レストランの店員が全く喋らない件について~ 藍澤飛鳥篇
第5話♯ 喋らないけど笑顔の可愛い店員さんのいるレストラン
これは、少年と少女の別の可能性の物語――。
カランカランッ――
「………………」
「あ、どうも」
ドアベルの音と共に店の入り口をくぐると、ちょうどそこを通りかかった全く喋らない店員さんこと藍澤さんが俺に向かって深々と頭を下げた。
つられて俺も、彼女に向かって深々と頭を下げてしまう。
そのまま藍澤さんは、通路の方に身体を向けて、右手で進路を示しながら、メニューなどを持ってゆっくりと歩き出す。
『それでは、お席にご案内しますので、こちらへどうぞ』
その所作から、そんな言葉が聞こえて来るのだから本当に不思議だ。
「………………」
一つのテーブルの前までやって来ると、藍澤さんはその席の方を手で示し再び深々とお辞儀をする。
『こちらのお席になります。どうぞおかけください』
「ありがとうございます。それじゃあ失礼して」
藍澤さんの言う通りに席に着くと、そんな俺の邪魔にならないように優しくメニューが差し出され、藍澤さんは音もなくおすすめメニューのページを開く。
『本日はこのシャリピアンステーキセットがお勧めになります。もしよろしければお試しください』
そして、テーブルから一歩引いて、テーブルの上のボタンを手で示し後、再び深々と頭を下げる。
『メニューが決まりましたら、こちらのボタンで何なりとお申し付けください。それでは、ごゆっくりどうぞ』
俺がそんな藍澤さんに会釈を返すと、藍澤さんも俺に会釈をしてからトコトコとバックルームへと戻っていった。
本当に一言も話さない接客。
でも、不思議と声が聞こえて来るような接客。
もはや職人芸とも言うべきその技術に、俺は感嘆の溜息をつくのだった。
「……けど、出来れば聞いてみたいよな。藍澤さんの声」
思わず、いまだ聞かぬ藍澤さんの声を想像してしまう。
やはり、見た目通りの少女のような可憐な声なのだろうか。
それとも、見た目に反してハスキーな声だったりするのだろうか。
はたまた、めちゃくちゃセクシーな色っぽい声だったりするのか。
「これじゃあ、想像ていうより妄想だよな……」
「…………メニュー眺めてニヤニヤしてるとか……キモい!!」
「五月蠅いですよ、従業員さん。お客様相手に『キモい』とかいうものではありません」
「うっさいのはあんたでしょ? そもそもあんた客じゃないし……」
「客ですが何か?」
変な妄想としてにやけてしまっていたようだ。
それを通りかかった深山に指摘されてしまう。
しかし、藍澤さんの接客も巧みとは言え問題だが、こいつの接客も大問題である。
本当にもう、店長さんにはしっかりして頂きたい。
……この店の場合、その店長からして問題だらけなのだが。
叶うなら、店長さんと従業員の教育について小一時間ほどお話がしたいところだ。
もちろん、そんな話にあの店長が応じるわけもないので、無理な話だ。
「ちょうどいいや、注文決まったしお前でいいからオーダーを通してくれ」
「『お前でいいや』とか言う偉そうなやつのオーダーは聞きませんので!」
「って、おい!!」
注文をしようと思ったら、そう言って深山はスタスタとバックルームに戻って行ってしまった。
「はぁ~……」
あいつの雑な接客にはもう慣れっこだが、本気でこの店の未来が心配になる俺だった。
仕方がないので、テーブルの上のボタンを押して店員さんを呼ぶことにする。
ピンポンピンポン――
軽快な音が響き渡ったフロアの奥から、ハンディターミナルを持って俺の前にやって来たのは、藍澤さんだった。
真っ直ぐこちらを見つめて、小首を傾げる。
『ご注文はお決まりですか? よろしければお聞かせください』
そんな言葉が、聞こえて来る。
現状彼女の声が分からないので、以前見たアニメの声優さんの声で俺の脳内で自動再生される感じだ。
「えっと、このチキングリルのセットでお願いします」
俺がそう伝えると、一度小さく頷いた後、今度はメニューのセット欄を指でそっと示しながら、藍澤さんは小首を傾げる。
『承りました。チキングリルのセットですね。セットメニューの方はいかがいたしましょうか?』
「ああ、えっと、サラダセットで、ドレッシングは和風しそドレッシングでお願いします。あと、セットドリンクバーを……このクーポンで」
俺がメニューを指定しながら、スマホを取り出してクーポン画面を提示すると、藍澤さんはその画面を確認する。
そして、一度頭を下げてから、その細い指で画面をスワイプして店員さんが押す『確認ボタン』をタップしてから、再度俺に向かってお辞儀をしたあとに小首を傾げた。
『ご注文承りました。他にご注文はございますか?』
「大丈夫です」
そう言って俺が頷くと、藍澤さんはメニューを預かる前に、メニューを一つ一つ指さして、オーダーの確認をしてくれた。
『チキングリルのサラダセット、ドレッシングは和風しそドレッシングで、セットドリンクバーをクーポンご利用でご注文……これで間違いないでしょうか?』
「はい、問題ないです。ありがとうございます」
藍澤さんは、またテーブルから一歩引いて丁寧に深々と頭を下げると、そのまま俺に背を向けてバックルームへと戻っていくのだった。
「店長が、『全く問題ない』って言うのも分かる気がして来たな……」
「あはは……流石に神越君ほど飛鳥先輩の言わんとすることをくみ取れるお客さんはいないと思うけどねぇ……」
無言の完璧な接客に俺が感心していると、ポニーがそう言って俺に近付いてきた。
「そうか? だって、藍澤さんを目の前にすると、聞こえて来るじゃん。あの人が言おうとすることが鬼〇明里さんの声でさ」
「聞こえてこないよ、普通!! ……けど、そっか。神越君のイメージは禰〇子ちゃんか……まぁ、分からなくもないよ。流行ってるもんね、〇滅」
「まぁ、王道で茅〇実里さんというのもありだな」
「あはは、神越君って結構アニメ好きなんだね」
「そういうお前も結構いける口だな?」
とか、アホな会話をする俺とポニーだった。
こういう会話を遠慮なく出来る辺り、こいつとは色々気が合いそうな気はする。
なんというか、どんな球を放り投げても、的確に打ち返してくれるイメージだ。
その辺は、入学していこうずっと学年2位をキープする、由芽崎高校始まって以来の秀才の成せる業なのかも知れない。
……いや、だとすると、学力の無駄遣い泣きもしてくるが。
「でもさ、本当にすごいと思うな……あの無言接客にこんな短期間で対応できるようになったお客さんなんて、多分神越君が初めてだと思うよ?」
「いや、そうなんだとすれば、早急に対策を講じろよ、店長……」
「あはは……その辺は、店長が上手く回して、飛鳥先輩が接客しても問題ないお客さんに采配してるから大丈夫だと思うけど……」
「あの店長、絶対に能力の使いどころを間違えてると思うんだが……」
「うーん、そこは私も同意するかも。……でも、本当にいい店長さんなんだよ?」
他でもないポニーがそう言うのであれば、本当にいい店長さんなのかも知れない。
ただ……、
「なら、どうしてその店長さんは、あそこからものすごい顔で俺を睨んでいる深山を放置するんだろうな?」
「あはは、それは乙女の難しい事情って奴だよ、神越君」
一人、俺に対して客を客と思わない店員を放置していることについて、是非ともご説明を頂きたいものだった。
「さてと、私もあんまりサボってると怒られちゃうし、戻らないとかな?」
「怒られるって、店長にか? あの人がサボり魔筆頭なのにか?」
「ううん、怒るのは副店長さんかな? まぁ、怒られるって言っても、お小言くらいなんだけどねぇ」
「ああ、前に深山をクドクド言ってた……俺、なんとなくあの人苦手だ」
「うーん、副店長も悪い人じゃないんだけどなぁ……」
苦笑いを浮かべて、俺にヒラヒラと手を振って去っていくポニー。
自分で言うのもなんだが、俺ももうすっかり常連と呼んでも差し支えない状態になっていた。
しばらくして、俺の目の前に配膳台を押して藍澤さんがやって来る。
コトッ――
小さな音を立てて、俺の頼んだメニューをテーブルの上に並べると、藍澤さんはテーブルから一歩引いて綺麗にお辞儀をする。
そして、可愛らしく小首を傾げるのだった。
イメージは、ペットショップのショーウインドーの中の子犬だ。
『ご注文いただきましたメニューは以上になります。お間違えなかったでしょうか?』
「はい、大丈夫です。いつも丁寧な接客、ありがとうございます」
何の気なしに言ったセリフだった。
深山と対照的な、丁寧で優しい接客に対する、正当な言葉だと思う。
でもそれを聞いた藍澤さんは、一瞬頬を上気させて戸惑ったように目を泳がせた。
その反応を見て、俺が余計なことを言ったかもと後悔しかけたときだった。
「………………」
藍澤さんは、心の底から嬉しそうな表情をしたかと思ったら、にっこりとたおやかに微笑んでくれたのだ。
「っ!?」
俺は、その笑顔にやられてしまった。
そのまま、俺に背を向けて去っていく藍澤さんの背中を、俺は黙って見送った。
「いや、あの笑顔は反則だろ……」
顔が熱い。
今の俺は、間違いなく真っ赤な顔をしているに違いない。
深山やポニーに見られると厄介な気がして、俺はしばらくうつむき続けて顔のほてりが引くのを待った。
数分間、下手をすれば、10分以上そうしていたかも知れない。
「よし、食うか」
やっと顔のほてりが冷めたのを感じて、料理を口に運ぶと、
「しまった……結構冷めちまったな……」
鉄板の上にあったはずのグリルチキンは、すっかり冷めてしまっていたのだった。
その後、俺が藍澤さんの顔をまともに見れるようになったのは、料理を食べきって、3杯目のアイスティーを飲み干す頃だった。
「………………?」
「ああ、大丈夫ですよ。体調とかそういうのが悪いわけじゃないんで! 心配しないでください!!」
俺の顔を心配そうにのぞき込む藍澤さん。
そんな藍澤さんから、思わず目をそむけながら言い訳をする俺。
藍澤さんの更に向こうに立っていた店長が、意味ありげにニヤケながら俺のことを見ていた。
あれは多分、全部見られていたのだろう。
流石は店一番の暇人だ。
もしもからかわれたら、俺はそこを攻撃してやろうと心に決めるのだった。
「………………」
「いやいや、藍澤さんの接客に何が不手際があったとかじゃないですってば! だからそんな落ち込まないでください! 俺は藍澤さんの接客が完璧だなって思ってるくらいなんですから!!」
「………………?」
「それはもう! 声に出ない分、その所作に全てが込められてますから!! 俺なんて、不思議と藍澤さんの言いたいことが、脳内で勝手に〇頭明里さんの声で再生されてますもん!!」
「………………」
「いや、何でそこで照れるんですか? え? そんな可愛い声じゃないから本当の声を聞いたらがっかりするんじゃないじゃって? そんなわけないじゃないですか!」
声無き声を身振りで発する藍澤さんと俺は、そんな感じのやり取りを繰り広げていた。
「……なんであいつ、あんな自然にあの子と会話が出来るわけ? ちょっとキモいんだけど」
「あはは、満月ちゃんの気持ちも分からないでもないけど、『キモい』はちょっと言い過ぎなんじゃないかなぁ?」
「……はぁ~、万里子もあいつの味方なわけね……それなら、ポニーちゃんって呼んだ方がいいかしら?」
「別にそんなつもりはないよぉ、満月ちゃん! だから、ポニーって呼ばないで!! なんか、満月ちゃんの『ポニー』には壁を感じるから!!」
俺と藍澤さんの様子を眺めながらバックルームで交わされていたそんな会話を、俺が知る由もなかった。
こうして、俺の知らないところで、『俺と深山の痴話喧嘩』と同じく『俺と藍澤さんの暗黙の会話劇』も、この店の新しい名物になっていくのであった。
果たして、俺に藍澤さんの声を聞ける日が来るのだろうか?
俺はそんなことを考えながら、バックルームに戻っていった藍澤さんの背中を見送って、本日4杯目のアイスティーをおかわりするためにドリンクバーコーナーへと向かうのだった。
ふと、思い出すのは藍澤さんの笑顔。
息を飲むほど愛らしかったその笑顔は、思い返してみると少しだけ、影が差しているようにも感じられた。
「……気のせいかな?」
一度きり、一瞬見た笑顔だ。
俺の記憶違いとか、気のせいという可能性もある。
でも、そんな彼女の笑顔が、俺は二重の意味で気になったのだった。
続く――。
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