第39話 きっと明日笑顔と共に訪れるだろうレストラン




「深山?」


 俺は、暗闇に向かって呼び掛ける。

 その声への反応は何もない。

 でも、窓が開いているわけでもないし、この部屋への出入り口は俺が入って来た扉しかない。

 深山は確実にこの暗闇のどこかにいるはずなのだ。


「おい、深山……そこにいるのか?」


 微かに、部屋の奥で何かが動く気配を感じた。

 この部屋で深山がペットを飼っていればそいつという線ももちろんあるが、そんな話は聞いたことがない。

 加えて、前に執事をしたときに、この屋敷の倉庫でペットの餌も見なかった。

 恐らくは、この奥に深山がいるんだろう。

 俺は、その気配の下方向に、ゆっくりと歩みを進める。

 何かを踏んで壊してしまわないように、そっと手探りならぬ足探りで……。

 少しずつ、目もこの暗闇に慣れて来た。

 そんな油断もあったからだろう。


「え?」


 俺は、突然横合いから飛び出して来た何かによって、押し倒されてしまったのだった。


「ってて……深山か?」


 倒れた俺に、覆いかぶさるように誰かが馬乗りになった。

 慣れて来たと言っても、まだうっすら見える程度だった目を凝らして、俺は慌てた。


「お、おい! お前馬鹿か!? なんて格好してるんだよ!!」


 そこには、一糸纏わぬ姿で俺に覆いかぶさる深山の姿があった。

 俺は慌てて顔を背けて、深山を自分の上から引き下ろそうとする。

 でも、深山はそのか細い腕や足で俺のことを全力で押さえつけて来た。

 もともと、女子にしては腕力のある奴だったのと、上に乗られていて全体重をかけられているのもあって、なかなか俺は深山を振り払えなかった。

 そもそも、目の前でふよふよとたわむ大きな肉の塊を直視できないために、力をうまく込められないというのもあった。


「あんなことをした私が、何も罰を受けないなんておかしいでしょ? だから……私の全てをあなたに捧げるわ」


 それで裸で俺を押し倒すって……深山の行動力には呆れを通り越して感心を覚える。

 これだけ魅力的な女の子が、俺にその身を晒して全てを捧げると言ってくれているのだ。

 正直に言って、理由が『愛してるから』とかなら嬉しくないわけがない。

 でも、それが贖罪のためなら、喜ぶわけがない。

 そんな理由で、俺はこいつの全てを貰っていいなんて思わないのだ。


「さぁ、私を抱きなさいよ……」


 俺の手を無理やり引いて、自分の身体に触れさせようとする深山。


「こ、こら! 人の手で何をしようとしてんだ!!」


 俺はそれを必死に振り払う。

 そして、自由になった手を振りかぶった。


「っ!?」


 俺の行動を見て、深山がその身を固くするのを気配で感じる。

 多分こいつは、俺に殴られるとか思ってるんだろう。

 でも、そんなこと俺はしない。


 ガスンッ――


 大きな音が自分の頬から聞こえた。

 自分の拳と頬に、鈍い痛みが広がる。

 自然と目の端に涙が溜まった。


「痛ぅ~……効いたぁ……」

「ちょっと、何を……」


 俺が、自分の頬を自分で力一杯ぶん殴ったのを見て、深山は少し戸惑った顔をする。

 まぁ、そうか。

 目の前でそんなことする奴がいたら、普通誰だって驚くに決まってるよな。


 でも、俺はそうやって自分に喝を入れて、改めて自分に問いかける。


 お前は、ここに何をしに来たんだよ?


 俺はゆっくりを深呼吸をしてから、深山を見上げて言葉を告げた。

 目の前の深山の姿は、もうこの際、気にしないことにする。


「深山。お前の気持ちは嬉しい。お前みたいな魅力的な女の子に、そんなことを言って貰えて、光栄だ。でも、そんなことを言わせてしまったこと、俺は申し訳なく思う。悪いけど、そんな方法で償って貰っても迷惑だ」

「そんな……だってもう、私があなたに差し出せるものなんて……」


 俺の奇抜な行動のお陰だろうか。

 深山は少しだけ冷静さを取り戻したように見える。

 不安に瞳を濡らして、深山は戸惑いの顔で俺を見下ろしていた。


「だって……私のせいで、あなたの家族を死なせてしまったのよ?」

「ああ、そうだな。お前があの事故のきっかけだったのは事実だ」


 光の宿らない、どこを見ているかも分からないその目を潤ませて深山は苦しそうな顔をした。


「私のせいで、あなたが失ったものは、本当にかけがえのないものだった」

「ああ、本当に大切な家族だったよ」


 その二つの双眸から絞り出されるように溢れる、とめどない涙はぽつぽつと俺の顔に降り続ける。


「ごめんなさいって謝って済むような、そんな軽い罪じゃないでしょう?」

「…………そうかもな」


 俺を押さえつけていた深山の手足の力は、徐々に弱くなっていく。


「どうしていいのか分からなくて……どうしようもなくて……死んでお詫びをって思ったけど、死ぬのも怖くて……」

「死なれたら困るし、そういうお詫びは受け付けてないよ」


 そうやって、胸の内を吐き出していく深山の瞳に、少しずつ光が戻って来ているような気がした。


「――うして……どうして、こうなっちゃったのかな?」


 涙を溜めた目で、俺の顔を覗き込む深山。

 その目には、彼女のご両親と同じ贖罪と後悔の色が見て取れた。


「私は……なんで、こんな罪を忘れて、のうのうと生きて来ちゃったんだろう? あなたは私のせいで、悲しんで、苦しんで、大変な思いをして来たのに……私は、何不自由ない生活を、平然と続けてきちゃった……あなたの大切なものを奪ったくせに……」


 深山は、その目からポロポロと涙をこぼす。

 それは、知らずに背負わされた重い罪に、押しつぶされそうな少女の悲鳴のように俺には聞こえた。

 扉越しに、俺がこいつに言った『許したい』という言葉は、深山の心には届かなかった。

 それは、こいつの心の中にある罪の意識のせいで、きっとどんな言葉にしても届かないのだ。

 相手の家族を丸々奪った罪が、何の代償もなしに許されるなんてありえない。

 彼女はそう思っている。

 その理屈は、俺にもなんとなく理解できた。


「まぁ、そう言われりゃ、確かにそうだよな……そんな重罪がそんな簡単に許されるわけがないか……」


 俺の言葉に、深山はまたびくりと身体を固くする。


 きっと、こいつを救うには、こいつの全てを受け止めてやらなきゃダメなんだと思ったのだ。


「さっき、俺は扉越しにお前に向かって綺麗事を口にしたけど、やっぱりそれは訂正するよ」


 俺は努めて重苦しい声で、深山に向かって言葉を続けた。

 真っ直ぐ、深山を見つめる。

 深山は、俺から視線を外しては、首を振って俺の目を見て、また視線を外すという行動を繰り返す。

 俺の口から告げられる言葉に怯えながら、でも、贖罪のために受け止めようと必死に振舞おうとしているのが分かった。

 こんな状態では、こいつには俺の声は届いても、想いは一生届かないだろう。


 だから――。


「俺はやっぱり、お前のことをことにするよ、深山」


 優しさも、厳しさも、その他のどんな感情も込めずに、俺は深山に言い放った。

 深山は唇を噛みしめて、俺の言葉を真正面から受け止めてその唇を震わせる。

 その顔に、『ああ、そうだ。私が許されていいわけがないんだから……』なんて、諦めの感情が見て取れた。

 自分の想像通りの返答。

 俺の言葉を、深山は否定せずに受け入れていた。


「だから、お前には償って貰う。俺の家族と人生を台無しにした代償を払って貰う」


 悲しみに耐え忍ぶような表情で、唇をきつく結んで、深山はゆっくりと頷く。

 そんな深山に、俺は更に言葉を重ねた。


「お前の一生をかけて償ってくれ。ずっと、ずぅーっっと、俺の隣で、すぐ傍で」


 深山の目が、驚きに見開かれていた。

 俺は、そのまま畳みかけるように言った。


「俺に隷属してくれとかそういう意味じゃない。今まで通りで頼む。俺に対して好き勝手言ってくれ。わがままも、暴言も、全部今まで通りが良いんだ。俺の知ってる、深山 満月のままでいい。そのままのお前で、ずっと俺の隣にいてくれよ」


 両手で口元を覆って、深山はまた大粒の涙をその目から溢れさせていた。









「そのままのお前で、ずっと俺の隣にいてくれよ」


 その言葉を聞いて、私の目から涙が溢れた。

 

 こんな風に言われて、断れるわけがない。

 だって、これは私に与えられた罰なのだから。

 それならもう、従う以外に道はないじゃないか。

 それは、どこまでも優しい、この人らしい私への判決だった。


 ずっと、話が出来なくて、私に気付いてくれなくて、私ばかりが思っている時間にひねくれてしまった私がいた。

 覚えていてもらえなかった悲しさと、恥ずかしさから、素直になれなかった。

 でも、今も昔も変わらない真っ直ぐな彼に、私はずっと救われていた。


 私は――、

 酷いことも一杯言った。

 酷いことも散々した。

 そして、彼に対する、背負いきれない大罪の存在も知った。


 だからもう、彼との関係は、今日でおしまいだと思った。

 私の人生が、もう二度と彼の人生と交わることはないと思っていた。


 でも、この人は、そんな私の心の不安を全部吹き飛ばしてしまったのだ。


「俺はさ、深山。あの日起きた事故に、家族を理不尽に奪われただけだと思ってたんだ。俺の家族は、ただ不幸にも、事故に遭って死んだって思ってた……でも、違ったんだよ。俺の家族の死にも、ちゃんと意味があった。希望があったんだって……お前のお父さんの話を聞いて分かったんだ」


 ああ、もう、ダメだ。


「俺の父さんは、犬死したんじゃなかった。立派に使命を果たしてたんだ。父さんは命を懸けて、一人の女の子の命を救ってくれた。立派な人だったんだよ」


 もう、無理だ。

 こんなのズルい。


「お前が、生きてくれていた。何不自由なく、今日まで生きて来てくれた。その事実は、父さんの死に意味をくれたんだ……」


 こんな顔で、こんなことを言うなんて、反則だ。


「それにさ、俺はきっと、よ、深山」


 私は、溢れる涙を拭いもせず、目の前で頬を少し上気させながら苦笑いをこの人に抱きついた。


「俺は、お前が……って、えっ!?」


 すると、彼は真っ赤な顔をして、可愛い声を上げるのだった。










「俺は、お前が……って、えっ!?」


 深山の瞳に、淡い光が宿ったのを確認した俺は、自分の想いを伝えようと口を開いた。

 すると、深山はそれを遮るように俺に抱きついてくる。

 その深山の行動で、ずっと意識しないようにしていたことが、思い出されてしまった。

 深山の身体の柔らかさや、その体温が否応なしに俺の身体に伝わって来て、目の前の彼女が素っ裸だったことを思い出してしまったのだ。

 一気に、顔に血液が集まるのが分かった。

 パニックになりそうになる自分を、必死に理性で押しとどめる。

 すると、俺の胸に顔を埋めた深山の口から、小さなつぶやきが聞こえて来た。


「……めんな、さい…………ごめっなぁい……」


 そして、一気にあふれ出す。


「ごめ、っない、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさぁい!!」


 それは、彼女の心からあふれ出した、謝罪の言葉。


「うん」


 俺はその言葉の放流に、ただ身を任せながら深山の頭をそっと撫で続ける。

 この気持ちは、ここで全て吐き出させた方がいいと思ったから。


「うわあああ……ああああんっ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

「うん」


 泣きながら、謝罪の言葉を繰り返す深山の気が済むまで、俺はずっと深山の頭を撫で続け、その言葉を全部受け止める。


「ごめ……んなしゃい……ひっく……本当に、ごめんなさい」


 言葉を詰まらせて、しゃくりあげながら、ずっと続いた彼女の謝罪の雨がやっと止んだ。


「ああ、もうそれで十分だよ、深山。お前の気持ちは、痛いくらいに伝わった。だからもう十分だ」


 自分の声が、驚くほど優しさに満ちていて自分でびっくりする。

 腕の中の深山の身体から、また少し緊張による力が抜けるのが感じられた。

 おかげで、余計にこいつの柔らかさとかが感じられて、俺の心臓はバクバクと脈打ち始める。

 そろそろ、俺の上からどいて欲しいところだ。


 その気持ちが深山にも伝わったのか、深山はそっと身体を起こして俺を見下ろした。

 体制的には、俗にいう『床ドン』というやつに近いと思う。


 その目は、もういつもの元気な深山そのものだった。

 まぁ、目の下が腫れているのだが、それはもうあれだけ泣いたのだから仕方がないだろう。

 しかし、その体勢からなかなか深山は動いてくれなかった。

 俺は、深山の顔だけを見つめるようにして、必死に他を見ないように心がける。


 そんな俺に、深山は優しく笑って、言った。


「好きよ、仭。あなたが大好き」

「へっ!?」


 突然の言葉に、俺は呆気に取られて間抜けな声を出してしまう。


 そんな俺の隙をつくように、深山は俺の頬に手を当てたかと思うと、スッとその顔を近づけて来た。


「大好き」


 そして、俺の唇に、その可愛らしい唇をそっと重ねて来たのだった。




 続く――。

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