうのあいつが、私を恨んでなどいないってことは。
真っ直ぐな、馬鹿正直な優しい言葉。
あいつの等身大の気持ちが、扉を越えて、私の心の壁を越えて、私の心に直接響いていた。
でも、私が私自身を許せなかった。
なんの償いもなしに、あいつの全てを奪った罪を許されるなんて……。
そんな都合の良い話を、認めるわけにはいかなかった。
あいつが好きだった。
ずっと、あいつを見て来たから。
ずっと、あいつを思い続けて来たから。
あいつは覚えていないけれど、もうずっと私はあいつのことが好きだった。
だから、あいつが今、私じゃない女の子のことが好きなのことも分かっていた。
それでも好きだったから、思い続けることくらいは許されるだろうと思ってた。
でも、そんな大好きなあいつの全てを奪うきっかけを、自分が作ったと知って絶望した。
あいつに嫌われることに、あいつに恨まれることに絶望した。
それなのに、あいつは、あろうことか私を許したいと言ったのだ。
そんなの……認められなかった。
あいつが好きだから。
あいつを苦しめた自分を許せなかったのだ。
だから、私には罰が必要なのに……
あいつは私に、その罰すらくれないのだ……
それが、悲しくて、切なくて、苦しくて……認められなかった。
でも――、
「深山……頼む……頼むから自分を責めたりしないでくれ……
俺はお前を責めたりしない。
だってお前は、俺の大切な――」
ドアの向こうで、あいつが言いかけた言葉を聞いたとき、私の胸がズキリと痛んだ。
あいつが言おうとした言葉の先が、私にはすぐに分かったから。
『お前は、俺の大切な――』
その言葉の続きは、ずっと私の望んでいた言葉じゃない。
それを確信して、私の胸が信じられないくらいに痛んだのだ。
『お前は、俺の大切な友達だ』
その痛みが、私に教えてくれた。
ああ、これが、私への罰なのだと。
だって、こんなのもう、無理だ。
私は一生、こいつのことが好きだ。
こんな罪も許されて、こんなに優しくされて、こんなに格好良くて……
こんな素敵な人、もう一生出会えない。
そして、そんなに大好きな人は、絶対に私に振り向かないのだ。
こんなに好きなのに、この人は別の誰かのものになるのだ。
この、切ない胸の痛みを、私は一生耐えなければならないのだ。
それは、なんて過酷で、なんて残酷で、なんて優しい罰なのだろうか。
でも、受け入れよう。
私はそれだけのことをしたのだから。
そして、彼の望みを叶えよう。
彼は『笑顔が見たい』と言ったのだから……。
私は、そっと扉の鍵に手を伸ばし、そのカギを捻った――。
俺は扉に縋りつくようにして、絞り出すように言葉を紡いだ。
「深山……頼む……頼むから自分を責めたりしないでくれ……
俺はお前を責めたりしない。だってお前は、俺の大切な――」
すると……、
カチャッ――
目の前の扉から、その扉の鍵が開く音が聞こえた。
「えっ!?」
突然のことに、驚く俺。
そんな俺の目に飛び込んで来たのは、泣きはらした顔で目の端に涙をたたえながらも、やれやれと溜息をついく深山の顔だった。
「……もう、分かってるわよ。
キモイ事散々言って……
本当にアンタは、キモイんだから………」
そう言って、深山は俺の胸に飛び込んで来た。
「………………うして……どうしてこんなことになっちゃったのかな?」
「……言っただろ? ただ運が悪かっただよ。
俺も、俺の家族も、お前もさ……」
俺の言葉を聞いて、深山はビクリと肩を震わせた。
俺はそんな深山の肩に、そっと手を添える。
「うぅ……うぅぅ……」
必死に口を噤んで、嗚咽を我慢する深山。
けれど、それは徐々に口から溢れて、彼女の瞳からこぼれる涙と共に彼女の口からあふれ出した。
「うああぁ……うわああああああぁぁぁんっ!!」
そして、俺の胸に縋りつき、深山はせきを切ったように泣き出した。
大声で、その身体を震わせながら……
「……めんなあいっごめんなしゃいっごめ、っなぁい、
ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ……」
そして、深山は俺に謝罪の言葉を繰り返す。
「うん……」
「私の不注意があなたの家族を、奪っちゃった……
私が……あなたの幸せを壊した……
私が……うわあぁ、うわああああああぁぁぁんっ!!
ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい……」
俺はそんな深山の激流のような言葉の波に身を任せて、ただその言葉を受け止め続ける。
こういうときは、全部吐き出させた方がいい。
深山の気が済むまで。
深山の悲しみが収まるまで。
深山の罪の意識が、少しでも軽くなるまで。
俺はただ、彼女の言葉に頷きながら、その身体を抱きしめて、泣きわめく子供をあやすようにそっと背中を叩きつづけた。
どれだけそうしていたか分からない。
いまだにしゃくりあげることはあるものの、その声がある程度落ち着いたなと思った頃、深山は俺からそっと身を離して真っ赤な目で俺を見つめた。
「許してくれなんて言わないし、許されないなんてもう思わないけど……
もう一度だけ、キチンと謝罪をさせて。
本当に、ごめんなさい。
あなたの平穏と幸せを、私は自分の不注意で奪ってしまったから……
あなたは許してくれるって言うけれど、
私はこの罪を一生かけて償うわ。
あなたの友として、あなたが困ったときは絶対に力になるって約束する」
「ああ、そう言って貰えるのは本当に心強いよ。
俺はお前を許す。っていうか、許している。
俺は俺のしたいようにするから、お前がしたい様にしてくれればいい。
これからもよろしくな、深山」
深山に向かって俺がそう言って笑うと、深山は頬を赤く染めながら俺から目を逸らす。
「なによそれ……ほんと、キモい……
格好つけすぎじゃない?
間違って惚れちゃったらどうするのよ?」
俺に向かって、冗談っぽく言う深山がまだ無理をしているのは分かっている。
でも、それをどうこう言うつもりは俺にはなかった。
「あはは、悪いけど、それについてはもう売約済みだ……」
「……そっか……
それじゃあせいぜい、店長とお幸せにね!」
そう言った深山は、ぎこちなくはあったけれど、晴れやかな笑顔で笑ってくれた。
俺は、深山のその笑顔を、きっと一生忘れないと思う。
彼女が見せた、決意と誓いのその笑顔を。
続く――。
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