第40話 そしてまたいつも通りのレストラン
「大好き」
そう言って、俺の唇に自分の唇を重ねた深山。
突然のことで、俺は何も考えられずに硬直してしまう。
廊下から薄明るい光が差し込んで来た。
そうか、いつの間にか夜明けの時間になっていたらしい。
スッと、深山が身を引いて、その顔を俺から離して幸せそうに笑った。
廊下から差し込む朝日を背負ってくれたおかげで、まぶしくてその姿は良く見えなかったけれど。
幸せそうな深山の笑顔だけは、何故だかはっきりと見えたのだ。
「あんたの言う通り、私は一生かけてこの罪を償うわ。あんたの横で、すぐ隣で……」
「ああ、これからもよろしく頼むよ、深山」
「……満月」
「ん?」
「満月って呼びなさいよ。バカ」
すっかりいつもの調子の……いや、そうでもないか。
いつもより、少し素直になった深山は、そう言って口を尖らせた。
「分かった、これからもよろしく頼むな、満月」
「あんたこそ。もう言質取ったんだからね? 引っ込めさせないからね? 覚悟しなさいよ、ひ、仭?」
そう言って、俺の唇に人差し指を当てる深山は、本当に晴れやかな笑顔で笑っていた。
「とりあえずさ、満月」
「あによ?」
「いや、そろそろ服を着て欲しいんだけど……」
「はえ? …………………………ばっ!!」
「ば?」
俺の言葉で真っ赤な顔をした深山は、すぐに俺の上から飛び退いて、
「馬鹿! そういうことは、早く言いなさいよね!! てか、見るな!! 忘れろぉっ!!」
振りかぶった拳を、全力で俺の顔へと振り下ろすのだった。
ガスンッ――
鈍い音が、俺の耳に頭がい骨を伝わって聞こえた。
その音を最後に、俺の意識はプッツリと途切れて暗転した。
気付いたときには、私はこいつの顔に拳を振り下ろしてしまっていた。
今まで通りがいいと言ってくれたこいつの言葉が嬉しくて、ついいつものノリでと思ってやってしまった。
本当はまだ、胸が痛い。頭だって混乱したままだ。
本当に自分が許されていいのかどうかも、正直言って分からない。
罪の意識だって、消えていない。
ずっと忘れていたくせに、責任感なんて言えた義理ではないけれど、数人の命を失う事故を起こすきっかけを作った罪を、そう簡単に忘れてしまっていいわけがない。
私は、この罪を一生背負って行くのだと思う。
「『一生をかけて償ってくれ』か……」
私の一撃でダウンしたこいつの鼻を、私は指先でツンとつついてみる。
「ううん……」
すると、寝ぼけるように声を漏らすだけで、目を覚ます気配はない。
その言葉は、嬉しかった。
私の罪を認めた上で、私に罪を償うチャンスをくれた。
そして、こんな大罪人を、自分の横に置いてくれると言ってくれた。
「あれって、完全にプロポーズよね?」
多分、こいつのことだから、そこまでのことは考えていないのだと思う。
罪の意識に苛まれ、絶望の底にいた私を救おうと必死にひねり出した言葉なのだろう。
でも、私はもう、その覚悟を決めていた。
こいつの言うように、この罪は一生をかけて、生涯を捧げて償わなければいけないものだ。
病めるときも、健やかなるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、この人を愛し、この人を敬い、この人を慰め、この人を助け、私の命ある限りこの人に寄り添い、真心を尽くすことを誓おう。
ただ、それはこの人にそう命じられたからじゃない。
自信の幸せを、平穏を壊した私を受け入れて、ありのままの私と一緒に居たいと言ってくれたこの人以外、私の目にはもう映るわけがない。
私はもう、この人以外考えられないからだ。
でも、それを伝えるのは、この人が私との出会いを思い出したときにしようと思う。
「愛してるわ、仭」
目を覚まさない内にもう一度、私はその唇に自分の唇を重ねるのだった。
「さて、こいつが目を覚ます前に、服を着ちゃわないとね」
私は、私の部屋の絨毯の上に大の字になって眠るこいつに毛布を掛けてから、寝間着に着替えた。
そして……、
「こ、これくらいしてもいいわよね? こいつが『ずっと隣にいろ』って言ったんだし……」
私は仭にかけた毛布に潜り込んで、その腕を枕に抱きついて目を閉じるのたった。
「ぬぅ……腕がしびれた」
腕の痺れで俺が目を覚ますと、よく分からない状況になっていた。
「どうして俺は、深山と一緒にこいつの部屋の床で寝てるんだっけ?」
どんなに思い返しても、深山に全力でぶん殴られたところまでしか思い出せない。
そのあと一体何がどうなって、この状況になったのか……いくら考えても謎だった。
「まったく、気持ちよさそうに寝やがって……」
すぐ近くにある、深山の可愛い寝顔。
その頬を自由な方の手の指でつついてみる。
赤ん坊の頬をあまりつついた記憶はないが、イメージは赤ん坊のそれだった。
「やっぱ、いいもん食ってると、肌ツヤも良くなるのかねぇ……」
なんとなく、つねり上げてやりたくなる衝動に駆られるが、それは辞めておく。
そんなことをすれば、間違いなくこいつは起きてしまうから。
折角なのだ、もう少しこの可愛い寝顔を眺めていたいと思う。
「……腕のしびれは深刻だけどな」
腕枕なんて初めてしたが、メッチャしびれるということを初めて知った。
世の男性達は、こんなことを女性にしてあげているのか。
イケメンってすごいんだな。
などと、色々ふざけたことを考えていた俺だったが、そろそろ真面目になろうと思う。
「はぁ~……いや、マジですごい一日だったな」
今日という日(正確には昨日だが)を振り返って、俺は盛大に溜息をついた。
MIYAMAグループのホームパーティーの準備から始まって、パーティーではバーテンダーとして大勢のお客様にお酒を振舞った。
俺が生きている間には関わることがないだろう、VIPの数々と言葉を交わし、「今度君の店に行かせてもらうよ」なんて社交辞令を一杯言われた。
そして、そんなアホみたいに豪華なパーティーのあと、俺はあの夏の真実を深山の両親から聞かされた。
まさか、あの事故に深山一家が関わっていたとは……
改めて深く記憶を遡って、弁護士を深山夫妻からの援助の話を聞いた覚えが微かにあったが、その事実には俺だってもちろん驚かされた。
日本の経済界を支える重要人物の一人である深山のご両親に謝られて。
そんな二人を、一介の高校生である俺が許すなんてことになって。
その話を、深山に聞かれてしまって。
罪の意識で絶望の底に沈もうとした深山に、思い返すと恥ずかしさしかこみ上げて来ない言葉を一杯吐いて。
裸の深山に押し倒されて、抱きしめられて、キスまでされて。
仕舞いには『好きだ』なんて告白までされてしまった。
本当に、激動の一日だった。
でも、
「ものすごい事実を知らされたって言うのに、どうしてこんな穏やかな気持ちなんだろうな」
誰に言うでもなく、ぼそりとこぼれた言葉。
その言葉の答えを、誰よりも自分が理解していた。
「いや、まぁ、分かってるんだけどさ」
結局俺は、現金な奴なのだ。
既に心の中で決着がついていたことではあったものの、それがこいつで無ければ、こんな穏やかな気持ちではいられなかったはずだ。
多少なり、怒りや恨みを覚えただろう。
でも、こいつだったから。
俺が大好きな女の子だったから、俺は全てを許せてしまったのだ。
要するに、大事な家族と好きな女の子を天秤にかけて、俺は好きな女の子を選んだわけだ。
「ごめんな、姉さん。父さん、母さんも……俺は存外、薄情者だったみたいだ」
盛大なため息とともに、俺は天井に向かって、いや、正確にはその先にある空に向かって呟いた。
ふと、
『馬鹿、そんなの気にしなくていいってば……でも、あんたはまだ、大事なことをその子に言ってないでしょ?』
「えっ!?」
姉さんの声が聞こえた。
……気がした。
だが、確かにそうだ。そうだった。
俺はまだ、こいつに大事なことを言っていなかった。
危うくまた、こう言う大事なことをおざなりにしてしまう所だった。
姉さんの空耳に感謝する。
「……満月、お前が目を覚ましたらまた言うけど、忘れないうちに言っとくぞ?」
俺は気持ちよさそうに眠る深山の顔を覗き込んで、小さく息を吸ってから言った。
「俺はお前が大好きだ。多分、世界中の誰よりも……な」
「……ううん……、キショイ…………むにゃ」
「こいつ……本当に寝てるんだよな?」
確認のためその顔を覗き込むが、やっぱり寝ているようだった。
だが、余りに的確な寝言ツッコミだったので、俺は深山の頭を撫でてやった。
すると、
「えへへ……」
ものすごく幸せそうな顔をして、深山は嬉しそうに笑った。
さて、深山は一向に起きる気配がない。
俺は動く方の手でスマホを取り出して、時間を確認する。
時間はまだ早朝と言うべき時間だ。
加えて今日は日曜日。
店の改装工事が終わるのも、今日の夕方だからゆっくりしても問題ない。
ならば、やることは一つだった。
「寝る」
色々あって、身体は疲れ切っていた。
殴られて意識を失ってからどれくらい寝たのか分からないが、それだけではまだ休息としては不十分だった。
「てなわけで、おやすみ世界」
また、目を覚ましたらいつも通りの日常が待っている。
きっと、俺達の関係は、いつまでもどこまでも、下手をすれば永遠に。
このまま、いつも通りなのだと思う。
そんなわけの分からないことを考えている内に、俺の瞼は眠気に抗えずに閉じられるのだった。
しばらくして、深山にたたき起こされるまで、俺は夢も見ずに眠ったのだった。
カランカランッ――
店内に響き渡るドアベルの音。
その音に、誰よりも早く駆けつけて来たのは、
「……って、あんたか。流石は新装開店の目玉、バーカウンターの責任者様ね。重役出勤ですこと」
もちろん、この店で俺にだけこんないい加減な接客をする、深山だった。
「いや、俺は夜シフトからだったからだろうが。それに、パーティーでも一番最後まで働いてたし……文句を言われる筋合いはないと思うんだが?」
「うっさいわね、分かってるわよそんなこと。……で? お仕事の前に腹ごしらえですか? お客様?」
「そうだな。飯は後で祇園寺さんの賄いを貰うから、少しドリンクバーで喉だけ潤そうかな?」
「お客様、当店はドリンクバーだけのお客様はお断りしております」
「いや、そんな話聞いたことないからな」
いつも通りのやり取りが、店内に響き渡る。
そんな俺達を、常連さん達や、他の従業員達が生暖かい目で見守っていた。
「仕方ないから、席に案内してあげるわよ」
「そりゃどうも」
俺を席に案内して、メニューを叩き付け、店の奥へと消えて行く深山。
それは、俺の望んだいつも通りの風景だった。
「ったく、無理に演じなくてもいいってのに……」
そんな背中を見送って、俺は苦笑いを浮かべた。
いつも通りを俺が望んだから、きっとあいつは必要以上にそれを意識しているのだろう。
それも仕方がないと思う。
あんなことがあったのだ。
多分、すぐにいつもの通りには出来ないだろう。
時間がかかるはずだ。
けど、それでいいのだ。
「………………」
「あ、藍澤さん、どうしました?」
ふと、俺の服を誰かが指先でつまんで引っ張った。
振り返ると、そこには藍澤さんが立っていた。
「………………ごめんなさい。先に謝って置く」
「……はい?」
俺のテーブルに水を置きながら、藍澤さんはそんな不穏な言葉を言って店の奥へと消えて行った。
「え? なに、どういうこと?」
藍澤さんの謎の言動に首を傾げていると、俺の前に別の店員さんがやって来る。
「うーん……あれは多分、これから起こることを阻止できなかったことへの謝罪じゃないかなぁ?」
「ん? えーと……」
「はぁ~……ですよねぇ~……そんな気はしてんだ。私、最近本当に出番がなかったからさ……えへへ……ぐす……」
「いや、嘘だ。すまんポニー。だから泣くな」
久々にチャンスだと思ってポニーいじりをしたら、予想外にポニーが泣いてしまったので俺は慌てる。
すると、ポニーは勝ち誇ったような顔で俺を見て、にっこりと微笑んだ。
「ふっふっふっ! 騙されたねぇ、神越君! 涙は女の子の武器なのだよ!!」
なんと言うか、本当にいつも通りのトワイライトガーデンだった。
「ん? ちょっと待てポニー。“これから起こること”って何だ?」
「あはは、それはもう、実際に起こっちゃうから説明の必要な無いと思うな」
「はい?」
そそくさとテーブルから去っていくポニー。
そのすぐ後に、今までこの店で聞いたことのない音が聞こえた。
ピンポンパンポーン――
よくデパートなんかで店内アナウンスが入るときの効果音だ。
『あーテステス、聞こえてるか? うん、聞こえてるな』
どうやら、店内にバーカウンターを設けるだけでなく、こんな店内放送設備まで設置したらしい。
天井に埋め込められたスピーカーから、店長の声が聞こえて来た。
『本日は、新サービスであるバーカウンターのお披露目プレオープンにお集まりいただきまして、誠にありがとうございます』
いや、バーカウンターに立つバーテンダーはまだ制服に着替えてすらいないんだが?
突然の放送に、慌てて俺が席を立とうとすると、不意に店内の照明が落ちた。
「ん? どうなってるんだ?」
『ご安心ください。これは演出です。お客様はお席に座りながら、店内中央、バーカウンターコーナーに設置されたスクリーンをご覧ください』
言われるままに、店の中央を見ると、バーカウンターのすぐ横に大きなスクリーンが設置されていた。
どうやら、バーコーナー開店前のセレモニーか何からしい。
そのバーコーナー責任者は、それを何も聞かされていないのだが……。
『バーカウンターを使ったバーコーナーの開店は今から30分後の19時ですが、その前に、皆様にお知らせしたいことがございます』
まぁ、店長のことだ。
スペシャルメニューとかなにか無茶な発表をして、俺を翻弄しようと企んでいるのだろう。
長い付き合いではないが、彼女のことは大体分かって来た。
俺は慌てずに席に座り、藍澤さんが持って来てくれた水に口をつける。
『ご覧ください! 当店のバーコーナー責任者である神越と、深山さん家のご令嬢が、晴れてゴールインいたしました!! 皆さま盛大な拍手で、彼らをご祝福下さい!!』
俺は、口に含んだ水を盛大にふき出した。
スクリーンには、あの朝、深山の部屋の床で二人して眠る、俺と深山のツーショット写真が映し出されていた。
「おい、こら店長!! これはどういうことだ!!」
俺が大声で天井に向かって叫ぶ。
ガッシャーンッ――
それとほぼ同時に、バックルームの方から何かを盛大にひっくり返る音が響き渡った。
「て、てててて店長ぉっ!!」
続いて、深山の絶叫が店内に木霊する。
「いつの間に、あんな写真を撮ったんですか!? わ、私、聞いてませんよ!! そ、それに、あいつとゴールインって!! まだしてませんからね!!」
……まぁ、俺と深山がアホ面で寝ている間なのだろうが。
『なんだ、あんなに仲良さそうに腕枕で寝てたのに、まだなのか? おい、少年、何やってんだ。うちの可愛い満月に恥をかかせるんじゃないぞ?』
「いや、ただいま絶賛恥をかかせているのはあんただろうが?」
『別に、この写真も、この事実も、恥ずかしいようなことではないだろうか?』
相変わらずの暴君ぶりだ。
店長も、通常営業のようで、俺は少し安心した。
いや、現在進行形でさらし者にされているこの状況は安心とは程遠いものなのだが。
もはや、それすらも慣れっこというやつだった。
『少年、君があの過酷を乗り越えてくれて、私は安心したよ』
店長の安堵の声が意味するところは、俺にはよく分からなかった。
でも、どうやら彼女は彼女で、あの夜のことを心配してくれていたらしい。
思い返してみると、確かに店長の様子はあの日少しおかしかったしな。
まぁ、あの物言いからすると、店長はあの夜起きたことを知っていたようだが……その辺りは、きっと聞いても答えてくれないのだろうな。
『それでは、また、しばらくご歓談下さいませ。……ちなみに、この写真の真相を知りたい方は、19時オープンのバーコーナーの責任者である神越に、直接お聞きくださいね!』
ピンポンパンポーン――
店内放送の終了を告げる音と共に、スピーカーから店長の声は聞こえなくなった。
どうやら、今夜のプレオープンも、色々大変なことになりそうだ。
俺はそんな風に考えて溜息をついた後、もうどうにでもなれと開き直って、ドリンクバーコーナーに向かうのだった。
いつも通り、いや、いつも以上ににぎやかになった店内。
真っ赤な顔で店長を追い回す深山。
申し訳なさそうに、再度俺に頭を下げる藍澤さん。
苦笑いを浮かべて、俺を見つめるポニー。
そんな光景を眺めて、楽しそうに笑う八重咲さん。
きっとこの店も、そして、俺達も、いつまでもどこまでも、バカ騒ぎして楽しく過ごすのだと思う。
「さて、休憩時間はあと15分か」
俺はグラスにコーラを注いで、自分のテーブルに戻る。
これから15分後にやって来る、想像もできない大騒ぎを想像して、こみ上げてくる笑みを我慢せずにこぼして。
いつの間にか、どこよりも大好きになっていた、このレストランの空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
さぁ今日も、お祭りみたいな日常の幕が上がる。
終わることなく続く、俺の愛すべき日常が。
Tune the Restaurant. ~レストランの店員が俺にだけ冷たい件について~
深山満月篇 第一部 完結
藍澤飛鳥篇 に 続く――。
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