第6話♯ 寡黙で小さな店員を待ちわびるレストラン
キーンコーンカーンコーン――
響き渡るチャイム。
本日の時間割を全てこなした俺は、何も入っていない鞄を持って教室を後にする。
こんな感じなので、よく周囲からは学校をサボったりとかしてそうにみられるようだが、これでも俺は一応皆勤賞に近い出席率を誇る模範生なのだ。
まぁ、一身上の都合で俺は少々特殊な奨学生なので、そうあらねばならないというのが正直なところなのだが。
「あれ? あの後姿は……」
クラスメイトからの頼まれものを届けるために、文化部の部室棟に足を運んでみると、俺の先を歩くちまっこい見慣れた後姿を見かけたのだ。
この学校に、いや、この由芽崎市全体でも、あそこまで小さい女子高生は他に一人といまい。
俺は駆け足でその背中に近付いて、驚かさないように声をかける。
「藍澤さん!」
「………………?」
その呼びかけに、のんびりゆったりとした動作で振り向く藍澤さん。
俺の姿を見つけて、藍澤さんは丁寧なお辞儀をしてくれる。
『こんにちは。こんなところで会うなんて思いませんでした』
例によって脳内再生される藍澤さん(仮)の声。
「いや、俺もです。藍澤さんは文化部に所属してるんですね?」
俺の質問に、藍澤さんは肯定するようにコクリと頷く。
そして、俺の顔を見上げて、藍澤さんは小首を傾げる。
『あなたも?』
「いえ、俺は文化部どころか、部活には所属してません。ちょっと吹奏楽部の友人に、クラスメイトから届け物を頼まれまして」
俺が頼まれものの楽譜を胸ポケットから取り出して見せると、藍澤さんは驚いて目を見開いた。
『部活に入っていないって……うちは全生徒がどこかの部活に入らなければいけないはずですよね?』
驚く藍澤さんを見て、自分がいらぬことを言ってしまったことを自覚する。
しかし、言ってしまった言葉はもう取り消せない。
俺は少し考えてから、お茶を濁すことにする。
「ああ、ちょっと特殊な事情で、以前所属していた運動部を退部したんです。一応学校には許可を貰って、その後も部活には入ってないんですよ」
恐らく、俺が誤魔化そうとしていることを察したのだろう。
藍澤さんは俺の言葉に納得したように頷いて、それ以降その件に関して質問をしないでくれた。
「そうだ。藍澤さんは何部なんですか?」
俺がしたそんな質問と被るように、藍澤さんに向かって叫ぶように声をかけながら女の子が駆け寄ってくる。
「あ、副部長!!」
その子のお陰で、何部だか分からないが、どうやら藍澤さんは副部長を務めていることが分かった。
でも、しっかり者の藍澤さんなら、副部長くらいは普通な気がした。
そうなってくると、余計に藍澤さんの部活動が何なのかが気になってしまう。
「あ、えと……すみません、副部長。あの……も、もしかして、彼氏さんとお話してらっしゃいました? 私って、もしかしてお邪魔です?」
駆け寄って来た女の子は、とんでもない勘違いをしているようだ。
俺が訂正するために言葉を発しようとしたときだった。
「………………っ!?」
藍澤さんが、真っ赤な顔をして、恐ろしい速度で首を左右に振ったのだ。
これは非常にレアな光景に出くわしたものだ。
まぁ、そこまで必死に否定されると、少し悲しくなるのは事実だが。
そこは仕方のないことだ。
「あはは、そうだったら光栄なんだけど、そうじゃないんだ。俺は藍澤さんの……バイト先の常連客かな?」
「ああ、なるほど。あのレストランの……そうでしたか。すみません、変な勘違いをしてしまって……私は演劇部の下田です。あなたは?」
「ああ、俺は神越だよ。君の1個上の学年で、藍澤さんの1個下だね……ん? ってことは、藍澤さん演劇部員なんですか!?」
唐突に下田さんが始めた自己紹介に乗っかって、思わず俺も名前を名乗ったが、途中で下田さんの言っていた聞き捨てならない言葉に驚いてしまう。
いや、だって、藍澤さんだぞ?
流石に藍澤さんが演劇って……無理が無いか?
「………………」
しかし、やはりというか、藍澤さんは少し驚いた顔をしながら、俺の質問にコクンと頷いた。
「そうですよ! 藍澤先輩は演劇部の副部長さんなんです!!」
下田さんも、何故か自慢げにそう言って肯定してくれる。
「なるほど。そうですか……演劇部とは……」
確かに、この喋らずともその意志を伝えられる高度な表現力は、演劇部たる所以なのかも知れない。
とか、妙な納得をする俺に、下田さんは聞いてもいないのに色々教えてくれた。
「副部長は、うちの演劇部の脚本担当なんですよ! 去年も、一昨年も、副部長の脚本は演劇大会で脚本賞を貰ったんです!!」
下田さんが藍澤さんのことをものすごく尊敬していることが伝わってくる。
しかし、脚本か。
確かに、藍澤さんは文学少女のイメージがあったので、納得してしまう。
「けど、副部長は去年からは役者にも挑戦してるんですよ! 副部長は人前で喋るのが苦手なのに、神越先輩が通っているレストランでアルバイトをしてまで人前で喋る練習をしようとして……本当にすごいです!!」
この下田さんのお陰で、藍澤さんのことがどんどん教えて貰えるのはありがたかった。
まぁ、当の藍澤さんの方は、さっきから下田さんに向かって『恥ずかしいからもうやめて!』と必死に無言のアピールをしているのだが……。
すっかり『藍澤さん自慢』に熱が入ってしまっている下田さんには、その藍澤さんの気持ちは届いていないようだ。
「副部長は、部員たちにも大人気なんです! 可愛くて、脚本は素敵で、細やかな演技もすっごく上手で!! 私も副部長のことが大好きですもん!!」
下田さんの真っ直ぐすぎる誉め言葉に、ゆでだこのように真っ赤になる藍澤さんは、失礼ながらものすごく可愛かった。
「神越先輩も、今度演劇部の舞台を見に来てくださいよ!! きっと副部長の脚本に感動しますから!!」
「そうだね。是非見に行かせてもらうよ」
俺の制服の袖をグイグイ引っ張りながら、真っ赤な顔で目に涙を浮かべて首を左右に振る藍澤さんのことを、このときばかりは俺は敢えて無視をした。
『駄目ですよ! 今度の舞台は、私も演者として舞台に立つんです……恥ずかしいから、あなたは見に来なくて結構ですから!!』
「あはは、藍澤さんが舞台に立つんなら、なおのこと見に行きたいですよ」
俺と藍澤さんのやり取りを見て、下田さんが口をあんぐり開けて驚いていた。
「すごい! 神越先輩は、副部長とスケッチブックなしにお話が出来るんですか!?」
「スケッチブック?」
「はい。副部長、基本的にあんまりおしゃべりしてくれないので、部員とのやり取りはスケッチブックに筆談でするんですよ」
なるほど。
確かに、ジェスチャーよりはそちらの方が確実だもんな。
俺が藍澤さんの方を向き直ると、藍澤さんは自分の鞄から、おずおずとスケッチブックを取り出した。
「なるほど」
「副部長と神越先輩みたいにお話しできるのは、あとは部長くらいです。どうして、神越先輩はそんな風に副部長の言ってることが分かるんですか?」
「ああ、それは――」
俺なりの藍澤さんとのコミュニケーションの極意を下田さんに教えようとしたら、藍澤さんが背伸びして俺の口元にスケッチブックを当てて遮った。
俺は、藍澤さんに一度ウインクしてから、下田さんに笑顔でこういった。
「それは、企業秘密ってことで」
「そうですか……それは残念です。でも、神越先輩はすごい逸材です。是非、我が演劇部に入部して欲しいです!!」
「あはは、それはちょっと難しいかなぁ……」
「そうですか……それも残念です」
下田さんは心底残念そうにそう言って、しょぼんとしてしまう。
「まぁ、誘って貰ったし、今度の舞台は必ず身に行かせてもらうよ」
俺がそう言って、下田さんの頭にポンと右手を乗せると、下田さんは顔を赤くしながら、嬉しそうに笑ってくれた。
「絶対ですよ!! 今度チケットをお渡ししますね!! あ、連絡先を教えて頂いても?」
「ああ、いいけど……」
そんなこんなで、俺は下田さんとLINE IDを交換するのだった。
「あ、そうだ。神越先輩は副部長の声はもう聴けましたか?」
不意に、下田さんが気になることを質問して来た。
「いや、まだだけど……」
俺が苦笑いを浮かべてそう言うと、ニンマリと笑って下田さんは続ける。
「それは残念ですね。まぁ、私達演劇部員でも、副部長の声は全然聴けませんから……副部長の声が聴けるのは、すごく大事な部の会合のときと、副部長とすごく仲がいい部長と話すときくらいです。あとは例のレストランでもたまに聞けるって言う噂があります」
「ああ、それなた聞いたことがあるよ。藍澤さんの声を聞けた日は、そのお客さんに必ずいいことがあるんだとか……」
「まぁ、その声が聞けただけでも、既にいいことなんじゃないかと思いますけどね」
「ああ、確かに。違いないね」
すっかり意気投合した俺と下田さんの会話を、終始アワアワしながら聞いていた藍澤さんが可愛かった。
「おっと、すまん。そろそろ俺はバイトに行かなきゃだわ」
すっかり話し込んでしまったが、スマホで時間を確認すると結構きわどい時間になっていることに気付く。
「あ、そうなんですね。長らく引き留めてしまって、すみません」
そう言って申し訳なさそうに頭を下げる下田さんに、俺は笑顔を浮かべる。
「いや、こっちこそ。色々聞けて楽しかったよ」
「そう言って貰えると助かります。あ、そうだ。普段はこの時間、部室で練習と化しているので、今度気が向いたら遊びに来てください!」
「OK、暇なときに顔を出すよ。それじゃ、俺は届け物してバイトに行きますんで。藍澤さん、また後で」
俺がそう言うと、藍澤さんは少しだけ不思議そうな顔をした後で、小さく手を振ってくれた。
『アルバイト、頑張ってくださいね』
「藍澤さんも、部活とバイト、頑張ってください!」
そのまま、吹奏楽部の部室を経由して、俺は急いでバイト先へと向かって走るのだった。
カランカランッ――
バイトを終えて、俺がトワイライトガーデンにやって来ると、ドアベルの音を聞いて、藍澤さんがやって来た。
「………………」
丁寧にお辞儀する藍澤さん。
『アルバイト、お疲れさまでした』
「いえいえ、そちらはまだお勤め中ですよね。お疲れ様です」
そして、藍澤さんはにこりと笑顔を浮かべて、俺を席へと案内してくれる。
バイトでこき使われた疲れが、その笑顔で一気に吹き飛んだ気がしてしまう。
「それにしても、藍澤さんが演劇部とは……少し驚きました。でも、こうして店で言葉を介さずとも意志を伝える技術とか考えると、なんか納得ですよね」
先を歩く藍澤さんに、俺がそう言って話しかける。
すると、藍澤さんは少しだけこちらに振り向いて、困ったような表情で小首を傾げた。
『そうでしょうか……まだまだ、伝わらない方の方が多いので……声を出して接客できるようにって、頑張ろうとは思うんですけど……』
「ゆっくり、藍澤さんのペースでいいと思いますよ。常連さんには伝わってますし、だんだんできるようになっていきますよ。あ、でも、その内噂の声を聞かせてくれたら嬉しいです」
俺がそう言うと、藍澤さんはこちらを振り向かずに耳まで真っ赤にしていた。
「今度の舞台は、藍澤さんはどんな役どころ何ですか?」
『私の役は、ケガで喋ることが出来なくなった幼い女の子の役です。自分で書いた脚本ですが、難しい役どころなので、上手く演じられるか不安です』
「藍澤さんなら、きっとうまく演じられますよ」
雑談を交わしながら(はた目には俺が一方的に藍澤さんに話しかけているのだが)、席まで歩く俺達。
席について、いつものお決まりのやり取りをした後で、藍澤さんがバックルームに去って行ったのを見計らったかのように、店長が話しかけて来た。
「少年、随分と飛鳥と仲良く話していたじゃないか。うらやましいぞ! 私もあんな風に飛鳥に笑顔を向けられながら話がしたい!!」
「いやいや、あんたの方が付き合い長いんだから、こんな風に話だってできるだろ?」
「出た出た、本当に少年はそういう所がダメなんだからな……まぁ、でも、あの子がああして心を通わせることが出来る相手が少しでも増えるのは良いことだ。……うらやましいのは間違いないけどな」
なんだが、変なテンションで絡んでくる店長。
下田さんといい、前のポニーといい、店長といい、そんなに俺は藍澤さんと仲良く見えるのだろうか?
俺的には、普通にやりとりをしているつもりしかないのだが……。
「だが、少年」
「なんすか、店長」
「飛鳥は、やらんぞ?」
「……あんたは、藍澤さんのお父さんですか?」
途中から店長が俺のことをからかっていることは分かっていたので、俺はそんな風に適当にあしらいメニューを眺めるのだった。
「あ、この新メニュー美味そうじゃん」
そして、店長を無視して、俺はテーブルの上のボタンを押すのだった。
続く――。
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