第29話♭ interlude ~Last Mail~ ⑦
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「謝るなよ、馬鹿」
私の顔を見つめる、辛そうなこいつの顔。
その顔に浮かぶ覚悟を見る限り、こいつも私と同じように感じ取っているのだろう。
これがもう、正真正銘の最期の邂逅なのだということを。
私が見たこいつは、絶望に膝を折り、死すらも覚悟していた弱弱しい姿だった。
それがこうして、凛々しい姿で私の前に戻って来たということは、私の想いはちゃんとこいつを立ち上がらせることが出来たということなのだろう。
なら、この出会いをくれた神様に、私は憎らしいけど再び感謝をしなければならないのだろう。
きっとこいつは、なにか目的をもってここに来たのだろう。
だから、私に謝ろうとしたのだ。
それは分かる。
でも、これが最期だと分かっていて、何もしないなんて私らしくないと思った。
だから……、
「ねぇ、仭。
私ね、あんたのこと、好きだったよ。
一人の男性として……愛してたんだよ?」
ずっと胸にしまっておくつもりだった、文字通り墓場まで持っていくつもりだった、私の一番大事な言葉の封を切ることにした。
目の前に現れたこいつを、少しでも驚かそうと思って。
こいつの記憶に、少しでも私との思い出を刻みつけてやろうと思って。
でも……、
「ありがとう、姉さん。
俺も、姉さんのことを愛してたよ。
大切な家族として。最愛の姉として……
それは、今でもずっと変わらない」
こいつは驚くことは決してせず、優しい笑顔で私を見つめ返してそう言った。
こいつは本当に強くなった。
本当に揺るがない強さをその瞳に感じた。
もう、これでこいつとは会えないのに、私はこいつに惚れ直してしまった。
くやしいな……
こんなに格好良く成長したこいつの横に、どうして私はいないんだろう。
仕方がないのは分かってる。
痛いほどに理解している。
私の時間はもう終わっている。
今ここにある私は、そんな私の残り火みたいなものだ。
あの日から先に、私の時間は存在しない。
私にはもう、こいつの記憶の中にしか居場所がないのだ。
こいつはきっと、私のいない世界で、私の死を乗り越えて……
こいつだけの居場所を手に入れたのだろう。
あの日からどこにも進めない私が、そんなこいつの横に居られるわけがない。
そんなこと、分かりきっていたことなのに、
やっぱりそれはどうしたって悲しかった。
「うん。知ってる。
でも、真っ直ぐな言葉で返事をしてくれてありがとね」
絶対に涙だけは流してやらないと決めていた。
だから、鼻の奥がツンとして、目の奥が熱いけど、私は我慢した。
ああ、くそ。
愛しさが溢れて止まらなかった。
「……ねぇ、急いでるの?」
私は、苦笑いを浮かべて頬を掻きながら、そう問いかける。
きっと、私に残された時間はそう長くない。
それは分かっていたのだが、こんな『
「いや、急ぎじゃないよ。
まぁ、そう長くはいられないかも知れないけど……」
すると、『しょうがないな』とでも言いたげな顔をして、こいつはそう言って私のように苦笑いを浮かべた。
この苦笑いが、私はどうしようもなく好きだった。
面倒くさいと思いながらも、私のわがままを聞いてくれるときの苦笑い。
この顔が見たくて、私が一体どれだけのわがままをこいつに言ったか……
もう、覚えていない。
「だったらさ、聞かせてよ。
あの日からこれまでに、仭にあったこと、感じたこと。
何でもいいからお姉ちゃんに聞かせてよ」
私がそう言うと、仭はその目を見開いて驚いたような顔をした。
さっきの告白は想定内だったらしいが、こっちは想定外だったようだ。
「別にいいけど……そんなに面白い話じゃないよ?」
「いいの! 私が聞きたいっていってるんだからいいでしょ!!」
「なんだよそれ……ったく、姉さんはほんと姉さんだな……」
その嬉しそうな顔も、すごく可愛かった。
「じゃあ、聞かせてやるよ。
時間の許す限り……好きなだけさ」
そしてまた見せてくれたのは、あの苦笑い。
私はそんな仭の仕草一つ一つを、宝石箱にしまうように大切に抱きしめる。
この後迎える逃れようのない死の先に何があっても、私はこの瞬間を絶対に忘れない。
仭の話す話は、本当にどれも他愛ない、でもかけがえのないものばかりだった。
私はその話を心の底から楽しみながら、合いの手を入れたり、茶々を入れたりしながら聞いたのだった。
俺の話を、本当に楽しそうに姉さんは聞いてくれた。
深山との話、藍澤さんとの話、ポニーとの話……
『登場人物が女の子ばかりなのが気に食わないけど、まぁ許す』
とか、
『そのポニーって子は……ううん、なんでもない、続けて。
うっさい! 気になるとか知らない! 良いから続けて!!』
とか、
理不尽な物言いは、本当に生前と変わらない。
この後、死んでしまうなんて信じられない気持ちになる。
でも、その運命は変えられないのだ。
それは分かっていた。
特に、店長とのエピソードは姉さんのお気に入りだった。
『そっかぁ……あの皐月さんがねぇ……』
なんて言って、楽しそうに話を聞いてくれた。
店長とは姉さんも面識があったようだから、余計にだったのかも知れない。
とにかく、本当に楽しい時間だった。
この世界に時間というものがあるのかどうかは知らないが、そんな時間を忘れて俺は姉さんと話し込んでいた。
「あぁ~……楽しかった」
俺がここに至るまでの話を聞いた姉さんは、そう言って大きく伸びをした。
俺は、そんな姉さんの顔を、真面目な顔で真っ直ぐ見つめる。
そして、
「……姉さん。頼みがあるんだ」
俺は、俺のエゴにまみれた願い事を姉さんに告げた。
「いいよ。任せて。
言ったでしょ? 私は仭の味方だって。
どんな願いでも、この無敵のお姉ちゃんがかなえてあげるわよ!」
姉さんはそんな俺の願いを、清々しいほどに快く、その大きな胸を叩いて引き受けてくれた。
「何をすればいいの?」
俺のことを見つめる姉さんの目には、覚悟の光が宿っていた。
どうやら、俺の願い事がどういうものなのかを悟っているらしい。
流石は長い時間を共にして来た、最愛の姉弟だ。
「……メールを送って欲しいんだ。
俺に送った要領で、今度は店長――いや、涼宮さんに」
多分、この出会いが店長に届いたメールの真相だ。
この姉さんが店長にメールを送ったとは思えない。
そして、これからそのメールを送ろうとしているようにも見えない。
それでは、店長が救われない。
きっと、いつまでも自責の念と後悔とを胸に抱えながら、その膝を抱え続けてしまうのだろう。
もしかすると、そのまま自らの命を絶ってしまうかも知れない。
それでは、俺が困るのだ。
店長には、笑顔でいて貰わないと困る。
そして、俺と出会って貰わないと困るのだ。
だから、俺が姉さんに頼むしかないのだ。
俺があの日の奇跡の延長にいる姉さんに、店長を救うメールを送るように頼むしか……。
「皐月さんに?
何で、皐月さんに私がメールを……?」
首を傾げる姉さん。
それで俺の予想は確信に変わる。
「それは……」
だから俺は、姉さんに事情を説明した。
姉さんの死の原因は自分にあると感じて、罪悪感の深い闇に囚われた店長の心と、それを救って欲しいと願う俺の想いを。
「分かった。任せといてよ!
全米が泣くような感動的なのを送ってあげる!!」
姉さんは俺の頼みを、こともなげに引き受けてくれた。
それが、どんなに過酷な願いか気付いた上で。
『メールを送る』
たったそれだけのことが、姉さんにとってはどれだけ過酷なことなのか……
それは多分、姉さんにも分かっているだろう。
だから、俺は俺の身勝手さにうんざりした。
だって俺は、自分の願いの為に、
姉さんにもう一度、いや何度も死ねと言っているのだから。
「……メールを送って欲しいんだ。
俺に送った要領で、今度は店長――いや、涼宮さんに」
そんな簡単なことでいいのか?
その言葉を聞いたときは、私はそんな風に考えた。
でも、すぐにそれが間違いだと気付く。
だって、仭に送ったメールと違って、皐月さんに送るメールはまだ用意すらされていないのだ。
恐らく、私が望んで巻き戻せるのは、あの瞬間だけだろう。
仭にメールを送ったときの時間を考えれば、メールの文章を数文字打つのがやっとだろう。
文章はここで考えるとして、その文章を打ち切って完成させるのに、私は一体あの死を何度経験することになるのだろうか。
それはきっと。気の遠くなるような回数だ。
でも、私の答えは決まっていた。
例え、何千回、何万回あの痛みに襲われるとしても……
私はそれが仭の願いだというのなら、それくらい喜んで受け入れよう。
だから、
「分かった。任せといてよ!
全米が泣くような感動的なのを送ってあげる!!」
私は努めて明るく、快く、こともなげに、
彼のその理不尽な願いを引き受けるのだった。
姉さんの笑顔は、本当に悲しいくらいに優しい笑顔だった。
「ごめ――」
「だから、謝るなよバカ」
「……うん…………」
思わずこぼれそうになった言葉は、そんな優しい笑顔のままで姉さんにそっと止められた。
本当に、どこまでも、悲しいくらいに、
姉さんは姉さんだった。
「ほいじゃ、もう行くの?」
「……ああ」
「そっか……じゃあ、元気でね」
「……姉さんこそ」
「……あのね。私はこれから死ぬんですけど?」
「あはは……そうだった……」
そんな、どこまでもいつも通りの会話。
俺は、溢れそうになる涙を必死に堪える。
きっと、姉さんも同じだろう。
「じゃあな、姉さん」
「……じゃあな、じゃなくて、一緒だろ?」
俺の別れの挨拶に、姉さんは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、二人ではまっていたロボットアニメの台詞をもじって返事をした。
ああ、確かに。
この状況には、その台詞は哀しいくらいにマッチしていた。
「ああ、そうだな!」
だから俺は、溢れる涙を見せないように、天を仰いでそう答えた。
その言葉を言い終わると当時に……、
ブツンッ――
まるで、コンセントの抜けたテレビのように、真っ白な世界は消えて、真っ暗な闇に包まれるのだった。
「……ん……おい、しょうね……
おい! 大丈夫か、少年!!」
気が付くと、俺の目の前には愛しい人が立っていた。
「……いえ、ちょっと、懐かしいことを思い出していただけですよ」
店長の向こうの窓の外には、綺麗な月と星空が広がっていた。
すると、
突然俺の視界は、凶悪に柔らかい何かに覆われて見えなくなった。
「て、店長!? どうしたんですか!?」
「言っただろ? 泣きたいときは私のでっかいおっぱいを貸してやるって」
すぐに、店長に抱きしめられたことを理解して狼狽える俺に、店長は悪戯っぽくそう答えた。
しまった。
そうだった。
俺は姉さんと別れるとき、泣いていたのだった。
恥ずかしいところを見られてしまったと思って、我慢しようとする俺に店長は言葉を続ける。
「泣きたいときは我慢するな。
涙を流していいときに流さないのは、強さじゃなくて強がりだぞ?」
店長の言葉と共に、俺の髪の毛に店長の息がかかるのを感じる。
抱きしめられているので、店長の声がまるで天から降ってくる言葉のように聞こえた。
鼻の奥がツンとする。
目の奥が熱くなるのを感じる。
「涙はな、体内の余分なミネラルと共に、
体内に必要のない物質を体外に排出する役割もあるんだそうだ。
泣くことで昇華される感情もあるらしい。
涙はそういういらないものを全部外に洗い流してくれるんだ。
だから、泣けばいい。泣いてスッキリすればいいんだよ」
そんな店長の言葉を聞きながら、俺の目からとめどなく涙が溢れて来た。
店長の温もりと柔らかさに包まれて、俺は理由もなく安心していた。
その瞬間だけは、俺は流れる涙をそのままに、抱きしめてくれる店長の腕に身をゆだねた。
姉さんに強いた、過酷と苦痛も……
俺が背負うべき、罪と責任も……
いまこのときだけは、何もかも忘れて。
安らぎの中で、情けなく涙を流した。
姉さん、ごめん。
姉さん、ありがとう。
俺は、姉さんと店長の優しさに包まれて、ただただ泣いていた。
続く――。
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